福井3日目

今日は曇りがちなので高浜へ行くのはやめその分、ひたすら福井まで戻る道すがら、遠目ながら美浜原子力発電所やもんじゅを一目見てみようかと敦賀半島を回ることに。当然、途中までしかいけない。それでもみえた。昨年の夏だったが、日本の科学技術、とくに原子力問題にまつわる課題や矛盾を力強く語っていた政治家の話を思い出す。
Fukui mihama


そして目指すは東尋坊。海にそそり立つ断崖と絶壁は圧巻だった。怖いのはどこまでも歩いて行けること。柵も何もないのでスリル満点でもある。それにしても、この旅行ではまったく怖い思いから逃れることのない旅が続く。あとになって(福井を出てから)、東尋坊は松本清張の小説の舞台にも出てくる、自殺の名所だったと聞く。さもありなん。
fukui tojinbo


おそい昼を東尋坊で。「のどぐろ」というおさかなの丼を試してみる。聞くも食べるも初めてだが高級魚らしい。これがまたおいしかった。今は越前かにの季節ではないので何かおいしい魚介類を食べたかったのだ。それにしても今月は、ベトナムで普段食べないようなおいしいものを味わう毎日で、福井でまた別の食の楽しみを続け、いったい私は明日から通常の食生活に戻れるのだろうか?

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欲を言えばもう一度温泉を楽しみたかったのだけれど、電車の時間があるので温泉はまたの機会にして、帰りは福井市内までひたすらドライブ。するとやっぱりそこは福井。スイスイ~と車は走り続け、予定より1時間半前に駅についてしまう(あ~温泉よ~)。そこで無事レンタカーを返し(今回は2日半で走行距離420kmとよく走った)、福井駅周辺の街を少し歩いてみる。シャッターが下りているお店が目立つのが気になるが、月曜日が定休日なのかもしれない。自転車通学の高校生の一群がすごい。新学期は明日からだと思っていたけれど、もしかしてもう学校が始まっているのだろうか。

福井駅から乗車したJRの車両はとてもきれいで快適だった。米原経由で新幹線。ひかりなのに満席の様子。自動販売機が設置されているせいか以前ほど売り子さんがこない。

明日からまた日常が始まる。


福井2日目

初日の昨日に観光の目玉を済ませたので、今日はどこに行ってもよくなってしまう。せっかくなので、なぜか予定外だった永平寺へ行ってみる。たいそう大きなお寺で、しかも観光地となっている。それでも境内に一歩入ると古の香り十分の建造物と立ちこもる木々に、妙にウキウキしてしまう。と思いきや、堂内で最初に簡単に案内してくださるお坊さんがマイクなしでも響く堂々たる声で「ここに入りましたらしばし観光気分を捨てて参拝を」といわれ、私に言われたのかと思うまでもなくシャンと身が引き締まる。不思議なことだ。
Fukui temple

その後、三方五湖周辺に向かってドライブ。昨日から福井を走っていて思うのは、本当に信号が少ない。ほとんどないに近い。だから車のスピードが速いというより車の流れがはやい。第一それほど車が走っていない。前後に車がないのは不思議な気分だし、あってもすぐに別れてしまう。明らかに、東京にいるときとは違う感覚の走りである。

三方五湖では曇りだったのでそれほどいい眺望は期待できないはずだったが、それでも結局上まで行くことに。てっきりケーブルカーにのるものとばかり思っていたら、隣を走る一人乗りリフトが急に目に入る。(ま・さ・か・・これ?)と思いながらけっきょく乗るハメに(大汗)。命の縮む思いでいた私に対し、家族は軽々と後ろを向いてカメラを構えたり、空を仰いだり両手をバンザイしたりと、いい気なものである。くだりはくだりで急な勾配を降りるので、高所恐怖症ではないとはいえ、遠くに目をやりながら顔を引きつらせながらも、ようやく楽しみ始めた頃に着地(ホッ)。
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夕方、小浜港前の文化センター脇に備えられていた足湯が何とも気持ちよかった。その日は小浜で一泊。今時めずらしいレトロな宿での宿泊を楽しむ。



福井へ

朝の7時半に新横浜をでたのに、午前11時には福井駅にいた。新幹線の技術とサービスはまことにすばらしいと改めて思う。なかでものぞみやひかりの発着間隔には驚かずにはおれない。東京、名古屋、大阪では、新横浜でさえも、10分間隔での発着である。

新幹線といえば最近、日本の援助によるベトナム縦断の新幹線建設計画が報じられていたが、ハノイ、フエ、ダナン、ホーチミンを結ぶ社会ニーズと経済効果は確かに高いだろう。2020年の部分開通(おそらくフエ-ダナン)を目指すというから、息の長い話ではあるが、資金の目途が立てばあながち実現不可能ではなさそうだ。

