寝坊


思いっきり寝坊した。7時40分。一瞬、土曜の朝かと思った。どうもまだ週末ではなさそうだ(←まだ寝ぼけている)。・・・金曜だ!すわタイヘン

といえど、そこで焦りまくるわけでもない。もうあまりに遅れているので、焦る気すらおきず、ほとんど開き直っている模様(←ちょっと外から自分を眺めている)。落ち着いてから、しっかり朝食も食べてしまう。それでも結局、定刻10分過ぎに到着。いつもはうんと早めについているから、まあ救われたというかセーフでよかった?(よくないよくない 

それにしても、
いつもと同じ道なのに、時間帯が違うからか駅までの道々、違った光景が広がっているようにみえる。昼食にするのだろうかパンを買ってでてくる開業医の先生にお会いしたり、美容院が開店前だったりとか。世の中が始動しているのを感じる。何ら大きく変わることなく。



試してみる


先日、国際協力に関する会合で、某大学の先生がポツリとおっしゃった。
「援助は、世界最後のセイフティネットともいえるのに、日本は援助でも新しいこと、イノベイィブなことへの拒否感がどうしても強い。しきりに旧来の様式を残すのが好きなので、日本の援助はガラパゴス化しつつありますね」

ドイツや欧州の援助機関が、アフリカで実験的に行った事例を出したときの説明だった。従来とは違うことでも実験的にやってみようという姿勢が極めて少ない、という指摘が、私にとって軽いショックだったと同時に、薄々感じていたことでもあったので、「日本よ、お前もか」と思った。そして、「そうか、これだったんだ。私のモヤモヤ感は!」と、妙に腑に落ちてしまった。

そこにはまた、援助に携わる人のベクトルが、簡単にいえば援助を届ける人ではなくドナーを向いているからだ、という説明も加えられた。あたっていると思う。ドナーを向いていないのも問題だが、ドナーしか向いていないのはもっと危険だ。これが企業だったら、顧客や消費者の意向を無視して、株主や企業の重役の顔色を伺っているようなもの、ということになってしまう。

国際協力の世界にいる人は、立場の差はあれどやはりよく働くし、何よりよく考えている。そういう人たちには、これから援助のあり方を変えていくパワーが潜んでいると、私は半ば信じているし信じたいと思う。その思いがゆらぐときも、ないではないけれど。


コーヒー指標


先日、ランチに飛び込んだお店自慢(?)をもうひとつ。なにせコーヒーがおいしかったのだ!私はコーヒー通でないから、コーヒーなぞ正直なところ、なんでもいいと思っている。当然、アイスコーヒーにも、とくに何も期待していない。家で飲もうと外で飲もうとどこぞで買おうと、それほど違いを感じないのだ。これは、もともとアイスコーヒーに対する期待値が低いためともいえよう。

ただ、おいしいアイスコーヒーだけには敏感だ。それはおそらく、自分なりの「リトマス紙」をもっているから。

というのも、昔住んでいた静岡の三島から沼津へ向かう途中に、県立東静病院という総合病院があった。この近くに、あまり目立たない小さな喫茶店があった。病院関係者と近所の人しか知らないのではないかと思わせるようなつくりだ。あの辺りはどこに行くにも車だ。無精な私は、病院から歩いていけるその喫茶店をみつけてから、病院帰りにはいつもそこに行くことにしていた。喫茶店の名前は覚えていないけれど、なぜかマスターの顔だけは覚えている。というのも、そこで飲んだアイスコーヒーが、ビックリするほどおいしくて、まじまじと見つめてしまったからだ。確かに暑い夏だったけれど、それを差し引いてもこの世で一番おいしいと思えるアイスコーヒーに出会ってしまった。以来、アイスコーヒーのおいしさの指標は、その喫茶店の味(への記憶と憧憬?)を、基準にしている。

そんなことは忘れていたのだが、件のお店で出されたアイスコーヒーをひとくち飲んだ時、急に今もあるかどうかさえわからないその喫茶店の思い出が、俄かによみがえってきたのだ。つまり、そこのアイスコーヒーの味も、かなりいい線いっていたということ。何より、あの喫茶店の味に近かったから。記念にパチリ(↓)。みかけはフツウですが。

