なにげない一言

今日は普通に職場でした。今週は仕事です。仕事自体は楽しいのでまぁいいのですが、問題は、
家に残された家族・・・。というわけで、

家族よ、ごめんなさい~  という1週間の折り返し地点です。

さて、そんな今日、職場で話している途中に唐突に言われてしまった一言。

「違いますよ~。そこは引くのではなむしろ強く押すべきところです。あなたはもっと言っていい。
その控えめさが、Sainahさんの最大の問題ですね~」

ん?最大のって、まだほかにあるの?
それに控えめと言われても、それほど控えめではないことは、私を知る方はよ~くご存知かと(^^;)。
それでも、日本人としては常識的なラインを超えていない図々しさか(もしれない←すでに弱気)と自負していたのですが。

もちろんこれは相対的な見方で、確かに彼は「適度によくしゃべる」。また礼儀正しく、基本的に自己主張はしっかりするしいつもアサーティブ(時々間違った方向に暴走するが?)。例えばミーティングでは必ず意見をきちんと言うし、何となく彼の言うことに周囲が耳を傾ける雰囲気も。そういう場を形成してしまう能力とは何だろう。私もそうありたい。

それにしてもアッサリ言うよな~(一応、後輩かと )。
といってもまあ、そんな概念こちらもほとんどなかったけれど、彼はもっとないかもしれない。

最近、何気なくいともアッサリ言われたことにドキッとさせられることが多い。
そういう時に限って、言った本人は「何かあった?どうしたの、Sainahさん?」と、
いたって涼しい顔をしているのです。どこか心の琴線が、敏感になっているのでしょうか?







書けない理系?

木曜朝のことだった。いつもより1時間ほど早く目が覚めた。その日は早く出ることもあって、ちょっと急いでいた。いつも以上にサッと朝刊に目を通してダッシュ、のはずが、最後の最後にこんな節が目にとまってしまった。
「氏は書ける理系の学者なのである」

WHAT??(← あまりに驚くと英語になる習性アリ)

そのまま家を出て歩きながら道々考えた。
書ける理系の学者、書ける理系の学者、書ける理系の学者・・・
頭の中でこだまし、しばし離れない。なにせ、「書ける」の横にはご丁寧に傍点まで打ってあったのだから。

ある科学者が素人向けにもわかる本を書いている、という流れで、締めくくりの言葉がコレだ。記事の書き手は翻訳家、とある。聞き覚えのある名前だが、そんなことより言葉のプロによって書かれた表現だけに、どうもひっかかったし、自分の中で妙に重く響いた。

なぜか。

これにはあるメッセージが込められていたと感じたからだ。そのメッセージとはまさに、

理系の人には、学者でもものを書けない人が多い。学者でなければいわずもがな・・・

となれば、理系出身としては心穏やかでないというか、ピクッと反応してしまうではないか。

今の時代、よほどの専門性を要求される場面でなければ、基本的に理系も文系もないと思っていた。少なくとも、仮にPC操作の覚束ない文系の人がいたとして、仕事をする上で話にならないとすれば、きちんとした文章を書けない理系の人とて、同じであろう。また、個人的には、科学者ならば書けるのは当たり前だと思っていたし、今でもそう確信している。彼らにとって書くのは仕事の一部である。私の知る限り、科学者ならば時間さえあれば、いや時間を捻出して書いている、といってよい。書くことだけではない。当然、「読む」と「書く」がセットである。それはもう、論文だけでなくグラント申請、報告書ほか諸々、偉い先生になれば○○委員会の仕事、頼まれ原稿の執筆、大学なら講義の準備、特許関係の書類まで加わる。ほかにももっとあるかもしれない。

件の翻訳家は、その科学者は専門家だけでなく素人向けにもわかるような本を書ける、と単にいいたかったのかもしれない。それでも、理系に対する偏見を感じ取ってしまった。理系の人の文章は、そもそもわかりやすいのだ。なぜか。読者に一義的に伝わらなくては意味がない、とどこかで思っている。だから、Simple is best. の考えが染み付いているのだ。文章に幅がなく面白くないといえばそれまでだが、二通り以上に解釈可能な書き方をしたら、書き手が悪いと思われるのがオチだ。それに、両方の世界をみてきた私にいわせれば、一般的な傾向として、社会学や社会科学の文章の方がはるかに難解で(reader-friendlyでないというか、はっきりいってメッセージがつかみにくい・・・)、読み通すのにエネルギーを要することが多いのですが・・・。

