トマトの進化


先週、アグリビジネス創出フェアという展示会に行ってきました。農業もビックデータで語られる時代になったという話からフードバリューチェーンの構想、地域の取り組み、企業の商品開発、大学の成果と色とりどりです。さすが農業系らしく、商品も食品から農機具まで多岐にわたり、試食試飲の機会が多いのも秋の季節を感じました。何より、バイオや工学系一色の展示会に比べて場の雰囲気が明るいです。個人的には CGIAR の展示を興味深く眺めてみました。以前、CGIAR の一研究所と一緒に仕事をしたことがあったので懐かしさもありました。

ブースを歩いて回っていると、玉川大学農学部によるトマトの展示に遭遇しました。
トマトといえば赤いトマトを思い浮かべますが、野生種(近縁野生種)の自生地は南米のアンデス山地とガラパゴス諸島だったそうです。様々な品種が栽培されてきたその変遷と進化が展示されていた興味深いものでした。

アンデスの野生種
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この大きさでこの色のトマトとは
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大きさも小さいものから色々
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現在、世界各地でみられるトマト
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今後、トマトの育種研究の発展か楽しみです。


小保方問題で思うこと


STAP細胞をめぐる小保方問題。事実や中間調査結果が明るみになるにつれ、日本の研究所や大学院(当然大学も)のあり方を巡るあまりにいろいろな問題点が一度に浮き彫りになった。

かつて生物学の研究者のはしくれだった管理人も、まさに小保方氏と同年齢まで研究所に身を置いていたからか、このニュースはついつい追ってしまう。現在、理研のみならず日本中の研究者や大学院生、世界各地で頑張る日本人研究者にとっても、立場によって見方はそれぞれであるものの、一様に無関心ではいられないのではないだろうか。私自身は再生細胞や発生生物学の分野は門外漢だが、この分野の同僚が身近にいたこともあり、元研究者として感じたことをまとめておきたいと思う。

言うまでもなく、小保方氏のしたことは科学の世界では許されない。特に以下2点は、自然科学の研究、とりわけ実験科学に携わる大学院生以上の研究者であれば、あり得ないというかまず考えられないことである。ただし、色別で表示したように二つの問題を孕んでいることが注目度を大きくしてしまっている。
- Natureに発表した主要データの画像に手を加えていた → STAP細胞の有無、真偽が振り出しに 【サイエンス上の大発見の根幹にかかる問題】
- 学位論文のイントロがNIH(米国の研究所)による記載のコピペだった → 学位の妥当性が疑問 【日本の大学院教育、学位の問題】
おそらく今後、何らかの処罰が下されるだろう。しかし、今回の事件が彼女一人の責任だとはどうしても思えないのだ。その理由として以下の点が挙げられる。

① 共著者の存在
理研はじめ共著者が小保方氏以外に7名いるが、彼らは名前を連ねただけだったのか、そんなはずはあるまい。投稿前に論文の中身を精査する過程があったはずで、一体何をみてどう議論していたのだろうか。ペーパーは小保方氏一人のデータと執筆なのだろうか。どう見ても、30歳の研究者に査読ペーパーの全執筆や構成とりまとめを任せるとは思えないのだが。

② ネイチャーの査読システム
どんな査読ジャーナルでも投稿前には細心の注意を払うものだが、今回の相手は他ならぬ「ネイチャー」だった。研究者であれば、ノーベル賞とまでは言わなくともネイチャーに載せてみたいと夢見るもの。まして自分の研究がネイチャーの表紙にでもなれば(表紙は主要な掲載記事からひとつ選ばれる)名誉なことだし、来年度以降の研究費にも希望が持てるなどの現実もある。通常、多くの研究者は投稿までも至らない。なぜならネイチャーは科学の全分野(物理、化学、生物、環境、医学まで)を扱っているので採択率は極めて低いからだ。つまり掲載されるには余程のインパクトがあるか新発見であるなど、ハードルは限りなく高い。そこで、ネイチャーレベルではなくても評価の高いジャーナルはある、ネイチャーに出すほどの結果ではないが早くpublish しておきたい、研究分野に特化したジャーナルに載せたい(読者や査読候補者も同じ分野なので載りやすい?)など理由は様々だが、ネイチャー以外の雑誌に投稿することで収まる。採択率が低いことで有名な一流の科学雑誌(ネイチャーは科学週刊誌だと冷めてみる人も米国の学生にいるにはいたが
)であり、それほど厳しいことで有名なネイチャーに掲載されたからには、それなりの査読システムを通過したわけで、その点を追及する声があがらないのは不思議である。

