Susan

関連して思い出した話をもうひとつ。
昨年秋、留学時代の友人サリーに再会した。6年ぶりで、近況報告も含めよもやま話に花が咲いたが、不意に切り出された。
「そういえば、ファカルティのTom って覚えている?」
直接師事はしていなかったが、記憶の糸を必死にたぐり寄せてみる。頭に浮かぶのは、レトロな眼鏡と豊かなあごひげをたくわえた顔のみ。どうみても50代半ばだろう。
「彼がね、ナント gender rearrangement に踏み切ったのよ~!」
gender rearrangement??要領を得ない私にサリーはたたみかける。
「女性になったのよ、女性に!ある日ね、これからは女性として生きると宣言したのよ。名前もSusan にしてね。だからもうあのTom はいないの。いるのはSusan だけなのよ!」
普段は冷静沈着なサリーをして興奮を抑えられない様子。対する私はまだ半信半疑である。gender ってrearrange できるものなんだ・・・でも原理的にどうなの?(って理屈をいっている場合ではないが ^^;)
「…でもなんで。何か兆候あった?」
「わからないけれどある日突然でね。でもそれが彼の決断なのよ。本人の問題だしね。ニュースやドラマで聞いていたことがまさか身近に起こるとは、まさにドラマよね。その勇気にはただ脱帽よ」
まだ興奮が収まらない様子である。

「それって、研究者としての評判とかキャリアへの影響はないの?」(ないだろうと思いつつ)
「もうテニュアとっているしね。それを理由に何かあったら裁判沙汰になるのがこの国だから、当然学校も何も言わないわけよ。それに学内でも保守的なところ(ロースクールとか?)ならまだしも、うちの学校なんて自由度高いしね(まったくその通りではアル)。それも織り込み済みだと思うわ」
「でもどうして今頃になって?かなり年輩だったような記憶があるけど、奥さんは?」
「そりゃ驚いたわよ~。ある同僚が彼女の前で言ったのよ。I was very surprised to hear that. すると、Not as much as I WAS! と切り返されたんですって!」(ほ~ら、本人の問題だけでもない?)
一人で爆笑するサリー、かたやまだ戸惑いから抜けきれないわたし・・・。
「でもその勇気は認めるわ」
一晩に何度となくSusan先生の勇気を称えたサリーだが、それでもまだ興奮冷めやらぬ様子。本人の問題としながら、先生のgender rearrangement を話題にせずにはおれないあたり、米国でのゲイの位置を物語っているようにも思う。ちなみにその後、学校のサイトをチェックすると本当に「女性」の写真が載っていた。言われなければわからないけれど、やはり目元に昔の面影が見え隠れする。堂々と写真を載せ、呼称も she となっているところは、やはり個人と多様性を重んじる国アメリカではある・・・。久々にアメリカらしい話を聞いてしまった思い。ちなみに、サリーの本名もSusanであった。

テーマ : こんなことがありました
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初めての

そう、オバマ大統領はゲイにも言及していた。米国のドラマでは割と普通に同性愛者が出てくるが、ゲイはドラマだけではなく米国社会のリアルな一面だと感じた話。

米国留学中、利便性と治安を考え、学校に程近い大学院生用の寮に入居した。地下1階から地上3階までのレンガ造りの建物で、30人弱の大学院生がそれぞれ個室を割り当てられた。キッチンとシャワーは共有なので、キッチンではいろいろな人に会う。最初に会ったゲイは同じ寮の住人で、カナダ人だったか米国人だったか、栗色というより赤毛に近い髪をした女性だった。年齢は知らない(*1)が、看護学専攻の学生だった。その看護師の卵(彼女の貫禄からすれば看護師長の卵か?)、ある日キッチンで、私に向かってつかつかとやってきたかと思うと、一瞬の間をおいてから言い放った。
「あのねぇ、私にはガールフレンドがいるのよっ!」
その妙に挑戦的な物言いに、「はん?だから何?」という勇気やサラリとかわすスキルが、渡米後1ヶ月足らずの私にあるワケがない(汗)。そもそも彼女とは接点もなく意図が汲めなかったが、フレンドリーとは言い難い雰囲気に一瞬ケンカを売られたのかと思った(それでもその喧嘩を買う英語力もナイ )。そこへ偶然、友達のマリアが通りがかって事なきを得た。マリアは囁いて曰く、
「あの人ね、どうも自分がゲイであること、みんなに知ってもらいたいみたいよ」(なんだ~)
「ゲイって言われても、会うのは初めてなんだけど」(しかも女性だし)
「そう?たまにいるけどね。まあ本人の生き方の問題よね」
マリアにとっては完全にヒトゴトと言わんばかりの響きである。そこで敢えて聞いてみた。
「で、でもね。たとえばあなたの弟がゲイだったらどうする?」
「別段ほめられたことではないけど、でも反対もしないわ。だって男が好きだと本人が言うなら、まあ仕方ないんじゃない?」
と涼しい顔。まあ、確かにそうかもしれない。さすがオランダ人、一歩も二歩も先を進んでいる。まあともかくこの一件で、ゲイと言っても男女両方に使うということを知ったのであった。

*1 ちなみに、アジア人は若く見え年齢不詳とよく言われたが、私に言わせれば彼らだってある意味、年齢不詳である・・・。

北米インディアン研究

北米インディアン*について書かれている本は、著者が日本人の場合、おしなべてアメリカ関係の研究者によるものが大半だった。だいたい米国の歴史や政治、文学の先生だったり、時にはジャーナリストだったりもした。どうしてもネイティブ・アメリカンは、興味あるアメリカの主題にはならないのだろう。ところが、最近偶然手に取った『ネイティブ・アメリカン』の著者 鎌田遵氏は、まさに生粋の北米インディアン研究者だ。同じ著者の『ぼくはアメリカを学んだ』では、米国ニューメキシコの大学寮で一緒になったネイティブ・アメリカンの学生を皮切りに、ニューメキシコで暮らす部族と付き合いを深めるようになり、辺境に住む視点から米国社会を眺めていた様子が描かれている。麻薬やアル中が蔓延しているネイティブ・アメリカンの社会や居留地は多いと、かつて読んだことがある。その度に、誇り高き酋長を先祖にもつインディアンが土地を奪われた上に、現代文明や米国の負の産物が蔓延っている世界で生きるしかない現実に対して、信じられない、というよりどこか信じたくない気持ちがあった。今回この2冊を読んで改めて、失業、アルコール依存症、ドラッグ依存症、自殺など、米国社会の闇の要素がここまでインディアン居留地に凝縮されていることに、驚きを新たにすると共にやはり胸が痛む。

大学では地域に密着した学問を、という思いからアメリカ先住民学を専攻した鎌田氏は大学院へ。それでもネイティブ・アメリカンとの交流が原点にあり、居留地は平和な時間を求めて戻るべき場所であったというから、フィールドワークのbest practiceの実践そのものだったのだろう。ニューメキシコで生活していた時期に出会ったスペイン系の青年が言ったセリフが紹介されている。ニューメキシコの辺境で生きるスペイン系も先住民と置かれた状況は似ており、失業、アルコール、ドラッグ等の同様の問題(失業、アルコール、ドラッグを抱えているらしい。
「内容はデタラメばかりだが、白人は本を書いてきた。だからすべてを知った顔をする。(中略)世の中を変えたかったら、俺たちも勉強して、本を書けるようになればいいのだ。そうしたら自分たちの真実を残すことができる」(『ぼくはアメリカを学んだ』より)
今、まったく同じことを途上国の人に言われたとしてもおかしくはない。つくづく言葉というものの機能と重みを考えてしまう。仮に、歴史は長いだけでは現代人の心に訴えないとしたら、記録や蓄積のない伝統や口承文化はどうなってしまうのだろう?

