The Rose

先月、耳にした音楽が何とも素敵で、しばらくその曲名を探していました。どこかで聞いたことがあるような懐かしいような、しかし探し当てきれず、結局その曲を最初に紹介されていた方に聞いてみたところ、The Rose であることが判明。

You Tube でも聞けます。色々なバージョンがあり、驚くべきことに日本語用に焼き直したバージョンもあるようです。

私のお気に入りは、まさにこれ
The Rose - Bette Midler (歌詞字幕)English & Japanese Lyrics
Leonaさんがアップロードされています。

赤いハートで始まる画面です。それぞれの画面も素敵ですが、和訳が原語の感じをそのまま残しており、それでいて日本語も英語も心に沁み入るトーンになっています。何ともいえない人生の美しさや哀しさを見事に表現し謳っているこの歌に、偶然巡り合えたのがこの3連休の中日(昨日)でした。この歌にどれだけ癒され、また励まされたことか。

といっても、ここにYou Tube を貼り付けることは著作権侵害になりかねないので残念ながらできません。Bette Midler の歌声とともにどうぞお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=CB4EgdpYlnk

木下先生


木下是雄先生の訃報を知ったのは、おそらくフランスからの帰国前夜だったと思う。
このブログでも何度か取り上げさせていただいたように(↓)、一読者に過ぎない私が木下先生から受けた影響や教えは計り知れない。

私なりのこだわり (2013/6/27)
スウィッチ・ヒッター (2009/6/6)
スウィッチヒッターふたたび (2010/5/27)
Back to original (2010/5/28)

一言でいえば、言葉の重みを熟知されている先生から言葉の大切さを教わった。とりわけ、「言葉のスゥイッチヒッターたれ」と国際社会で生きる日本人に向けて書かれた言葉は、日英の言葉両方の美しさやニーズを理解しようといながらもがいていた私にとって開眼させられる指摘だった。以来、無意識ながらも何かの折には思い出す指南、座右の銘となっている。

おそらく本の書きぶりからは古き良き時代の学者ではなかったかと拝察する。物理学の泰斗であられたが、『理科系の作文技術』を世に出されてからは、一学問領域を超えて日本の大学教育のために尽力されたのではないだろうか。

先生のなされたお仕事に深い敬意と感謝を込めて、ご冥福をお祈り申し上げます

私なりのこだわり


(少し間があいてしまいましたが、ここ数回は近藤紘一氏の『サイゴンから来た妻と娘』に始まる3冊の本について書いてきました。)



一時の留学を除けばずっと日本の教育を受け、帰国子女でもないのに私自身、ここまで近藤さんの本に引き込まれ、ユンをめぐる無国籍人間にならないための教育や言語をめぐる著者の奮闘ぶりに共感したのはなぜだろうか。

まずは、ここまで娘の将来に思いを馳せ頭を悩ます父親の心境や思考を、読んだことがなかったからだと思う。東京のリセの校長からの手紙は、著者の思いを凝縮しており、まさに圧巻である。世のどんな父親でも自分の娘の将来を考え応援する気持ちは持ち合わせているだろうが、ここまで具体的かつ、ある意味、海外で生きる/国際結婚の家庭の親子にとって普遍的な問題としても訴えかける内容になっている。また、私自身ベトナムで過ごした2001年のひと夏の印象があまりに強烈だったことに加え、仕事で使う言語に考える時期と重なったことがもう一つの理由ではないかと思う。



私は最初、自然科学の教育を受けた。学生時代、指導教官には論文は英語でないと存在しないに等しい、と叩きこまれた。サイエンスの世界にいたから至極もっともな話ではあるのだが、1990年代当時は大学院の修論、博論はもとより、いわゆる学術論文も日本語で書く「研究者」が少なからずいた時代である。その指導教官は米国の大学から戻ってきたばかりの先生だったこともあり、最初から学生へは「論文書かずば研究者ではない。英語で書かずば論文ではない」の持論を展開し、学生にもそう教え込んでいった。その結果、我々は修論から英語で書かされたし、目指すは学術雑誌に受理される(英語の)論文であり、学位申請用にまとめる日本語の博士論文ではない、と教え込まれた。だからであろう。私自身のみならず同じ研究室の学生は、「研究者とは論文を書くのが仕事であり、論文は英語で書かれるもの」と刷り込まれていた。

