久しぶりにUberに乗る


Uber「相乗り」に乗った。アプリでUber を予約しようとするとUber X とUber pool(相乗り)が出てくる。相乗りサービスはマニラに来
た一年前はなく、昨年11月頃に始まったサービス。相乗りだと支払うお金が一人乗りに対して4割ほど安くなるようだが、実は相乗りは初めてだった。金曜日の夜は渋滞最高潮の時間帯なので、Uberを呼んでも一人乗りUberがなかった。こういう時はno uber is availableとメッセージが表示される。そこで相乗りのリクエストに切り替えるとすぐに一台見つかった。

5分ほどしてUberに乗り込んだ。重い荷物もあったのでやれやれと思っていると、「途中でもう一人乗せます。」と告げられる。
ちなみにこのドライバー、予定の場所で待っていた私を見つけるのに随分かかったのに、同じく見知らぬ次の乗客は走りながら不思議なほどいとも簡単にみつけた。タガログ語で彼とテキストでもしていたらしい。ともあれ、ほどなくして赤いTシャツ姿の青年が乗りこんできた。しかも後部座席の私と荷物を見るとすぐに前のドアを開けて助手席に陣取り、運転手とタガログ語で話し始めた。
「どこに行くの?」
「Makati」
「じゃあpioneerにいく僕が先だね」
と話していた模様。

そこはフィリピン人、英語にすぐにスイッチする。
「Are you Japanese? 」
この手の質問は飽きるほどされてきた。通りすがりのフィリピン人から受ける定番の質問。
「その質問、Urberやスーパーでよく聞かれるのよね。韓国人、中国人、日本人って。もし韓国人だったらどうなワケ?」
こちらとしてはほとんど現地調査のノリ、インタビューに近い。
「僕はCAなので、国籍によって会話の内容、対応の仕方を変えます」
としれっと話す。キャビンアテンダントと言われると、Tシャツの後姿が急にイケメンに見える。が気のせいかも知れない。
「その各国人はフィリピン人からすれば違うの?どう映るの?」
「日本人はdisciplined 、韓国人はalways in rush, 中国人はtalk a lot」
ステレオタイプのようにも思うが興味深い観察だ。

「じゃ僕はここで」
と降りていった。その後、ドライバーが
「お客さん、Uberは初めてですか?」
「Uberは時々使うけれど相乗りは初めて」
「そうだと思いました。私もUber始めて2か月です。だからマニラの地理に詳しくなくて」
こういうドライバーは多い。Uberだけでなくレンタカー会社のドライバーもそうだ。ちなみに、マニラのタクシーは車体が古くドライバーも当たりはずれが多いので、Uberやレンターカー会社(空港や遠距離の配車サービスをする)を私は使うことにしている。

「お客さんを降ろしたらカビテに戻ります。家はカビテなんです。」
カビテはマニラから 50km弱、車で1時間半強である。東京から横浜くらいだろうか。マニラ外のprovinceに住んでおり、Uberの仕事でマニラに来るーこういうドライバーもまた多い。マニラではUber需要が格段に高い(この背景にはBPOもひと役かっている)。Uberドライバーはそれなりのきれいな車であることが条件なので、まず車を購入すると元が取れないと成り立たない。そこでUberのドライバーが増え、マニラ参入のドライバーと車も増える。結果、マニラの渋滞が加速される。

「一晩休んで明日に備えます。明朝7時からまた運転です」
フィリピン人は全体的にゆったりしているけれど、働き者も多い。(ただし段取りや効率はあまり考えない印象だ。)
Uberを通してフィリピンの世相が垣間見えて興味深い。

稀勢の里


大相撲春場所が終わり一夜明けても稀勢の里の優勝で盛り上がっている。稀勢の里の人気は、久々の日本人横綱の登場に対する相撲ファンの喜び、期待が大きいことは明らか。もうひとつの背景として、力士らしい顔つきと体格が大横綱北の湖を彷彿させるからではないだろうか。稀勢の里の目の辺りが、ややもするとふてぶてしかった取り組み前の北の湖の表情と重なってしまう。しかも稀勢の里の場合、いい塩梅にしゃべってくれる。北の湖ほど無口でもふてぶてしくもないし、人のよさそうな憎めないお茶目な雰囲気が程よくにじみ出ている。ちなみに北の湖もひとがよかったのかもしれないのだが、あのふてぶてしさが祖の印象を見事に打ち消していた。それでも往年の相撲ファンには忘れられない力士ーそれが北の湖だと思う。輪島、北の湖の時代、続く四横綱時代、その後の千代の富士の台頭には、必ず北の湖の存在があった。北の湖なしにはあり得なかった相撲の黄金期が確かにあった。

わたしも北の湖の現役時代は毎日のように大相撲を見ていたが、次外国人力士は高見山しかいなかった。第に相撲観戦から遠ざかっていったのは、おそらく小学生だったので相撲外のことに興味が移っていったに違いない。かくして最近は、稀勢の里の台頭もあり、ようやく少しずつ相撲をみるようになった。稀勢の里がいなかったら相撲のニュースすら見ることもなかっただろうと思うと、これも伊勢の里効果だろうか。