ところでこういった分野の研究は、往々にしてフィールドワーク、それも長期にわたる調査がつきもので、逆に言えばそれなしには成り立たない。しかも現地に住みつく長期滞在が理想であろう。とはいえやはり客観的視点が求められる調査である以上、アウトサイダーとしての扱いは免れない。旅人であってはならないが住民にもなれない、その微妙なバランスが難しい。そしてこの点は、地域研究や国際協力のプロジェクトとも似ている。例えば、『ぼくはアメリカを学んだ』では、ネイティブ・アメリカン居留地で宗教儀式に集まった住民同士の何気ない会話の場に居合わせた筆者は、「メモを取れる状況でないので必死に記憶した」と書いている。辺境に生きる住民の何気ない会話にこそ、真実が隠れていることが多い。ネイティブ・アメリカンだから、もしかしたら写真を撮ることすら許されなかっただろう。おそらくフィールド調査の山場というか醍醐味ともいえる場だったと想像する。鎌田氏の場合、いわゆるよそ者ではなかった気もするが、一般にこういう状況のよそ者の揺れる心情は、理解して余りある。それでも、ここまでネイティブ・アメリカンの社会に入っていくことができたのは、もしかしたら「白人でない男性」であり、ご本人が米国社会で差別感を感じていたからかもしれない。

もうひとつ。ネイティブ・アメリカン学部―こういう学部が大学に設置されてしまうあたりが、アメリカの底力だと思う。アメリカ先住民研究という学問領域について、鎌田氏は次のように述べている。
・ 建国以来、アメリカ先住民研究は、主に歴史学や社会学、文化人類学といった既成の学問領域の研究者によって進められてきた。往々にして先住民を被支配者として扱い、侵略側の論理によって作り上げられた学問だった。一般に、中上流階級の白人男性による、学術的な欲求を満たすことの重点が置かれていた。
・ 公民権法が成立した1964年以降、大学でも Affirmative actions がとられるようになった流れで誕生した。アメリカ先住民研究は、社会運動から生まれ、成長してきた闘いの学問であり、学部の誕生は通過点にしか過ぎない。

その通りだとは思う。それでも、先住民研究学部を創設した大学が全米で107校にものぼるということは、米国の政府や州政府に歴史に向き合う姿勢があり、予算をつけたということに他ならない。そこには、先住民研究や学部設置のニーズや教員、学生数といった議論の入る余地もなかったようにすら思える。そして2004年、スミソニアン財団はアメリカン・インディアン博物館をワシントンDCに開設したというではないか。美術館、博物館巡りが好きな私としては、ぜひ訪れてみたい博物館リストがまたひとつ、加わった♪

個人的に、米国に対して抱くのは過去のように憧憬の念だけではなく、入り混じった複雑な思いを感じることもある。しかし、一見役に立たないかにみえる学問分野への投資、少なくともまずはやってみる/やらせてみるという姿勢―これだけは、一部の国が真似したくともなかなか真似できない、米国の強みだと思えてならない。

* インディアン (←最初のイにアクセントと理解)
北米大陸の先住民で、今はネイティブ・アメリカンということが多いが、「インディアン」の方がしっくりする時は用いた。鎌田氏の著書の中でも両方使われている。

vulnerable

国際協力や開発援助の文書を読んでいると、vulnerable peopleとかvulnerable groupsという言葉が出てくる。脆弱な立場に置かれた人々、とでもいおうか。人間が生きる上での基本的なインフラや社会基盤、教育、医療サービス等へのアクセスがほとんどない(または非常に限られた)状況で生きる人々の総称として使われることが多い。内容によっては、内戦の続く地域や途上国の女性や子どもを指すこともあるが、私の場合、この言葉を聞いてまず頭に浮かべるのは世界各地の辺境地や山岳地域に生きる少数民族の人々、そしてネイティブ・アメリカン。今でもそうだし、これからもきっとそうだろう。

子どもの頃、外国といえばまずアメリカ合衆国だった。常に前進あるのみにみえた壮大な実験国アメリカについて、調べていくうちにアメリカ・インディアンの存在に突き当たる。今で言うネイティブ・アメリカンだが、当時の呼称はインディアンだった。そこで、北米インディアンと名のつくものは何でも調べたものだ。インターネットも何もない、あるのは本のみの時代だったが、学校とは関係ない自主的な調べものや勉強は本当に楽しかった。それでも何とか託けて、学校の勉強につなげてしまったものもある。例えばこんな感じ。

  英語 ・・・・・ 辞書を引き引き、米国の歴史や先住民の物語を読む
  国語 ・・・・・ 読後感想文はインディアンの自然観についての本
  社会(歴史) ・・・・・ 北米の歴史がなかなか出てこないな~と思いながら世界史の本を乱読
  家庭科 ・・・ ろうけつ染めの作品として、幌馬車の走る西部の大地を題材に (普通は花や静物にするものと半ば呆れていた先生も、最後は折れたらしい←友達の言、本人自覚なし^^;)
  美術 ・・・・・ レコード(←時代を感じる)ジャケットの作品に幌馬車バージョン2を
  音楽 ・・・・・ 音楽鑑賞と称してカントリー・ミュージックの感想文
  (番外編)好きなTV番組 ・・・ NHK 『遥かなる西部 ~わが街センテニアル~』 

といった具合に、すべてがひたすら北米先住民への興味の延長線上にあった。私の中学時代を知る人は、きっと笑いながら思い出すだろう(まあ忘れているだろうけど)。ちなみに、毎週日曜日、大河ドラマ後にNHKで放送されていた『遥かなる西部 ~わが街センテニアル~』は、インディアンに対する白人社会の視点が、米国の歴史と絡めてよく描かれていた。米国で最高視聴率を上げたこのドラマもしかし、日本では低迷していたという(よくぞ放送してくれたNHK!)。舞台となったコロラドの架空の街の名前をタイトルとするドラマの原作Centennialは、初めて買った英語のペーパーバックで思い出深い。そしてその頃、おぼろげながら描いていた将来の夢はナント、「北米インディアン研究者」。そんな職業があるのかどうか知る由もなかったが・・・。月日は流れ、いつしか国際協力の世界に足を踏み入れ、vulnerable people の中でもethnic minoritiesと呼ばれる人々との接点の仕事も加わった今、不思議な縁を感じている。

今日、居留地で暮らすネイティブ・アメリカンは、土地を奪われただけでなく、伝統、文化、慣習、言葉など先祖代々受け継いできたものを、この先いつ失うかわからない状況にある。一方で、母なる大地、自然への畏敬の念、伝統に価値をおく考え、そんなインディアンの生きる知恵や哲学が最近、静かに注目を集めている。また、持続可能な開発、環境、生態系、生物多様性の保全など関連してのことだろう、開発の世界でもindigenous knowledge やtraditional ecosystem knowledge という言葉が普通に使われるようになった。多言語、多文化、多民族の価値を認める動きは、先住民でなくとも歓迎すべきことだとは思う。でも本当のニーズは、もっと違うところにもあるのではないだろうか。参加型開発があろうとなかろうと、vulnerableである彼らの声は非常に届きにくいし、実際、届いていない。

オバマ大統領

オバマ米大統領が就任して1ヶ月が過ぎた。最初は米国でも「今日の大統領」よろしく、Day 1, Day 2, Day 3 とABCやPBSニュースで大統領の挙動を報道していた。どこまで続くのかと思っていたら、やっとDay 8 あたりで終わったようだ。