③ ユニットリーダーとして雇用した理研
今はそれなりの業績をもっていてもアカデミックポストに就くのが大変な時代だ。理研は小保方氏をユニットリーダーとして採用した。学位は早稲田大学を信用したのだろうが、それまで業績の少なかった彼女をポスドクではなくユニットリーダーとして採用したのはどういう判断があったのだろうか。

研究の世界では、学位取得後の就職先やポストの数が圧倒的に少ない上に年々減っている。しかもアカデミックポストは2~3年の任期付きが大半だ。当然、ポストに就けない学位取得者が毎年出る。場合によっては何年たっても見込みがなく、基礎研究の世界から去っていく研究者も少なくない。このポスドク問題がある中で、今回華々しくネイチャーに投稿した筆頭著者が30歳の研究者だった。これだけで日本の若い研究者にとってはちょっとした衝撃だったと思う。学位取得後の30歳だと大方ポスドクで、運が良ければ助教か主任研究員でラボを構えているが、ポスドク先を見つけるのも大変な今の日本では30歳でラボを構えたりリーダーポストについていること自体、極めて稀である(管理人は聞いたことがない)。しかも女性ということで読者の目を引いてしまった。ユニットリーダーという名称も初めて聞いたが、3~5年単位で小規模チームを率いて成果次第で次の道が開ける制度なのだろう。但し、「リーダー」なので予算には本人の給料のみならず研究費や研究設備費、ほかの人件費もついている(あるいは理研が負担する)くらいのことは容易に想像できる。これは、自分の給料と研究する場所(身の置き場)を必死に探す多くのポスドク(及び予備軍=大学院生)からすれば、夢のような研究環境を提供される羨望に価するポストなのだ。この、ポスドク制度の一歩先を行くような若い研究者や萌芽的研究を支援する制度を運用しているとは、私など1月末にSTAP細胞のニュースを聞いたときは「さすがは理研、小規模チームとはいえ実力があれば若い人でもリーダーに登用するとは」と思ってしまった。

管理人が学生時時代から、理研は先進的な研究所のイメージだった。一般的に研究所と名のつく組織は、通常、学生はいないが設備や予算はあるため、外研でくる学生に給料(おこづかい程度から奨学金の代用する額まで幅あり)を出していたが、それがまた奨学金で暮らしている学生(主に大学院生)にとっては十分魅力的な額だった。一方、当時は、明らかに研究環境に恵まれている研究所より大学に移ることを選ぶ研究者が圧倒的に多かった。それをみて、金か人かといえば(どちらもあるに越したことはないが)やはり人材なのだろう、と思ったものだ。研究所にいたころと違い大学では学生の指導が出てくるが、学生も毎年或いは数年毎に入れ替わるので活気があっていい、という話を聞いたことがある。今は研究員でも任期付きが多く人材の流動性が高いので多少なりとも事情は違ってきているのかもしれない。

一方で、今の理研はこの調査や報告に追われており、研究者まで駆り出されているかもしれずその大変さは想像できてしまう。文部科学大臣まで出てきて、税金で研究している立場の悲哀でもあるが、研究者の苦手な作業を余儀なくされているかもしれず何ともいえぬ気の毒感が否めない。

