忘れ得ぬ人々(4)


偶然は重なるもので、アンナと再会した翌朝の今日、米国の学校でお世話になったG先生よりメールが来ていた。去年の4月に出したカードがようやく彼の手元に届いたようだ。前のメールアドレスでは届かなかったので郵便を出したのだが音沙汰がなく、すでに引退したのか病気なのかとも思案もしていた。まずはお元気な様子で何よりだ。

国際協力の世界でもプロだった彼は、カーター政権の頃から米国の環境政策の主軸を決めるリーダー的存在だった。地球温暖化や環境政策をめぐる今の米国の状況に、彼が心を痛めていることは容易に想像がつく。在学中見てきた姿からはリーダーシップがあり改革を断行する一方で、留学生に対して親身になって心を傾ける先生だった。個人的には、ベトナムでのインターンをするためにいただいたご支援には感謝してもしきれない。推薦状とともに奨学金まで融通してくださったのだ。こうした人々との出会いや縁に、留学1年目の心細い学生がどれだけ勇気づけられたことか。

うれしくも今週は留学先の縁を思い出すことが重なった。私も微力ながらできる限り世の中に、恵まれない人、若い人のために役立ちたいと思うのは、まさにこういう先生方のおかげでもある。行動と思いは連鎖する。

思い出したこと

米国の大学院でクラスメートだったアンナからフィリピンに来るという連絡を受けたのは1月中旬のこと。島国フィリピンのあちこちを回るため、彼女のマニラ滞在の日は限られていた。私も不在の日が続きマニラで会えるかも定かでなかった。旧正月後の2月に入ってから再会が叶った。

15年ぶりだった。互いの近況や共通の友人のキャッチアップで話も弾む。北欧出身のアンナは文字通り世界を股にかけて、絵に描いたような国際派キャリアを歩んでいる。卒業後、メキシコで1年働き、ニューヨーク、 ワシントンDCと移り住んできた。出張で訪れたアフリカの国の数はカウント不能なほど。とくに内線下のシエラレオネに2年間をよく生き永らえたものだと振り返る。そんな彼女が行ったことのない国は意外なことに、インド、スリランカ、ブータン、日本だとか。

フィリピンは3回目。10年ぶりだと肩をすくめて話す。フィリピンは、文化の香りや美術館が少ないかもしれないけれど、英語が通じることを除いてもスペインとアメリカの名残もあってか easy country だと明言する。人はストレートだし、思ったことをそのまま話すし、妙に気を遣わなくていいので気が楽だと話す。(そりゃアフリカに比べればそうかもしれないけど、フィリピンならではの苦労もあるのだよ、アンナ。。)

アンナと出会った学校はプロフェッショナルスクールだったので、職務経験を経てから来る学生が殆どだった。その多くは3年ほど働いた経験を携えた20代後半から30代の学生で2年のコースだったが、アンナのような中堅ベテランもいた。そういう人向けに、7年以上の職務経験のある学生は1年でコースを修了できる制度があった。すでに開発業界で働いていた彼女は、入学は私と同じ2000年だったが一足早く2001年5月に卒業していった。その5月、NYの国連ビルを彼女が案内してくれた。イーストサイドで自分が働く姿はとても想像できなかったけれど、その後、転じて国際協力の仕事をしているのは不思議な縁を感じざるを得ない。おそらくその原点はまさに彼女と出会った学校での2年間にあったとことは間違いない。15年たっても変わらない彼女を見てそんなことを思い出した。そして奇遇にも、今の彼女の同僚には、私の知人や元同僚が二人いる。まさにsmall world 、またの再会を期してその日まで頑張ろうとエネルギーが湧いてくるのを感じた。友情の有難みをしみじみ感じた。

ライトアップの正体


すでに日常となっているマニラの夜景。我が家の窓枠いっぱいに広がる、遠くのビルを含めた景色を毎日みながら、そう、いつも思っていた。昨日も今日も、そして、おそらく明日も同じように感じるはずだった。私のちょっとした疑問でもありどこなく気になる違和感ーそれは、マニラの夜の異様な明るさ。

とにかく夜景が明る過ぎるのだ。夜になっても彼方此方で光を放っているビルの灯、ビルの一面を陣取り煌々と輝く企業く広告ですら、毎晩11時には消えて暗くなる。なのに、その後も方々のビルの灯は点灯したまま。どうにもこうにも明る過ぎないか、まぶしすぎてエネルギーを無駄に消費していないか、いつしかそう思っていた。省エネとは逆行する無駄遣いではとどこか落ち着かないものを無意識のうちに感じていた。

「あ~、それね。マニラには多いからね、BPOが」
何気なく話す友人のひと言で、今日その正体がわかることになろうとは。
BPOとは、Business Process Outsourcing のこと。業務の一部をアウトソーシングしている企業のことを聞いたことがあった。発注する側は米国の企業、アウトソーシング先の会社がフィリピンとインドに多いという。同じ英語を話す国でもマレーシアなどはあまり聞かない。やはり国民の大多数が英語を話すことに加えて人件費が安いことが理由らしい。特にフィリピンは、「アメリカ英語」を話すので米国企業から人気。ちなみに時差の違いはあまり問題なく人件費の安さで決まるとか。
「1時間10ドル(米国)と1日10ドルだったらどちらを選ぶ?1日20ドルでもフィリピンに外注するでしょ、会社だったら」
アウトソーシングも顧客対応やデータ入力が多いらしく、その友人(米国人)も米国の銀行に電話をしたつもりが電話に出た相手がマニラで話していると聞き、拍子抜けしたことがあるとか。そういえば以前、会社が業務の一部をマレーシアにアウトソングを始めていたが、それも日本に比べて人件費が安いからだった。

Uberの運転手も夜1時まで働くと話していた。そんな時間に乗客はいるのかと思ったら、それがマカティやBGCには多いらしい。そもそも夜3時でも街中ではUberを呼ぶ女性客が多く、これもBPOで働く人が多いからだとか。そこまでして働くフィリピン人がいることもやや意外だった。家族大好き、買い物大好きのフィリピン人は、仕事はそこそこに済ませて定時に(そもそも定時という感覚があるのかも疑問だが)なれば潮が引くように帰るものかと思っていた。

中学生の頃、英語の教科書に載っていた話が「ニューヨークは24時間眠らない」だった。その時は子供心にそんな街があるのかと思ったが、まだ日本でも24時間営業のコンビニが出てくるのはまだ先だった(7-11は文字通りの営業時間だった)。どうやら今や、24時間眠らない街はニューヨークだけではないらしい。

忘れ得ぬ人々(3)


かつて、国際協力の世界へ入ろうともがいていた若かりし頃、これまたお世話になった日本人のIさんがいた。
ときどき東京にお戻りだったが、生活の拠点は米国の東海岸だった Iさん。ご家族は奥様のお仕事の関係で英国にお住まい。親の世代の日本人男性が1970年代から、いまでいう共働きカップルの遠距離二重生活を実践していたことに、今さらながら感嘆している。

何年ぶりだろうか、ご無沙汰を重ねており師走にメールしても届かなかったようで、近況を報告するために4月に桜のカードをお送りした。そのカードも無事に届いたのだろう。今週はIさんからもメールが届いた。こうして連絡が再開するのはうれしいことであり、また確かな時の流れを感じずにはおれない。

sakura card

最後にお会いしたのは2006年、共通の知り合いの先生がいたこともあり東京の職場を訪ねてくださった。その後、2011年の震災の2週間後にメールのやり取りをして以来だった。

今回いただいた長いメールには、ご自身とご家族の近況がかかれていた。すでに退職されてから15年以上経つ今も米国にお住まいだったところ、英国に住む奥様の病気が見つかったこと。それまでと変わらぬ生活を続けている奥様だが、Iさんが米国の家を売り引き上げることにしたこと。英国人の家族が英国に住みながら、英国の移住ビザがなかなか下りないこと。日常のあれこれなど。

最初にお会いした時、私はまだ20代だったはずだ。世界各国で仕事をしていたIさんから見れば、さぞかし頼りない小娘に映ったに違いない。
「こんなお嬢さんでははたして国際協力の世界で務まるかどうか」と思ったことを後日、仄聞した。
さらに、「失礼を承知で申し上げると、もっと英語力を何とかしたほうがいい」と叱咤激励されたことが何とも有難く、また懐かしい。
紳士的なIさんが言うのだからよほどそう感じたのだろう、と何を言われても妙に腑に落ちていた。彼の言動は尊敬と傾聴に値するものとお会いする度に感じていた。英語、とくに書くことは今なお課題である。結局、一生抱え続ける課題なのだと覚悟している。

欧州へのビザは難しいとよく聞く。オランダ人と結婚している友人も会う度にオランダのビザ取得で苦労話をしていた。
Iさんの英国移住ビザが一刻も早くおりますように。

忘れ得ぬ人々(1)

マニラに来る前にひたすら自宅の本をむさぼり頁をめくっていた。すると学生時代に愛読していた神谷美恵子さんの本で、ふと次のくだりが目に留まった。
「人生は思いがけない出会いやことのはずみに満ちみちている。そういうものは次第に人の歩みをある方向へ導いて、打ち込むことがみつかる人もある。
 けっきょく、私たちにできることは、何か呼び声がきこえたときに、それにすぐ応じることができるように、耳をすましながら、自分を用意して行くことだけだろう。」
 (神谷美恵子『人間をみつめて』より

好むと好まざるとひたすら遍歴を歩いていた、というより歩くしかなかった私に対して、有難いことに遠巻きに温かい眼差しを向けて、必要な時にしっかりと手を差し伸べてくださった方々がいる。多くの方にお力添えをいただいたが、忘れられない方々がいる。自分の人生でこの方たちとの出会いや助力なくして今はありえない。その中でも今日は特に二人の方について触れたいと思う。不思議なものでお二人とも「ことのはずみ」で出会った人生の先輩であり、思いがけない出会いの賜物だった。

まずはこのブログでも何度か登場しているM先生。私にとって人生のメンターでもあり、何とも特別な存在である。研究畑出身の先生は国際協力の仕事を、文字通り世界を股にかけて国際現場で進めて来られた方。ご自身の経験と情熱に裏打ちされた物事を見抜く観察眼と言葉は、時にずしんと響く。また今となっては必然でもあったようにさえ思える先生との出会いは2007年にさかのぼる。シンポジウムでお話ししたことがきっかけで、以来、何かある時や忘れた頃にふとやってくる先生とのお話やコミュニケーションの再開。いつもその度に、驚くほど私の考えや悩みを理解してくださり、適切なタイミングで叱咤激励いただいた。今回のマニラ行きも予期せぬ急な話だったが、たいへん喜び祝福して送りだしてくださった。
(→ 関連ブログ記事)
Connecting the dots
偶然とはいえ
スイッチON
M先生の提言

そしてEさん。3月に入りいただいたメールに、「2000年初頭からこの分野に入って経験を積んでいったことが実りましたね。」とあり、胸が熱くなった。Eさんは学生時代の春休みの米国旅行中に知り会った日本人女性。旅の途中でお世話になったホームステイ先のお父さんが先生をしていたメディカルスクールの学生として紹介された方がEさんだった。その後は米国で専門的な仕事を展開されている。人生の先輩としていつも前を走っている心強い存在である。と同時に、普通の日本人からすればひと味もふた味も異なるものの観方や考え方を提示されるので、彼女の言葉にどれだけ開眼し教えられ励まされたことか。2000年以来、私のつたない歩みを節目ごとにみてこられたEさんにはいつも親身のアドバイスや応援をいただき、冒頭のメール文につながっている。

お二人にとって、私は面倒を見るべき弟子でも世話を焼く後輩でもない。たまたまご縁があってある日会ってしまっただけなのに、気にかけていただき手を差し伸べていただいた。プロとして尊敬するのみならず人間的にもあたたかいお二人には、見守りながらも絶妙なタイミングで応援と奮起を促していただいた。何とも不器用で成長の遅い私としては感謝してもしきれない。この先どこかで何らかの形で恩返しができればと切に願っている。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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