閑話休題。

福井駅ではまずレンタカーを借り、おろしそばを探す。福井名物のひとつがおろしそばだが、それと一緒に食べた、「甘くない甘味デザート」という代物の方が気になった。果たして本当に甘くなかった(笑)。こんにゃくでできているとか。
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おろしそばを食べたあと恐竜博物館へ。そもそもこの福井旅行のきっかけは、勝山にある福井県立恐竜博物館だった。噂に聞いてはいたが、なかなかいい博物館だった。入り口には恐竜のモニュメントがそびえ立ち、迫力と雰囲気は敷地に入っただけで十分感じられる。内容も、想像以上に充実しており、館内を巡りながら休むことなく恐竜や古生物に接するようなつくりになっている。さらに地球科学の歴史から恐竜の骨格や生態、植物とのかかわり(まだ動物が登場する前だったので)、近代科学の発展のなかでの恐竜/古生物学の歴史、現在も中国、モンゴル、北米でなされている研究や恐竜の発掘など、資料と映像も交えてあれやこれやと楽しむことができた。月末なのでそれほど混んでいなかったのも幸いした。
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夜は近くに泊って、ビュッフェと温泉を楽しむ。想像もしなかった種類や気泡の温泉、露天風呂、サウナに体ごと癒される。日本のよさはまさにこの温泉にあり、これ以上の贅沢とリラックスはないと実感。




残暑


なんて食のことばかり書いているうちに、帰ってきてしまいました
昨日のことです。

またベトナムについて、少しずつ書いてはアップしたいと思います。とりあえず雲と料理の写真だけ
アップしました。
それにしても、同じアジアとはいえ、どこに行っても(ハノイでも東京でも)暑いことアツいこと

現実に戻って、
今日、初めての不在者投票をすませました。
明日から本当の旅行で福井へ。雨らしいですがそれもまたよし。




基準


帰路に着く途中に思い出した、会議でのこと。

挨拶やざわつきのなか、つとにし~ンと静まり返る瞬間が、いかなる会議にもあると思う。それは
しばし期せずして、しかも妙なタイミングと間でやってくる。この日の朝もそうだった。
ここでいつの間に撮ったのか、私のうつったデジカメの写真を示しながら、ここで披露するのも
気恥ずかしいようなセリフを、同僚Yに面と向かってしかも大きな声で言われてしまったわたくし・・・。
「みてみて~。きれいよ、きれい、このSainahさん(←ちなみに私のこと)、まるで山口百恵みたいね!」
「・・・」(絶句と苦笑・・・私を知っている方のワライが聞こえます

ちょっと待った、Yよ。アジア勢が圧倒的多数のその場には、やや妙ともいえる「知日派」が多い
のだ。おしんを知っているとか、アキバや日本のカメラの性能に詳しいと思いきや、今度日本は選挙があるとか―下手に日本通というか知っているだけに、ひとたび彼らの耳に入ってしまったら説明が面倒なことだってあるのだよ・・・。それにしても山口百恵を例にだすなんて第一、ふるいっつぅ~の。

せめてもの救いは、その問題セリフが日本語だったこと。そこに日本語がわかる人はそういない(はず)。日本語が国際語でなくてつくづくよかったことであるよ(←今日だけそう思う)。それにしても、ヤマグチモモエなんてだれも知らないでしょうね、ね、ね?

ま、ともかく、その時は、我ながら意味不明の照れ笑いを飲み込みながら、小声で話を続けた。
「そもそも、山口百恵ってたしか髪はショートだったのでは?」
「それは歌っていた時の話ね、映画にも出ていたでしょ。あの時の髪型はちょうどこんな感じだったわよ!」
あたかも自信満々に話す。
く~っ、非日本人(しかも若い世代の)にしては、私より山口百恵について詳しい模様。

そんなことは忘れていた。今日になって同じY、デジカメでまた別の写真を示して曰く、
「みてみてこのわたし、なかなかきれい、きれいでしょう?まるでダイアナみたいね!」
どこに接点を求めればいいのか、ま、Yの基準なんてそんな大雑把なものだったのね~。
この際、私も楽しんじゃおう。

しかも今度は思いっきり、ひときわ大きな声で弾んでいる。しかも今度はバッチリ英語で。



ハノイ最終日


今日は1日中とはいわずとも、ホテルで仕事をしようかなとも思っていた。ところがそこは、久しぶりのハノイの日差しと活気に誘われて街を歩いてみることにした。

最初にちょっとした仕事を片付け、そろそろ出かけようと思ったら、知人のベトナム人が昼食まで付き合うという。スーパーに行くだけだからいいというと、言葉が通じないだろうから行ってあげる、というので好意に甘えることにした。と思ったら、歩いて3分もないすぐそこまでのスーパーにバイクでいくという。ひゃ~、自分で運転するならまだしもバイクの後ろに乗るなんて。
「いや、歩いていけるから」(トーゼン)
「この暑いのに歩くものじゃないよ」(地元の理?)
「東京の夏だってこれくらい暑いけれどいつも歩いているから」(イマイチ説得力なし)
「ここではバイクに決まっているじゃん」
「わたし、ヘルメットがないから」
3年ほど前からハノイ(ベトナム?)ではヘルメットが義務付けられるようになっていた。ちょうどいい言い訳を思いついたと思ったのも束の間、
「もうホテルにヘルメット貸してもらうことになっているから。ほ~ら」
ヘルメットがポンと目の前に出てくる(・・・)。

いつの間にか、勝手に話を進めていたらしい。ま、いいか。選択肢のない私はバイクの荷台に乗る。2001年の時も毎日バイク通勤だった。正確にいえばバイクタクシー通勤である。あの時は心構えができていないだけに、毎日バイクに揺られて走るのかと思うとぞっとした。今回も、心の準備がなかった点だけは同じだが、ワクワク感もあるにはあった。