演説のうまさがひときわ光るオバマ大統領だが、単に政治信念や公約を人々に語りかけているだけではない。メッセージを万人の心に届けるべく、社会のどのような立場の人も極力排除しないような配慮が伺える。世界には、全員を指すのに老若男女といえばほぼ事足りる社会もあるが、そうでない社会もある。人種のるつぼ米国を表現するに、ちょっとやそっとの単語では明らかに不足だ。バラク・オバマの名前を全米で一躍有名にした2004年民主党基調演説では、このように語りかけている。

 (前略) there is not a liberal America and a conservative America—
 there is the United States of America. There is not a black America, and
 a white America and Latino America and Asian America—
 there’s the United States of America. (2004年民主党基調演説より)

それでもまだ足りなかったとばかりに、2008年11月 シカゴでの勝利演説では、米国社会の多様性を示す言葉がさらに加わっている。

 (前略) tonight is the answer. It’s the answer spoken by young and old,
 rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian,
 Native American, gay, straight, disabled and not disabled-Americans
 who sent a message to the world that we have never been just a collection
 of individuals or a collection of Red States and Blue States. We are, and
 always will be, the United States of America. (止まぬ拍手と喝采…)

ふ~む。日本人の私でも思わず聴き入ってしまう。もし私が米国市民だったら、やはり心底しびれたに違いない。そして1月20日の就任演説。終盤に、さり気なくもさり気に述べられた次の箇所を聞いて、私は不意に目頭が熱くなった。

 This is the meaning of our liberty and our creed - why men and women
 and children of every race and every faith can join in celebration across
 this magnificent mall, and why a man whose father less than sixty years ago
 might not have been served at a local restaurant can now stand before you
 to take a most sacred oath.

真のリーダーとは、何と重い言葉を放ち、誇らしい存在であるのだろう。歴史に立ち会いたいと厳寒の中、ワシントンDCまで行く市井の人々の気持ちがスーッと理解できる気がした。

小動物

もうかれこれ10年ほど前になる。私は静岡に住んでいた。ある日、家の近所で散歩中の何やら小動物が。遠目だったが、飼い主の青年がひもで散歩している。色はグレートも白とも中間色ともとれる。あれは犬だろうか、猫だろうか、と自問自答しながら、直感的に「いや、そのどちらでもない」と思っていた。子猫よりはやや大きいけれど普通の猫ほどはない。でも猫なら引きひもではつながない、第一散歩しなかろう(笑)。とすると犬?いや、やっぱりどうみてもあれは犬ではないはず。犬を3匹買った立場から、「あれが犬であってはナラナイ」とさえ思った。どうでもいいことだけに、余計気になった。「待てよ、ここは温暖な静岡。もしかして地域特有の動物かもしれない」
昆虫や植物ならまだしも、離島でもあるまいし狭い日本に地域限定の動物(しかもペット?)が果たしているだろうか、と今なら思う。でもその瞬間は本気でそう思っていたのだ。そこで後日職場で、生粋の静岡人に聞いてみた。見た本人(=私 ^^;)のイメージがすでにぼやぼや~としているから、人に説明しようにも要領を得ない。それどころかある人はケタケタ笑いながら
「へぇ~そんな動物いるんですかぁ?わかったら教えてくださいね~」
う~む、かえってモヤモヤする。知りたいけど知りようがない。かくしてその日以来、このモヤモヤが高じて「あの未知なる動物を探せ!」が内なるミッションとなった。とはいえ結構いい加減なもので、しばらくすると忘れている。そして頃を見計らったかのようにケタケタ嬢から、「ところであの動物の正体、わかりましたか~?」と水を向けられては思い出す、の繰り返し。どうりで時間がかかるはずだ。

ところがところが!本当に忘れた頃に町内で見かけたのだ、そのなぞの動物を。その時は思わず我を忘れ走り出し(ダッ)、道路を横切り小動物めがけて駆け寄った。挨拶もそこそこに、「すみませんっ!前からず~~~~っと不思議に思っていたんですけれど、この動物はいったい何ですか??イヌでもないしネコでもないですよね。えっ、まさかイタチ?食べものは?散歩はするのがフツウですか」ようやく長年(?)の謎が氷解するかもしれないと思うと、疑問が次々と口をついて出てくる。先方からすれば、急に近づいてきた見知らぬ人に質問攻めにされているようなもの。青年はしかし、いやな顔ひとつせず穏やかにふっと笑みを浮かべたかと思うと「これはですね~、イタチといってもフェレットです。よく聞かれるんですよ~。なかなかかわいいでしょう?」フシギな動物にみえたがよくよくみると(ほとんど凝視 目目 )、かわいさを強調する飼い主の気持ちも理解できた。

フェレット―調べるとネコ目イタチ科とある。少なくともイヌでなくてよかった~(ホッ)。後日、やや得意げに(?)ケタケタ嬢に話すと、「な~んだ、フェレットだったんですね。そういえばこの辺よくいますよね~(な、な~んだ…)」とケタケタケタ(…)。それでも静岡を去って以来、一度もフェレットの姿をみていない。もしかして、当時の流行だったのかとも思う。

テーマ : 雑記
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ガラパゴス化

「不況時こそ国際協力を」という見出しが目に入った。2月16日(月)日経朝刊で、ベストセラー
『女性の品格』の著者としても知られる坂東眞理子氏のインタビュー、とある。

 ・ ODA増額と共に人を通した援助が大切。JICAにも限界があり、企業の人材の活用を。
   人件費は政府持ちで、人材は企業に出してもらいたい。途上国が求める技術、技能を
   持った正社員を出し、空いた席をフリーターや非正規雇用者を雇えば不況対策にもなる。
 ・ 日本の企業は“ガラパゴス化”している。世界から隔絶された国内市場への適応しようと
   細かいところばかりが進化しているが、もっと海外に出て投資すべき。国内市場での
   過当競争を続けるよりメリットがある。何より日本ファンを増やすことで、日本という国
   総合安全保障のための投資につながる。

ざっとこんな内容だった。ガラパゴス化とはよく言ったものでまったく同感。「人件費は政府持ちで、人材は企業に出してもらう」―これはいいアイディアだと思う。総合安全保障のための投資という考え方にも賛成。CSRも千差万別だが、環境への配慮を謳い社員がわざわざ海外まで植林ボランティアに行くより、人材を出す方が会社にも途上国にもはるかに有益ではないだろうか。また、世界でも最近、CSRに加え貧困層をマーケットにする企業の動きがみられるが私の中ではどこか釈然としない。企業の思惑ばかりが先立つからだ。ソーシャルビジネスとなると何か考えてもみたくなるが、それもまだ頭の整理がつかない。おそらく今後の宿題に。

ちなみに、このインタビューでもそうだが貧しい国としてすぐにラオスが出される。最近読んだポール・コリアー著『最底辺の10億人』でも、途上国の中でもさらに底辺の国として、アフリカの一部やアフガン、ハイチと共にラオスが挙げられている。時々フィールドでラオスに行く私には、とてもそういう実感はないのですけどね。

朝から

今日は朝から驚き二つ。

・ 今朝の日経によると、MUJIが今度はナント を販売するという(!)。
  
   余計な装飾を排した白い壁の簡素な外観。床は6色、建具は3色から選ぶことができる。
   (中略)クローゼットや台所の収納スペースには作りつけの棚などを設けず、無印の収納
   用品がちょうど収まるサイズに設計した。基本的な間取りを60種類から選んだ上で、
   部屋を区切るなどの変更が可能。強い骨組みを使った工夫で壁の数を減らせるため、
   家族構成の変化に合わせて間取りを変えやすい。講じ面積は77平方メートルから
   132平方メートル。住宅本体は、3.3平方メートルあたり53万円から。
  
