スマートなキー


この週末は車検。車を出すと要らないと伝えていたのに代車を与えられる。
しかしこの代車、なかなか面白い鍵で、今日はその話。

スマート エントリー キー(某社では)というその鍵。
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まず、エンジンを掛ける時に、今までのように鍵をさしたりはしない。
鍵を持っている人が車に乗り、「ブレーキを足で押しながら手でボタンを押す」とエンジンが
かかるしくみ(写真のオレンジ字のものです)。
鍵はポケットにあったり、近くのバッグの中にあったりしても、車内かエンジンボタンの近くに
ありさえすればその中に埋め込まれている電磁気が作用する。
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また、車に乗る時はドアに手を掛けると鍵が開くとか、ドアの一箇所(下の写真右手の2本線刻み
のところ)をタッチすると鍵がしまるとか、まあよくできているものだ。一代前のプリウスくらいから
導入されたらしい。もちろん知らなかった・・・。
door.jpg

本当にスマートなキーである。

代車はまた、今まで見たこともないような小さな車で、おもちゃの車のようでもあり、ちょっと
乗り回すには面白かった。

思わず


今日は本当に落ち着かないというか、いろいろあった一日だった。
午前のミーティング、楽しかった余韻に浸るまもなく正午過ぎにダッシュで外出 

大事な用事を2件片付け、気づくと3時過ぎ。ランチを取る暇もなかったけれど、
それほどお腹もすいていないから、まあいいか。

・・・いやよくないなぜって?
毎食後には、必ず飲まなくてはならないのどの薬

でもテキトーにさっさと終わらせたいランチ

と目の前にマック。マックなぞ長いこと入っていない。そこに、BBが通じるとか何とか?

そうだ!i Phoneの接続ができるんだ、マックでは

あ~、これではほとんどソフトバンクの思うつぼ、だわよ(笑)。

声帯


帰ってきました~。午後2時前に成田着。
機内で日本に近づく航路図を見ながら妙にうれしくなったわたし。ミョーに日本が輝いてみえたりして 。どこまでも日本人、のわたくし 
Tokyo+near_convert_20091031233842.jpg

ブエノスアイレスを発つ前から、帰国したらすぐに病院に行くと決めていた。もう4日は声がでていないのに、よくなる兆しもない。あ~なんてこと。せっかく会えた人ともっと深く話したかった場面も多かった。が、致し方ない。

成田は雨。よりによって、少し到着が遅れる。ひたすら足早に歩くが、バスを30分ほど待つことに。いつもだと、切符を買うときに「5分後にバスは発車しますが」と言われダッシュするのが常なのに。予定では、バスを降りたらタクシーで家に戻り、荷物を置いてから歩いて病院にいくつもりだった。ところが!いつもは受付6時すぎ、7時半までは余裕で開いている病院が、この日に限って患者も少ないらしい。空港から電話すると、「今日は5時45分で受付は締め切ります。6時過ぎにいらして病院が開いていたら看てもいいです」とつれない返事

こののどはゼッタイに診察してもらわないといけない!幸いその病院は駅に近い。そこでバスを降りてから電車の駅めがけてダッシュ。駅からはまたダッシュ。みえてきた病院の看板の電気は無常にも消えているが、病院の窓から電気はもれている。こういう時に限って階段が。でもここまで来たら止まって入られない。スーツケースを抱えて最後の駆け込みよろしく必死にかけ上る。だダッ
「さっき電話した者です。まだ開いていますか?開いていますよね?」
ほとんど懇願というより迫る口調である。時刻はちょうど6時直前。まだ患者も二人ほどいるようだ。
しかし、
先ほど5時45分で受付終了とお伝えしました

・・・ で?

するともう一人の看護婦さんが
「先生がいいと言ったならいいでしょ。先生には聞いた?」
「私は聞いていませんよ。受付が仕事ですから。(私に向かって)ア、どうぞ座ってお待ちください」
あのね~全部聞こえているのよ~。

このかすれもしない声を必死に絞り出して、ここまで助けを必要としている患者が目の前にいるっつぅのに、しかもスーツケース片手にここまで健闘して最後にこうだとはね(予想されたことではあった?)。しかし声が出ない身にしてみればそりゃもう必死である。ブエノスアイレス仕込みのジェスチャーで、いかにのどがいたくて声が出ないかと、ほかの看護婦さんにも向けて訴える。コレでもダメだったら診察室に入っちゃおうかなと画策していたら、程なく通された。今まで見たこともない機械を使ってのどの写真を撮られる。診断は、

声帯の傷

だそうで、回復に4、5日かかるそうです。声帯の傷は、せきやくしゃみで簡単にできてしまう
らしく、そういえば行く前から風邪は引いていたし、機内でもせきはよくでていたっけね、
くしゃみもときどき(は~)。せきをあなどることなかれ。