④ 指導教官、審査委員
早稲田大学の先進理工学部(研究科)のご出身で、途中1年間ハーバードに留学していたとのことだが、大学院生である以上は指導教官がいるはずだ。私も大学院の3年間は外部で研究(通称 外研)していたのでわかるのだが、もとの所属研究室と実際に研究を行う出先の研究室の二か所だけでも連絡を密にとり行き来するのはちょっとした骨で、結局どちらかにしっかりと軸足を置く必要がある。幸い、管理人の場合は外研先のT先生がしっかりとご指導下さり、在籍していた所属研究室のS先生とは実験結果について意見交換はするものの、基本的にT先生に研究指導や学位論文までお任せする方針をS先生は貫いて下さった(ジャーナル論文は両先生のお名前を載せた)ため、研究方針も論文指導も一切ぶれることはなかった。改めて両先生に感謝申し上げたいと思う。

⑤ 大学での剽窃に係る指導、教育のなさ
イントロの20ページをコピペするなど論外だが、日本の大学ではおそらく論文の書き方については確たる指導もなく、もっと言えば剽窃や盗用についてはこれまで日本の高等教育で看過されてきたのだろうと思う。私も大学のころを振り返ると、有名だった『理科系の作文技術』を読んだくらいで、大学で論文の書き方や剽窃についてしっかりと指導を受けた記憶はない。当時は、学部のレポートは手書きで、卒論あたりからパソコンを使っていたという時代性もあるので、コピペという言葉自体が存在しなかったが、もしかしたら手書きでも人の書いたものを丸写しする学生もいたのかもしれない(見たことはないが)。大学院に入り、いつしか学んでいた―学問は先人の発見や努力の結晶の上に地道に積み重ねていくものであり、自然科学の森羅万象の解明を目指すにあたり、後世の人間かデータ捏造で虚偽の説明をしたり無断引用(論文執筆でも、材料の入手先でも)はあってはならない、と。その可能性すら入る隙間すらないのに、いやしくも理工学部と名のつくところでどうしてこういうことが起こってしまったのか、というのが正直な感想でもある。これを機に、高校生から文章の書き方、論文の書き方、剽窃や盗用は犯罪、ということを徹底して教えるべきだとの意を強くした。

⑥ 日本のマスコミの存在
再三見るにつけ悲しいほど情けなくなるのが日本のマスコミの報道姿勢と記事そのものである。特に研究に関わる科学報道は一切しないでいただきたいくらいだ。日本のマスコミは、STAP細胞の最初の報道では肝心の研究内容や意義の紹介もせず、「リケジョ」「割烹着」「理系離れに歯止め」「女性研究者に光」などさんざん研究と無関係なストーリーを前面に出して小保方氏を持ち上げるだけ持ち上げた(しかもそれまで彼女は普通の一市民だった)、今はこうして、マスコミ自身も意味を理解していないだろうデータの一部(画像や電気泳動の写真)を出してデータ疑惑の話に焦点を置いている。科学報道があるとすれば、STAP細胞の真偽や存在の有無について検証を進め分析するか提言するくらいの姿勢がほしい。誰が悪いという追及や日本の大学の在り方が問われる、で終わるのではなく(それくらいだれでも言える)、この先日本の大学や研究機関はどうあるべきかを一石を投じるくらいの記事が、今なら読者や研究者の目を引くのでそれでマスコミの目的も達成できるだろう。一連の研究について日本には科学報道記者がいない、科学報道ができないことを知らしめる機会になったとは思う。

残念ながら、データ捏造や論文疑惑はこれまでもあった。日本では、この2000年以降だけでも、それまで大きな仕事をしてきたとされていた旧帝大のS氏やK氏の論文をめぐりデータ捏造や論文疑惑が起きた。生物の分野では両氏とも大物の先生だったので、あまりに驚き呆れ失望した。彼らは、おそらく毎年億単位の予算を国から得ており、両氏のラボで教育を受けた学生や研究者も10人や20人ではないはずだ。彼らの人生や運命がどうなったか知る由もないが、問題が発覚した頃に1人だけ内部調査に駆り出された某氏は同じ職場の方だった。すでに独立しており、違うテーマで別の場所でラボをもっていらしたが、それでもあきらかに疲弊の色は強く気の毒でもあった。こうした大物の先生の疑惑による影響たるや軽微なはずがなく、一体いくらの国税を使いながら疑惑論文を出し続け、科学コミュニティに迷惑をかけてきたのかと思うのだが、こういう事件はほぼ忘れたのか全く追わず、今回の若い女性研究者(しかも個人)を追いかけるマスコミの姿勢はまったくフェアでない。



