がん教育

1980年代、千葉敦子さんというジャーナリストがいらした。働く女性が少ない時代に仕事を生活の柱に据えて生きた国際人でもあるジャーナリスト。自他ともに認めるフェミニストだけあって、男性に依存して生きる女性に対して厳しい反面、表面的な女性らしさのみを求める日本の男性社会にも辛辣でありかつ敢えて距離をおいていた。しかし彼女が命をかけて闘っていたのは、がんだった。プロとして仕事に重きをおいていた方なので、病気になっても仕事を辞める選択肢は皆無。病と闘いながら仕事のペースを落とすことなく、納得のいくがん治療を受けながら仕事をするために東京からニューヨークに拠点を移した。何回かがんを再発しながらもフリーランスジャーナリストとして活躍し続けた。晩年は、仕事をしながらがんと向き合う日々の生活や闘病生活を描いた著書も多い。学生時代、彼女の著者をほぼ全部を読んだように思う。その著作のひとつ、『乳がんになんか敗けられない』は当時の心情の吐露そのものだった。彼女の批判と提言の矛先は、病気やがんを人に言わない(言えない)閉鎖的な日本社会と、がん患者への十分な説明の努力を怠る医師や病院に向けられていた。

今日のNHK「あさイチ」では、親子で考えるがん教育、と小中高校でのがん教育の特集だった。今や日本人の3人に1人がなるというがん。しかし患者が増えた割には、日本はまだがん検診の受診率の低い(米国は8割に対して日本は4割)ことや、病気に対する無知や理解のなさで退職を強いられるケースを紹介していた。がんについて知識をもっていることで不安や心配も軽減される、自分でなくても家族ががんになったときでも知識があることで家族のがんの受け止め方、心の持ちように違いが出てくるため、がんの早期教育が全国で始まりつつあるとか。がんになった人がどのように社会復帰してきたかなども取材、放送していた。がんであることを人に言うことでサポートを得られやすくなる、という経験も紹介されていた。がんは予防や生活改善が必要なこと、がん検診の重要性、何よりがんは当たり前の病気であると、がん教育で語られていた。

つくづく時代はかわった、と感番組をみながら感じた。少しずつだけと確実に時代が動いている今の日本。千葉さんが若い頃は望むべくもなかった、女性が当たり前に働く社会になりつつあるし、病気やがんの情報がオープンになり堂々と話すことができる―いずれも千葉さんが生きておられれば間違いなく喜び待ち望んでいた時代が、彼女が逝って40年経った今、ようやく実を結び始めているかのようだ。

不思議な自信


コンドミニアムの部屋には必ずある排水溝。洗濯機やらシャワーある場所に設置されている。その排水溝から漂う臭いが時に気になるので、時々熱湯を流していた。水でもいいらしい。しかしそこにBleachを入れるともっといいと聞いたので今日スーパーに買いにいった。そこでZonrox という商品を手にとっていると 6 in 1という表記が目に入る。これは、水6に対して1入れる量比なのかと思って聞いたら近くにいた中年の女性曰く、
「ほかの商品と比べて6倍効果があるということよ。でも私はこれじゃないものを勧めるわね」
と私を隣の列に連れていく。
「これがいいわね」
「どうしてこれを勧めるの?なにがいいの」
「私が使っているから」

こういう不思議な自信に出会うことが、フィリピンでは時々ある。
「これは正しいわ、だって私が言うのだから」
初対面の人に言われても説得力がいまひとつ薄いのだが、まあいい。排水溝の臭いは結局、定期的に水を流すことで解決に向かっている。洗剤は一度使っただけで終わってしまった。

職場でも、根拠のない自信に出くわすことにある。自信たっぷりの態度とでもいおうか。その自信の通りであれば話は簡単なのだが、そうは問屋がおろさないので、こちらでの二重三重のチェックが必要になる。私が興味あるのは、間違っている場合も多々あるのに、ミスが起きてもあくびれもなく自信を持ち続ける彼らの、この自信の依って立つところはどこにあるのだろう、という点だ。思わず聞きたくなってしまう。
What makes you so confident??