確かにハノイの夏はことのほか暑い。バイクで街中を走るのは、夕涼みとまではいわないが風を感じるに絶好の機会だ。車との境なしに走るのがやや怖いが、覚悟を決めて慣れてこれば(そもそも慣れなければナラナイのだが)、バイクはなかなかいい。ホアンキエム湖の周辺を走るのは、ことのほか気持ちいい。私がハノイに住んでいたら、たとえ車を持てたとしても自分で動くにはやはりバイクを選ぶだろうし、選びたいと思う。
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ランチ後お礼を言ってホテルに戻り少し部屋で休んでいると、大教会の鐘の音が聞こえてくる。ハノイにいることを感じる。少しして今度はひとりで歩き回りたくなり、ハノイの街を楽しむ。フランスパンをかついだ商人らしき女性や両肩で篭を運ぶ女性が道を歩いている。か思えば、さまよい歩きながら知らないうちに市場に入り込んでいたり、何かと変化と活気に満ち満ちた町である。まったくこの国では、生活力からすればもう私なぞ赤子同然である。人々のやりとりや生活を眺めながら、そうつくづく感じる。

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Ha LongからHa Noiへ


午前中は、ハロン湾クルーズ。スケジュール上の制約もあり、当初クルーズを省いていたのだが、そこはベトナム世界遺産のハロン湾。ハロンでの開催を主張したベトナム側だって、ハロン湾を見ずして帰してくれない勢いだ。

ということでクルーズに。朝8時前なのに船上はすごい日差しである。
だれかが、ハロン湾は中国の桂林に似ている、というと、「桂林の方がすごい」と控えめに話す中国からの参加者。こうして、みなところどころでお国自慢をさりげにアピールすることもあって面白い。桂林に行ったことのある私も、案外そうかもしれないと思ったが、水の美しさはハロン湾に軍配が上がりそうだ。
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午後はハノイへ移動。ホアンキエム湖近くのホテルに着いたのは6時を過ぎていた。ホテルのロケーションは文句なくすばらしい。ここなら一人で歩いて回れるというもの。ベッドに腰を降ろすとどっと疲れが出る。これを旅の疲れと呼ぶのだろう。

夜は、念願のリーとの再会。この時、この瞬間をどれほど待ち望んでいたことか。リーは8年前、個人的にも仕事の上でも大変お世話になった人である。

ホテルに現れたリーは、果たして全然変わっていなかった。あの、ベトナム女性のたくましさと強さの真髄をみるような凛とした表情。静かに話せるという近くのレストランに移動し、家族のこと、その後のこと、近況など、とにかく8年の空白を埋めるべく話すのに忙しい。でもこの上なく楽しい。

驚いたことに、話しながら偶然にもいろいろな一致を見出した。共有する夢の実現に向けて、今度は私がお役に立てればうれしい。ホアンキエム湖畔でアイスクリームを楽しみながら閉店まで粘る。


無事終了?


会議2日目にして最終日。2日目は分科会に分かれてのディスカッション。
今回ひしひしと感じたのは、主催者側の立ち位置の難しさと責任である。途中、主要メンバーである二人の間で意見の相違がみられた。こういう時、自ずと視線は主催者の一員である私に注がれる。私としてはファシリテーターとしてコーディネーションに徹するのがひとつ、もうひとつは主催者側として采配を振るうか時として決断を下すのがひとつ。しかしどうして決断を下せようかというような局面で、はるかに経験豊富なプロの面々を前にしながら、いかにしてスムーズかつ建設的に議論を進めていけばいいのか―これを学びつつ今後の課題であると感じ入った次第。

今回のように、参加者の出身国が多岐にわたる会議では議論は自ずと英語で行われるが、みながみなネイティブというわけではない。ノンネイティブでも、よくしゃべる人もいれば口数の少ない人もいる。部屋中に響く声で話す人もいれば耳をすましても聞きとりにくいほど静かにははなす人もいる。しゃべる出すとリズミカルに止まらない人もいれば、穏やかにパンチのある内容を話す人もいる。このような議論を取りまとめながら前へ進めていく議長の手腕は大したものである。しかも議論の流れは論理や理屈だけに左右されるのではない、時に発言者の気合いで決まる時もある。さらに、会議は休み時間の雑談やちょっとした立ち話で決まる様を、ミニチュアながら実体験として肌で感じた。

今回は、日本とベトナムの共催だった。ベトナム側のリーダーは超多忙であるのに聖徳太子のような耳を持っている。絶えずPCに向かって仕事をしている彼ではあるが、肝心なところは議論に加わってくるどころか深く切り込んでくる。この人と働いてみたいと一瞬だけ思った。

ともあれ無事終了し、少し肩の荷がおりた。

初日の汗


会議初日。プログラムに間違いがあると、ある参加者からお叱りを受けた。見るとほかにも間違いが(汗)。そこで急いで、差替え可能なリストだけでも作り直す。最終訂正版が仕上がり、一番にご指摘を受けた参加者に持っていくと大変喜ばれ、以来何かにつけては「Sainah, Sainah」と呼ばれてしまうことに。しかし誉められるべきは私でなく、ベトナムと日本のチームワークである。実はこれ以降もこの手のことが何度かあって走った(フットワークは軽いわたし)が、ベトナム側は対応がスムーズなうえに、いつもすぐに仕上げてくれた。あとでベトナム側の指揮官に、「優秀なスタッフの揃ったいいチームですね」と正直に伝えたのはいうまでもない。そんなこんなから始まったから、最初のコーヒーブレイクが来た時はひとまずホッとした。