ブエノスアイレスのホテル


私はどこに行ってもたいていよく出歩くたちである。初めての土地にいけばなおさらそう。しかし今回だけは違った。なにせ声は出ないから、言葉もスペイン語圏だし、途中で何かあったらホープレス。しかも街に出ると煙草の煙はもとより、バスの排気ガスもなかなかだ(あ~、きっとセンサイな私ののどはそれにやられたに違いない?)。のどを守るためにはこれ以上、やたら外を出歩いてはいけない。そんな思い込みもあって今回、静かにホテルにいる時間がながかった。やたらお世話になったホテルについて書いておこう。

そのホテルはとても機能的で文句なくすばらしい。
まずこの椅子、人の動きやニーズに合うように作られている。背もたれのついている硬い椅子のホテルが多いが、ここは先を行っている。色も好みの抹茶色なのがまたいい。。

BA room

そのうえシャワーや洗面所では、水道口の斜めに出ている形が使いやすいようにできていて、
これまた心憎い。この形は初めてだけれど、軽く洗濯するのにもすごく重宝した。考える人は
考えるものだといたく感心した。


BA hotel bath


会議は終わったがホテルに戻り、また打ち合わせやら何やらで気づくと夜の10時過ぎ。ここの人は夕食を夜9時とかに設定することが多い。しかし夜10時以降に、厚さ5センチはゆうにある牛肉を食べさせられた日にはもう、一歩たりとも動けなくなってしまう。しかも前菜も肉料理で、日本人ならそれが夕食で十分な量だったりする。ということで、その日は外に行くのをやめてひとりで済ませることにした。



部屋に戻り、温かいもの(といってもスープかパスタしかない )をパスタを頼むと
夜11時までしか作れません、と人が来る。もっとも部屋まで来たのは、電話で話しても私の声が
聞き取れないから。
「申し訳ございません。この時間はサンドイッチ一品のみになります」
サンドイッチというよりパンの寄せ集めだ。
「昨日フロントでは、ルームサービスの食事は夜中の12時までの注文で大丈夫って言われたけれど」(←ホントである)
「それが12時ではなく11時までなんです。キッチンも片付けようとしているところで」
「なるほど、でも11時って今11時になったばかりじゃない?」
「正確には11時5分です」

これではどっちが日本人なんだ?
まあまぁ、ここはラテンのテキトーさに思いっきり合わせるからさ~(もともとテキトーが得意なわたし)。
「そこを何とかお願いできませんか?みて、この通り声がでないので、この喉には温かいものが必要なんです。私は明日からまた長旅に出るので、これがブエノスアイレス最後の食事になります。だから試しに聞いてみてくれませんか?」
ということを、しゃべれないので、かすれ声とイタリア人顔負けのジェスチャーで話してみる(最後の晩餐ということもあり?、そりゃもう必死)。
青年はとてもわかりのいい、というか親切が顔に表れているような若者で、その場で電話してOKと
相成る。さらに15分後には、おいしそうなパスタ登場。しかも紅茶までついてきた。
「こちらは蜂蜜いりの紅茶でサービスです。のどにいいと思うので用意しました。どうぞお大事に」
日本に行っても十分通じるサービス精神に無性に感動した 

BA tea

725 Continental Hotel
Ave. Roque Saenz Pena 725 Buenos Aires, Argentina
5411 4131 8000

(追記)
アンケートには褒めちぎった後、これだけあればスーパーパーフェクト、というものを書いておいた。
・水 (東南アジアならまず置いてあるけれど、今回は涼しいと思って持ってくるのも忘れていた。買いに行くにも開店時間に限りがある)
・ポット (良くあるティーパックつきのもの。時差ぼけで起きていると、夜な夜なお茶でも紅茶でも
飲みたくなるワケ)

以下2点はもともと期待していなかったのでガッカリ感もないけれど、新しいホテルらしいので
これからの発展と向上を願って書いておく。
・歯磨きセット
・スリッパ

一日だけ休日



今日は朝食ミーティングから始まる。この調子の声の私は、筆談に備え筆記用具を用意。話せる同僚にも同席してもらう。いろいろ議論できてよかった。とくに、意外にも、相手の途上国への熱い思いを初めて垣間見ることができ、何だかひとりでシミジミと感動していたわたし。(それでもこんな私の感動を、知る由もないんだろうな~、アノおじさんは)