もがいていたこと


3月はフィリピンでは夏の始まりである。去年の2月末、冬の東京からやってきてまず、生活基盤を整えることから始まった。最初は住む場所を探し始めた。いくつかの不動産業者に連絡を取り、物件を見るところから始まった(6社に連絡したが返事がきたのは4社、そのうち対応がよかったのが3社、実際に案内されて回ったのは2社)。といっても仕事の合間の時間を使って、すなわち毎週末の土曜日か平日の昼休みに見て回った。いったい何件見て回ったことだろう。最初は3地域を回っていたので渋滞もありかなり時間がかかった。物件をみていくうちに自分の好みが分かってきた。というのも、譲れない要素として(1)方向(東向き、西日に無縁な角度)、(2)眺望(部屋の向きによって眺めが大きく変わる)、(3)高層階であること(低い方が車の騒音から逃れられる)だとわかった。これは意外だった。地震国からきた身としては低い階を希望していたのだが、すぐさま「いま出回っている物件から探すしかない」という現実にぶつかった。そのうち、新しい視点が加わった。空気があまりきれいではないので、窓は車の少ない土曜日の数時間しか開けない。となれば高層階のほうがいいということ、また低層階は道路の騒音もありあまりお勧めではないこともわかってきた。そもそも高層マンションに住むのが初めてだったのだ。

地域を絞ってからはここなら住めそうという4件ほどに絞った。その先は大屋さんとの交渉に入る。交渉内容は家賃もさることながら、敷金(みたいなもの)を何か月分にするかというものまである。1-2か月が相場だが、こればかりは大屋さんによる。こちらとしては戻ってくるかもわからない敷金は最小限の1か月分で抑えたい。しかしもっとも大きな交渉要素は家具や備品。家具付きの部屋なので、あれを置いてほしい、もしくは取り除いてほしい、という千差万別のリクエストに対して大屋さんが対応する。こればかりはもう根比べと柔軟性の勝負になる。日本人の美徳でもある遠慮や配慮はまずここでは生きないことも学んだ。こんなことまで頼んでいいのだろうか、といった遠慮は無用。言っても応じるかは相手あってのことだからダメ元で言ってみるか、最初から何も言わずに我慢するかの選択になる。私は某インド人が、家を借りる条件として庭に池を作らせたと聞いてからは、そこまで頼めるのかと密かに感心したと同時に、とりあえず言ってみようと思うようになった(もちろん言い方は大切だが)。ちなみに、フィリピン人だと海外(中国か米国)に住む大屋さんも多く、大屋さんの代理人(兄弟姉妹か友達)が対応している。その場合、確認とひと人手間が入るので、どうしても時間がかかる。私の大屋さんは、共働きのフィリピン人夫婦で同世代だったのと、彼らも海外に住んで家を借りていた経験があったので、あまりもめることもなく助かった。正面切って条件を話していながら、内心は穏便にできれば早く済ませたいのは双方同じだと思う。

車の手配も最初はどうしたものかと思ったが、マニラの渋滞をみて自分が運転できるわけでもなく車を持つ気も失せてしまった。結局、Uber(アプリで呼ぶ日本のタクシーに相当)と仲間とのカーシェアリングで今のところ何とかなっている。自分の所有物はミニマムで過ごす信条で過ごしている。これはマニラというよりは、東日本大震災の影響かもしれない。

大きな気づきは、そもそも「普通がない」だった。子どものころから正解を導く傾向の強い日本の教育を受け、社会に入っても片足を外国につっこみながらも主軸は日本だった。そのため、好き勝手に生きてきた私だが、所詮は日本の海でもがいていたに過ぎなかった。フィリピンに来て、生活でも仕事でも「日本人の自分」をいやというほど実感したのは、「普通はどうするの?」と考える時だった。それを聞くと、フィリピン人や非日本人からはかえってくる答えは「It depends」「案件ごとに違うし、決まりはない」「知らない、一概にいえないから」に集約される。おそらく私と同じ道(思考回路)を辿ってきたであろう日本人の返事は「ここでは普通は存在しないと思った方がいい」だった。彼らもおそらく当初は普通を求めそのうちに悟ったに違いない。いろいろあるのだから、普通を求めても仕方がないし、そもそも意味がない、と。1年たち、ようやく自然に普通を求めないようになっていた。こうなるまでに実に1年かかったのだ。

マニラに来て1年ーーもう1年とも、まだ1年ともいえる。

忘れ得ぬ人々(4)


偶然は重なるもので、アンナと再会した翌朝の今日、米国の学校でお世話になったG先生よりメールが来ていた。去年の4月に出したカードがようやく彼の手元に届いたようだ。前のメールアドレスでは届かなかったので郵便を出したのだが音沙汰がなく、すでに引退したのか病気なのかとも思案もしていた。まずはお元気な様子で何よりだ。

国際協力の世界でもプロだった彼は、カーター政権の頃から米国の環境政策の主軸を決めるリーダー的存在だった。地球温暖化や環境政策をめぐる今の米国の状況に、彼が心を痛めていることは容易に想像がつく。在学中見てきた姿からはリーダーシップがあり改革を断行する一方で、留学生に対して親身になって心を傾ける先生だった。個人的には、ベトナムでのインターンをするためにいただいたご支援には感謝してもしきれない。推薦状とともに奨学金まで融通してくださったのだ。こうした人々との出会いや縁に、留学1年目の心細い学生がどれだけ勇気づけられたことか。

うれしくも今週は留学先の縁を思い出すことが重なった。私も微力ながらできる限り世の中に、恵まれない人、若い人のために役立ちたいと思うのは、まさにこういう先生方のおかげでもある。行動と思いは連鎖する。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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