コーヒーブレイクと言えば、アジア(除日本)の会議でコーヒーブレイクに出されるものはコーヒーや紅茶だけではない。妙に食べ物(お菓子)がたくさんついてくるのだ。日本だと小さなお菓子の諸々、北米だとチーズやらクッキーが主流だがそれでもコーヒーや紅茶の添え物程度の感覚である。なぜかアジアで開かれる会議だと、フルーツやらこんもりした厚めのお菓子(?)がやたらとテーブルににぎわい、ややもすると見知らぬお菓子ながら妙にカラフルだったりもする。さっき、食べたばかりでしょ~(朝食、ランチ)を、といいたくなるのは、それでもどうも少数派のようだ。だって、コーヒーブレイクが終わる頃にはかなりの割合できれいになくなっているから。食べるのが主で、ついでにそばにあるお茶でも飲みましょか、といった感じすら受ける。マレーシアでもインドネシアでも、ミーティングというと絶えず食べている印象が強い、と話す日本の援助機関の人がいたが、あたらずとも遠からずだろう。

コーヒーブレイクの後は、これで少しは会議に参加できると思っていたら、午後遅くになって我が日本側チームリーダー(=上司)がやってきて、「明日の資料としてこれこれを用意してほしい」とのたまう。そこで午後のプレゼン半ばでやおらラップトップに向かい始め、結局ホテルの部屋に戻り続きを行う。その日の夜はレセプションだったが、始まっても部屋でシコシコと仕事をしていた。同僚のYと二人で知恵を絞りながら。すると上司から電話がきて、仕事はほどほどにテキトーでいいから(!)レセプションに来るように、とのお達し。
「どうも、ほどほどにテキトーでいいらしいよ、どうする?」
「もう~、仕方ナイネ~」
もう少し頑張って進めて、しぶしぶ(?)キリのいいところまで仕上げてYと二人で会場に向かう。

レセプションの後は自然解散というか自由時間。この夜はやや疲れていたのだが、それでも仲間に誘われて、歩いて10分ほどのナイトマーケットに。買い物するつもりはなかったはずが(そもそも買い物するパワーがなかったともいえる)、結局クッションカバーを2枚購入(値切る元気もない→そのくせ値切ってみる→けっきょく疲れる)。そこまではまだよかったのだが、夜10時過ぎにホテルに戻ってから、はたまた仕事が降りかかってくる。ハイ、そうでした、出張できているのでした・・・。こういう事態は予想されないことでもなかったが、最後は、3人であーだこーだと奮闘しながら明日の資料の練り直し。ひとりでやる方が早い気もするのだが、3人寄れば文殊の智恵ともいう。

途中で思わずあくびが出るY。
上司「冷蔵庫あけてビール でも飲んだらどう?」
Y 「・・・はい、お気遣いどうも」
といってもYはビールどころか一滴も飲めないたちである。もっと眠くなってしまうではないか。のどの渇きを覚えた私は、なぜか無性にカルピスウォーターかCCレモンがほしくなるが、そんなものがあるわけがない。ということでチョコレートでエネルギー補給。結局、1時過ぎまで格闘する。

翌朝 、上司は晴々とさわやかな表情  をしている。私たちは、さわやかなフリをして結構眠たかったりしていた。


Ha Long へ


今日はハノイからハロン(Ha Long Bay)への移動日。途中、空港に立ち寄って参加者数人が合流。空港でランチを済ませてから一路ハロン湾へ。4時間ほど車はひたすら走り続ける。

行けども行けども道路が続く。窓から差し込む日差しだけは強い。
(ずいぶん走ったけれどまだ海がみえない。ハロンってどこ?)
誰も口にしないけれど、車内の雰囲気を代弁してみるとこんな感じ。
すると、潮の香りがしないでもない。またしばらく走ると海が開けてくる。着いた!

Ha Long Bay1

ハロンに着いて早々にベトナム側のチームと打ち合わせ。メールでコミュニケーションはしていたものの、ここで初めて会うTさんは凛としたベトナム女性。同世代と思しき彼女が今回のキーパーソンであることは、有能さとともにすぐに伝わってきた。こういう女性が多いんだな~、ベトナムには。私がかつて一緒に働いた(と言うよりお世話になった)ベトナム人はみな、女性だったことを思い出す。

プールもあるしバカンス気分~、なのは観光客。
ハイ、仕事に来たのでございます・・・。






食のベトナム


毎日暑い中、よく食べている。それもそのはず。
1.食べないと体がもたない
  やはり体は資本。暑いうえにやはりどこか疲れているので、日本にいるときみたいに
  テキトーにすませることはしない(これはベトナムでなくても旅行中はいつでもそう)。
2.満腹感を感じる割にはすぐにおなかがすく
  野菜が多いいせいか、いくらでも入る。あまり間食をしないので食事の時間が楽しみになる。
3.話しながら食べているとお腹がすくし、ほかの人が食べているものがおいしそうにみえるので
  挑戦してしまう。

何はともあれここベトナムでよく食べる最大の理由は

4.バラエティが豊富なだけでなく、何もかもがとにかくおいしいこと!