  名づけて「朝の家」。間取りの変更は面白そうだが、いくらMUJIファンの私でも家までは
  ちょっと…(^^;)。

・ 昨日一日(17日)、東京でクリントン国務長官は分刻みのスケジュールとの報道。
  今朝の読売より。

   外相との会談でアフリカ支援に話題が及ぶと、クリントン長官はTICADについて詳細に
   言及。会談に陪席した外務省関係者はTICADなんてほとんど知られていないのに、と
   舌を巻いた。

  そ、そうだったんですか~?!TICADといえば東京で行われるアフリカ開発会議。国際協力は
  もちろんのこと政治、経済、教育等のアフリカ関係者で知らない人はいない、と思っていました。
  5年に1度とはいえ、あれだけ大々的に開催してアフリカの元首を一堂に呼ぶのだから、それは
  もう…。なのに、国際協力の(しかもアフリカ関係としては珍しい)日本のイニシアティブが同盟
  国に知られていなくても不思議ではない、と本当に当事者側は思っていたというのでしょうか?
  もちろん長官は勉強したとは思いますよ。で、でもですね…。

あ~朝から新聞などに驚かされてしまった(汗)。でも、驚いてばかりはいられないと気をとり直しながら駅へ。冬の寒さが身に沁みる朝、どこか凜とした気分になる。

ベンリ?

使う時だけ温かくなる便座がINAXより発売との記事。

 搭載したセンサーで人を感知すると、薬秒で便座の表面温度を29度まで上げる。冬場など寒いときに便座の温度が18度未満となっても18度になるように保ち、使うときは直ちに29度まで温めるようにした。(2月14日(土)日経朝刊より)

さらに電気代を年間6000円前後節約できるとしている。その値段は15万-19万円台、4月1日発売。ここでふと疑問。
・ 何故に4月1日?(春になってからでは売れなさそう?)
・ 一体、開発コストはいくらだったのだろう?

こういうものは、どちらかというと病人やお年寄りがいる家庭のニーズはあるだろうが、なら試しに買い替えてみよう、とは思えない値段である。もったいないといった節約の精神がまだ幾分根付いている日本ではあるが、こういうニュースをみると「環境とか省エネって何だかお金がかかるのね~」といったイメージだけを与えかねない(お金もかかりますが時間もかかるのです)。便利さと省エネの双方を追求するとこういうものが生まれるのかもしれないが、いっそ何かをとって何かを捨てる、といった選択肢はないものだろうか。そしてプランBをいくつも考えて試してみればいい。こういう判断は時にとても大切だし、何かにつけて有効だ。このままでは、環境や省エネに対する思考の流れが、<省エネは大切→市民レベルでできることは微々たるもの(あるいは何ができるのかわからない)→企業や政府に任せよう→ときどき変な発想がひとつでも出ると…→薄れる関心>となってしまいそうで、結局何も生まれない。

話ついでに書けば、日本で普及しているこの温かい便座、もしかして例外なのかもしれない。初めて日本に来る外国人にはどうも新鮮らしく、トイレから出てくるや否や「日本って便座が温かいのね~ ?!」「そうなの、びっくりしちゃった。アタタカイのよねっ?」と半ば興奮している姿を何人も見てしまった私。確かに真冬のイタリアも、フランスも、ひんやりと冷たかった記憶アリ・・・。一流ホテルは違うのかもしれませんが。今度、聞いてみようっと。

ダーウィン

チャールズ・ダーウィン生誕200周年だという。これでも生物学に縁のあったわたくし、ダーウィンと聞いては黙ってはいられない(?)。調べてみると、1809年2月12日生まれとある。おおっ、4日前ではないか!
いやしくも生物学を学ぶ学生にとって、ダーウィンはメンデルやクリック、ワトソンと並び、後世まで残る金字塔を打ちたてた存在。生物学史上、20世紀最大の発見とされるDNA構造(二重らせん)を発見したクリックとワトソンも、1953年にその発表論文をNatureに投稿する直前の心境を次のように述べている。
「ひょっとしたら、ダーウィンの著書以来、生物学史上でもっとも画期的といえる発見の一翼をになうことになる」(ワトソン『二重らせん』より)
進化論が与えた社会的影響を考えれば、「ダーウィン以来」にワトソンもそれなりの響きを込めていたのかもしれない。

イングランドの大変裕福な家庭に生まれ、生活の糧を得るための仕事は不要だったダーウィン。16歳で大学に入学、医学→神学→博物学と興味の対象が移っていく。大学卒業を前に、恩師で博物学者のヘンズローを通じて英国海軍の測量船(ビーグル号)乗船の話がきたが、将来もみえない長期間の乗船に父親は大反対(そもそも牧師にしたかったらしい)。そこで叔父や知人のサポートを得て、22歳の時、ビーグル号に乗り込む。当初2年の予定だったが、英国に戻ってきたのは5年後の1836年だった。

その間、ダーウィンは寄港地で観たものや知り得たことを記録し、せっせと恩師に手紙を送り続ける。博物学や昆虫採集に傾倒していたことから、鋭い観察眼による記録の蓄積と手紙の束を想像するのは難しくない。乗船前までは自らを博物学の素人と認識していたダーウィンだが、それがかえって功を奏したのかもしれない。寄港地から本国へ手紙を送っては航海を続け、数ヵ月後に別の寄港地で返信を受け取るなど、航海中も恩師や本国とのコミュニケーションを続けていた。通信手段として今のようにパソコン、インターネットにメールがあればどれほど楽だったことだろう、と現代人の常として思う。しかしそれも良し悪しで、後年の自然選択説にたどり着くような記録をまとめ整理するには、その時その場の静かな思索の時間と蓄積が必要だったに違いない。

ところで、いとも簡単に手紙のやりとりとあるが、世界史の一部ととらえると興味深い。歴史の因果とはいえ、7つの海にユニオンジャックを立てた国力で世界中に植民地を有していた大英帝国だからこそ、各地でのポイント設置と本国との通信が寄港地からでも可能だったのではないか。となると、進化論はまさに、「19世紀のイングランドに生まれたダーウィンと当時の英国(時代の潮流、ライバルの存在も含めて)」にしかなし得なかったこと、とも思えてくる。今まで単純に、<ダーウィン→ビーグル号→ガラパゴス諸島→進化論>という連想だったけれど、ビーグル号に乗っただけでは進化論は生まれない。

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帰国して家庭をもち、ロンドンに住んでいたダーウィンは後年、子育てにいい環境ではないと考え郊外の村に移り住んだ。その写真をみたことがある。郊外の一軒家というより、植物園の中にある邸宅といえる環境で、庭と書斎で自身も好きな研究にいそしんだという。当時の英国の風潮とも無関係ではないにせよ、何とも理想的な生活ではある。

と書きながら、ちょっと一日やそこらで考えるには大きすぎる問題である(ブログでするとは無謀なココロミではあった ^^;)。彼の功績やその後の学問への影響は科学史の専門家やその他の資料に詳しいだろう。ふ~む、老後(実はまだ先…)に調べてみたいと思ってしまった。