その後、参加者は三々五々に帰っていく。私は夜の便なので、同じく便が遅い数人と街に出てみる。とくにその一人がホテル周囲をよく知っており、いかにも賑やかな(スリのいそうな?)フロリダ通りに入る。さすが牛の国、靴屋や革製品のお店がやけに目立つ。衣服、かばんを扱うお店が軒を並べ、ときどきインテリアや電気製品のお店がでてくる。フロリダ通りから少し小径に入ったところにまたお店がずらりと並ぶ。そのつくりが面白い。やはり、牛の革製品が多く、値段も日本に比べてかなりリーズナブル。

ところで、日本人が海外で買い物に走るという話を聞くが、買い物は日本人の専売特許ではないと、常々私は思っていた。今回もやっぱりそうだと思った。一緒だったうちの二人はフィリピン人女性で、もともと買い物への意気込みが違う。ものすごい目つきでお店に入って行き、気迫で交渉をし納得すればエライ勢いで購入して、さらに購入したものをその場ですぐに身につけている(くつだったりカーディガンだったり)という、買い物をとことん味わっているようだ。



午後は、ブエノスアイレス市内バスツアーというものに参加してみることに。このバスツアーの切符売り場がホテルに近いまではよかったのだが、2時間半で6ドルというリーズナブルさ、しかも乗り降り自由とあって、すごい行列である。折悪しくもっとも日の高い時間で、帽子売りの帽子が妙に売れている。しかし切符を売るだけでどうしてここまで時間がかかるのか、日本人でなくても理解できなかった。みな訝しく思っている。しかも見ると窓口には二人もいるではないか。さらにその隣のツーリストインフォメーションの二人は客などゼロでも、もちろん切符売りなど他人事なのでしゃべってばかりいる。並んでいるツーリストの神経を逆なでするかのようだが、もちろん気づいてもいない(フリをしている?)。

わたしはずっといっしょにいたインド人の先生とおしゃべりをしていたかったけれど、なにせ声が出ないので、そばの妙な寝方の犬を眺めて笑っていた。やはり限界だったのだろう、すぐ後ろにいた4歳くらいの女の子が泣き出した。かわいそうに、疲れただけでなく暑いに違いない。お母さん、どうしてこんなに着せちゃったの?と思うくらい着膨れしていて2枚ほど脱がされている。その
お母さん、もう我慢ならないとばかりに列をかき分けて颯爽と前に進み出て行く様子を、周囲は
固唾を呑んで見守っていた。
ちょっと、どうしてこんなに時間がかかるのよ!この暑いのにコレだけ並んでいるのよ。もっと早く捌いてよ。せめて小さな子連れや車椅子のひとくらい、この車椅子マークの窓を開ければいいでしょ!」
といったかどうか知らないが(思いっきりスペイン語でまくし立てていたから)、わたしにはそうとしか聞こえなかった。「子連れでも車椅子マークの窓を今は開放できない」という融通のきかない返事しかなかった、と憤慨して列に戻っていた。この女性はスペイン語を話すが、私でも声さえ出たら英語だろうが日本語だろうが言ったのに。日本だったら15~20分で済むようなところを、なにせ切符を1枚買うのに1時間並ばされたのだから。

やっと自分の順番が来たかと思うもまもなく見ると、二人でひとり分の作業をシコシコと、しかもゆったりと手作業している。しかも若い女性は、「ハーイ、お二人はどちらから?」などと悪びれもなく聞いてくる。「そんなこと聞いているから遅くなるのよ!」とでも言いたかったがとにかく声がでないわたしは、なにかとハンディキャップが大きい。すると連れのR先生は「彼女は日本で、私はインドから」とご丁寧にも答えている。わたしなぞこういうのをみると、ここはいっそ機械化した方がいいかも、などと考えてしまうのだが。

バスでは、いわゆるラテン系のお客さんばかりでいても米国人が少数、よくいる中国人はどこにもいない。親子ほどの年齢が違い、しかも全然似ていないアジア原産二人は、どうみても目立った。しかもR先生は目も声も大きい。まぁ、あの目で話されれば誰でもだまってしまう。結構他愛のないことを言っていたりもするのだが(笑)。

Day 3


声はまだ出ないがフォーラムの会議は続く。3日目の最終日、私はいつの間にかラポターなるものになっている。何かあったら手伝うから(てっきりフットワークを活かした仕事を想定していた)、と軽く申し出てはいたものの、こうくるとはね 。ラポター(Rapporteur)とは、まあ言ってみれば議事録とりである。こんなにいろいろな地域の人がいて、英語が聞き取れなかったらどうするの~、なんてはとてもイエナイ  でもちょっと切実な問題でもある。