もう理由なんか要らない。アジアの料理は味覚に訴えるものがあり、総じておいしいのだ。ベトナム料理ひとつとっても、ここまで発展してきたのは歴史的背景だけではなく、アジア人の味覚の鋭さにあると私は思う。食いしん坊な民族の料理はどこでもおいしい。

それに私の強みは、どこに行っても胃腸が丈夫なこと。路上の屋台だろうが、どうみてもよく洗っていないお皿で食べようが、ムシを食べようが胃だけはとにかく平気(心理的につらいときはあっても)。ならこれを生かさない手はない。ということで日々、バクバク食べている(笑)。これが、アオザイなぞ作ろうと思ってたりあるいは着ようものなら、少しは控えた方がいいかもしれないけど。

大好きなバイン・セオ
Bain Xeo Hanoi food2


Hanoi food 3 Ha Long food 4







ハノイ ぱっと見雑感


今回の出張の目的は会議主催なので、フィールド調査とは荷物の量も服装もやや趣が異なる。朝、軽くベトナム側の共催者と打ち合わせ。始まってすぐに、よくオーガナイズされた様子が伺え、いと心強し。打ち合わせ自体は簡単に終わったので部屋に戻り、昨晩にわかに生じた仕事を進める。途中、スカイプやメール処理を済ませ、やおら本来の仕事にとりかかったのは11時前。

軽くランチをはさんで午後まで仕事を続けるが、3時半にホテルを出て別件のミーティングに向かう。ここで初めてハノイの中心地に身を置いたことになる。今回はすぐにハロンに移動するので、ダウンタウン(?)まで20分ほどのところにある空港寄りのホテルにしたらしい。らしい、というのは、ロジ関係を今回ほとんどすべて頼んでいた(そういう意味ではかなりラクな出張ではある)。

街は8年前の記憶と比べると、ところどころに変化はみられるものの、見覚えのある公園や建物がすぐに目につくのはうれしい。しかも街の光景にはそれほど変わりはない。バイクの波、人々の生きる姿、丁々発止のかけ声、何より街全体に漂うダイナミズムにはいささかの変化もないどころか一層活気づいているかのようにみえる。

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小一時間ほどでミーティングは終了。いいミーティングだった。その後、何人か旧知の人にも会うことができた。同時にうれしいニュースも心痛むニュースも耳にした。歳月を経て、変わるものも変わらぬものがあるが、8年の歳月は、それぞれの人生にそれなりの変化をもたらしたようである。

その点、自然はいいな~。



ハノイ着(2) after


ハノイ着。気温35度の割には照りつけるような暑さでもない。
ノイバイ空港に降り立つと、空港内にもかかわらずいいようのない熱気に迎えられた。ベトナムだ。ラオスに行くときハノイ経由が多いのだが、いつも通り過ぎていたここから入国するのだと思うとすでにワクワク感に変わっていた。

無意識のうちに迎えの人を探していると、一緒にいた同僚に「今日は迎えはありません。主催者ですから」と言われ、ハッとする。いつの間に、迎えを当然視していたのだろう。
タクシーでホテルまで。乗る前に二人で荷物も込みで15ドルと確認したのに、ホテルに着くと20ドルと言われる。15ドルfixと言ったではないかと主張しても、「二人だし荷物もあるから」と譲らない。早くホテルに入りたかった心理状態も手伝って、それ以上の主張を控えて払ってしまったが、思い返すだけでも情けなく悔しかった。あの5ドルは運転手の取り分になるに決まっている。もしかして空港で15ドルと言った職員も織り込み済みかもしれない。日本人がなめられているような気がした(ここですでに、いつもの急性愛国病にかかっている)。

久しぶりに「だまされて」みて、妙に地団駄踏んでいたが、いかんせん終わったことは仕方がない。そこで考えた次回の一手。(1)聞かないフリをして(聞いたとしても)、降りて荷物を受け取ってからやおらお金を渡す。文句をいわれても通りや公衆の面前で主張できるし、ホテルにいるのも都合がいい。(2)乗る時に、何でもいいから紙に「15」と書いて相手にみせる。これは確認の意味もあるが、あとで相手にみせられるので効果的だ。(3)困ったような顔をしない。平然とむしろ堂々と静かに15ドルを主張する。

 

ホテルでひと休みして、周囲を歩き始める。にぎやかな街を少し歩いてみると、10分くらいして雨が降り出す。もともと雨に対して鈍感なこともあり、少しくらいぬれてもいいやと思っていると、すぐさまどしゃぶりの雨となりご丁寧に雷まで加わる。雷も加わりスコールというにはミョーに激しい雨、雨、雨・・・

通りにたまたまあったビーチパラソルの下で雨が止むのを待つが、待てども待てども止まない。
まるで離れ小島に取り残された哀れな二人組そのもの。通りかかったタクシーをつかまえてホテルに戻ることに。どうやらここの雨を甘く見ていたようだ。この運転手、私たちの差し出した1ドルに、おつりを払おうとする。そのけなげさに先ほどの空港タクシーの悔しさが少しだけ軽減された思い。

その後、雨があがると空には不思議な雲が。初めて見た形の雲だ。何だか優しい雰囲気の空に
みえる。
Hanoi cloud

インターネット接続はできるのに、なぜか写真のアップロードに時間だけはかかる(そしてできない・・・→東京にてやっとアップ)

形がよくわかるように、しつこくまたアップ。何だろう~、この雲は~
Only could Hanoi

8年ぶりのハノイ。
相変わらずバイクが多いが、それなりに車も増えていたようだ。ホテルの相場は3倍になっている。
今回ハノイ滞在はそれほど長くないが、それでも何が待っているのか、何に出会えるのか楽しみ。


ハノイ着(1) before


昨夜の就寝は2時半とやたら遅かったのに、いつもは必ずといっていいほどsleeping carに早変わりする成田行きのバスでもまた機内でも、ちっとも眠れなかった。久しぶりのベトナムを前に興奮していたのだろうか。

そもそもベトナムでの生活は、毎日がとっても強烈で忘れ難いことの連続だった。2001年夏の数ヶ月間、ベトナムの援助機関でインターンシップなるものを経験した。インターンとは学生の職務体験といえるが、そこではベトナムにおける援助プロジェクトを手伝うプロジェクトアシスタントの位置づけだった。だから何でもやらされたし、また何であれやりたくもあった。職場にはやはりベトナム人が多かったが欧州の存在もそれなりに目立った一方、日本や中国、韓国のスタッフはいなかった。いずれにせよ、このベトナムでの原体験なくしては今の仕事やささやかながら少数民族へのかかわりもなかった、と思っている。サパでの経験が、私の中に眠っていた過去の少数民族への思いを掘り起こしてくれた。ムイネー(ファンティエット近く)でのできことが、お金のばらまきではない、真の自立とempowermentの重要性についての潜在的意識を、強く目覚めさせてくれた。もっとも仕事だけではない、日々の生活はもとより、外国人でも容赦しないような数々の洗礼を受けているうちに、それはもうベトナムという国で生きることは米国のそれより厳しい社会だという印象を強く植え付けられた。

あれから8年、ベトナムはどう変わったのだろうか。ニュースや友人知人を通して、大きく変わりまた成長してきたベトナムの様子は漏れ聞いていた。ある意味、不思議なことではない。なにせ、あれだけのダイナミズムを抱える国である。そしてあの民族性。ベトナムについて少しでも考える時、いつも思うこと、思わざるを得ないこと―それは、アメリカという国はよくもまぁ、あの国というよりあのような民族を相手に戦争をしたものだ、という一種の呆れにも似た感嘆だ。大胆というより無謀という言葉が近い。

さあ、しかとこの眼でベトナムをみてみようではないか。あと30分で着陸します、とのアナウンスが入る。武者震いと共に否が応でも気持ちが高ぶってくる。


蝶と思いたい

朝、いつもの時間に出て、いつもの道を歩いていた。
何ら変哲のない坂道にさしかかる。すると、道端になにやら見慣れないものが・・・。
寝ぼけているのかしら、まさかねとバチバチ瞬きしながら

 じ~っ (←凝視)

 ひと休み(みるのを)してまた、

 じ~っ

なんと、初めてみる色の蝶  (←蝶にみてほしいがための苦肉の策 ) だった。
元昆虫少年でもないけれど、不思議な色にいっぺんで釘付けになった。
すぐさま携帯を取り出して必死に画像に収めようと、必死に体を曲げて不安定な状態がんばる
私のけなげな格好は、それでも傍からみたら妙に映ったに違いない(ま、いいけど)。


夜になり、
「今朝、それはそれは珍しい色のをみた!」
と興奮する私の写真をみた夫はサラリとひとこと、
「これ  じゃない?」
「・・・」
私がすぐにガだと思わなかったのにはワケがある 。とにかく羽が大きかったのだ。アゲハ並に、いやそれ以上に大きかったはず。今、たまたま手元に普通のドーナツくらいの大きさか。

ふ~む、ガかもしれないと思い直す前に書いておこう。
ということでその話題の(?)蝶は、コレです。

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「それでもフランス人は蝶とガを区別しないらしい」
とフォローなのかフォローにもならないかわからないことを夫は言った。

一瞬だけ、ふ、ふらんす人になっておこうか?





お盆


今年の夏は夏らしくない、といいながらもやはりそれなりに暑い東京地方。
昨日あたりから、セミの声が聞こえてきた。で、家をでるともう落ちているセミ。
季節感の豊かなひとなら、俳句でもすぐにできそうな一瞬である。

今週は、帰省ニュースなどが流れている。
 はい、お盆でした。

思えばこういう真夏の季節に、里帰りしたり先祖の墓を参るというのは、なかなか
いいことだと思えてきた。どうも理にかなっていると、思わず理をみつけてみたく
もなってしまう(そんなの知っているよ、と言われそうだが)。

なのに今週まるまる、バッチリ働いてしまいました。ま、来週半ばの出張を前に、
働かざるを得なかったのですが。
ごめんなさい、ご先祖様  お彼岸には行きますから~。

と思っていたら、金曜の夜になって職場の上司が、うれしそうに
「発見したよ!」
曰く、
「そうかぁ~、今週は日本のお盆だったのか~、だからメールのレスが悪いわけね」 
と抜けきった反応がきた。
「そうです!」
と力強く答えながら、何だか力が抜けていった。



Facebook


Facebookなるものがある、とは聞いていた。何かな~と思っているうちに、1年近くたっていた。今回、知人のメールをきっかけに、ひょんなことからのぞいてみた。すると何人か、見覚えのある名前が―知り合いやら懐かしい学生時代の友達やら―ポツポツと出てくる。まずは興味本位で名前だけ登録してみる。するとまあ、5年ほど連絡のつかなかった友達からメッセージが届いているではないか!うれしい驚き。

もともと私は、なににせよ世の中の流行に一歩も二歩も「遅れてついていく」タイプである。

昔、手書きでレポートなるものを書いていた世代だが、ワープロが出てきても抵抗なく導入。すぐに入れ替わり出てきたPCに難なく乗り換えた。メールもインターネットも、こんなにベンリなものがあったのか、と感心しながらすぐに生活の一部となった。ところが最近思うのだが、どんどん出てくるIT進化に、どこまでついていけるのか、わからなくなるときもある。最近はGoogle mapくらいで足踏みしていたら、今日はまた、Google docなるものを紹介された。いじってみると、ふ~む、何だかはまりそう?

最近にいたっては、Twitterとか○○とか次々出てきて、もうすっかりinternet immigrant世代であることを感じ入ってしまう。ただし、遅れて何とかついていくのがミソである。まあしばらくは、その醍醐味を味わってみようではないか?


三島


珍しくドライブをした。行き先は伊豆半島の修善寺。早めに着いたので、途中、三島に立ち寄った。四季折々の富士山 の姿を朝に夕に望む三島には、それはそれは思い出が多く、いい印象しか残っていない。おそらく、初めての地方暮らしだったことに加え、社会人一年目だったこともあったと思う。三島と言えば、何を隠そう、新生活を始めたなつかしの地でもある。生活だけではない。仕事も、子育ても、近所づきあいも、車中心の生活も、何もかもが初めて尽くしの土地だった。ここでいろいろな人に会い、多くを教わった。人生の転機でもあったはずなのに、美しい思い出だけというのも、何だか不思議なことだ。だが不思議なことは、それだけではなかった。

ナント、4年も通った道を、覚えていなかったのだ!前住んでいた家から職場までの10分弱の道を走ってみたとき、ハンドルを握れば思い出すと思ったのに、途中までいって変わらない光景を前にしても、進む道がすぐにわからなかったのだ(遅れている我が家の車には、カーナビなどもちろんない)。これは我ながらちょっとしたショックだった。

しばらくしてたどりついた職場は、少しきれいになっていた。とくに私のいた建物はレトロなつくりだったが、今やあか抜けた雰囲気を醸し出しており、それが少しさびしくもあった。また敷地内で増築したビルが目にとまった。当時はなかったはずの食堂もできていた。当時もなかなかすごかったが、一層充実してきた様子が目に浮かぶ。当時、お世話になった人たちはもうほとんどいない。そこは研究所なので、長年居つく人はほとんどいないのだ。

よく通った小児科と保育園にも行ってみた。小児科は日曜なのに、相変わらず混んでいた。妙な話だがなぜかうれしかった。親である私たちも、なにせまだ若くあまりに世間知らずだった。この町と環境はもとより、とりわけ小児科の先生、看護士、保育園の先生方には、子どもといっしょに育てられたと、しみじみと感謝の念とかなりの恥ずかしさをもって思い起こす。今だからわかること・・・。

帰りは、よく行ったお寿司屋さんに立ち寄った。県外からひとが遊びに来れば、いつも連れて行ったお店。ある友だちなどは、沼津の魚市場で朝食を食べ、昼はここの寿司屋に行き、満足しきって帰って行った。同じ思いを今日の私もしたかった。

この日、私の気持ちは、どこかはしゃいでいた。町全体があまり変わっていないこともあったと思う。まるでそれを見透かされたかのように、同乗していた家族の反応は落ち着き払ったものだった。無性に・・・。


音源


私の周囲には、いわゆるnon Japaneseが少なくない。彼らとて、基本的に日本に馴染んでいるし日本社会の習慣やしきたりも、ある程度は心得ている(はず)。日本語を理解するどころか日本人並に話せる人もいたりする。それに、仕事となればそれほど大きく外すこともないだろう、という淡い期待(←それがまた勝手な期待だったりもして?)が、こちらにあったりもする。だから、普段は彼らの国籍を意識することはないけれど、それでも潜在的に、思わず日本人であることを求めてしまう時が、たま~に起こる。今日もそんなことがあった。

例えば、基本的に礼儀正しいA。みた感じも話しとしても、「折り目正しい」という形容詞がピッタリきそうな青年。相談にくることもしばしば。仕事の話ならまだしも、この前など、ご近所の相談事までされてしまった(汗)。ここまでくると、明らかに私の答える範囲を超えている・・・

ま、ともかく。
今日はまた仕事上の相談。聞けば相手のあることなので、どうにもこうにも先方に確認してみないとわからない。彼は日本語を話せないし、先方も日本語対応を望むことは明らか。そこで、受話器をとってかけてみる。お昼前、11時半ごろのこと。

プーープーー(電話呼び出し音)
「はい、もしもし。お待たせいたしました。○○でございます」
とっても丁寧な対応をされて、思わず電話口で襟を正す。
「も、もしもし。△△と申しますが」
と話し始めるや否や、
ぼりぼりっ・・・ボリボリ~