ただ、理系の書いた文章を遠ざける一因は、難解な専門用語だと考えられる。そこで、通訳のような存在が求められる。日本では、政治経済や国際関係等、ほかの分野だと当然のごとくいるジャーナリストだが、まだ科学ジャーナリストが少ない。科学コミュニケーター育成のニーズが叫ばれているのも、それを反映してのことだろう。ただ、そういう人材が育つにはなにせ時間がかかる。その間、どうすればいいのか、何ができるのか。まず、専門用語を伝える側(科学者、大学院生)は、わかりやすく伝わる何通りかの簡潔な説明方法を試みるよう努めること。そして受け手(直接間接に関連する立場の人、大学生も含め)は、自ら理解を深める努力をすること。そういった双方向の歩み寄りが、現段階では最低限必要だ。ここで、科学ジャーナリストやコミュニケーターの卵に、早期から活躍の場を与えること、もいれておこう。幸い今は、ITの力を借りて、高校生でもかなりのことが自分で調べられる。科学のグローバル語である英語がわかれば、理解はもっと広がる。基本は、何だろう? → なぜだろう? → 知りたい → 調べて必要なら精査する、の繰り返しで、この積み重ねが科学リテラシーの向上にもつながるのではないだろうか。

専門用語に関してもう1点。ある専門用語を話したり書く時に、難解だと思っていない専門家も確かにいる。たとえ自覚のある人でも、その用語がドンピシャと言い当てた言葉だと信じていれば、躊躇なく使うだろう。まして、ある程度世界に認知された言葉なら(あるいは認知されるべきと信じていれば?)、なおさらである。かつて、DNAだって最初は何それ?の世界だった。でもデオキシリボ核酸といって理解が深まるわけではない。遺伝子の本体とか塩基配列がどうだとか、説明を要していた時代がしばらくあったのだ。それが今では、DNAなら小学生でも知っているし、やや飛躍的な文脈であろうとなかどうと普通に雑誌の文章にまで出てきて、しかも注釈もつかない。ほかにもフラクタル、五次元の世界など、いずれも最初に出てきたときはやはり「何それ?」だった。新しいこと、独創的なことが科学の本質なのだから、こればかりは仕方のないことかもしれない。それに、知らない言葉が出てきても、詳しいことはともかく、ざっとポイントがつかめればいいのだ。私は言葉は好きだが、言葉に囚われすぎる姿勢はいかがなものかと思う。科学に限らない。かつて、パラダイムの「正確な日本語訳」を真顔で聞かれたことがあったが、今はそんな社会人はまずいない(と思いたい)。

本業以外に政府の仕事もされている、とある化学系の先生は、「米国では、環境省や農業省の役人でも、かなり専門的な内容に対しても科学的なものの見方を共有し、理解しています。残念ながら日本の役人には、そういった傾向があまりに乏しく、あるいはないのが当たり前で、この差は何なのかと考えてしまいます。こうなると重要なことでも、実際に政策に反映させていくには時間があまりにかかるし、極めて難しい局面が多いのです」とぼやいてらした。本心であり、本当だと思う。おそらく、科学リテラシーのことを言外に含まれていた気もする。

件の翻訳者については、周囲にたまたまいわゆる書ける理系の人がいなかったのだと思いたい。深読みしてしまっていたら、ごめんなさい(?!)ですが、思うところを書いてみた雨の日でした。





思いがけない再会

先日あったPTA関連のミーティング。仕事を持つ身にはややキツイのだが、そこはお互い様と引き受けた、とある係の会合であった。全学年の係が集まったので20人ほど。中には働いているお父さんの姿もチラホラ。

幸い、その会議はサッと終わったので、やおら駅へ向かおうとしたところ、不意に声をかけられた。何とも懐かしい、中学時代の同級生だった!彼女とは親しくしていたのだが、高校から別れてしまったことと、その後の私の度重なる引越しで、どこにいるかつかめないでいたのだ。一般に、学校の門を入った途端に、表情のスイッチが保護者の顔に切り替わる親は少なくない。久しぶりだったことに加え、彼女も「お母さん」の顔をしていたので、ぼ~としていた私はピンとこなかったのだ。いやぁ、それにしても会えてうれしかった!その係を引き受けてよかった、と二人で笑いながら話した次第。あまり学校に行かない私としては、まさにそうである。