声がでないなりに人とコミュニケーションを何とかはかっていた開始前。そのフォーラムを取り仕きる男性がつかつかとやってくる。私の話していた相手で、彼の元部下でもある人に用がある様子。
「いいか、休憩後に全体を言語別に3つに分けてディスカッションを行う。英語とフランス語と、
それとえ~と」
ここで「もしかしてズバリ日本語ですね?」なんて合いの手のひとつでも入れてみたくもなるが、あまりそういう雰囲気でもなさそうだ、まったく

「あとスペイン語だな。ひとりずつこちら(主催者)からはいって議論をリードしてもらう。何語ならできる?」
「いや、それならぼくは英語しかできません。スペイン語をしたのはかなり昔でさびているし、議論まではちょっと」とオランダ人。確かに彼は英語の語彙が豊富でなかなかうまいと思っていたのに、それでもネイティブでなかったとは。
「そうか、じゃあ私がフランス語をする。パウロにはスペイン語に入ってもらおう」
「私」とはイラン人のおじさん。そこで呼びつけられたパウロ。
「まあできなくはないですが、何とかやりましょう」。彼が何人だかわからないが、母国語はスペイン語でないことは確か(ドイツ系イタリア人にもみえる)。それでもこうもあっさりと、3ヶ国語    での会議を編成されてしまうと、何だか極東の島国に生まれた悲哀を感じてしまう。

それにしても、声が出ないとはここまで不自由なものなのか。
あるいは、今日だけは声がでなくてよかったのかもしれない。しゃべらないでいるのはラポターにはうってつけだから。シコシコ書いていると、「こいつ、ちゃんと書けているだろうか」的なチェック が時々入る。むむ、ばれていたかしら、私の英語力(←そもそも初日にプレゼンしているのでばれているに決まっている )。
「大丈夫、すべてちゃんと汲み取っているよ」(ホッ)
すかさず前にいた英国人が
「そりゃ日本人だもんね」 (どういうこっちゃ?)

会議は無事終わった。声が出ないのはのぞけば、多少の無理をしてもきてよかった。
主催者でない立場もまたいい。いや、むしろそちらの方がいいかもしれない。

Day 2 声


今朝から声がよく出ません。
それでも何とか話していたらお昼前にはますます出なくなりました。
とにかく黙っておれ、ということですかね。

ランチ時に、会場に戻るべきかホテルに戻るべきか、とグルグル考えていたら 
「ここでわかっていること。今戻ったらまたいろいろな人に話しかけられる。
そして話せないからストレスがもっとたまる。話せば、声は回復しない」
と静かに言われる。

はい、そのとおり~でございます 
たまにいるのよね、こういう分析的なことをボソッという人が。私は、こうしたいな~それにはどうすればいいかな~と考えちゃう性質で、それが災いすることも?

風邪気味だとは思っていたけれど、ここまで声が出ないなんて初めて・・・。
結論はホテル戻りに決定。
やはり旅の疲れが出たのだろうか。
南米って遠いのね~、といまさらながら変な形で実感。

昨日のうちにプレゼンが終わっていてまことによかったことである 



しゃべれないのでホテルでの仕事が捗ってしまいます 

やはりのどを温めようかと頼んだカプチーノ。
できたのがコレ。なんですかこの砂糖の量は?

cappchion BA

試しに小さな一袋を入れてみると、それだけで十分甘いのですが 

Day 1


そもそも、なにゆえにブエノスアイレスくんだりまで来たかと申しますと、
これに参加するためです(↓)。
http://www.wfc2009.org/en/index.asp

WFC.jpg
(お~、サッカーでよくみる国旗よね~)

これは何の集まりかといいますと、森林や自然保護のテーマ  で話し合う
学会というよりはシンポジウム寄り、しかし単なるシンポジウムというよりは学会の分科会(の集まり)+会議が組み合わさったもの。ここで政治的な決定がされるというよりは、研究者や実務者がいろいろ意見交換したり議論する場、といった方がいいかと思う。
この規模では6年毎の開催で、今回はFAOとアルゼンチン政府が主催。国際機関を筆頭に大学や援助機関、WWFのようなその道のNGO、研究者、実務者、フォレスター(森林官)も来ています。今回は当然、南米の人が圧倒的に多い。ヨーロッパも割といるしアジアも健闘している感じ?そんななか、初参加のわたくしです。この中にいくつもフォーラムやセッションがあるのですが、その一フォーラムでプレゼンをすることになっていました。

ところがプログラムに変更があるとかで、いったい私は3日間のうちのいつ話すかがわからなく。主催者の忙しさもわかるので、ホテル到着後に確認すると「今晩プログラムをアップデートするから明日朝にはわかるだろう」というのんきな返事。

やはり初日の始まる前にパワポを仕上げておくかと(いわずもがな?)シコシコ作業を進めていた。
結局、2日目の午後とわかり初日でなくて何となく安心していると、主催者がやってきて
「初日に回ってもらえないだろうか」ときたもんだ。

その理由が、そのスロットでは発表するはずの人が、まだPPTファイルが用意できていないとかホテルに忘れてきたとか(?!)。まあプログラムを昨日までに知らせてくれればこういうことも起きなかろう。わたしとて、ほんとうは軽くひと通りの練習したかったのだけれど(ごめんなさい、わたしもPPT忘れて、と言えなくもなかったけれど)、ま、いいかとすぐに引き受ける。しかも彼女は友だちだし、どうみてもほかの人には頼みにくいのだろう。

プレゼンはプレゼンである。メッセージを伝えること、が大切。

今回はインド山岳地域の話をした。
本当は日本の話をしたかったのだが、このテーマがもともとのリクエストだったので、フィールドサイトでもあることだし、インドで話を組み立てた。ところが!
フタを開けばその分科会は、たまたまだろうけれど、インドパワーが強いというかインド・マジョリティの分科会なのでありました。インドの森林政策は歴史も定評もある。しかも聴衆の面々は、みると名だたる先生やインドの森林官 が大きな目を見開いて(る気がする)並んでおられるではないですかっ 

  どうする、わたし?
  これを間違えて聞いた人がいたりして、もし私の将来がかかっていたりしたらどうするの~。


などと言っている場合ではナイ。腹をくくって話す(笑、こういう時の度胸だけはある?)。
知っている先生や仲間も少しはいたのでよかった(のかどうか?)気もする。

話の構成はよかったと思う。話し方は発展途上だが、少し進歩した気がしてうれしい。
こういうのは場を踏むしかない。



ブエノスアイレスってどんな街?
と家族からメール。実はまだ、ほとんど歩いていないのです 
一応毎日見るとおりはこんな感じ(↓)

hotel mae BA

道中でのあれこれ(2)一路ブエノスアイレスへ


ふらつきの原因は、空腹だった。
米国入国手続きが済んでから、軽食のとれるお店に入る。そのお店では大リーグの試合中継があってアメリカ人の野球観戦の反応をみていると面白い。プレイのひとつひとつにいかにも素直に、オープンに声を上げ反応する。いかにも悔しがったり拳を挙げたり、見ているだけで楽しい。この一体化は相撲観戦をしている日本の観客と何ら変わりがない。

食べながらふと思う。チップ制度こそ日本向けなのではないか、と。概して計算が得意だし、サービスの質が断然いい。日本に導入されれば、働く側は俄然やる気が出るだろう。逆に、どうしてアメリカでチップ制度が根付いているのかあまり理解できない。習慣と言えばそれまでだが、取り立ててサービスがいいという場面にあった記憶はほとんどないし、味もまあよくて中の下。笑顔とサービスは違う。私自身、あまり食事には興味が薄いと思うことがあったのだが、それは放っておいてもおいしい(一定基準が保証されている)日本やアジアにいるからなのだろう。アメリカなんぞに来てしまうと食事や味は少しはいいものを求めたくなる。さもなくばとんでもないもを食べるハメになる可能性大だから。これから向かうアルゼンチンはいかに。

お腹も落ち着いたので、ブエノスアイレス行きのゲートに向かう。インターネットアクセスを試みるが、手持ちのラップトップではつながらず空港備え付けPCを使ってみる。操作のコツに慣れるまで少しかかった。季節柄、案の定おびただしいメールの数々。しかも日本語はすべて文字化け、□□□□118□□□□□□□□□□□□□□□3□□□□□しかわからない。ラオスのネット環境でも日本語は読めたのに・・・。

ダラスからブエノスアイレスまでなぜか6時間ほどで着くのかと思っていた私は、9時間半と聞き、南北アメリカ大陸の大きさを実感する。機内で、航路の写真をシャカシャカ撮ってみるものの、ブエノスアイレスに近づいていくのをみながらワクワクする。こうして航路を見ると随分遠くまで来た気がする。

flight route1 flight route

現地では朝8時過ぎにブエノスアイレスに到着。国際空港にしては意外なほど小さな空港だ。途中で2回(日本→ダラス、ダラス→ブエノスアイレスと)立ち寄ると、日付や時間がピンとこなくなってくる。ところが i Phoneはこの辺もバッチリ表示してくれるのがうれしい。今は海外ローミングを停止にしているので(国際電話は天井知らずに加算されていくとか)、無線LAN以外使えないものと思っていたが、機内でいじっていただけでも結構楽しめる。

ホテルに着きつきあれやこれやするうちに眠気に襲われる。しばらく寝てから起きると仕事の続き、暗いので外に出るのも憚られ、結局その日の夕食はルームサービスに。このパスタ。(基本はミートソース)がまた、あまりにおいしかった。さすがは牧畜の国!そのおいしかったパスタを感動を込めて一枚。

pasta BA


道中でのあれこれ(1)成田→ダラス


今まで、成田から先は現地までは飛行機が勝手に運んでいってくれるもの、という感覚だった。しかしアメリカン航空だからか、眼の前にはアメリカ人の客室乗務員ばかりのうえに、行き先が米国ダラスということもあってか、スペイン語が飛び交い、アメリカ人と中国人がやたら目立つ。成田のゲートにしてすでにアメリカを感じている自分・・・。やっぱり私はアジアが好きなのだろうか

IMG_0006_convert_20091022190410.jpg
夕食もアメリカらしいチキンパスタ(↑)。それになぜか稲荷と海老のにぎりがついている組み合わせ(さすがアメリカ!)。といっても当然お箸はついていない。別にいいけど、そばの人がナイフで稲荷を真っ二つに切って食べているのが目に入る。稲荷をナイフで食べないで~。

アメリカ人の客室乗務員ばかりのはずが、「よく聞けば日本語らしい」アナウンスが流れている。それもなぜか英語アナウンスからかなり間をおいて始まるので、大体タイミングを外している(ユニセフ募金のお願いも、募金袋が回り終わった後に流れるとか)。この日本語アナウンスの主は子どもの頃、日本にいた帰国子女なのかな~とも思う。ただ区切る箇所がヘンなので、注意深く聞かないとまったく理解できない。
きっと私の英語もこんな感じで聞かれているのかしらん。言葉はリズムが大切だというし。
それにしても、何をとってもアメリカ人客室乗務員に、日本人客室乗務員の気配りの10分の1でもあればとは思っていたが、いいこともあった。ある乗務員は、会話で客を楽しませるのが趣味なのか単に自分が楽しみたいだけなのか?

紅茶よりもうすいような(比較が可能か?)機内のアメリカンコーヒー 
「量は半分ほどでお願いします」
「オーケー、少量ってことね」(そうは言っていないけれどま、いいか
「こんなんでどう?」
みると底にわずかあるのみ
「おふざけよ」(ニコッ) (←わかっているよ
これ以降、この女性乗務員に何かと話しかけられる・・・(まさか子どもにみられていないでしょうね??)。

それほど疲れる間もないうちに昼下がりのダラス到着。空港に降り立つと最初に目に入ったのがカラフルなキャンディーのお店が登場!
candy Dallas

思わずその色に
「アメリカだ~」
続いて乗り継ぎ前の米国入国の手続き。いわゆる外国人が並ぶすごい行列。その脇に設置されているテレビ画面は、牧場の馬やロデオの画面ばかり。
「テキサスだ~」

しかしこの米国入国に時間がかかる。とにかく一人一人にかかる時間が長い。ここで気の毒だったのは、目の前の家族連れの男の子が急に具合を悪くしたことだった。これがエコノミー症候群というのかどうかはわからないが、母親が異変に気づいたかと思うと立っていられなくなった。医者か救急隊員なのか、横の列の男性がすぐにやってきてテキパキと処置していた姿は見事だった。その男の子は10歳くらいで北欧系かと思しき色の白さ。もともと色白の顔からさらに血の気が引いて本当に蒼白している。そうこうするうちに係員が水をもってくる。少し立てるようになった男の子の口に水を含ませ、すぐに順番を譲ってもらった一家。この間5分くらい。後ろにいた日本人が「何というか、この場でもみんな冷静だよね。日本だとすぐに担架とかがきそうじゃない?」
確かにそうかもしれない。

乗り継ぎなのに入国手続きを終えて、私までよろっ。

悪いクセ2


私の悪いクセ第2弾。
それは成田についてから本を買ってしまうこと。

余程のことがない限り、ターミナル2の三省堂に立ち寄ってしまうのだ。行く度に品揃えが
変わっているからまた楽しみでもある。とはいえ、荷物を預けてからだから手荷物が増える
のみでいいことない。

そこで、今日は書棚を眺めながら買いたい思いを抑えていた。で、ホラ、1冊買っちゃった(笑)。
でもがんばって(?)新書本でやめたつもり。これから成田で買うのは新書本2冊までと
限定しようか。

悪いクセ

どうも私には悪いクセがあるようです。それは、出発前の急ぎ買い物
それも電気製品!

筆頭は昨年初夏のラオス行き。フィールドということもあり、GPSやらICリコーダーやら
買ってしまった。機能的にこれはあまり問題なし。

次は、昨年末だったが、パリの夜景をとりたいからと一眼レフのデジカメを購入。
これは前からほしかったこともあって、Pentaxにした。撮れるには撮れたけれど
したたり落ちるライトを収めるのはホントむずかしいと実感。

そして8月のベトナム前。この時はフィールドにあまり出ないので、コンパクトなカメラが
いいかなと、瞬時に店頭でFujifilmという思ってもいなかったメーカーを購入。飛行機の中で
マニュアルみながら操作を確認。ま、デジカメならそれで済むけれど。

今回は、まさかと思いながらiPhone 3GS!
周囲に使っている人をみていると(って2人だけだが)、興味が湧いてきて、しかもあまりに古い
私の携帯・・・。機能はするけれど結構ガタがちらほら。ということでTwitterもしてみたいしねと
理由をつけて、土曜日に購入。無謀と思いながらも、ま、どうせいつかはやるのだから、と
自分を納得させる。

すると何が起きたか、といえば。
ただでさえ仕事があるのに、日曜の朝からテクニカルサポートセンターに電話をかけざるを得なく
なるわけでございます。手取り足取り教えてもらいながら一歩一歩進み、しかも待ち時間にも
仕事をしつつ、パソコン2台、固定電話1台、携帯、コピー機、プリンターといったり来たりしながら
目と手と足をフル回転で、1日中動き回っていた日曜でございました~。いろいろはかどって
よかったことであるよ。

しかし、あとでみると登録のメールアドレスをひと文字間違えていたり、やっぱり問題発覚。
あと1日あれば・・・。
今回は飛行時間も長いし、乗り継ぎもあるのでTwitterをしてみたかったのですが(残念)、
やはり機内は仕事と睡眠ですかね。

ということで、今日からアルゼンチンに行ってきます~。初めての南米で楽しみです♪


金曜の夜


なぜかわからないけれど、金曜の夜に「仕事で」遅くなることが多い管理人です

いえ、正確に言えば、どうにもjこうにもめまぐるしい状態で首が廻らない、というよりは

シコシコ仕事を進めて(だから結構、生産性が高ったりする ← ここまではハッピー)、
ふとした拍子にハッと気づくと
    
もう遅いじゃないの~ と気づく
    
にわかに猛然とフィニッシュに向けて走り始める
    
それでも、
仕事の整理やメモなどを済ませていると、
そういうときに限って
余計な電話が入ったりもして、はたまた説明が長かったりして 

    
やっとオフィスを出たのが夜11時とかで 、どうりで暗いと思ったワよ

なのに、
街には妙に楽しそうだったり華やいだ 雰囲気すら感じる (← ひがみっぽくなっている?)
    
電車の中も人が多い
    
で、気づくと金曜の夜だった
な~んてことが少なくないわけですよ、Fridaysは。

ま、今週は月曜からこうだったので、金曜も何もないんですけどねっ(笑)。


つぶやき


友達から連絡が・・・。
い、生きています~。

何というか 目の前の事を片付けながら次々と波が押し寄せてくる感じ。
時間管理がうまくないかもしれない自分を感じてしまいます 

ひとつひとつ、淡々と、トコトコと ―
いろいろな言葉が頭に浮かんでは消え ―

こういうときに限って、何だか仕事だけでなくプライベートでもその狭間でも
あれやこれやと持ち上がるのは、試されているのかしら?(&だれに?)

はい、これがホントの「生きる」ということでしょう、か。
こういう時、思ってします。がんばりすぎないで頑張ろう(?)、みたいな。
支えてくれる皆様や家族がいるのは有難いことです。



さて、新聞にも目を通してないような、でも確か昨日の朝刊だか夕刊の一面に、
教員養成課程6年間へ、な見出しをみました。
賛成、ただし、その6年間にぜひとも
学校の外で働く機会を与えてください
よっ。



重なるとき


どうも、
仕事の重なるというかオーバーワークになると、世の中の連休とぶつかる管理人です。
3月もそうでした。そしてこの3連休も・・・そうなりそうな。
「今度3連休よね!」 と先日言われて、すぐにピンとこなかった管理人でもあります。。。

今日と月曜は確実に仕事です。
ということは、明日はどうしましょう。

今回は、やたら半端じゃありませんっ
メモしておくと 

10/16までに、
 グラント申請書(1)締め切り
 ペーパー(1)締め切り 
 グラント申請書(2)締め切り
 プレゼン締め切り
 ペーパー(2)締め切り

軒並み並んでおり、さらに翌週

できれば10/23までに (ちなみに出張中 
 ペーパー(3)締め切り
 ペーパー(4)締め切り
 ペーパー(5)締め切り
 報告書(1)締め切り

(マイナー)
 報告書(2)締め切り
 報告書(3)締め切り

これに出張手続きやらナンやら加わると思うと、もう・・・(泣)。

飛行機に乗るとホッとするという気持ち、よくわかります~。


今朝のニュース天気予報によると

前線+台風=大雨

だそうで。これをみながら、当たり前でしょう~と思いながらも、妙に納得
というか印象に残ってしまったこの方程式(?!)。
ごく当たり前のことでも、言葉よりも目に飛び込みやすい表現、ビジュアルに訴える力
ってあるんですね~。