製品名

花粉症の季節にはティッシュが手放せない。それどことか街でティッシュを配っていると、こちらから歩み寄り有難く頂戴したことも何度か(^^;)。
ところでティッシュペーパーを英語でKleenexという。最初聞いた時は、それってメーカー名じゃないの?と思った。ところが、会社の登録商標がそのまま製品名になっていることはたまにあるようで、例を集めてみました。

  ばんそうこう Band-Aid(米) plaster(英)
  解熱剤、鎮痛剤 Aspirin (←商標名とは知らず使っていた…)
  魔法瓶 thermos
  修正液 Wite-Out (米) Tipp-Ex(英)
  (そのためイギリス英語では、修正液で消す = tippex と動詞でも使われるそうです)

気泡緩衝材といってピンとくるでしょうか。
「何ていうの、名前はわからないけれどホラ、あのプチプチつぶすヤツあるじゃない?」
「ああ~、あのプチプチね」
と言われる荷物の梱包材。製造販売する川上産業株式会社の登録商標だそうです。英語サイトではPuti Puti と紹介されています。ちなみにこの英語名はbubble wrap、これもアメリカの会社の登録商標名だとか。

ちなみに英語圏以外のことばをひとつ。ここ数年は車が増えたとはいえ、やはり庶民の交通手段はバイクと自転車が主流のベトナムでのこと。ホンダ=バイク、と同義語で使われていました。
「このホンダ、Honda?」
「いや中国製ホンダ。Hondaは手が出なくて。でもこのホンダ、割と調子いいよ」
Hondaとホンダでは中古でも価格が倍違うのが相場でした。2001年ことです。
言葉は生きているのですね~。

ニブイ?

うららかな土曜日。今日の関東はまさに春先の陽気で洗濯日和、外出しても冬コートは要らない。そういえば昨日は春一番だったとか。

春を待つ人は多い。春の到来が待ち遠しい気持ちも理解できる。それでも、1日の始まりにこの生温~い空気を私の体内センサーが感知すると、何か警戒シグナルが発生するみたいだ。
「むむっ、春の気配を感じる模様。花粉前線(?)接近・・・か?」
自分の中で、春はくしゃみと鼻水にお付き合いする季節となっている(・・・)。マスクや花粉症の薬は極力避けたい*ので、周囲の憐れみを受けてしまう季節でもある。

最近のニュースでは天気予報と共に花粉情報が流れるが、自分のアレルゲンが一体何かはわからない。スギ花粉なのかブタクサなのか、あるいはハウスダウストや排気ガス、ほかにもあるかもしれないし複数要因の組み合わせかもしれない。今は昔、学生時代のこと。
「センパイ、タイヘンですね~。ぼくなんて花粉で一杯のバケツ(そんなのがあっても見てみたくもないが)に顔をつっこんでもくしゃみひとつ出ませんよ~。意外とセンシティブなんですね~」と憐れみにもならないことを言われた。しかしある意味、彼の観察は正しかった。

どうも私の身体感覚はかなり鈍くできているようで、例えば肩こり、打ち身、筋肉痛など進行していてもま~ったく気づかないことが今まで少なからずあった。打ち身で通院していた時は、先生に言われたことも。
「このくらいの症状ですと、普通はもっと早い段階で飛び込んでくる方が多いんですけれどね」
「・・・あのぅ、私、もしかして鈍い方かもしれません」(一応控えめに言ってみた)
「あ、そうそう、つまりそういうことです(キッパリ)。きっとそうですよ」
ニブイという言葉にすぐに反応した先生。最初はそれなりに気を遣っていたのかと思っていたら、単に言葉が浮かばなかっただけらしい。ポンと膝をたたき我が意を得たりの表情をみせた。

思うに、鈍いことは悪いことばかりでもない。今までだいたいの痛みには強い方だったし、多少の悪臭も気にならない。食べ物もそう。確かにおいしいものはおいしいけれど、別にまずくても「ま、いいか~」で終わってしまう。実は、賞味期限を過ぎている食材でもそれほど気にならない(といってしまっていいのか?)。だからか海外でも、どこで何を食べても胃の調子を悪くしたことなど一度もなく、途上国のローカルレストランだって喜んで入るし何が出ても難なくクリア。中国や東南アジアでは虫やゲテモノを食べる破目になったことも一度ならずあったが、覚悟を決めて口にした割にはまったく平気。なのに、どうして花粉(と仮定)だけには反応してしまうのだろう?

もともと秋冬が好きなこともあり、たとえ明日から日本の四季がなくなり、秋→冬→秋→冬 となったらどうなるかな~と夢想したことがある。これを聞いたカリフォルニアはサンディエゴのUさん、まじめに答えて曰く、「いやいや、四季は大切ですよ~。ここみたいに、毎朝起きて何も考えずに半袖のTシャツと短パンをはくような生活を365日続けてごらんなさい。人間、考えなくなって頭がぽ~っとしてきますからね。やっぱり四季折々の要素はあった方が断然いいですよ。」
正論である。でもそれは、四季を知っている日本人の視点。それに毎日Tシャツと短パンというのは、一部の職種だけだと思うのだが・・・。いっそハワイやサンディエゴの地元民に聞いてみれば、やはり四季がなくても彼の地がパラダイスだと胸を張りそうな気がする。


マスクはまだしも、花粉症の薬は急に眠気に襲われた経験から控えています。漢方薬はよさそうですが、近所のとってもとっても混んでいる耳鼻科に行かないともらえません。花粉症(特にくしゃみと鼻水)に効果がある市販の漢方薬をご存知の方、いらっしゃいましたらぜひ教えて下さいませ(ペコリ)。

ある種の懐かしさ

先日、とある先生の講演を拝聴する機会がありました。1時間ほど話されて質疑応答に入り、一部の質問に対して、「私にはわからない。今の私は答を持ち合わせていない。その質問に答えるには、もっとデータや証拠を積み重ねて根拠を提示していくことが科学者の責務かと思う」と答えていらっしゃいました。これを聞きながら私は、ある種の懐かしさを禁じ得ませんでした(遠い目 ~)。そこに、知らないことを知らないと明言できる科学者の姿勢をみたからです。

元理系研究者のはしくれだったわたくし。実験科学の常としてラボ*で毎日を過ごす生活から今の世界に入り、かれこれ10年近くになります。その間、社会科学や環境経済を学び、実務の世界を垣間見て、今は途上国の環境保全に関わる仕事をしています。多分野にまたがることもあるテーマなので複合的、横断的、学際的分野という方もいらっしゃいます。

自然科学の世界の内と外で過ごした経験から、いろいろな気づきや学びがあって毎日楽しいです。とはいえ驚きもないわけではありません。自然科学の世界で生きるに最低限必要なことのひとつは、当たり前ですが、「正直であること」。とりわけ自分の出した実験結果に関しては「真正直」でないといけません。なんだ、そんなことかと思われるかもしれません。しかしですね~、こういっては語弊があるかもしれませんけど、世の中、自分の仕事に対して正直に判断し動く世界ばかりではないということは、自然科学から一歩外に出た私の「カルチャーショック」でございました~。いえ、大多数のまっとうに仕事をする方なら、最初から不正直に不誠実にいこう、とは思っていないでしょう。でも、でもですね。ビジネスでもビジネス以外でも、理由はともかく、ひとつのことに対して恣意的解釈や善意の推測が入ったり、巧妙な仕掛けが入る余地が多分にある世界が存在するんですよ~(しかもそれを排除できない傾向もあるようで)。そんな高校生みたいなこと言って、なんて思わないで下さいませ~。それに、そういう世界をかきわけて泳いでいく醍醐味もまたあるのです。

