ハノイ


今年8月にハノイへ。ベトナムは、アジアの中で最もホッとする国ともいえる。もちろん祖国日本に次いでの話だが。


最初に行った2001年に比べれば、隔世の感がある。まずノイバイ空港からして、当時はどこぞの地方都市の空港かと見紛うような規模だったノイバイ空港も、今やモダンな南国の空港として聳え立つ。市民の足として、市内を行き交うのはシクロやバイクではなく車。格段に車が増えた。2001年当時は、ハノイでもバイクや自転車が主流で、その間をちらほら車がある、くらいで、バイクと車の割合は9:1(かそれ以下)と明らかに車は少数派だった。それが2017年の今はもう、車が主流でその間を縫うようにバイクが走っている。ハノイの風情よ、どこに。

opera-_20170912220909b6e.jpg
 


カフェは街中いたるところにある。

cafe__20170912220906fe7.jpg


それでも面白いことはあるもので、とある金曜日のこと友人にピアノのコンサートに誘われた。クラシックコンサートというが果たして弦楽四重奏だった。


演奏前の舞台

concert_b4_c_20170912220908f0f.jpg


観客は子ども連れの家族が多い。 結構、自由気ままに聞いている子供たち。2階最前列に子供だけ3人座り、そこから身を乗り出すなどのように日本だったら冷や冷やするような聴衆の行動が散見される。


米国人の演奏家たちが弾き終えたあとアンコールを求める拍手もなく、やおら人々が舞台に上がりだした。演奏後、観客が好き好きに舞台に上がり写真をとっているとは。。

concert__2017091222090892e.jpg




ドバイで働くフィリピン人


フィリピン人は英語ができるため海外へ働きに出る話をよく聞く。それも技術者や何かの専門職というよりは、ドライバー、ホテルの従業員、工場などのいわゆる普通の仕事で、いとも簡単に(と傍からはみえる)海外で働くオプションを考えたり探し始める。ただビザを取るのに時間がかかるので1年越し以上の計画とはなるようだ。

人気の行き先はやはり米国、フィリピン人の好きな国ナンバー1だろう。次いでカナダ、オーストラリア、英国、ニュージーランドと続くが、いずれも就労ビザ取得がなかなか容易ではないらしい。番外編といっては何だが、やはり人気(?)の就労国は中東、その中でも行き先はドバイだ。その理由はずばり、ビザが取得しやすい、給料が高いの2点にある。同僚のフィリピン人でも夫がドバイで働いているという話は割とよく耳にする。

今日のUberドライバーもそうだった。ライセンス看護師としてドバイで1年働いた、と話すので、そもそもライセンス看護師とは何かときくと、その国の試験を受け免許を取った看護師だという。彼の場合、フィリピンで看護師の免許を取ったが、働く先でも英語で看護師の資格試験を受けて合格すればその国の免許がとれるらしい。まだ20代の彼はまた機会があえばいつでも海外で働きたい、行き先を探しているというので、「それほどならドバイにもう少しいるという選択肢はなかったの?どうしてドバイから帰ってきたの?」と聞いたところ、同僚と仕事のやり方、要はそりが合わなかったので契約を更新しなかったという。曰く、中東の同僚は仕事をしないどころか自分のするべき仕事までフィリピン人の彼に振ってくる、しかも偉そうに振る舞う、自分の英語がわからないとアラビア語で仲間内で仕事を進めるので結局だんだん仕事にならなくなる、などなど。中東人は怠け者だとまで言うフィリピン人の彼。今は、フィリピンでパートタイマーで看護師をしながら、たまにこうしUberのドライバーをしているとのこと。次はドバイでないところで働くことを目指している。

それにしても、若い頃からこのように気軽に海外で働く選択肢を考えることができるのは、やはり英語が堪能だからだろうか。普通の日本人は海外で働くとなると一大事のように思えてしまうのとは対照的だ。