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苦手なサービスもあり


といえど、日本人や日本社会が苦手とするサービスがあることも認めなくてはならない。
それは、言語やコミュニケーション上のサービス。概してこれが不得意な民族なのである、日本人は。仕事上のコミュニケーションとなると必死になる人でも、日常のささいな場面ではまったくダメなことも多い。

たとえば、
今週は雨が続いている。混んでいる電車の中で、座っている人がぞんざいに傘を払いのける姿を何度か目にした。前や近くに立っている人が持っている傘の先が、座っている人にあたるのががまんできないらしい。また当事者も気づいていないという理由でそうするのだろうが、そのやり方がまあ、あまり気持ちのいいものではない。だれしも好き好んでそうしているわけではない。しかもどうしようもないほどの混みようである。メッセージを伝えたいのなら、軽く何らかの表情でも一言でも添えればいいものを、いかにも被害者面した表情を斜めにみながら、これはコミュニケーションのサービスが足りないのだ、と思えてきた。

日本人の多くは、言いにくいことをスパッといってニコッと笑う習慣も術も知らないようだ。だからこそ、心のサービスではないけれど、配慮や察しの文化が育まれてきたのかもしれない。でもこれからは、それでは通じない、一方的に相手の理解を求めて黙して語らずでは、何も伝わらないと私は思う。



サービス


今日の昼下がり、ふとランチに入ったお店のサービスはすばらしかった。街の一角にあるカジュアルレストランで、私も急いでいたので飛び込んだにすぎない、初めてのお店。何がとくに、というわけでもないのだが、とにかく居心地がいいのだ。メニューを示すところから始まって、過不足ない言葉で(これが重要)おすすめをかる~く紹介されたところから、ちょっと気に入った。その後も、水をつぎ足してくれる間合いといい、アイスコーヒーを持ってくるタイミングといい、文句なくいい。店の雰囲気もほどよく落ち着いていて、全体的に対応のよさがにじみ出ていた。それがまた自然な雰囲気だったから、なんとも心地よかった。

つくづく、日本のサービスは質が高いと改めて思う。それがわかっているだけに、日本にちょっとばかり詳しいつもりでいる外国人に
「日本では、フランス料理だけでなくどんな料理もおいしいが、それ以上のすばらしいのはサービスだ」
などと知った顔で言われると、
「そりゃ当たり前でしょ」
と内心思ってしまう(しかも、そういう人に限って、あーたに言われなくてもわかっているって、と言いたくなるひとだったりもする)。

そもそも彼らにしてみれば、自然に水やおしぼりが出てくるだけで、スゴイことなのだ。欧米社会しか知らない人には、このサービスでもチップを払わなくていい日本のシステムが感動ものらしい。逆にいえば、海外に行く日本人からすれば、どうして食事のたびに水を買わなければならないの、となる。郷に入ればと考えるしかないのだが。

なにも超豪華ホテルでなくても、どこでもそれなりのサービスが享受できる国の筆頭は、世界広しと言えど間違いなく日本だと思う。さり気ない心配り、わざとらしくないサービスも、日本人の得意とするところだろう。私はサービスとは言わずもがなのことだと思っていたが、実はサービスは普遍的なものではなく、その内容も質もところ変われば大きく変わり、日本のサービスは特筆すべきすごいものだと気づいたのは、日本を出てからだった。一度でも、海外に出たことのある方なら、国や地域を問わずこの思いは共有できるにちがいない。

私の友人は、アフリカの某国に2年ほど赴任していたことがある。帰国後の彼女が、しみじみと語っていた言葉を思い出す。
「サービスって日本の社会にどこかしみつているものよね。街では誰もがまじめに働いている姿を見て、ああ日本に帰ってきたんだな~と実感するのよね。日本では、バイトの高校生までもが必死に働いているもの。その姿をみていたら、何だかじーんと涙が出てきちゃった。こんなこと、某国ではあり得ない」
私には彼女の言いたかったことが、妙に理解できてしまう。