一例ですが、実験科学の世界ではあるひとつのデータや実験結果を前にして解釈がひとによって180度違うなんてこと、まずなかったです。もちろんいろいろな解釈の仕方やアイディアがあるのはいいんです、むしろ歓迎されます。でもそのベクトルがその人の立場によっててんでんバラバラ、思いつきベースで、なんてことは・・・。また、データありきの世界ですから、何を考えようと証拠となるデータがないとまずいですよね。ですから、データをいじったり細工するなどということは間違ってもあってはならないのです。

ここ数年、たまに報道された論文捏造の問題点や背景はいろいろあるでしょう。当事者が所属していた大学の措置(懲戒免職とかいろいろあるようですが)を厳し過ぎるとみる向きもあるようです。もちろん、科学への信頼と発展を著しく傷つけた、という大学側の指摘はその通りだと思います。そして私は、「自然科学の掟」を破った行為への罰ではないかとみています。傾向として、とかく実験科学は忍耐と努力、体力が求められます。運もあるでしょう。もちろんだれしも、思った通りの結果が出ればうれしいものです。でもそうでないことは往々にしてあります。その場合、研究者たるもの、自然現象を前にして頭を垂れるしかないのです。「だって自然がそうなのだから仕方がない」と。

* ラボ(Laboratory → Lab → ラボ)
大学や研究所で実験装置のある研究室を指してLabと呼びます。業界用語というほどでもないかと思うのですが、念のため。

minuterie

とある会議に呼ばれて行った冬のパリ。用意された宿泊先はエッフェル塔近くのこじんまりとしたホテル。感じのいいサービスと品のいいインテリアで、数日ここに泊るのかと思うとウキウキしてきた。ただしそのウキウキ感が持続したのはエレベーターに乗るまでのこと。

映画でもみられるように、フランスの(というかヨーロッパのというべきか?)ホテルやアパルトモンのエレベーターはかなり頑丈なつくりで、ドアが二重になっている。観音開きのドアを内側に、レトロな鉄製と思しき外側のドア。このドアが結構重いのだが、これを閉めないとエレベーター自体が動かない仕組みになっているので、自分が降りたら(ホッとする前に)ドアが閉まったことを確認しなければならない。3階に着いた。エレベーターから降りようとすると、くら~~いなんてもんじゃない真っ暗な廊下…。こんなホテルは初めてである。ここで降りるの?と一瞬たじろいでしまったが、スーツケースと荷物を両手に抱えては前に進むしかない。文字通り手探りで進むが、足下を照らす灯もないから部屋の番号すらみえない。し~~んと静まり返った真っ暗な廊下(これがアジアのホテルだと、光も音もなかなか賑やかなのだが…)に立ちすくみながら、ひぇ~、ここでキーを落としでもしたらどうしよう ?! おそるおそる、ほとんど忍び足状態でいると、 パッ天井のあかりが静かに灯る。その時の安堵感はいかばかりか(ホッ…)。

そんなことは忘れていたのだが、今日、これをla minuterieというのだと初めて知った。フランスではどこでも普及している電気の自動点滅システムだそうで、辞書によると「点灯後数分で自動的に消える」とある。いいえ、数分なんてもんじゃありません。私の感覚では1分でした(キッパリ)。だいたい滞在中、廊下が明るかったことなど一度たりともない。部屋を出ようとドアを開けると廊下はいつも消灯状態。たまにエレベーターが3階で止まっていると中の灯りが漏れて「夜道」を歩く助けになっていたくらいだ。しかもパリの冬は朝8時過ぎでもまだまだ暗い。9時ごろになるとようやく日本の6時過ぎの明るさになる。だいたいホテルにいるのは夜から朝にかけてなので、しばらく「あの暗闇ホテル」と勝手に呼んでいた私(^^;)。

ところがあるとき灯りの下でよくみてみると、廊下の壁と同系色の(あれではほとんど保護色である…)パネルがあり、それに軽くタッチすれば電気がつく仕組みになっているではないか!そうだったのか~。これで必要な時に電気をつけているのね、考えてみれば何だかとっても合理的。そして省エネそのもの。そこで思った。これこそ、日本のオフィス街や高層ビル、大学にすぐにでも導入できる仕組みではないだろうか。節電、節水を呼びかけながら一日中煌煌と電気がついている無人の空間は、オフィスビル、デパート、大学でも結構多い。どちらかというと節水の方はかなり普及しているが、節電の方は工夫の余地がまだいくらでもあると思う。街のイルミネーションにはLEDが導入され、LEDは私も好きなのだがそれだけではカバーできないところもまだ多いはず。そこでこの、la minuterieの出番だと思うのです。なお、エッセイストの玉村豊男さんによると、この種の自動スイッチには1分計、2分計、3分計とあり、1分単位なのでminuterieというらしい。なるほど~。また、これはフランスの専売特許ではなくヨーロッパ各地にみられるとのこと(玉村豊男『パリ旅の雑学ノート 2冊目』より)。

ただしこのla minuterieは、「大きなホテルにはないですよ。この minuterieがついているホテルはどちらかというと格安のホテルですね」とも聞き、やっぱりね~(^^;)。ちなみにこのシステムがあるのは何もホテルだけではない。例えばトイレ。入ってカチッとドアの鍵を閉めるまで真っ暗くら~のトイレというのも、知らないとなかなか怖いものである・・・・・。

テーマ : みんなに紹介したいこと
ジャンル : ブログ

入試シーズン

2月に入り、どこも入試シーズンのようだ。都内の某大学は、先週は別の大学の入試会場になっていたが、今週から看板ひとつで某大学の入試会場に早変わり。大学も生き残りをかけているのだろうけれど、かつて地方の大学が東京で出張入試を行うことなどあっただろうか。そして、キャンパス内に設置された「付添い人控え室」。いずれも今のご時世なのか、隔世の感がある。

そういえば長かった学生時代、入試バイトが回ってくるのも例年2月だった。バイトは入試監督の補佐で、問題と解答用紙を配布し、受験票の確認、時間が来たら問題と解答用紙を回収し、最後に枚数を数えて入試事務局へ提出、というお決まりの作業。やれ鉛筆を落とした、やれ消しゴムを忘れた、時には部屋が暑いだの、入試問題に関する以外のリクエストにはできるだけ応えるスタンスゆえ、慣れないスーツに身を包んだ大学院生が教室内をちょこまか動く破目になる。その間、デンと中央の机にいる試験監督の先生は、試験前の常として受験心得なるものを読み上げる。
「時計の電卓・アラーム機能があればとめること」
「試験終了前はもう一度、解答用紙に受験番号と名前の記入忘れがないかを確認すること」
言わずもがなの項目ばかりに、律儀に読み上げる先生も実は同じ思いなのだろう、無味乾燥なトーンでの棒読みが続く。ここで、軽い冗談のひとつでもさらりととばせば場の雰囲気も和むものを~、と思ったものだが、どうもそういう考えを抱くこと自体が不遜らしい。このくらいはまだよくて、コマリモノの受験心得がひとつあった。
「試験中にトイレに行きたくなった者は黙って挙手をすること。試験官の指示に従って…」
すると心理的に誘導されるのか心配になるのか、必ず1人や2人は手が上がる。そして挙手の主が女子学生で試験開始後の場合、ほぼ百パーセント、私がお供としてついていくことに。寒い廊下、お世辞にもモダンとは言い難い目的地。落ち着いてがんばってね、とでも言おうにも、マジメそうな受験生には無用かもしれないし、逆にかえって焦りや緊張を与えるのも不本意。知らない人をトイレの前でひたすら待つという間の悪い思いをしていると、こうしてしょーももないことばかりに頭が動く(^^;)。

それでもこの季節が来ると思う。冬来たりなば春遠からじ。大学入学はほんの始まり。その先には開かれる扉もあれば未知の扉もある。なかには開かずの扉だってあるかもしれないけれど、その場合はこじ開けずともわきの塀を乗り越えるなどほかの道を探せばいい。ひとつ言えることはいろいろな可能性が待っているのだよ~。ということで、がんばれ受験生!