左利き

一昨日の新聞に、左利きの話が出ていた。

  国や人種を問わず、約9割が右利きだが、右利きが多い理由として諸説あるという。
  遺伝子説・・・右手を動かすのは左脳だが、言語を操る人間が言語中枢のある左脳を進化させるのに伴い、自然に右利きが増えてきた。(*1)その過程で大きく関与したのが遺伝子の働き。
  環境説・・・胎児期や出産時に脳への圧迫などを受けた際に、後天的に利き手が決まる。
  その他の諸説・・・脳内ホルモンの影響、あるいは、心臓のある体の左側を左手で守りながら
  右手を働かせていた結果、などなど(*2)。              
                                        (4月18日 日経プラス1より)

よく外国の政治家やスポーツ選手が左手でサインをしている様子を目にする(確か、オバマ大統領も左利きだったような?)ので、日本でも諸外国でも左利きは1割程度だとはちょっと意外だった。米国では左利きの人を多く見たし、何より左利きが立派な市民権を得ていると感じていたこともある。というのも、大都市でなくても、左利き用のペンやはさみ、キッチン用品が、当たり前のように出回っていた。選択肢が示されていることは、左利きが排除されていない社会をみるようで何だかうれしいものである。

実は私も学齢期前までは左利きだった。当時、明治生まれの祖母に「左利きではお嫁にいけない」と言われた(!)のを発端に、幼稚園の先生や母に矯正されたらしい。お陰で、学校での習字で苦労するわ、硬筆でもふにゃふにゃしたアンバランスな字しか書けないわ、いいことはあまりなく、手書き礼讃の風潮を恨めしく思ったことも。それだけに、ワープロやPCの登場は私にとって天の救いとも思えた、画期的なことだった。自筆でないと心がこもっていない、という声など、もはや耳に入らなくなっていったのも今は昔のこと。もし今でも自筆しか書く手段がなかったら、ものを書かない人間になっていたかもしれなかったのだ。そう思うと、技術の進歩って素晴らしい~。

さらに私の家族は、私以外はみな左利きである(*3)。となるとこれはもう、遺伝かとも思えてしまう。同世代だった保育園の先生に、子どものことで何度か念を押すように聞かれたものだった。「利き手を(右に)直さなくてもいいですか?」「ホントにいいんですね?」ホントに、の真意を聞いてみたかったがともかく、もちろん答えはノーだった。



*1 ここで、遺伝子とするには飛躍がある気がするが、まあいいとしよう。
*2 もうこうなると、だれか科学記者が書いた記事を読みたい~、と思ってしまうのだが・・・。
*3 そのため我が家では外食時、利き手によって座席が自動的に決まってしまう仕組みが、いつの間にかできていた。ベンリというか変わり映えしないというべきか?





忘れていた

じ、実は(←こういう文頭の書き出しが多いかも?)、小さいながら家庭菜園なるものをしています。
いえ、していました。ええ、していたはずでした・・・・。

それが、4月に入ってのドサクサや慌しさも手伝って、しばしの間、忘れ切っていました。何をかというとそれは、収穫すること・・・。ある時まで、毎日とはいわずとも、時々みるにはみていたんです。収穫を待つ、数種類の野菜の姿を。大きくなったな~、そろそろ抜かなきゃな~。そう思ったのも束の間、殊にそれが夜だったりすると、この時間に出て行くのは気が進まないし、近所の人に怪しまれるかもしれない、それに雨が降った後の方が抜きやすくていいかな~、などなど、たくさんの言い訳が自分の中で生まれては消えた1~2週間。それに、出勤前の朝は庭で労働する気にならないし、そもそも頭がそこに向いていなかったのでございます(^^;)。生き物なのにごめんなさい!(←重さに耐えていたほうれん草とそれを支えていた土壌よ)

そこで、この待ちに待った晴天の日曜、ようやく抜いたのが、これ(↓)。

              spinachi_convert_20090419223756.jpg

ほうれん草ってこんなに大きくなるものだったんだ~。スケール代わりにオレンジを置いてみたりして。

ええ、そうです。ただ抜けばいいだけだったのです。獲るべき時期に抜かずに放っておくと、こんなサイズのほうれん草になるのか、と・・・。それにしても、一体この茎の太さはなに?