そして、何より気になるのが、まじめに研究している多くの理系研究者への余波。
今回のように、悪いと認識していませんでしたと言われると、採用側と学位授与側を疑ってしまうのも無理はない。そんな中で私がもっとも危惧し、起こってほしくない事態は、「若い研究者や女性研究者への偏見や負の影響が生じること」だ。日本社会は型にはめたものの見方がこれまで「普通」だったらしく、妙な時に一般化したものの見方が幅を利かせることがある。今回の事件を受けて、「だから、若い研究者には教育が必要」「研究チームのリーダーは務まらない」「女性研究者の採用には細心の注意を」「研究費審査は業績のあるチームにのみ配分すべし」などと、任期やポスト獲得に苦労したことのない20数年前に就職した先生方や役人に頭ごなしに決めてかかられる事態、それだけは避けたいと心より願っている。

再発防止が必要というのもよくわかる。ただ、このようなことは考えもしなかった時代から、研究の世界でもまさに性悪説に基づく指導が必要になってしまった。しかし、大半の研究者は虚偽の報告や成果発表とは無縁そのもので日々地道に努力し邁進しているのだ、ということをお忘れないきよう切にお願いしたい。

かつて、若かりし頃に科学の末端にいた身として、今日も明日も研究の世界で日々奮闘している昔の仲間を思い、やはり今でも科学技術の発展を願っている市民としての覚書です。

共同受賞の意味するもの


今年のノーベル医学・生理学賞に京都大学の山中教授が決まったニュースで、先週の日本は沸いた。先月だったか、数学の難問「ABC予想」を解明してネットで発表した京大の数学者の話もそうだが、一日本人として喜ばしく心底誇らしく思うのは、まさにこういう瞬間、自然科学や技術での日本人の活躍や快挙を知るときである。それは、誰が何を言おうと、どんな難癖をつけようと、仕事を成し遂げた動かしようのない証が示されるからだ。



アメリカPBSニュースで、このニュースを受けて次のやりとりがあった。
以下は、キャスターと専門家のやりとりだ。

- ガードン氏と山中博士の研究により、細胞が人体の中で分化するメカニズムに対する理解が変わった、ということですが、幹細胞の機能に対して、それまでの科学界のコンセンサスはどのようなものだったのでしょうか。
- 細胞も私たちの人生と同じようなものだとみられていました。つまり、私たち人間は、最初は大きな可能性を秘めていますが、どの分野での専門性をもつようになるかは明確ではない。しかし大人になるにつれていろいろな選択をすることで、それぞれが人とは異なる専門性をもつようになります。幹細胞も同じだと考えられていました。最初は体の中のどんな細胞になり得るポテンシャルを持っていますが、だんだんとその働きが特定になっていき(分化のこと)、しかもそれが一方通行だと考えられていました。つまり皮膚の細胞なら皮膚の細胞のままで、ほかの細胞にはならないと考えられていました。そうではない、細胞の分化は一方通行だけでないということを二人は示したのです。

この上で、キャスターは次のように問いている。

― 二人の受賞者が共同研究者ではないということはよくあることですが、今回は二人の発見が40年も離れています。この二人の研究はどのように関連するのでしょうか。

これはとても面白いですね。山中さんはガードン卿の研究成果が発表された年に生まれているので、世代も全く違うし研究の焦点も全く違います。ガードン卿は50年代から60年代にかけて当時、世界の関心を集めていた問題について研究していました。当時ちょうどDNAが発見されたばかりで(1953年)、生命の暗号であり細胞の成長の可能性を示すものだと考えられていました。しかし、DNAが安定した物質であるかどうかは不明でした。細胞が体の中の特定の細胞や臓器の細胞になると、それにしたがってDNAが変化するのかどうか、受精卵の時と変わるのかどうかということが問われていたのです。