一方、この自信たっぷりの態度を、フィリピン人の十分の一でもいいから日本人も持てば、社会がもっといい方向に進むかもしれない、とさえ思ってしまう。

台湾へ


6月12日(月)はフィリピンの休日だったので土曜から月曜までに2泊3日で台湾に行ってきた。台湾はいいとは聞いていたが今まで訪れる機会がなかった。日本からだと沖縄の先にある、という感覚だったが、マニラからだと飛行機で2時間と近い。実際帰りは1時間半だった。これまでの旅は日本に戻るか出張だったので、マニラに来て初めての海外旅行でもあった。

台湾、特に台北の街の造りはどこか日本に似ており、数寄屋橋を彷彿させる場所もあった。それもそのはず忠孝西路を含む二つの大通りは日本占領時に日本人が作ったものらしい。
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故宮博物館に続き、マッサージに飲茶や刀匠麺などのおいしい食べ物を楽しんだ。何より普通に街歩きができることがうれしかった。3日目の午後3時頃は急に滝のような雨が降り始めたが、それでも街中をタクシーが走っておりつかまるところがすごい。

暑いけれど台北にいるだけでワクワクしていた。焼き立てのパンの香りがしてきたり、街をブラブラ歩けるという何気ない日常がうれしかった。電車に乗って移動することもできるので、必ずしも車に頼らなくていいことも嬉しい要素。しかも電車(MRT)の中もプラットフォームも日本の電車より広めにできている。市政府駅の地下は日本のデバ地下のようなお店が並ぶつくりになっている。街を歩いていると、ファミリーマートやらセブンイレブン、大戸屋など日本のお店も散見される。セブンイレブンの中も入ってみた。マニラと違って、日本のセブンイレブンかと見まがうようだ。それでいて街を歩いているとやはり亜熱帯でもある。
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九份にも足を延ばしてみた。台北からバスで1時間半ほどだった。日曜とあってなかなかのにぎわい。
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今回は、仕事に追われていたので息抜きが必要と思い、勢いで行ってしまったがよかった。またの再訪を楽しみにしている。

マニラの住み心地


マニラの住み心地は悪くない。日常生活は快適な要素が多い。果物や野菜は豊富だし、食材の価格は割安。スーパーに行けばある程度は日本の食材も手に入る。家事代行サービス(という言い方が不自然に響くほど、フィリピン社会に溶け込んだ仕事になっている)は充実しているので働く女性にはとてもやさしい社会の仕組みになっている。体を動かしたいのであればダイビングやゴルフもできるし、そこまでしないでも日常的にジムやプール、マッサージも気軽に通える。外食産業も発達している(ただし享受できるかは好みに左右される)。病院や医療設備も整備されている。社会全体が子どもには無条件にやさしい。子どもだと何でも許される感じなので、子連れ家族も外出先でのストレスはほぼ皆無だと思う(この点はまた別の機会に譲りたい)。ともあれ、こういう社会なので、女性は生きやすい社会だと思う。その空気に慣れてしまっているせいか、日本人男性もレディーファースト(死語?)の行動が自然に出るし、明らかに女性も日本にいる以上に堂々としている。歓迎すべき状況である。

ちなみに私が子どもの頃は、商社のマニラ駐在だった若王子さん誘拐事件もあり、マニラ=危ないの印象だった。そこまで遡らずともこの10年でマニラ市内は大きく変わった。特に、住居インフラ(いわゆるコンドミニアム)が次々とできて、空き地同然だった土地に、住居やショッピングセンターの新しい地区(BGCやRockwell)も発展し、10年以上前から住む人に言わせれば隔世の感があるという。相対的なものだとは思うが、中東やアフリカで外国人として過ごしてからマニラに来た友人たちと話していると、今のマニラは恵まれている環境、だと認めざるを得ない。さはさりながら、マニラいいよ~とも言いきれない理由はいくつかある。今のところ、まさにこの3点に尽きる。