次なる問題。これだけのほうれん草を、だれが食べるのでしょう?と思って、半分以上をお裾分け(になっていない?)した残りでコレです。そもそも、薹が立ったこんな代物は、果たして食用になるのでしょうか?(ここでブツブツ自問していないでまずは食べてみれ、とポチ  )。かくして、大地の恵みを前に、少し悩んでおります。まあこの悩みも、ほどなくして忘れそうですが・・・(^^;)。




買い物の向こうに

本日の日経新聞朝刊(消費欄)に、買い物を通じて社会貢献できる商品についての記事があった。食料品のほかにフェアトレード、本の印税(勝間和代さんが始めたプログラム)など、利益の一部を途上国への寄付に回す仕組みだ。少々高くても、趣旨に共感した消費者が購入するなど、動きが静かに広がっているらしい。無印良品が母の日プレゼント向けに発売したフェアトレードのカーネーションは、計画比35%増の売れ行きとか。「静かに広がっている」といっても、こういうものはその普及といかに回し続けていくか、が鍵である。それだけに、アイディアが問われるところだ。

だから、というわけでもないのだが、成り行きでフェアトレードのコーヒーを今日買うことに。東チモール産とあるが、それを持っての帰宅中、ずっと香りが漂っている。コーヒー通でもない私だが、どこの国にいってもある限り、必ず地元のコーヒーを試していた。今まで美味しかったのは、イタリアとベトナムのコーヒー、ユニークだったのはラオス、やっぱりねと思ったのはアメリカ。だから今日のコーヒーがどんな味がするのか、ちょっと楽しみでもある。




廃校

4月14日の日経新聞夕刊によると、統合で使われなくなった北海道新冠町の小学校4校が、この度ネット競売にかけられるという。翌朝のニュースでも報じられていた。そのことで、思い出したことがある。

      ****************************************************

かれこれ10余年前になるだろうか。知人のHさんご夫妻を訪ねて、北海道のとある町を訪れたことがあった。ちょうど札幌の学会に行った帰りだったので、特に決められたスケジュールや時間的制約もなく、その日のうちに着けばよかった。札幌からローカル電車に揺られてひとりゴットンゴットンいく、のどかな旅だった。ゆったり流れる時間こそが学生の特権である。

Hさんは陶芸家。奥様も絵付けをされ、お子さんもその道の学校に通う芸術家一家。陶芸の材料となる土といい環境を求め、関西からの移住先として選んだのが、北海道の地。しかも小学校の廃校を購入して改造、自宅兼仕事場としたのだ。

夕暮れ前、駅まで迎えに来てくださったHさんの軽トラックに乗る。車社会だろうに、車の数は圧倒的に少なくみえ駅前も静かだ(駅前だから、静かなのかもしれないが)。走りながら町中の様子を眺めても、忘れていたかのようにたまに信号がお目見えするくらいで、その光景はアメリカの片田舎のようだ。それでも、まばらに走る車が地域の足であることには変わりない。そのうちに道路沿いにみえてきた元廃校の影。元学校だからか、学校にしてはというべきか、ともかくまあ広いこと広いこと。車から降りて「玄関」の前に立ってみても、校庭という言葉がミスマッチに聞こえるほど広大な敷地である。遠くに草を食む牛はちらほらみえたものの、そもそも柵や境界もない上に、お隣さんがいない(いたとしても1kmくらいむこうか?)ものだから、どこまでが敷地だったのだろう。そして、陸上トラックのない校庭が新鮮だった。

玄関を入って最初に通された居間は、明らかに元職員室と思しき一室である。小学校の職員室の光景がよみがえるような縦の広がりだ。大きな黒板を背に居間のスペースがしつらえられてあり、掘りごたつがおかれてあった。そこにいるだけで気が休まるというもの。そして元職員室を出て廊下を進むと、子ども部屋が並び、仕事場があり、作品の保管場所があり、それでもまだ部屋が余っている。当時、19歳から3歳までの5人のお子さんのいた大家族のHさん一家だが、当然この住居では、まったく狭さを感じる余地もない。「廊下を走らない」とある廊下に、陶芸の窯が鎮座ましましていた光景が、何とも微笑ましかった。