後に、国際協力の世界に転じてから、日本では、どうも研究者だからといってみな英語で文章を書くわけではないと理解するのに時間はかからなかった。それどころか、日本語で、しかも小難しい、ややもするとわかりにくい日本語も飛び交っていた(たまたまその時は社会学の話もあったからかもしれないが)。そういう日本語に違和感を覚えたし、だからといってサイエンスの世界ではほとんど日本語で長文を書くことはないから、日本語の文章力を鍛える必要も感じた。結果、日本語と英語をどう磨いていくかが、個人的な課題となっていた。

それでいて、書き言葉だけならまだしも、日本語と英語ではプレゼンテーションの仕方も、主張の展開の仕方されも違ってくる。となれば、日本で教育を受けた研究者はどうすればいいのか。いまのようにインターネットにも普及しておらず初期の時代、限られた情報源の中で英語で生きるべきか、日本語で生きつつ、仕事の時だけ英語脳に切り替えることも求められるのか、なぜ日本人に生まれたんだとまで考えたこともあった。

結局至った結論は、ずっと後になってのことであるが、木下先生の「言葉のスウィッチ・ヒッターであれ」である。知らない理系学生はいないほどの『理科系の作文技術』の著者でもある物理学者が、後年書かれた別の本にあった「言葉のスウィッチヒッターであれ」――これがもっとも腑に落ち、以来、私の指針となっている気がする。

ここでいう言語のスウィッチヒッターとは、「欧米式の言語習慣が優先する場では、客観的かつ論理的に明快に話す。それは日本人の従来の言語を忘れることではなく、日本人同士の私的なコミュニケーションでは伝統的な言語習慣を大切にする」人のこと。機に応じて右でも左でも打てる打者になれ、という教えだった。

<過去ブログ>
スウィッチ・ヒッター
スウィッチヒッターふたたび
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フレンドシップ・ブック


(承前)もう一か所は、東京リセ校長の問いかけに呼応した形で、出てくる「フレンドシップ・ブック」の個所である。

(ここから引用)

たちどまって考えると、問題はまだ何一つ片付いていない。(中略)
「文化的帰属」の問題もいまだ明確な基礎固めができていない。東京の校長の手紙にあった、「人間は一国の文化を理解したときに、はじめて、他国の文化を理解し、同時にこの世の中を理解できるようになる」
という言葉は、ものを見る目の「基礎」がどこにあるか、という問題の核心を、重く、冷徹に衝いているように思える。

(中略)

娘は、現在のバンコクの暮らしが、「仮りの住まい」であることを十分に心得ている。しかし、友人が増えるにつれ、この土地への密着度も、明らかに深まりつつある。(中略)

「ほら、もうこんなにお友達ができたぜ」
新しい仲間の写真や、友情の言葉をおさめた分厚い「フレンドシップ・ブック」を見せられるたびに、私はむしろ、心の痛みを感じる。フレンドシップ・ブックは、形成期に各国を渡り歩く運命を背負った子供たちの多くが決まって作成する“宝物”だ。単に年頃の子が切手やマッチ箱のコレクションに対して示す性向と同質の“趣味”なのかもしれない。

だが、潜在的にせよ、フレンドシップ・ブックの中に友情を収集しようとする心理の背後には、結局のところ、それらの友人とのある日の別れが不可避のものであることへの、それなりの認識が働いているように思える。必要とあればいつなんどきでも訪れ会い、話し合えるような「一生の友人」が相手なら、何もその写真や親愛の情を示す言葉をノートの凍結しておこうなどという心の動きは生まれまい。
花模様の分厚い表紙のノートに貼られた何十枚もの仲間の写真、それに添えられた、書体もインクの色もまちまちな、つたない文章に目を通しながら、私は、ここでも思いに沈む。