いただいた名前

ラマダンの季節に、インドネシアのとある村にいた時のこと。現地のNGOや村の人と話をしていた。
「XXXXXXXX (現地語) XXXXXXXX サイナァ XXXXXXXXXXXXXX サイナァ XXXXXXXX サイナァ XXXX」
途中から、村のおじさんの話にサイナァという単語がしきりに登場するようになる。唐突感が否めない上に意味不明。でも気になる。仕方なく割って入った。
「ところでそのサイナァって何?」
「君の名前だよ」
「??」
「君の名前、なかなか発音しにくいんだよね。だからサイナァにしちゃった。ラマダンだしよろしく~」
よろしくじゃないよ、それにラマダンは関係ないでしょ、と思いながら笑ってしまった。今まで私の名前は、比較的どこでも発音しやすい名前で通ってきたのだが、何でもインドネシア人にとっては発音が難しいという。以来、初対面のインドネシア人に会う時には、本来の名前のSだけがかろうじて残った「インドネシア洗礼名」を試しに使って自己紹介してみると効果覿面、驚くほどすぐに覚えてくれる。なるほど~。どうせなら一生縁のなさそうな、ミシェルとかレイチェルなんて名前を使ってみたかったけれど、サイナァ~、サイナァ~、サイナァ~(尻上がりのイントネーション、アクセントはうしろ)、自分でも繰り返し口に出してみると愛着もわくというもの(^^;)。

ちなみに、何度目かのインドネシアだったものの、ラマダンはその時が初めてだった。ラマダンって聞くとみるでは大違い。何だか日本の年末のような印象を受けた。特にラマダン明けが近づくと、街もどこかお祭りムードが漂ってくる。空港のあちらこちらにWelcome to Ramadan!のマークが賑やかに泳いでいる。Welcome to Christmas!Welcome to the New Year!とはあまり聞かないけれど、Welcome to Ramadan だとなぜかすっと馴染めた。ホント、なぜだろう?

驚き

わずかな時間でも、書店にいるとなぜか気持ちが落ち着く(一方、書店にいるとなぜかトイレに行きたくなる人も少なからずいるようですが)。混んでいないとなおさら心地よい。それに、たまに書店に行くと思わぬことに遭遇することも。ついこの前もある本を探しに青山ブックセンターに立ち寄ると、「レヴィ・ストロースの生誕100周年」という文字が飛び込んできた。曰く、「2008年11月28日 レヴィ・ストロースは100歳になりました」そ、そうだったの~~ ?!と二重の驚き。
(驚きその1) フランスの偉大な人類学者、構造主義の祖がご存命だったとはつゆ知らず…。
         『悲しき熱帯』はいつの作品だったっけ?(家でみると1955年刊行でした)
(驚きその2) わたしと同じ誕生日だった、のね…。

今年に入ってから、ものすごい勢いで本を買っている。もともと本代は惜しまない性質だが、このところ買う量だけでなくスピードも加速されている。数えたこともないが一体、週に何冊、いや「いくら」購入しているのだろう。便利なインターネット注文に頼ることも多いが、やはり書店に足を運ぶのが至福の時である。でも読むのは購入した本のうち3分の1もあるかどうか。買って1年以上読まないような、忘れ去られた本もある(そういう本に限って、時機を得て出てくる偶然もまたたのし)。それでもなぜ買うのかといえば、瞬間でも読みたいと思ったから。読みたい時に絶版になっていたり、手元にない状態だけは極力避けたいから。一方、あとで再読する本もあり、何度も手に取るうちに自分の古典となっていく。だから生きていく限り、私(と家族)の課題は本の置き場であり、私の夢(のひとつ)は将来、自分専用の書斎をもつことだ。そして今日もせっせと買う。迷わず買う。

ねこだまし

前回の続きで、北の湖ネタをいくつか。
「猫だまし」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。一種の奇策で、立ち合い直後に対戦相手の顔前で両手をパンと叩き、相手が度肝を抜かれてびっくりしている(との読みが外れることも?)隙を突いてまわしを取る、いわゆるめくらまし作戦です(後に、舞の海も何度か試みたようです)。いくら強いといえど北の湖だって人の子、苦手な力士ももちろんいました。これぞ「ザ・おすもうさん」といった風貌の富士桜や朝潮とは相性がよくなく、下手投げが強く「黄金の左」と言われたもう1人の横綱輪島とはほぼ互角でした。ところがやはり、何をしても北の湖に勝てない力士もいたのです。三重ノ海もそんなひとり。北の湖とそう変らない体格ながら横綱昇進後もなかなか勝てず、きっと考えに考えたのでしょう。ある時、立ち合いで北の湖相手に「猫だまし」で挑みます。

アナウンサー「おっ、これは猫だまし!!猫だましですねぇ」(ネコ??なんでここでネコが登場?)
解説者(○○親方)「・・・」(あまりに想定外かつ一瞬のため、見逃した可能性大)
「さあ、もう一度ビデオでみてみましょう。あ~、手を叩いています。三重ノ海、猫だましできましたが、しかし北の湖、一向に動じません!」
(注 私の記憶による再現です ^^;)。

奇策もあえなく失敗に終わった三重ノ海。一方、北の湖はというと、「何か眼の前であったようだがよくわからず、まわしを取ることだけを考えていた」みたいなことを答えていました。正攻法の多い北の湖にしてみれば、猫騙しというよりほとんど子ども騙しに近かったかもしれません。

小学生時分のある日のこと。教室で相撲好きの同級生(女の子)曰く、「この前国技館に行ってきたんだ。で北の湖の背中をたたいちゃった~」。思わず「エッ!いいなあ~」と私。相撲取りの背中に触って一体何がうれしいのか、とでも言いたげな周囲の視線を浴びながらも、すご~~~く羨ましかったのです(笑)。ちょうどその頃、「参考までに、中学入学のお祝いに何かほしいものある?」と母に聞かれた私は間髪入れず「国技館での相撲観戦!」と即答、あっさり却下の憂き目にあっています(泣笑)。言った本人は大真面目だったんですけれどね。

長じてまたある日のこと、同僚の男性と話していたら、「キタノウミ?キタノウミって誰ですか?」と真顔で聞かれ、絶句した私。私より5、6歳若いだけで北の湖を知らない日本人男性がいるなんて~!昔の大横綱と言ってみたものの、おそらく彼の頭には「北の海」の文字が浮かんでいたに違いありません。北の湖が忘れ去られていることに一抹の寂しさを感じずにはいられませんでした。そして、いつしか相撲を観なくなってしまいました。