夜は近くの温泉に連れて行かれた。それがまた、自然の中で星の美しい露天風呂  と、そこまではよかったのだが、ナント  札幌でも会っていた知人を含む男性集団が、同じお湯に入ってくるではないか!しかも、その一群は、やおら頭にタオルを乗せてゆっくり浸かっている上に、一方的に歌まで聴かされる始末。若いのにおじさんそのものである。混浴だとはつゆ知らず、教えてよ、Hさん・・・(そのHさんは違う湯に入っていた)。こんなところで声かけられないし、彼らとて気持ちよさそうに出る気配すらみせない。もう、仕方なく機会を窺いながら、ゆでたこ寸前になる手前で、Hさんのお子さんと湯気の力も借りながら、「ちょっとメ、めがねを忘れて(←温泉でメガネをかけていないのが普通なだけでなく、本当は裸眼1.5であった私…)」と、あまりにわざとらしく逃げ切ったのだった。まさか札幌から数時間も離れたところのひなびた温泉で、知った人に会うとは…(汗)。温泉に行ったはずなのにゆっくり温まることもできず、なのにサウナ以上の大汗をかいた北の大地での月明かりの晩でございました。

     ****************************************************

Hさんは今でも時々、東京で個展を開かれる。あの時のおいしかった空気やメロンの味、愛くるしかったこどもなど、楽しくて余りある思い出を胸に、いそいそとHさんの個展に足を運ぶ。今年もそろそろ、個展の時期でしょうか。



小躍り

はるか昔の高校時代(授業中 ^^;)に読んだ本の多くは忘れてしまったが、今でもはっきり覚えている本が数冊ある。その1冊が、藤原正彦氏の『若き数学者のアメリカ』だった。

私は科学者の書いた本や科学に関する本が好きでよく読んだものだが、数学者の本はあまり興味がもてなかった。それだけに、どちらかというと「ついでに」読みかけたはずのこの本を一気に読み終えた時は感動し、素直に面白いと思った。なぜ、感動したのだろうか。ひとつには、数学者も文章を書くのだと知り、またそれを新鮮に感じたこと。これは、今思うまでもなく当たり前のことなのだが、若気の至りとして赤面しながら思い出す。またこれは後年になってのことだが、彼の愛国心や時折顔を出す「急性愛国病」が、私には妙に共感できてしまうのだ。今まで自分でも、「おっ、出てきた急性愛国病」と苦笑してしまう瞬間が一度ならずともあった。そして、その度にそれを野放しにしたり、もぐら叩きのごとく隠そうとしたりと躍起になっていたことを、告白しなければならない。

ともかく「数学者がものを書く」とわかって以来、書店に足を運ぶとたまに藤原氏の本が出ていて、その度に購入しては楽しんだ。サウダーデについて初めて知ったのも、そんな1冊に収められていたエッセイ「父の旅 私の旅」だった。藤原氏のご尊父新田次郎氏は小説『孤愁―サウダーデ』を新聞連載中に帰らぬ人となったという。遺された新田氏の取材ノートを携えて、生前のポルトガルの旅を追い、サウダーデに対する想いを綴ったのが「父の旅 私の旅」だった。このエッセイを読んだ時、きっと『孤愁―サウダーデ』はご子息の藤原正彦氏によって完成をみるのだろう、そうでなければならない、と思った。そのうち、早く読んでみたいと思うようになっていた。

藤原先生の退官講演があると文芸春秋誌上で知った時、定年後は、つまらない(?)頼まれ仕事をするのではなく、もっともっと書いてほしい。人の人生なのに大変恐縮だが、勝手にそう思っていた。すると今月の文芸春秋で収録された講演では、執筆活動を続ける、とあり胸をなでおろした。
さらに
「それからもうひとつ取り組みたい作品があります。父が亡くなるまで毎日新聞に連載していた『孤愁―サウダーデ』です。未完成の絶筆となりました。(中略)父の無念を受け継ぎ未完成だった後半部分を私が執筆して、亡くなって三十年になる来年に刊行させたいと思っています。」
(2009年5月号文芸春秋「父・新田次郎の背を追って」より)
とあり、小躍りした次第。来年に出るということは、既に構想は練っており、もしかして書き進めているかもしれないではないか!





poor language?