そこでガードン氏は成長した細胞核の中のDNAを卵の細胞質に移植するとどうなるかという実験をしました。その結果、成長した細胞の核がプログラムし直して、初期設定して逆戻りできる、受精卵の段階に戻りどんな細胞にもなりうる(分化する)ことを示しました。つまり細胞には柔軟性があるということです。この問題は当時、研究者の中心的な関心ではなかったわけです。興味深いけれど実質的な応用があるかわからないと言われていました。それが注目されるようになったのは、体性幹細胞、ES細胞が使える可能性が出てきた数十年後のことです。ES細胞でなく他の細胞で万能細胞ができるということになればどうなるのかと、そこで大胆な実験をしてそれが実現できることを証明したのが山中さんです。どの実験室でもES細胞と同じような万能細胞を作れるという単純明快な方法があるということを示したのです。



ため息がでるような説明ではないか。生物を学んだ高校生なら十分理解できる内容だ。細胞の文化を人生にたとえるのも意外とわかりやすい。

山中さんとガードン氏の共同受賞が何を意味するのか、「ガードン先生の共同受賞が一番うれしい」と山中先生自ら話す背景にはどういう意味があったのか、がよくわかる。

このくらいの報道を、日本のメディアもしてほしい。ここ数日、静かににぎわっているiPS細胞の研究者の虚偽の研究報道よりも、こうした科学的意味について考える姿勢が、日本の新聞の科学部ですらみられないのはなぜだろう。山中さんが日本人でなかったら、この受賞の報道の扱いももっともっと小さくなっていただろう。

科学に国境はない。偉大な仕事は分け隔てなく科学史に刻まれていくのみなのだ。芸術も同じだ。ひょっとして、どんな分野でも偉大な仕事はそういえるのかもしれない。

大学のビジョン


先日、英国の大学関係者と話す機会があり、入試の話になった。

欧米の大学、とくに英国や米国はそうなのだが、いい大学であればあるほど寄付を募るいわば Fundraising の活動が活発で、大学を経営していく際の重要な仕事の一部になっている。それでも入試は完全公平性で選抜していく。多額の寄付納税者の子息や関係者を優遇することは一切ない。例えば、米国の一部の大学にみられるように、多額の寄付をした有力政治家等の子息子女が入学している私立の大学があるが、かの英国の大学はそういう特別措置は最初からしませんと内外に宣言している。

そこでふと思い出したのが、昔NHKでみたオックスフォードのドキュメンタリーだった。入試は書類選考出の選抜があり、そのあと面接を徹底的にするのだがその質問がまたふるっている。

例えば、幼少時からバイオリンをしてきたという少年には、「バイオリンの形はどうしてこうなっていると思いますか。構造についてあなたの考えを説明しなさい」という質問が向けられる。また将来、医者になりたいというインドの少女には、「伝統医学の可能性についてどう考えていますか。ヒマラヤ医学の知識を用いて答えなさい」と現役の大学教官が質問するのだ。相手が高校生といえど、そこには一対一の真剣勝負でもある。将来、オックスフォードの教育を授けるに足る学生の選抜にかける教官の意気込みと、費やすエネルギーの大きさを感じた。これはそのまま、これからの「のびしろ」を感じる学生を獲得しようとする大学の強い意識の表れでもある。大学の先生も、面接のやりとりが楽しくて仕方がないのではないだろうか。

英国の大学は、有名大学でも(だからこそ)かなりの熱意とエネルギーで米国の諸大学ともしのぎを削り学生を獲得しようとしているのに、日本の大学はペーパーテストのみでの選抜となる。これまでそれでやってきたと言えばそれまでだが、真の国際化を目指すのであれば入試制度を見直してもいいはずだ。東大の秋入学を皮切りに、そういう議論が起きてもよさそうだが、大学教員の負担増加など言い訳にもならない言葉が飛び出すことも想像に難くない。