ではいったい何が違うのか。偏見を承知で分析してみるに、サービスの悪い国で見られる姿勢は共通して
「やればいいんでしょ」精神が露骨に出ていることだ。あるいは「これで文句言われても困りますからね。わたしの裁量ではないんですから」みたいなメッセージも考えられる。ひとつには、契約社会の精神の反映なのかもしれない。「取り決めの仕事さえしていれば文句は言わせない」という言い分。では仕事をきちんとこなしている、とは誰が判断しているのか。こういう態度のひとの場合は、往々にして上司や雇い主のチェックがないので、まずご本人の判断による、ことになる。

最近の日本ではまだサービス精神は健在だが、それでも哀しいかな、サービスの低下が目に付く店や業種も散見される。私は思う。ビジネスの成否を左右する要素は、組織のサービス精神とサービスの質に拠るところがかなり大きい。品質管理もサービスだし、顧客を見ているかどうかもサービスの向上につながる。相手を見ていないひとりよがりの仕事では将来はない。フィードバックは大切だし、自分で振り返る姿勢が不可欠だとの思いを新たにする今日この頃。



座りっぱなし


今日は、仕事の後に、研修という名のセミナーを受けるハメに・・・。外は雨だし気が進まないな~
(一応出かけなければならない)と、行く前から思い始めていた。もっともお天気は関係なく、
お天気だったらこの暑いのに~、と言っているに違いない。
いわゆる座学っていうんでしょうか、ずっと講義を聞いている、やや受身的な研修のようだった。
こういう、椅子に座りっ放しで人の話をひたすら聞くのって久しぶり。

ただその先生は、最初からフレンドリーなのと、オープンエンド形式に進めていかれたので、
質問も次々と出て、全体的にinteractiveに進んだと思う。私も二つほど質問した。

それにしても先生、「休憩なしで2時間40分」はないですよ~(爆)。
しかも最初に、「途中で休憩入れますから」と高らかに宣言しておきながら。
先生は立ちながら歩いていらしたからいいけれど、やはりもちませんよ~、
ずっーと座っているのって。

ということでわたし、最初の10分と最後の10分は、眠っていた自信あります(笑)。
最初の10分は、疲れからまどろんでいたというか、ギアが入りきらずにいた助走段階(?)、
最後の10分はもうこれ以上座っていられません~、というシグナルが体から発せられた
結果だと思っています。いやもう、体の位置を動かしたりしたのですが、どうにもこうにも。
でも残りの時間はしっかりと聞いて、エッセンスをつかんだつもりです。
講義もわかりやすかったし、よかったです。







クリーン?


今日の午前中は所用をすませ、午後から職場へ向かいました。それも、仕事ではなくオフィスの
そうじ(というより書類の整理)。
いえ、もうここでしておかないと、来週になって仕事にすぐとりかかれないような予感が、数日前
からしていたのです。ましておや、あの書類の山をみては・・。
だから、連休中日なのに~、などといってはいられません。えいやっ!と始めないといけないことの
ひとつがコレでした。午後3時間ほどかけて、何とか「みられる空間」になりました。

明日は明日で、家のそうじが待っております・・・(苦笑)。






ヨガ二回目


世の中は夏休みに入ったらしい。世の中というより学校が、だけれど。

二回目のヨガで、汗をかく。このように、回数を数えていること自体、まだ習慣化していない証拠・・・。
しかしあの~、素朴な疑問なんですけれど。DVDに出てくるモデルのみなさんは、いとも簡単に体を伸ばしたまま曲げたり、背屈させたりしていますが、「ハイ曲げて~」と言われてもそこまで曲がらない(=体の硬い人=わたし)は、どうすればいいのでしょうか?




not my day...


今日はもう、何だかほとほと気が萎えていたのか、帰りも間違った方向への電車に乗ってしまうわ、電車の中でも本を読む気もせず、しかも立ったまま眠ってしまうわ、何だか妙な日だった。帰宅しても夕食を食べる気もせず、本当に疲れきっていた。そういえば、ヨガをしていなかったな、と。ヨガをすれば元気になるのかどうかは知らないけれど。もう何だか週末が待ち遠しい・・・。