北の湖

わたくし、子どもの頃はいっぱしの相撲ファンでございました。場所中は毎日、夕方5時からテレビ観戦を欠かさず、毎朝の新聞チェックを日課とし、お気に入りの力士が優勝しようものなら千秋楽翌日には新聞の星取表を切り取り、スクラップブックに貼って感想を書き込む、となかなかの熱の入れようでした。総じて北の湖全盛時代でしたが、幕内力士もタレント揃いで体格、得意技、持ち味が多彩な上に小兵力士も活躍し、相撲が本当に面白い時代だったと思います。輪島、高見山(初の外国人力士)、琴風、鷲羽山、麒麟児、貴ノ花(大関)、若乃花(二代目、元若三杉)、黒姫山、魁傑、増位山、三重ノ海、栃赤城、富士桜、朝潮―思いつくままに並べてみましたが、みな幾度となく北の湖と対戦していた昭和の力士です。かつて子どもが好きなものとして、「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉がありました。その大鵬と何かと比較されたほど強かった北の湖ですが、それはそれは、人気がなかったものでした(何でも、嫌いなものの代名詞として「江川、ピーマン、北の湖」という言葉が生まれたとか)。

「憎らしいほど強い」―新聞にはこの字がよく踊り、アナウンサーも興奮すると絶叫。圧倒的に強く、そしてあまりに不人気だった北の湖を象徴する言葉でした。今でも覚えているのは、初優勝を目前にした大関旭國との千秋楽対戦。どちらが勝っても優勝ですが、当時すでに何度も優勝杯を手にしていた北の湖に対して、稽古熱心な小兵の旭國は積年の悲願だった初優勝がかかっている一番。観客や視聴者からすれば勝たせてあげたいのが人情。もちろん北の湖は情け容赦しないばかりか、負かした相手に手も貸さず勝って憮然と勝ち名乗りを受けるという、期待を裏切らない徹底した悪役ぶり(笑)。そして祝福とも抗議ともとれる座布団の嵐(あの~、勝っちゃった北の湖だって稽古熱心だし、全勝優勝なんですけど~)。憎まれ役の存在は物語の世界だけではなかったようです。そうやって、勝てば勝つほど嫌われ、いなければいないで土俵が物足りない―それが余計に北の湖の安定した強さを際立たせていました。子どもの目からも、勝負の世界にいながら北の湖は実に割に合わない役目を負わされていたように映りました。そして、その理不尽さを甘んじて受けながらも淡々と仕事をこなし、勝ち続けていった北の湖はやはり真の勝負師であり、堂々たる横綱の品格が漲っていたと私は思うのです。途中、四横綱時代もありましたが長くは続かず、やはり東の横綱といえば北の湖、北の湖といえば大横綱でした。昨今、「横綱の品格」を問題提起する人々は、おそらく過去に、このような横綱の品格をどこか肌で感じた経験があり、あるいはそういう横綱の品格自体、疑う余地のなかった時代を知っているのではないでしょうか。

ここ数年、不祥事続きで落ち着かない相撲界。日本相撲協会の北の湖前理事長が、何かと矢面に立たされていたのはまだ記憶に新しいですが、お世辞にも相撲協会の対応が正しかったとは言えません。それでも私は、北の湖前理事長が、相撲協会の体制や機能について責め苦を受けていた昨年、「現役時代、あれだけ相撲の発展に貢献した大横綱に、人々はこれ以上何を求めるのだろう。その昔、もう十二分に役目を果たしたはずなのに」と複雑な思いでした。そして今はその役目が、同時代に活躍した三重ノ海や琴風に降りかかっています。確かに現役時代と協会幹部の任にある状況では役割が違いますし、彼らの責任は否めません。ただ、相撲界で生きてきた人たちは組織マネジメントには無縁だったでしょうし、経験なくして学べるほど器用でもないでしょう。それに、愚直なほど相撲にいそしみ、勝負を重ねながら次第に備わっていくもののひとつが品格なのではないでしょうか。そこで培われた感覚は、組織マネジメントや世間の常識とは相容れないかもしれません。ここまで書きながら、何ともいえないもどかしさを感じます。伝統社会について考える際の宿命かもしれません。

MUJI

週末、無印良品に行きました。足繁く通うほどではないにせよ、近くに数軒点在しているので思わず足が向いてしまうこともあります。そういう時に限って、「こういうものほしかったのよ~」というアイディア商品が見つかるうれしさを重ねていくうちに、今年になってとうとうカードを作ってしまいました。とにかく消費者志向で良心的な価格の割には機能的で優れものが多い中、今までのヒットはコレ!(とここで写真をおみせできないのがブログ初心者の哀しさ)―それは携帯用ホッチキスです。日常ではわざわざ用意するほどでもないと思っていたのが、実際持ち歩いていると出先で重宝したこともしばしば。軽いし場所とらないし、何よりその巧妙なつくりに思わず店先で唸ってしまいました。旅行用アイロンもなかなかよくできています。このつくりならスーツケースに入れる気になります。ちなみに年末に急にアイロンが壊れた我が家は、このアイロンで凌いだのでした。コインひとつで電圧切替ができる国内外対応のつくりもお見事!

無印良品に人気(?)は日本だけではないようです。ある日、私の持っていた無印良品の袋をみた友達(米国人)が叫んで曰く、Oh, I loooove MUJI!! 日本に住んで数年の彼女は、すっかりMUJIの虜になってしまったものと思われます。そう、海外では無印良品ではなくMUJIで通っているようで、香港の空港で無印良品とあったのは漢字が通じる土地柄ゆえでしょう。漢字の意味を解さない人々にとってMUJIRUSHIRYOUHINというのはいかにも覚えにくく、何より発音しにくいに違いありません。

所変って師走のパリ―それほど大きくない通りを歩いていると不意にMUJIの字が飛び込んできたうれしい驚き。店内には日本の無印良品にはない品々も散見されましたが、いかにもパリ市民に受けそうなシンプルで機能的な品々ばかり。土曜のせいか店内はかなり賑わっており、その人気に納得する一方驚いたのは、妙に多い男性客。通りを挟んで両側の2軒とも、どうみても客の半分は男性。てっきり無印良品の顧客層は女性だと思い込んでいたんですけど~。ちなみにほかのお店では、買い物中の家族をひたすら待つ男性の姿も。でもMUJIに来ている男性は品物を選ぶ目つき、時間のかけ方が半端じゃないというか何というか、とにかく主体的にしっかり買い物をしている様子。それがたまたまクリスマス前だからか、季節を問わずいつもそうなのかはわかりません。

テーマ : 伝えたい事
ジャンル : ブログ

はじめまして!


今まで折にふれて書きたいことがいろいろありました。その度に、言葉にしたいことが浮かんでは消え、時にはその一握りがかろうじて形をとどめ、それでも活字媒体に残るのは人生のごく一瞬の表象に過ぎません。そこで昨年から、(1)手軽に始められる、(2)フィードバックを受けやすい(どちらも希望的観測)、の2点を理由にブログ開設をチラホラ考えるようになったものの、気づくと新年を迎えていました。この際、始めるなら区切りのいい4月にと思い直したり、周囲に「ブログしようかな~」と打ち明けたり(そんなことをしている間にサッと始めればいいのだが…)していたところ、ふと「1月は急ぐ、2月は逃げる、3月は去る」の言葉が目に留まりました。すわ大変、時間よとまれ!最後は、勝間和代さんと女性科学者スペース2のsachiさんのお二方に、ポンと背中を後押しされたように思います。前置きが長くなりました。ともあれワクワクしながら本日より始めます。

ブログの名前ですが、これがまたネーミングの苦手な私にはことさら難しいんですね~。
日曜の午後、ぶらりと立ち寄った図書館で書棚を眺めていました。最初に目に入ったのは柳美里さんの『言葉は静かに踊る』、続いてページを開くと「私は本に恋している」というくだり。これが妙にストン(←腑に落ちた音)と響いたのか、心底共感してしまいました。このブログを通して、私も言葉を躍動させながら自分の思いを綴ってみようと思います。

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プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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