「だって、英語ってpoor languageでしょ」
金曜の昼下がり、話の流れでランチ仲間のひとりがこう発したのを聞き、「まぁ、ある意味そうかもね~」とどこかで納得しかけている自分がいた。このセリフを聞いたのは今日が最初ではない。布石だったのか、そういえば昨年も同じようなことを聞いたことがあった。

最初の発言の主マフラと出会ったのは、初夏の東京だった。リスボンで働くポルトガル人女性。25歳で市議会議員に当選したが、ある時「このままでは自分が成長できない」という焦燥感から、一度は政治の世界から退いた。30代半ばの今は、とあるオフィスで働きながらキャリアアップを図るが、それでもいずれは政治の世界に戻りたいと話す。小柄ながら、気持ちのいいほどエネルギッシュな女性だ。

ポルトガルに行ったことがない私の想像力をもってしては、ポルトガルと聞いて思い浮かぶのは、フランシスコ・ザビエルとカステラ発祥の地、くらいか。そこで、何かもうひとつくらいないかと考えをめぐらせ思い出したのは、新田次郎の遺作となった未完の小説『孤愁―サウダーデ』だった。小説の主人公は、故国ポルトガルを想いながら日本で亡くなった文人モラエス(1854-1929)。この小説と共に「サウダーデ」という言葉を初めて知った。これについては、新田次郎のご子息、藤原正彦氏の記述を拝借しよう。

  サウダーデというのは、ポルトガル人特有の感情を表わす言葉として、よく引用されるもの
  である。対応する日本語や英語はないが、「愛する人やものの不在により引き起こされる、
  胸の疼くような、あるいは甘いメランコリックな思い出や懐かしさ」、と言われている。望郷、
  懐かしさ、会いたいが会えない切なさ、などはみなサウダーデである。単なる悲哀ではなく、
  甘美さと表裏一体をなしているのが、この言葉の特色である。
                                 (藤原正彦『数学者の休憩時間』より)

もし「あなたにとってのサウダーデは何か」と聞かれれば、人によっていかようにも異なってくるらしい。最愛の家族や子どもだったり、届かない世界だったり、変えられないが狂おしいほど懐かしい過去だったりと、その人の心情や想いを映し出す鏡のようなものかもしれない。

そこで、モラエスと同郷のマフラ相手にそのサウダーデをもち出してみたところ、4ヶ国語を話す彼女ですら、「サウダーデね、あれだけはなかなか訳せない言葉なのよね~」とすでに遠い目をしている。そしてやおら切り出した。
「英語って貧弱な言葉でしょ。ひとつの単語がいくつも意味をもつのは便利でいいけれど、ポルトガル語やスペイン語、フランス語や日本語に比べたら、英語は断然、表現や言葉が貧しいわよ」
English is a poor language. (*1)と言い切ったセリフを聞いた時は、内心驚きながらも、どこか妙に腑に落ちたのか、メモメモ  と頭の中で叫んでいた(^^;)。

そしてまた、冒頭のセリフ。ちなみに二人とも欧州人で、大陸でもどちらかといえば小国の出身である。それでも言葉や文化に対する自負はものすごい。
「私たちの言語(*2)には、英語では表現しようがない言葉がいくらでもあるのよ」
あたかも、背負った歴史が違うと言わんばかりの言いぶりだ。確かに、日本語でも大和言葉を出すまでもなく、英語には変換できない言葉がある。たとえば「侘び、寂」の意味するところを本能的に理解できても説明は難しい。「切ない」などもそうかもしれない。一方、英語にあって日本語にない言葉だってある、と人はいう。プライバシー、インテリジェンス、などは一例かもしれない。それでも、プライバシーと表記すれば、その含蓄し意味するところは自ずと通じてしまうのが、日本語の特徴であり幅でもあるかと思う。

英語の構造は確かに平易だし、動詞の変化も少ない。だからこそ、ここまで普及したのかもしれない。もしかしたら、重要だが十分でない、というのは、メッセージを伝えるには英語は重要だが、それ以上の次元では世界語といえど英語だけでは事足りないということだろう、か。