1. 自由に歩ける範囲がかなり限定される
ぶらっと好きな時に好きなだけ歩いてみる、という贅沢は望めない。歩きでなくても自転車でもジョギングでもいいが、そういう一定の距離を自分の足を使って動こうとしてもその選択肢がない。なぜか。まず暑い。今日の気温は34度だが、気温より指すような日差しの中で5分も歩く気になれない。そういう意味では、過ぎ近くでも車で移動する沖縄と通じるところがあるのだろう。たとえ歩けても5分も歩けば渋滞のローカル道路にぶつかってしまう。車の多く排気ガスもひどいので、事故の危険性も高くなるのですぐさま踵を返すことになる。先日、ジョギング好きな私の友人がジョギングするコースを探し、何とかみつけた。地元の住宅街なので、本来はジョギングコースではないし、もともと住宅街でバランガイ(町内会や地元の集会所)もあるので道路のあちこちに絶えず人がいる。そこでジョギングの時間帯も、住民が教会に行く間の日曜朝6時~7時と自ずと限定された。暑さは覚悟の上で歩こうにもジョギングしようにも結局こうした制限がかかる。

2. 衛生観念の違い
パン屋にいた時のこと。レジの店員が私の注文したパンを袋に入れようとしている前で、別の店員が急に掃き掃除を始める。思わず、「いま、そこで掃除はやめてください。パンに埃がつくの、いやなんです」とまで言わなくてはならない。察するとか配慮とかはフィリピンでは期待できない以上、その場で「こうしてほしい」「こうしてほしくない」ことを明確に言うしかない。モール内のお店でも、なぜか客が食べている傍ではき掃除が始まるケースに遭遇したのも一度ではない。

3. 予約の意味、時間感覚
以前、日本社会にいた人にとって、時間感覚がゆるくなるのはマニラだけではあるまい。20-30分は許容範囲とみなされているかようだ。それはもう慣れた。しかし、である。予約時間に遅れるからとの連絡が、あるわけでもない。そしてこれには閉口する。
私の住むコンドミニアムには害虫駆除サービスがついており、3ヶ月に1度、業者が各部屋を回る。平日昼間は仕事なので自ずと日を改め、土曜日の予約となる。それが今日の朝10時の予定だった。トウゼン、10時に来やしない。10時半になっても気配すらない。平日仕事していると土曜にしかできないころもある。やおら、害虫駆除担当の管理事務所に電話することになる。「予約している害虫駆除の業者が来ません。午後の予定もあるので来るかどうか調べて連絡下さい」。すると電話口の主は「フォローアップします」と話す。ちなみにこの2語、「フォローアップします」「コーディネートします」は使いようであり、曲者でもある。フォローアップしたところで何も起こらないことも珍しくない。「フォローアップして、業者が来るか来ないかのを連絡する」まで手はずを整えないと、ひたすら待ちぼうけをくらう週末になりかねない。

さて、業者は果たせるかな11時にやってきた。もちろんあくびれもなく謝ることもない。これからも害虫駆除が毎回これでは困るので、終了後に聞いた。
「今日はどうして遅れたの?」
「忘れてました」 しれっという。
実は彼は先週も来ていて、追加の処置が必要だから来週も別の薬剤を持参してくると彼から言い出したのだ。朝9時を希望したけれどすでに先約があるから10時の枠にとメモしていたのも同じ彼。なのに、肝心の薬剤すら忘れてきているので、何をしに来たのか不思議に思ったというおまけつき。
「あの時、スケジュール表の10時枠に書き込んでいたのに、忘れたの?
「実は金曜日と思っていました」
勝手に話を作りだしている気もするがまあいい。こちらもとにかく済ませて、という気に傾いている。「土曜日の約束の時間に来るかどうかもわからない状況で待ちたくないから、次回はこういうことのないようにして」
というと、ようやく sorry..
仕事でも感じることは、フィリピンでは「段取り」とか「ほう・れん・そう」などゆめのまたゆめである。こうして、友人が話していたように「フィリピンに来て諦めることを覚えた」道を私も辿っている。

以上は、2017年5月でのベースラインとして書き留めておく。今後、自分の感じ方がどう変わっていくかが楽しみである。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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