ギャップ


朝、電車で隣り合わせたギャル風のお姉さん。膝のうえに載せている大きなショッキングピンクのバックが妙に目立つ。あまり覚えていないが、赤やらピンク系の今風の服装で、私など、とてもついていけない。髪も、何色というのだろうかあの色は?(亜麻色?)、別に何色でもいいけれど、とにかく黒髪ではなかったことだけは覚えている。どうみても学生ではなさそう・・・。とにかく全体的に派手なのだ。

ほどなくして前の席が空いたので、彼女の隣に座ってしまった。私は本を開いている。その派手なお姉さまも、文庫本を開いている。みるともなしに目をやると、なにやら左ページの大きなイラストが目に入ってきた。一目瞭然、プリン塩基の構造だ。プリン塩基とは、ピリミジン塩基とともに核酸を構成する塩基性物質で、少なくとも新聞に出てくるような言葉ではない。ましておや、プリン塩基の載っている文庫本なぞ、そうあるものではない。となると、その本は『二重らせん』ではないか!文庫本だからタイトルまで目に入る。そして、この驚き。

『二重らせん』といえば、発見者の一人であるジェームス・ワトソンが、DNA構造を発見するまでの過程や競争を、ドラマチックに仕立て上げた(やや脚色もあるような気がするが)本である。科学史の研究者には面白いかもしれないが、何よりかなり昔の本だし、科学の世界に縁のある人以外にとっては、おそらく面白みのない本であろう(笑)。今まで、限られた分野の学生や研究者以外に、この本を知っている人に会ったことがない。

もっとも、そのお姉さまはほどなくして本を閉じて眠りに入ってしまったけれど、あのギャップは一気に私の目を覚まさしてくれた。




スリッパ


この週末にお邪魔した桐島洋子さんのお宅で出されたスリッパ。あまりに履き心地がソフトでよかったのと、今までみたことのないユニークな形状に妙に魅かれた。ちょうど、夏用のスリッパを求めていたので、これも一期一会かと思い、思い切ってお願いしてみたところ、快くゆずっていただくことに。もちろんお支払いはしました(^^;)。

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そこではまた、思いがけずベトナム料理をご馳走になる。私は今まで何かとベトナムには縁があって、とくに2001年のベトナム滞在の数ヶ月が、私の本格的なフィールド体験の始まりだったので、とても懐かしかった。何もかもが強烈だったことを覚えている。あれからベトナムは、急速に発展した。当時50ドルのホテルもいまや150ドルになっている。友達もいるのに、ベトナムをしっかりと訪れたことがなかった。それがこの夏、ベトナムに行くことになり楽しみである。もっとも仕事なので、楽しんでいられるかどうかは別問題だが・・・。





超初心者


ヨガをするようになって体が軽くなり、すこぶる調子がいいという友だちの話を聞いたのは、つい先週のこと。ふんふんと話を聞いていると、曰く、
「今までごめんね~という気持ち」
つまり、こんなにいいことを今までしていなくてごめんね、と自分の体に語りかける気持ちだという。自分のペースで少しずつしかも自宅でできるというから、何だか私にもできそうだ。かくして、彼女の何気ない一言を受けて、うっかりヨガを始めてしまう。まず、ヨガが何たるかも知らなかったのに、思い立ったが吉日とばかりにヨガマットとDVD付本を注文していた。

そこに届いたマットを床に広げるには、ちょっとしたスペースがいるのでまずテーブルをどけてみる。すると、いろいろもの(=お菓子やらつまりゴミ )が目に入る。慌ててそうじそうじ 。やおら、ヨガというものを軽く始めてみる。やってみての感想。何だかよくわからないけれど、心地よい汗をかいて割と楽しかった。問題は、どうやって続けていくかという仕組みづくり。

ヨガ超初心者の私だが、そういえば、私の友人知人にはヨガ関係者が少なくない。米国在住のある友だちは、ヨガ教室を開いて大盛況だというし、日本に住むインドの友人は、本職でもないのに周囲の日本人に頼まれて、一日ワークショップを開いてヨガを教える羽目になったことが何回もある(私が海外に住んでいたとして、柔道やお茶を教えてくださいと頼まれても困るのだが、彼はすぐに教えられたらしい)。また別の友人は舞踊家ということもあり、ヨガを教える資格をもっているので、秋からハンズヨガを教えることになるとか。まあ、ここはひとつ、この波に乗ってみようか。



こういう日も?


物事が、なかなか思うように進まない時もある。既存の枠組みを壊す難しさは知っていたつもりだけれど、有形無形の壁や抵抗勢力にぶつかったり、いいようのないやるせなさを感じたり・・・。ここに至って(至るまでもなく?)、世界各地で生きる少数民族の気持ちが少しだけどわかる気がする。どこまでこちらの声が届いているのか、届いたのか。どこまで本気なのか。それにしても、個人的には本当にいろいろと勉強になったこの数ヶ月(+数年?)。今までも、それなりに十分されてきたようだが、もっともっとエンパワーメントしなくては?まあ、一歩前進したのでよしとしよう。

ということもあり、この週末は久しぶりにゆっくりした。というより、何かするどころかあまり動く気になれず、必要な家事(超ミニマム)以外は、無意識にだが、ひたすら体を休めることを求めていた。

ということもあるからそこはひとつ、心機一転してヨガでもやろうっと(笑)。







7才


要は、こういう成長物語が好きなのかもしれない、とふと思った。

かつて、イギリスBBCの製作の『7才』というドキュメンタリー番組があった。NHKでみたのはもう、15年ほど前のことだろうか。これは、7才の子どもにインタビューして、その子の成長や考え方の変化を7年ごとに追うというもので、イギリスで始まったインタビューはアメリカでも始まり、その後、NHKの協力で日本でも始まった番組である。

都会に暮らすこともいれば、田舎に暮らす子もいる。いろいろな境遇の7才を、各国とも数人(7~8人)選び、彼らを7年ごとに追っていくのだ。5年でもなく10年でもない、この7年という設定は、なかなか鋭いと感心したものだ。その頃までにインタビューを受けている側が、イギリスは42歳だが、アメリカでは35歳、日本では14才という感じだった(その後、日本でも21歳のインタビューを一年ほど前に放映していた)。今なら、中国やロシアでもしてみると面白いかもしれない。実施にこぎつけるには大変そうだけれど。

最初の7歳には、学校の話や将来の夢を聞いて、「宇宙飛行士になって」「結婚して庭付きの家に住み」などと、あどけない返事が戻ってくるが、それでもすでに個性や住む社会(国ではなく)の違いは如実に表れている。番組の視聴者は、「こういう子どもいるよね」「ここでは」「この時代ならこう考えるのも自然だよね」と、世相の遷り変りとともに感情移入しながらもそれぞれが、番組からいろいろなメッセージを受け取るのだ。壮大な夢を語っていた子どもが、14才になると親が離婚していたり学校のことで悩んでいたり、21歳になると大学にいっていたり厭世観丸出しで煙草をすっていたり、年齢を重ねるにつれて、成長と変化がクローズアップされてくる。仕事を探していたり結婚して親になっていたり、家庭を持ってからの悩みなど、人によっては配偶者まで出てきたりと、妙に映像だけが現実を雄弁に語るので気の毒な気がする人もいる。ときどき過去の映像を交えるから、コントラストがまた絶妙に響くのだ。

番組の開始時の時代もあっただろうし、7才だったから引き受けたものの、成人したらもうコリゴリという人もいるだろう。過去の自分をブラウン管の向こうに見るのもいやなら、市井の人がカメラに追われたり、全国どころか海外にまで放送されるのはたまらない。だから、成長するにつれてカメラを避けたりする人も、当然ながら出てくる。もちろん、取材拒否もありなのだ。その場合は、「スーザンは今回、カメラの前でのインタビューに応じませんでした」とナレーションが流れる。

このシリーズを始めたイギリスでは、7才から始まって7年毎に少なくとも42歳まで続いていた。隣の子どもの成長を見ているようだ、という声が多く、番組は評判を呼んだらしい。後から始まった日本は、今のところ21歳までだったが、その後製作されているのかは知らない。不定期に更新されるから、この先いつあるのか、あるかどうかもわからない。そもそも、どこまで続くかわからない。製作側が、7年ごとにすると番組より自分が先に(退職等で)やめることになるかもしれないと、苦笑まじりに話していた。


約束の旅路


珍しく映画を観に行ったのは、それでももう、2年前のこと。映画館にわざわざ足を運ぶというのが、どうにも性に合わない。しかもだいたい混んでいるし、並ばなくてはならないし、遠いし、で出かけていく理由が見つからないのだ。その私をして、「映画に行こう!」と言わせしめたのが、フランス映画の『約束の旅路』、東京の岩波ホールで上映していた。

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映画『約束の旅路』は、エチオピアのユダヤ人をイスラエルに送る「モーセ作戦」の史実ををもとにした作品。家族を失い難民キャンプにたどりついた少年シュロモ(主人公)は、生き抜くためにユダヤ人と偽りイスラエルに脱出せよと母に送り出される。肌の色や宗教、偽りの出自に悩み、さまざまな壁にぶつかりながらも苦悩しながら成長していく。映画のシュロモ役への応募した2000人の中から選ばれてシュロモ役を射止めた3人の中には、祖父がモーセ作戦の体験者やイスラエルへの移住を求めて数千キロの道を実際に歩きぬいた人もいた。この作品を生み出した監督Radu Mihaileanu氏は、こう語っていた。
「1999年のある日、私はロサンゼルスで1人のエチオピア系ユダヤ人の男性と会う機会がありました。彼は自分の悲劇的な運命について話してくれました。映画のように彼はスーダンとスーダンの難民キャンプを経験し、家族全員を亡くしました。私が出会ったこの男性は活気と美しさと驚くほどの生気に溢れていました。たぶん最も恐ろしい悲劇を体験したのです。彼の話に非常に心を打たれて、私はこう思いました。今日は大変難しく、大変悲劇的な時代だが、これこそ世界中のあちこちで私たちが体験している、悲劇を超えて人間というものはとてもとても美しい存在でありうる証拠である、と。私は人間の美しさを信じています。」

その監督自身も、かつて故国ルーマニアを棄ててフランスに移り住んだ経歴の持ち主。母国を出てからというもの母親にも会えない日々が続き、これからも会えないだろうと故郷や家族に思いを馳せた時、夜空に浮かぶ月に話しかけたという。その再現と思しきシーンが映画にも出てくる。監督も、自身の過去に重ねて切実な思いに包まれたであろう。

私はこういう寂寥感を知らない。母国を棄てざるを得ない、母国の地を二度と踏めない覚悟や思いを知らないで生きてきた。この上なく恵まれた時代と国に生まれてしまったために、そういう苦しみを知らないできた。そして、そういう生をいきてきた人の存在に、心が疼くとともに、ただただ圧倒されてしまうこともある。彼自身の静かに語る言葉はなおも続き、たたみかけるように迫ってくる。
「もう一度私は謙虚にならなければなりません。私は当時のアフリカ人がそうだったように、そして今でもそうであるように、難民キャンプで生活したわけではありません。餓えて死にそうだったこともありません。唯一の類似点はある日ルーマニアにいた1人の独裁者チャウシェスクのせいで、私は家族みんなを残して1人ルーマニアを去らなくてはいけなかったことです。母を残したシュロモのように、国外に出たとき、もう二度と彼らと会うことはないだろうと思いました。なぜなら私はルーマニアに戻ることができなかったし、彼らがルーマニアから逃げ出すことができなかったからです。ですから私は同じことを体験したのです。私は月に話しかけていました。月に話しかけることによって、両親やきょうだいが私の声を聞いてくれるだろうと考えてのことです。でも私は幸せでした。自由だったので幸せでした。そして家族に会えなかったので不幸でした。そのとき、世界の最大の豊かさとはお金ではなく人との出会いであると知りました。人々が互いに相手を豊かにするのです。」

ひとによって違うけれど、本当の幸せとは何だろう、という根源的な問いを突きつけられる言である。以来、人権とか難民とか聞くと、フランス社会を思い起こすようになってしまった。



きっかけ


一応、細々とですが、フランス語をかじっています。いえ、かじったことがありました。もともと、それほど学習熱心でないのと、とくにこのところ手が回っていないので、フランス語やってました、なんてあまり大きい声ではいえません・・・(といいつつ、ブログで書いています・・・)。

だからか、ときどき思うことがあります。どうして私はフランス語を勉強しているのだろうか。いや、なにゆえに、そもそもフランス語に足を踏み入れてしまったのだろうか、と。

ちなみに、学生時代の第二外国語は、ドイツ語・・・(もう一生やらなくていい、と思っている)。
その後、縁あって学びかけた言葉は、スペイン語、ベトナム語、インドネシア語・・・。いずれも、ものにならなかった。遊び感覚だったから楽しかったけれど、このテキトーな感覚がよくないとしみじみ思う。語学は楽しみだけでは上達しないのだ。

こういっては何だが、そもそもフランスに対してそれほど(何ら?)強い憧れを抱いていなかった。その証拠に(?)まず、フランスと聞いてもあまり響かない。フランスといえば、芸術、文化、文学、哲学、ファッション、香水、お菓子、ワイン、チーズ―どれも何というか、味わうほど知らないし、接点もなかった。それに、パリと聞いてすぐに思い浮かぶのはいつも、どんより曇った空(エッフェル塔のうしろ、一応)。これはまあ、今までフランスに行くのがいつも冬だったという偶然によるのかもしれない。できた方がいいとはいえ、仕事でフランス語が必要なわけでももちろんない。そして、年に二回しかない仏検の申込みも、思いっきり忘れていた今年。

それがなぜ?
それが一度だけ、強烈にフランスに興味を覚えたことがあったのだ。きっかけは一編の映画。(つづく)

laissier-faire


laissier-faire とは、フランス語から派生した経済用語で、自由放任主義、完全に市場原理に委ねることをいう、らしい。

最初この言葉を聞いたときは、フランス語由来の経済用語ね~。もう、聞いただけで眉唾もの(思いっきり偏見?)と思ったが、今日読んでいた、とある経済学者の本に堂々と「レッセ・フェール」と出てきたので、二度驚いた(これだから、経済音痴は困ります~ )。




Internet generation


せっかく(?)『ウェブ時代をゆく』の話がでたついでではないが、最近ふと知った面白い言葉(造語?)を書きとめておこう。それは、
Internet native
Internet immigrant
Internet refugee


ここでそれぞれの特徴について、私なりの解釈を書いてみます。個人差もあるのと、全ての世代は網羅できないようです。むしろ、そういう網羅できない世代は、それぞれの移行期というかbuffer zoneにいるという感じでしょうか?

Internet native
生まれながらにして、あるいは物心ついた時にはすでに、インターネット環境に囲まれていた世代。これから生まれてくる世代はもちろんのこと、今の10代は確実に入る。場合によっては20代まで相当するだろう。調べものといえば、グーグル、ウィキペディアが真っ先に思いつく世代。音楽はiPhone, You Tube、ダウンロード、何でも自在に操り、小学校の課題ワークでも器用にDVD作成までしてしまう。ワープロなんて言葉は知らないけれど、辞書=電子辞書だと思っている。下手すると、小学校の先生よりPCやインターネットに精通している小学生も。

Internet immigrant
インターネットが普及して、生活や仕事上のニーズに迫られたため、インターネット世界に放り込まれた世代。幸い、学生時代からコンピュータやワープロに馴染みがあったので、ちょっとした努力でインターネットの世界にも入れたものの、次々と出てくるものについていくにはそれなりの努力がやはり必要なことも。それでも、こんなベンリなものがあったのかと、その恩恵を享受している。子ども時分、学校の調べものといえばまずは図書館や百科事典しかなかった世代。学生時代のレポートや卒論は手書きだった最後の世代(?)でもある、今の40代~50代くらい?音楽はフォークソング世代、レコードからCDへの変遷をみてきた世代。

Internet refugee
好むと好まざるをかかわらず、インターネット世界を突きつけられて当惑した世代。最初は拒否反応があったり、必要ないといえばすむものの、やはりメールくらいはできたほうがいいかと始めてはみる。しかしPCにもなじみが薄い自分でするには限界があり、若い世代(Internet immigrantである息子や娘の世代?)の技術サポートなしには、PCでもなかなか使いこなせないことも。60代後半以降のシニア世代?音楽といえば、レコードや蓄音機が懐かしい世代。




プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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