*1 これには後日談がある。気心の知れた米国人に、このことを軽く(それでも一応、オブラートに包んで ^^;)話して反応をみたら、「そうなんです。英語はほかの言語に比べれば、実に浅い言葉であると言わざるを得ません」と、実に情けない反応をしてみせた。もっと反論がほしかったわたくし・・・。

*2 「私たちの言語」として、当然のごとく日本語が含まれることにさりげに喜びを覚えてしまう私(^^;)。彼らとて日本語をどの程度知っているかは定かではないし、リップサービスかもしれない。だからといって日本語は問題外と一笑に付されるわけでもない。日本語は、歴史的にもそれなりの価値が認識された言語であると、単純な私は勝手に解釈している。



お詫び

う~、あれやこれやと書きたいことはあるのですが、今はなかなか時間的にきつく、お許しを請わなければならない状況です。できるところから少しずつ進めてみます。






言葉

「私は人間というのはそれぞれみな、まだ発掘されていない財宝のような存在だと固く信じている。
人それぞれに限りない可能性を秘めている。」
                                   -『ムハマド・ユヌス自伝』 (295頁)
















一次資料

引用に関連して俄に思い出したことがあった。今日はその話について。

もう数年前になるが、柳澤桂子さんの本を読んでいて、目がとまった箇所があった。柳澤さんは科学者としてご活躍中の若い頃に原因不明の難病にかかり、闘病生活をしながら執筆活動を続けてこられた方だ。その闘病や回復、執筆生活などのご様子がNHKで取り上げられたため、ご存知の方も少なくないかと思う。正確には覚えていないが、確かこんな書き方をされていた。
「できるだけきちんとした情報源を使うべく努めたが、病身ゆえ、必ずしも一次資料ばかりではなく、なかにはインターネットをはじめ二次資料の助けを借りたものもある。体の自由がきかないため、お許しいただきたい」
さらっと書かれていたが、私はこのくだりを目にした時、科学を生業としていた人の真髄をみた思いだった。どちらかというとエッセイ風ともいえる読み物である。どのような読者層を想定しようとも、一次資料の重要性が頭の片隅にあり、敢えてそこまで(しかも自然に)言及する姿勢に、静かに感銘を受けた。


一方、こんなこともあった。とある有識者と思しき方が、公開の場でこのように話し始めた。
「今お話したことに関連して、私とジャーナリストの○○さんの二人で本当にいろいろ考えて、考えに考え抜いて作成した提言があるので、ご紹介します。これは先日、△△ に提出しました」
との前置きで始まった「私たちの提言」の内容を聞いて、一瞬、耳を疑った。ナント、ちょうどその数ヶ月前に、米国のとある著名人(仮にA氏としよう)が力強く語っていた表現の「翻訳」だったからだ。腑に落ちないとはこのことである。

その表現を私が最初に知ったのは、偶然目にした新聞の小さな囲み記事だった。新聞に取り上げられるくらいだから、おそらくA氏だって機会あるごとに話していたに違いない。確かに英語であれ日本語であれ、それなりに心に響く言い回しではある。それだけにそのメッセージの受け手が、余程印象に残って、ぜひどこかで使ってみたいと思っていたのか、あるいは思わず使ってしまったとしても、その気持ちはわからなくもない。しかしそれなら、「二人で知恵を絞って考えた」などの枕詞を添えなければいいではないか。そもそも、私が直感で翻訳したと思ったそのフレーズは、どう考えてもだれもが容易に思いつく表現ではなかったのだから。おまけに、どこぞに自分たちの提言として提出しちゃった、らしい(パーティートークやちょっとやそっとの立ち話ならまだしも)。これだからジャーナリストは恐るべし。怖いもの知らずであるという意味でも、また書いたものを安心して読めないという意味でも。

人によっては、この程度のことは何とも思わないかもしれず、議論の分かれるところだろう。もちろん、お二方がA氏と接点があったとしても何ら不思議ではない。もしかしたら、二人のうちどちらかは本当に知らないで考えたのか、原典を知っていたもうひとりが明かさなかったのか、その辺りはよくわからない。それでも私は、この件もあって、どこか自称ジャーナリストの書くものに百パーセントの信をおけない節がある。私とて、偶然、最初に記事をみた後で(数ヶ月のタイムラグはあったが)その「翻訳」を耳にしたにすぎない。たまたま、アンテナに引っかかっただけかもしれない。むしろ確率的には、聞かずに済んだかもしれなかったのだが、いかんせん聞いてしまったのだから、こればかりは致し方ない。