そもそも、本当にいい人材を得るには大学でも会社でも同じで、もっと手間ひまかけるべきなのだ。逆に言えば、日本社会は人材の採用や発掘にそれほど時間もエネルギーもかけていないようにみえる。型どおりの履歴書や語学力の判断がTOEICだったり、といったい何を見ているのだろう。もっとも、適切な人材採用ができる人も意外と少ないのではないかとさえ思えてくる。なぜならそれだけの選抜をするには、それなりのビジョンが必要だからだ。ビジョンがあって初めてこういう人材をほしい、だからこういう方法でこういう問いを向けて、となる。政治家ですらビジョンなきと揶揄される時代だが、対して大学や大学で働く教官はビジョンをもっているのだろうか。

理系に光を


最近、twitter で、「理系と文系の給与体系が違う。なぜ文系が無条件に高いのだ」という話題が展開していた。そして米国と日本の大学教育に話が及び、今日、こういうつぶやきがあった(以下でいう「大学教育」とはまさに日本のことである)。

(さらに言わせて頂くと、)理科系は文系に比べて大学教育がまだ正常に機能している。
日本の文科系の高等教育 は本当に酷い。批判を浴びるのを承知で率直に申し上げると
同じ大卒としてスキルを評価するのは失礼。


twitterの引用の仕方がよくわからないのだが、これを書いた方は、米国の大学で教鞭をとるいわゆる「文系」の先生だ。

かくいう私は文系のことはあまり知らないのだが、理系の大学教育が機能しているというくだりには、ただただ頷くしかない。理系の学生は、本当によく勉強している。これは確かだ。ときどき、日本の大学生は勉強しない、ラクして単位を取る、ノートを借りて済ませるとかいう話があるが、学生時代の私の周囲は皆、これを聞いてもピンと来ないというか、どこか別の世界のことだろう、と思って終わっていたはずだ。そういうことがまず通用しない世界だったし、学部のころから、授業や実習で夜が遅いのも普通だった。物理でも化学でも生物でも、結局は自分でデータを取らないと書けないレポートばかりだから、それが当たり前だと思っていた。これは今も昔も同じで、数年前に母校を訪れたとき、やはり学生がどこかしこでも勉強する姿が印象に残っており、こういう光景は変わらないものだと感心した記憶がある。その調子で大学院に進めば、よくも悪くもラボで一日過ごすようになる。企業の研究職に就職した先輩が、遊びに来た時、「学生時代とほとんど同じ仕事と生活をして、お給料がもらえる事実に感動した」と話していたことを思い出す。

⇒ 理系の学生はよく勉強する。

理系と文系で給与体系が違うという。いうまでもないが、文系の方が給与は高く(初任給が高いのか上昇率がいいのかは?)、理系だからいいということはまずない(大学院卒だから学部卒よりいいということはあるが、それとて大した差ではないし、それは別の話。)。だから、一般にとはいえ、理系と文系で給与体系が違うというのは、どこか腑に落ちない一方で、上の先輩のように思う人が理系のひとには案外多かったのかもしれない。私が学生のころはバブル最盛期で、理系の各学部や学科から、銀行や証券会社に1割くらいが就職していた時代だった。当時は、理系の人の金融機関への就職がまだ珍しく、頑張って冒険してもシンクタンク、という感じだった(と言いながら、学部時代は就職活動をしていないのでよくわからないのだが)。思えば、この1割の人は、文系の給与のよさをいち早く知った人たちかもしれなかった。理系の学生は、ウブで世間知らずが多いのもまた、悲しいかなある程度共通した傾向だったのだ。