がん教育


1980年代、千葉敦子さんというジャーナリストがいた。プロとして第一線で働く女性が少なかったあの時代に、仕事を生活の柱に据えて生きた国際人でもあるジャーナリスト。自他ともに認めるフェミニストだけあって、男性に依存して生きる女性に対して厳しい反面、表面的な女性らしさのみを求める日本の男性社会にも辛辣であり、かつ敢えて距離をおいていた。しかし彼女が命をかけて闘っていたのは、がんだった。プロとして仕事に重きをおいていた方なので、病気になっても仕事を辞める選択肢は皆無。それどころか病と闘いながら仕事のペースを落とすことなく、納得のいくがん治療を受けながら仕事をするために東京からニューヨークに拠点を移した。何回かがんを再発しながらもフリーランスジャーナリストとして活躍し続けた。晩年は、仕事をしながらがんと向き合う日々の生活や闘病生活を描いた著書も多い。学生時代、彼女の著者をほぼ全部を読んだように思う。その著作のひとつ、『乳がんになんか敗けられない』には当時の心情が綴られている。彼女の批判と提言の矛先は、病気やがんを人に言わない(言えない)閉鎖的な日本社会と、がん患者への十分な説明の努力を怠る医師や病院に向けられていた。

今日のNHK「あさイチ」では、親子で考えるがん教育、と小中高校でのがん教育の特集だった。今や日本人の3人に1人がなるというがん。しかし患者が増えた割には、日本はまだがん検診の受診率の低い(米国は8割に対して日本は4割)ことや、病気に対する無知や理解のなさで退職を強いられるケースを紹介していた。がんについて知識をもっていることで不安や心配も軽減される、自分でなくても家族ががんになったときでも知識があることで家族のがんの受け止め方、心の持ちように違いが出てくるため、がんの早期教育が全国で始まりつつあるとか。がんになった人がどのように社会復帰してきたかなども取材、放送していた。がんであることを人に言うことでサポートを得られやすくなる、という経験も紹介されていた。がんは予防や生活改善が必要なこと、がん検診の重要性、何よりがんは当たり前の病気であると、がん教育で語られていた。

つくづく時代はかわった、と番組をみながら感じた。少しずつだけと確実に時代が動いている今の日本。千葉さんが若い頃は望むべくもなかった、女性が当たり前に働く社会になりつつあるし、病気やがんの情報がオープンになり堂々と話すことができる―いずれも千葉さんが生きておられれば間違いなく喜び待ち望んでいた時代が、彼女が逝って40年経った今、ようやく実を結び始めているかのようだ。

不思議な自信


コンドミニアムの部屋には必ずある排水溝。洗濯機やらシャワーある場所に設置されている。その排水溝から漂う臭いが時に気になるので、時々熱湯を流していた。水でもいいらしい。しかしそこにBleachを入れるともっといいと聞いたので今日スーパーに買いにいった。そこでZonrox という商品を手にとっていると 6 in 1という表記が目に入る。これは、水6に対して1入れる量比なのかと思って聞いたら近くにいた中年の女性曰く、
「ほかの商品と比べて6倍効果があるということよ。でも私はこれじゃないものを勧めるわね」
と私を隣の列に連れていく。
「これがいいわね」
「どうしてこれを勧めるの?なにがいいの」
「私が使っているから」

こういう不思議な自信に出会うことが、フィリピンでは時々ある。
「これは正しいわ、だって私が言うのだから」
初対面の人に言われても説得力がいまひとつ薄いのだが、まあいい。排水溝の臭いは結局、定期的に水を流すことで解決に向かっている。洗剤は一度使っただけで終わってしまった。

職場でも、根拠のない自信に出くわすことにある。自信たっぷりの態度とでもいおうか。その自信の通りであれば話は簡単なのだが、そうは問屋がおろさないので、こちらでの二重三重のチェックが必要になる。私が興味あるのは、間違っている場合も多々あるのに、ミスが起きてもあくびれもなく自信を持ち続ける彼らの、この自信の依って立つところはどこにあるのだろう、という点だ。思わず聞きたくなってしまう。
What makes you so confident??

一方、この自信たっぷりの態度を、フィリピン人の十分の一でもいいから日本人も持てば、社会がもっといい方向に進むかもしれない、とさえ思ってしまう。

プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

Twitter
FC2ブログランキング
カチッ♪クリックしていただけると  はげみになります ↓

FC2Blog Ranking

天気予報

-天気予報コム- -FC2-
月別アーカイブ
リンク
カテゴリ
RSSリンクの表示
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター