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いや、もうびっくりのサービス


年末のある日のこと。外出先の新宿で、つけていたネックレスが急に外れてしまいました。フックがとれたのではなく、二本のチェーンの一本がぬけてしまい、その場ではもうネックレスをつけることができませんでした。愛用していたものだけにプチショック。その時にいた某デパートの宝石売り場に行くと(宝石という代物ではないものの)修理コーナーに案内されました。そこで観てもらうと、「珠を一つ一つ外して付け直すことになるので修理に出して一か月半はかかります」との診断。その場はすごすごと帰りました。ただ、これまで靴やかばんの修理は出していましたが、こんな普通のアクセサリーにも修理コーナーがあるということを知り、ちょっとうれしくもなりました。

年が明けて初めて街に出た本日。近所のデパートに立ち寄り、修理コーナーなるものを探すとちゃんとお店がありました。はてさて、尋ねてみると、
「購入されたお店でするのが一番なのですが」
その通りでしょうが、これを買ったのは確か2003年の出張先のデパート、確か福岡の岩田屋さんでした。やはり近くのお店に頼むしか選択肢はありません。直すにはやり方が二通りあり、まず簡単な接着剤でつける方法を試しにやってみて、それで外れたらもう一つのやり方でとのこと。
「どのくらいの時間がかかりますか?」
前のお店で一か月半と言われたのでおずおず聞いてみたところ、
「10分ほどでしょうか」
涼しい顔で言われます。ますますおずおずと、
「おいくら?」
「接着剤代なので1080円といったところでしょうか」
実はいくらでもお願いするべきとわかっていながら値段を気にしてしまうところが、やはり庶民です。ほかの買い物をして戻ってみると、元の形にチェーンがつながっていました。

15年以上、何かの時につけていたお気に入りのネックレスです。うれしくなり、支払おうとすると、
「いえ、いただけません。」
「少なくとも使える(であろう)形にしていただいたので、お支払いは当然かと」
「確かな自信があってつけたものではないです。試しにやってみたjのでお代はいただけません」

プロ意識とはこういうもの?日本のサービスって素晴らしすぎる、でもこれでいいのだろうか?の両方の思いが交錯してしまいました。感動しながらともあれこのことを記録として残しておきたいと思いました。

今後、アクセサリーの修理や付け替えがあれば、ここにいくことにしようと思います。

neckless_.jpg
右上の2本のうち1本のチェーンがぬけていました

がん教育


1980年代、千葉敦子さんというジャーナリストがいた。プロとして第一線で働く女性が少なかったあの時代に、仕事を生活の柱に据えて生きた国際人でもあるジャーナリスト。自他ともに認めるフェミニストだけあって、男性に依存して生きる女性に対して厳しい反面、表面的な女性らしさのみを求める日本の男性社会にも辛辣であり、かつ敢えて距離をおいていた。しかし彼女が命をかけて闘っていたのは、がんだった。プロとして仕事に重きをおいていた方なので、病気になっても仕事を辞める選択肢は皆無。それどころか病と闘いながら仕事のペースを落とすことなく、納得のいくがん治療を受けながら仕事をするために東京からニューヨークに拠点を移した。何回かがんを再発しながらもフリーランスジャーナリストとして活躍し続けた。晩年は、仕事をしながらがんと向き合う日々の生活や闘病生活を描いた著書も多い。学生時代、彼女の著者をほぼ全部を読んだように思う。その著作のひとつ、『乳がんになんか敗けられない』には当時の心情が綴られている。彼女の批判と提言の矛先は、病気やがんを人に言わない(言えない)閉鎖的な日本社会と、がん患者への十分な説明の努力を怠る医師や病院に向けられていた。

今日のNHK「あさイチ」では、親子で考えるがん教育、と小中高校でのがん教育の特集だった。今や日本人の3人に1人がなるというがん。しかし患者が増えた割には、日本はまだがん検診の受診率の低い(米国は8割に対して日本は4割)ことや、病気に対する無知や理解のなさで退職を強いられるケースを紹介していた。がんについて知識をもっていることで不安や心配も軽減される、自分でなくても家族ががんになったときでも知識があることで家族のがんの受け止め方、心の持ちように違いが出てくるため、がんの早期教育が全国で始まりつつあるとか。がんになった人がどのように社会復帰してきたかなども取材、放送していた。がんであることを人に言うことでサポートを得られやすくなる、という経験も紹介されていた。がんは予防や生活改善が必要なこと、がん検診の重要性、何よりがんは当たり前の病気であると、がん教育で語られていた。

つくづく時代はかわった、と番組をみながら感じた。少しずつだけと確実に時代が動いている今の日本。千葉さんが若い頃は望むべくもなかった、女性が当たり前に働く社会になりつつあるし、病気やがんの情報がオープンになり堂々と話すことができる―いずれも千葉さんが生きておられれば間違いなく喜び待ち望んでいた時代が、彼女が逝って40年経った今、ようやく実を結び始めているかのようだ。

バレンタインの思い出


今でも覚えているバレンタインをめぐる出来事がある。

あれは小学校5、6年のことだった。2月に入ると担任の先生は、クラスの女子だけを集めていつものとおり穏やかに、しかし真剣に話し始めた。
「もうすぐバレンタインが来るけれど、クラスには毎年もらえないかわいそうな男子もたくさんいるでしょう。そこで、今年は各班で女子から男子にチョコレートを渡してはどうかしら?日頃の感謝を込めてといえばみんなもらえるし喜ぶと思うの」
何の話かと思いきや驚愕の提案である。昔の小学校とはいえ、先生の提案となればほぼ指示に近い。

ちなみにクラスは36人、うち女子が半分とすると、その中で本命の子にチョコを用意する女の子が2,3人いるかどうかだった。つまり、18人のうちチョコをもらえない「かわいそうな」男の子は15人と大半である。もらった男の子が恥ずかしそうに受け取るだけで、周りもあの子があの子を好きだったんだ、と思うくらいで校庭で遊びにうつる、といったのんびりした公立の小学校だった。

この提案を受けて、内心私は驚いていた。思えば、「人は人」と思う癖はこの頃からあったのだろう。要はチョコをもらう子がモテるだけで、もらえない子が「かわいそう」とは思わなかったので、もらえない=かわいそう、という図式も腑に落ちなかった。私自身、辛党で甘いものが好きでなかったこともあり、むしろチョコをいくつも受け取らざるを得ない方もかわいそうだとさえ思った。しかも、小学生の男子など騒がしい、散らかす割には掃除しないのイメージしかなく、日頃の感謝って何だ?と思ったりもした。

しかし驚きはまだ続く。
近所の仲良しが「じゃあ、一緒に作ろうよ、いつにする?」とすぐに言いだしたのだ。
先生の言うことに時々疑問を投げかけていた私はひねくれてかわいくない子だったかもしれない。一方で、こうした素直な子がクラスには多かった。しかも、てっきりお菓子は買うものだと思っていたから、チョコを「作る」という発想にこれまだ驚いた。作ったことないよ~、だから一緒にしようよ、となぜかうちで作る羽目になった。板チョコをとかして何か型にはめた気がするがよく覚えていない。お菓子は全部彼女が作ってくれた。一度できているものをわざわざ溶かしてまだ同じものを形を変えて作る作業を不思議に眺めていた。今みたいな100円ショップがあればどんなに楽だったかと思うが、個別の包装も彼女が用意してくれた。

担任の先生は穏やかで心優しく、何かと評判のいい先生ではあった。教育熱心で、社会の授業では戦争について調べ物をさせたり第五福竜丸を見に行ったりと、授業以外にも心を砕いていたことを覚えている。生徒ひとりひとりの長所や能力を探し認めてくれる先生で、私にとっては文章を書く楽しさを最初に教えてくださった先生でもある。ただ心根が優しすぎるあまり、理由もきかず無条件に泣いている子をかばう傾向があったので、私は冷めていた時もあった。子ども時分の私は理屈っぽい、と言われたことがあったが、自分としては直感的、感覚的におかしいと思うことの方が多かった。チョコの件は、母親と同世代だった先生なりの親心だったのかもしれない(先生のお子さんは娘2人だったが)。

ちなみに先生の期待に応え、班の男子は全員チョコを受け取り、なんか妙なものがあるぜ~と照れながら半ば嬉しそうにしていたので先生の思いつきプロジェクトは見事に成功したことになる。しかしホワイトデーにもらったこれ以上ないほどの甘いキャンディーとともに、このプロジェクトは私の中で強烈に残る思い出となった。

その後も何度か、期せずしてバレンタインイベントに参加させられる羽目になったが、その度に抵抗感を感じたのはこのはるか昔のバレンタインに起因しているのかもしれない。当時はかわいいレベルだった街のバレンタイン商戦も今はものすごいようだが、昨今ようやく巻き込まれない環境になり内心ほっとしている。

THE Suica

東京駅開業100周年記念Suica が届きました。

Tokyo100.jpg

何を隠そう、あの騒動で初めてこのSuicaのことを知り、申し込んだクチです。

しっとりした感じのいいカードです。ちょうど手持ちの定期券が切れるのを前に、くたびれてきたパスケースとともに刷新しようかと思っていたところでした。

休むことの大切さ


梅雨が明けて夏日が続いていたが、このところ少し暑さも和らいでいた東京の夏。しかし今週は半端じゃない猛暑が続いている。

なのに(?)このところすこぶる体調がいい。7月に届いた健康診断の結果だけみても、少なくともこの2年余りでベストの健康状態だろう。特に、昨年の健康診断では要注意と出たコレストロールが、今年は正常範囲の真ん中まで下がったこともあり結果は上々。ちなみに、コレストロール低下は、ヨガ効果とタマゴ節制(この一年はタマゴ料理をほとんど食べなくなった)、夕食は野菜料理メインにシフトした賜物だと思っている。

それとは別に、暑さ疲れこそ感じるが、それでもピンピンしているのはなぜ?と我ながらやや不思議に思っていた。思い当たることは、7月からずっと週休3日できていることだ。

7月は休日もあったし、我が職場ではとかく夏休み取得が奨励されている。去年、今年と旅行に出られない状況でもあるため、この有難い制度のおかげで、週一で休みをとらせていただいている。それが、月曜だったり金曜だったりすれば3連休となる。もっとも、奨励制度がなくても今の私は休める範囲で積極的に休みを取得しいるだろうが、これは前職で学んだことでもある。前職場は外資だったこともあり、週4日勤務を15年間続けた人とか、3週間の休みを取る人などザラにいた(ただし全員、外国人)。不要不急の仕事がなければそれでいいと思う。

欧州のバカンスの長さは有名である。例えば先月7月にメールすると、3人に2人は、長期不在の自動返信メールが帰ってきた。戻ってくる日付から推測するに、最低3週間はとっていると思われる。欧州だけではない。隣町にある某店は、中国人だけで回している小さなお店だが、「7月22日~8月14日まで休みます」と貼り紙が出されていた。朝から晩までひたすら働いている従業員もろとも、故郷でゆっくり休んでいるに違いない。

休みと言えば思い出すのがある美容院のNさんだ。一昨年、長年お世話になった行きつけの美容院が店じまいとなった。若い時はいろいろな美容院に行ってみたものの、結局そこが一番よく、この数年はいつもそこに決めていた。若いスタッフもいるし、まだまだ10年以上はお店も続くと思いこんでいたので、店じまいの連絡を聞いて慌てた。何でも、「そろそろ休みたいと思い決心した」とのこと。それを聞いて、Nさんが昔ふと漏らした言葉を思い出した。もう20年ほど前のことだ。

数日の休みをとる(数日間、美容院を休みにする)ことはまずない、という話の流れで、彼女はこう言ったのだ。
「日本はまだまだ休みに対する風当たりが強くてね。このお店も2日(連日)でも休むと、商売繁盛していていいわね、といった目で見られるのよ」

これには、休みにくいということと、その背景に休むことをよしとしない人の目がある、という二つのメッセージが読み取れる。その時はまだ学生だったし、そんなものかという程度の受け止め方だったが、その後、社会に出てからは「休めない組織文化はひどい」 と思うようになった。それだけに、これからはゆっくり休みたい、と言われればもう何も言えなかったし、その気持ちを尊重するしたかなかった。

その美容院は閉店となり、美容院で使う設備の一部は東北の震災を受けた美容院に寄贈されたらしい。その跡地は今、隣の医院の駐車場となっている。その前を通るといつも思い出す。Nさんも今はゆっくり休まれているかな、と。そして、日本でももっと、どんな職業であれ、お店であれ職人であれ勤め人であれ、カレンダーとは別に一定の休みをとることが普通の文化になればどんなにか住みやすい社会になるかと思う。

プロフィール

Sainah

Author:Sainah
途上国と開発援助、農業・生態系、少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき、海外ドラマ

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