(中略)

一冊のノートは、多数の友情を記録として保存する。だが、記録として凍結された時点から、すでにその友情は、生命を失いはじめる。そして。容赦のない時と距離の力の前でしだいに単なる「思い出」と風化していく――。(中略)
このフレンドシップ・ブックの中の何人が、いったい彼女の財産として残るだろう、と考えた。

(引用ここまで)

『バンコクの妻と娘』では著者の近藤紘一氏が若くして死別した前妻のことが書かれている。いわゆる帰国子女でありながら、文化的無国籍感覚に悩み、孤独や無力感の壁にぶつかった経緯に触れている。この前妻の軌跡を、ミーユンの将来に重ねて考えずおれなかった、と述べられている。そして、哀しさとともにミーユンの父親が近藤氏でよかったのだと、静かに共感できる部分でもある。



文化的無国籍とフレンドシップ・ブックは、『バンコクの妻と娘』の中で大変印象に残った個所であり、また重い問いかけでもある。これについては本書を読んでいただくのがベストだが、近藤氏の言葉をまずはそのまま引用させていただいた。

古い本ながら今でもまったく色あせることない本を書き続けながら、こうした人生の問いに立ち向かった著者に、心からの敬意を払わずにはいられない。

思考の道具


それにしても、私は一読者の身で、どうしてこれほどまでにユンちゃんのことが気になるのだろうか。それは、まさに、「娘がこのまま一つの言語をものにせず思考の道具と持たないことによって文化的無国籍になってよいものか」と訴える著者である近藤さんの思いが、どこか自分の心の琴線に響いてしまったに違いない。ひとつには言葉の大切さを痛感し、自分でも悩んでいた時期に読んだこともあっただろう。また、それだけに、これはユンちゃん個人の問題ではなく、だれにでも起こりうることであり、将来、自分の子どもに起こったらどう対処すればいいのか、とまで拡大解釈しながら読んだこともあった。



『バンコクの妻と娘』では、この文化的無国籍に係る部分が2か所出てくる。最初の箇所は、ユンが通う東京のリセの校長から著者に届いた手紙のシーンだ。

東京のリセに通っていたユンは当時、17歳だった。そこで父親のバンコク赴任の話が出た時、強固に希望しひとり東京に残ったのだが、いざ寄宿舎で生活しながらにリセに通い、たくさんの宿題を手土産に週末は知人の家を渡り歩くという生活を送っていた。慣れたとはいえ外国での独り暮らしと勉学、そして進路を決定しなければならないとなれば、それなりに精神的にきつい面もあっただろう。その場で親身に相談に乗ってくれる親が身近におらず、時間差のある手紙でのやりとりでは、様々な出来事や悩みが消化不良に終わったとておかしくない。本書でも、東京から手紙がしきりにきたとの様子が描かれている。インターネットもスカイプもある今とは、東京―バンコクの距離感は比較する術もない。

ある年の夏休み前、東京のリセの校長からも著者に手紙が届いた。落第通知だったが、それに加えて本論ともいうべきメッセージが書かれていた。印象に残る部分なのでできるだけ引用しよう。

あくまで参考意見とお受け取りになって差し支えありませんが、との前置きに続く本論は、「私の心の中にいつも腰を据え、時にはそれを直視して考え込み、時には直視することを意識的に避け、あるいは少なくとも先に引き延ばそうとしてきた想いや逡巡に真っ向から触れ、かつそれを代弁するものであった。」と著者は書き出している。