妙に耳障りな鈍い音が聞こえてくる。相手の声が聞こえにくいし、何よりこのヘンな音が受話器の向こうに届いていないかと心配になる。音源をさがすともなしにみると、何とAの方からだ。みると、見事に大きなせんべい をかじっているではないか!それも、いかにも歯ごたえのよさそうな厚焼きせんべい ・・・。手で合図しても、一向に通じないどころか妙な顔をしてみせる。こっちよ、妙な表情をしたいのは

ここで生じるわたしの疑問。
(1) どうしてここで、せんべいがでてくるわけ?さっきまで、神妙な顔してディスカッションしていたじゃないの
(2) どうして、この場でせんべいを手にしているわけ、わざわざ一枚のせんべい を携えてきたというわけ?(彼の場所は私の場所とは違う階にある)
(3) そもそもなぜ、「今、ここで」食べているの?(一応、ミーティング中かと、それも割と真剣な・・・)。もっといえば、いったいだれのために「神経使って」電話かけていると思っているの~?

理屈っぽい彼の答を聞いてみたいものである。しかしまともに聞くと、長くかかりそうなので聞きたくなくもある。理路整然と答えるのが得意だけに、「その時その場でなにゆえにせんべいを」の説明でも、延々と続きそうな気配も・・・。

察しとか気を回すとかが、はなから期待できないことくらい百も承知だけれど。あ~まったく、こういう時は無条件に、日本的対応を求める心の叫びを発してしまう。

それにしても、そばで急にボリボリボリボリせんべいなぞ、口にしないでおくれ~!

関係ないけれど、あまりにせんべいと彼は意外な組み合わせであったことも、どこかにあったかもしれない。私をみて、だれもアップルパイを想像できないように(ちょっと無理があったたとえ?)





Never-changing-menu-restaurant


今日、お昼に行く約束をしていた友達のY。
「どこに行く~?」
「どこでもOK。わたし、何でも食べれるから」
それは知っている、一応。でも「何でもOK」でもないでしょ、きっと?と思っていると案の定、
「でも脂っこいものはやめたい気分、魚かな?」
ときた。そこでちょっと考えて、思い出した和食系のレストラン。長らく行っていない。
ごはんがおいしくてお替わりもできるし、何より副菜が充実している。

「久しぶりにレストランTにしようか?」
「あ~あそこね、い・や。だっていつ行ってもメニューが同じだもの」
と即答するY。中国で育ったせいか、食べ物への好みがはっきりしていて
何でも食べれるという割には注文も多い(汗)。仕方がないと思いつつ、思わず言ってみる。
「あのね、日本のランチメニューってそういうものなの。5つくらいの選択肢から選ぶのよ。
でも副菜とかドリンクがつくお得なメニューじゃない?」

曰く、「次は行きましょ、そこに。その THE never-changing-menu-restaurant に」
結局、Yの行きたい普通のお店にいった。そこだって、毎日同じメニューなんですけれど~。

ちょっとした人よりはるかに素直で柔軟な割には、言うことだけはミョーにハッキリしている
彼女を、それでもわたしは結構好きだったりする。今日はとくに、そのネーミングが気に入った



連絡の再開


気づくと8月になっていた。この実感のなさ。
おそらく、およそ夏らしくないお天気のせい、だけではないような。

そう、しばらく書類をはじめあれやこれやに追われていた。このところソーシャルライフとも無縁に近く、まあ私としてはそれでもすごくいけないわけでもないけれど、「このままでは何かいけない!」と主張する友達に引っ張り出されたことも。



そんな日曜朝、2人の友達に久しぶりに連絡  を取ってみた。ひとりは、私にとって姉のような存在。米国北東部に住む彼女は、「天気がおかしい。ひどい雨が続き竜巻も起こったり、この前は地下室に避難する破目になって。何だかちっとも夏らしくない」とぼやく。夏らしくないのは日本だけではないようす。

続いて第2弾。今度は思いつきでベトナムにかける。相手は、この半年ほどなかなかつかまらずほぼ諦めかけていた、ほとんど片想い状態のひとだった(でも女性…)。昔、ベトナムにいた時にお世話になった、思えば私にとって記念すべき(?)、最初の外国人上司でもあった。昨年夏に職場を退職して独立した、と人づてに聞いてはいたが、とにかく彼女がなかなかつかまらない。携帯はいつも話し中だし、かといって家もいつも留守電だし、頼みのメールアドレスも退職後のはわからない。今年はじめベトナムに帰国したベトナム人の友だちに、彼女のことを知っている人がいると聞き、連絡先を探してくれるよう頼んでいたのだが、その件に関しては友達からはまったくメールなし。ほかの事ではすぐに返事がくるので、連絡先がつかめないのだろう、とは思っていた。

その、たずねびとの彼女は、ベトナムではよくある名前(日本で言えばスズキさん、中国の王さん、韓国の金さんみたいな?)なので、探すのも至難の業。しかし日曜の朝早くなら家にいるかもしれない。ベトナム人の朝は早い。かけてみると、果たして懐かしい声が・・・。
「覚えているわ、懐かしいわ。また連絡が再開できてよかったわ~」
とエネルギッシュな声が聞こえてくる。いろいろと話し、今度ベトナムに行くのでぜひ会いましょうと、無事連絡先もゲット。あ~うれしい。

何だか急に元気が湧いてきた。こういうちょっとしたことが活力の源になるのかもしれない。



プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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