ブログでの引用

ときどき、聞いたり読んだりした中で心に残った言葉を、ブログで紹介してみようと思っていました。それでも著作権もあるし、こういうことってどうなのかしら?と思っていたら、たまたま今朝の日経にタイムリーな記事「ブログで書籍の要約をしたい 著作権侵害になる?」を発見。2009年4月4日の日経プラス1です。

・ 著作権の保護期間は、原則として著作者の死後50年まで。ある程度の長さの著作物を短く要約する翻案も著作者の権利になっている。
・ 新聞の読書欄のように何が書いてあるかを紹介する程度の要旨ならば、著作物の翻案とはいえず、著作権法違反ではない。ところがこの、要約と要旨の区別は難しい。要約は原作品を読まなくて著作者の思想や感情がわかったと感じさせる内容で、要旨は原作品を読む意欲を起こさせる内容というのが一般的な解釈である。

ここまでは、要旨はOKだが要約は一概には言えない、というところだろうか。さらに記事は続く。

・ 文章の要約や抜粋がなければ、感想や論評の意味が伝わりにくいこともある。そのため、著作権法では著作物を無断利用できる例外規定のひとつとして「引用」を認めている。
・ 引用の条件について、引用部分と、論評や感想の部分の関係が重要。ブログで公開する文章の中心が論評や感想であれば問題ないが、ほとんどが本の要約で論評や感想部分がわずかしかなければ引用と認められない。
・ 引用と認められるには、原作品の出所の明示や引用部分が明確に区別できるようにする必要がある。ただこうした条件を満たしていても、引用が著者の考えと異なる要約になっていれば、著作権法違反になる可能性がある。

結局、注意して引用しましょう、ということだろう。

今まで、細々とではあるが論文等を書いてきたこともあり、こういうことに敏感にならざるを得ない。というか研究者やものを書く人ならだれでもそうだろう。米国の大学院で最初に強く指導(勧告?)されたことも、この手のことだった。言わずもがなのことだが、それでも米国では、分野を問わず遅くとも大学から徹底的に指導されている。だから学生のコピペが問題になる昨今の風潮は、ちょっと日本らしいと私は感じる。

ということで、そのうち少しずつ引用&要旨で紹介してみたいと思っています。


トルコの香り

先月半ば、急遽、真正面から取り組まざるを得なくなってしまった、とある仕事

問題は、よりによって頼みの上司が出張中だったことだ。そこでやむなく、出張先のトルコと東京で、あれやこれやの問答ややり取りが朝に晩に続いた。こちらの昼間は、向こうは就寝時間のはずだが、「時差ぼけもあるし、遠慮なく何時でも連絡していいから」と件の上司。ほぼ「ねばり臨戦態勢」を余儀なくされ、本当に遠慮なく起こしてしまったことも。そうこうするうちに、他方面から横槍が入り、またバンコクも加わるなど、かなりの乱戦模様 。3箇所と行き来するやりとりに、ひたすらない知恵を絞り一人うなされたことも…。そこへ、最後には救いの手と一筋の光が差し込み、めでたく窮地を脱出~。期せずして格闘する破目になりながらも何とか無事終了。終わりよければすべてよし(と言っていいのかどうか?)。

すべてが終わって、ホッと一息ついた頃、手にしたトルコのお菓子がコレ。

              トルコ菓子_convert_20090402232058

中はいかにもカラフル  で鮮やかな4色・・・。

              中味


この、間接的な戦利品(←戦った相手は上司ではないので ^^;)が、これまた何ともフシギな味なのだ…。歯磨きをしながら北海道トラピスト・バター飴をなめている最中に酢の物が加わった味?言葉にできないのがもどかしい(最大限表現したつもりが・・・)。Turkish Delightってトルコのよろこび?確かに、トルコの香りをかぐことができたようで、ちょっとうれしい、ともいえなくもない・・・。いつの日か、イスラマバードに行ってみたいものだ(と書きながら、つぎ足し的な結論になってしまったことを反省)。


プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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