(以下『バンコクの妻と娘』より引用)
 ミーユンは、教育及び人間形成上きわめて特殊な環境にある、と、校長は書いていた。
 親の勤務により各国を転々としなければならない宿命を背負った子供は、少なくない。しかし、ミーユンの場合は、日本へ来るとほぼ同時に、事実上祖国を失いうという異常事態に見舞われた。まず、このことが、本人の将来にどう響くかを念頭に、こんごのことを考えていかなければならない。
 人間にとって祖国を失うということは、「心の家庭」を失うにひとしい。幼ななじみ、古い遊び仲間、兄弟姉妹や従兄兄弟、親戚の叔父叔母や近所の顔なじみにいたるまで、彼女がその中に包まれてきたすべての人間世界が、煙のように消滅した。
 父親であるあなたが、日本に長く居を定められる職病にあり、あなた自身の家庭や親戚が、この、彼女から奪い去られた世界の代替として徐々に新たな人間関係を彼女に与えてやることができたなら、まだ多少の埋め合わせはついたかもしれない。事情はよく知らないが、五年近くの観察を通じて、ミーユンはこの代替の世界を得るチャンスがなかったように見受けられる。

 つまり、彼女にとって、何事か生じたさい、その懐ろに飛び込んで泣ける相手は、こんごもこの世にあなたと母親の二人だけしかいない。こうした境遇は、一見、めずらしくないことのようにみえるが、実はきわめて異常だといわなければならない。私の目から見ると、ミーユンの両親に対する思慕は非常に強く、それは何よりも、彼女を包む通常の人間世界がないからではないか、と思える。失礼ないい方になるかもしれないが、そうした彼女をあなたたちは今、さらに深い孤独と緊張の境遇に投げ込んでいる。私としては、本人の明るく素直な一面に期待を託してはいるが、半面、彼女の脆弱なまでの感受性の鋭さが、こんごの性格形成にどう作用していくか、少なからぬ不安感も抱かずにはいられない。
 これは、教育者としてより、むしろ、あなた同様、人の親でもある私個人の感想である。

 教育者としての意見を述べさせていただくと、ミーユンにとって何よりも大切なことは、一つの文化を見る目を備えさえることだと考える。率直に申し上げて彼女には、今、何の文化的基礎もない。彼女がときおり示す、驚くべき幼稚さもそこから来ている。
 文化を知るということは、思考をするということであり、思考のための必須の道具は、いうまでもなく言葉である。

 ミーユンは日常会話には、もうそれほど不自由しないようだ。
 しかし、一枚めくると、彼女は実は、何の言語も持っていない。
十三歳で中断したベトナム語は、おとなの思考の道具となり得ていない。一方、日本に来てからのフランス語の進歩は、顕著なものがあるが、なんといってもスタートが遅すぎた。
 あなたも含めて私たちの急務は、なんとかして彼女に一個の完全な言語を持たせてやることだと思う。そうしないと、下手をすると思考のない、というより、思考することができない――人間が出来上がってしまいかねない。一個の言語を完全に身にそなえたときはじめて、一国の文化を理解できる。そして一国の文化を理解したとき、はじめて、他国の文化やこの社会全体を見つめ、それについて思考することができる――のだと考える。(引用ここまで)
 
 
この後、「そこで、今、思い切ってあなたに助言をさせていただきたい。」と具体的な助言に続く。

近藤氏は述べている。
「一見、官僚じみたあの小柄な老校長が、これほど鋭く、温かい目で娘を見つめ、的確に彼女の内面を掌握し、ここまで真剣にその将来を考えていてくれたのかと思うと、父親としての怠惰さと決断を先へ引き延ばしていた勇気のなさが恥ずかしかった」

確かに、ユンちゃんは特殊な状況だとは言える。ただし、思考の道具となる言葉の問題は、バイリンガル教育や小学校での英語導入化等を持ち出すまでもなく、英語と日本語の間で苦しむ我々日本人にとってもひとしく突き付けられた問いのように、思えたのだった。近藤氏の本を最初に読んだのは10年以上前のことであるが、日本における日本人の外国語教育の問題は今でもなんら状況は変わっていない、そんな気がする。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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