⇒ 理系の学生は、ひとがよく世間知らずが多い。

大学時代の私の先生なぞは、
「どうして日本の社会では、人さまのお金を預かっておきながらそれを横に流したり(おそらく、貸し借りする銀行のことかと)人の命の値段の説明(おそらく、保険業界のことかと)に使う仕事がはるかに高給をもらい、ものづくりに貢献する人が冷や飯を食わされるんだ?明治のあしき慣行をまだひきずっているとしか思えん!
としばしば、吠えていたものだ。ちなみにこの先生は、日本の企業に勤めてから、米国の大学で長く研究生活を過ごしたということで、この疑問はもっともである。
「こうして構造の解明とか言って物理の研究をするより、トラックの運転手をしている方がどれだけ高い給料をもらっているかしれない」と、授業中にしつこく言っていた先生もいた。

⇒ やっぱりどうも理系は給与が低いらしい。

先日、ちょうどある役所の人たちをみていて不思議なことがあった。例えばそのチームに5人くらいの人たちがいて、私は「ワタナベさんが・・・」と話すと、なぜか必ず「ワタナベ室長のことですね」とタイトル付きで返ってくる。「コバヤシさんが」といえば、「コバヤシ課長はですね」と役所のひと。一事が万事、その調子である。コバヤシさんとワタナベさんでは、どう見ても年齢は数年の違いにはみえない(かなり年の差あり)が、若い人(ここでいえばワタナベさん)のポストが上だという。ポストが上ならそれなりの役割があるだろうに、これまたどうみても、(失礼ながら)どうでもいいような小さな雑務に走り回っているのも、そのワタナベさんだった。さらに、そのタイトルがまた、5人いれば5人とも違うし、○○企画室長だの△△関係調整課長だの、長かったり多様なこと。その時のふとした疑問を、後日、そっと同じ役所の別の知人にぶつけてみた。
「年功序列社会と思ったら、公務員でも若い人が評価されてポストが上になることがあるんですね」
彼に状況を話すと、
「えっ、知らないんですか?」
その説明によれば、要は、役所に入る時に理系か文系かで、その後の職業人生というかあゆみが大きく違ってくるそうだ。
「それっておかしくないですか?」
「いや、そうなんですが。みんな、そんなものだとわかって入っているもので」

つまり、理系だと、
企業に入れば、待遇で自動的に差をつけられ、
企業の研究所で発明して特許を申請たり利益の折半を申し出ようものなら、「研究を金儲けのためにしているのか」と目くじらを立てられる。
役所に入れば入ったで、文系出身の行政職のひとに技術職は後れをとる。
さらに大学院にいって研究者でも目指そうものなら、今のポスドク問題に突き当たる。

⇒ 好きとはいえ、勉強した努力があまり報われないこともあるのが理系

まして、事業仕分けにあった理系の人たちは、政治家や文系の人による評価に何を思い、どう感じたであろうか。それでも、それほど大きな声を上げない。研究の議論ならいくらでもするのに、政治的な議論に加わる文化は少ないし、政治家や行政官との対応がおそらく得意ではない。専門以外のことには関わりたくない、という思いもあろう。大学の先生だから話すのは本職だろうに、こういうところは妙なカルチャーが存在するのだ。

何もここで私は文系の人が勉強をしていないとか、仕事の評価が甘い、というつもりはない。ただ、「理系」「文系」というくくりだけで、スタートラインから差をつけるのは、いい加減やめようではないか、といいたいのだ。評価って、もっと別の方法があるだろうし、健全な評価こそが、いい仕事や成果、労働環境を生み出すのだと思う。

⇒ 理系離れはある意味、当然の流れである。これを食い止めるには、理系文系を超えた、適正で健全な評価システムの導入が必要。

割に合わないのが理系、夢を追い続けるのも理系 ― ふと、先輩の言葉を思い出した。
つまるところ、個人の生き方の問題なんだろうけれど。

勤勉ながらもリスクをとってきた理系の人たちにもっと光の当たる社会であってほしいと思う。
はやぶさやノーベル賞の時期だけ騒ぐのではなく、地道ながら恒常的な支えがあっての科学技術の発展であり日本の将来なのだから。

プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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