これに倣って今の私の様子を。

目の前の仕事の山+締め切り=効率アップ
目の前の仕事の山+締め切り+体の疲れ=風邪
風邪 < 栄養+薬

こんなことでも考えて気を紛らわせているのですが、そんな場合でもなく

はいっ、仕事します 



この雨の中


日から雨、今朝はもっと本格的な雨、ここ数日は雨雨雨という天気予報を
やや恨めしげに、それでもワクワクと出かけていきましたよ、5時半起きのわが子は。
学校行事の一環とやらで長野まで、林間学校だそうです(笑)。
この雨で林間 も何もないような気が・・・。

しかも気象庁のサイトをみれば、こんなんじゃないですか~

0918-00.png

中心気圧920hPaですよ、すでに!
この数字だけでもうビックリです。

きっと雨とともに出かけて行き、台風とともに帰ってくるんだろうな~。
火曜の今朝出発で長野に向かい、木曜の夕方にバスで東京に戻ってくるのだそうです。
自然とのふれあいや命の大切さを知る農業体験があるそうで、面白いプログラムですが、
雨も生態系の一部ということで、それもまたよしでしょうか。

それでも何でも子どもたちは楽しくはしゃいでいるに違いないけれど(今頃バスの中)。
引率の先生、お疲れ様でございます~


この地図をみながら、あ~ボルネオは晴れているんだろうな~、と思ったり(←台風の接近と
無関係に年中のこと)、インドネシアの友達は大丈夫だったでしょうね、地震の影響はと思ったり。
明らかに風邪の引きかけで(もうひいている?)頭がぼ~っとしています。

日本のメーカー


ちょっと前のことになるが、メーカーとひと悶着あった。
といっても、当事者はある友達の話。日本にもう5年は住んでいるの中国人夫妻でかなりの日本通。言葉にしても読み書きはもちろん、会話もまったく問題なしと日本語はお手のもの。逆(=日本人が中国に住むパターン)ならこうは行くまいと思うと、これぞ中国人の利だろう。日々の生活でもコミュニケーション上の苦労はないし、日本のよさを発掘するのが得意な日本ファンでもある。

その彼らが、プンプン怒っていたのは9月の連休明けのこと。
「日本のサービスを信じていたのに、もう信じない。何だかだまされた思い」
穏やかではない。
聞けば、こういうこと。

ある大手メーカー(A社としよう)の全自動洗濯機を昨年10月に購入。
それが9月の連休前に突然、問題発生。曰く、洗濯機を回すたびに黒いものが底の方から出てきて、洗濯水の汚れが目だってひどくなった、とか何とか。

そこで、買ったお店やメーカーに問い合わせたところ、やって来たのがA社修理センターの人。やおらチェックした結果、「これは修理できない。機械の故障でないので保証の対象外である」と言われ、チェック済みという書類にサインをさせられた。
確かに、買って1年しない洗濯機が壊れた話はそう聞かないけれど、それで無料の修理サービス保証がないのもまた珍しい。ちなみに我が家の洗濯機は、半年使った新品(?)を譲り受けて12年になるが、何事もなかったかのようにピンピンしている。

「機械の故障でないというならその黒いものの原因は何だったと修理センターは説明しているの?」
細かい理由はわからない、と言う。さらに続けて
「うちは泥だらけの服を洗濯しているわけでもあるまいし、ごく普通の使い方しかしていない。なのに1年以内でこんなことが起きて保証外なんて信じられない」
「修理サービスはできないから、お金を払って修理するか新品を買えというのよ。これじゃ詐欺じゃない。1年以内で無料の修理サービスできないってどういうことよ」
「見てよこの手。原始的にも毎日手で洗濯しているのよ」
小さな子どもがいるので、毎日の洗濯の大変さはよくわかる。ちなみに奥さんの方は、時としてエモーショナルなトーンに走る傾向がある(ここではとりあえずマダム・エモとしておこう)。
「まあまあ」
ヒートアップする彼女をどこかで止めるのも私の役目みたいだ。
一方、歯止めが利かないで、放っておくのが最善の時もある。今回はだから、どうしたものかと静観していた。

と・こ・ろ・が、放っておくとだんだんエスカレートしてくる。
「日本にいるのもあと数年だと思うと、また買うなんて考えられないわ。だからと言って中古を買うのは気が進まない。新品を買ってこうなのだから、中古なんて何が起こるか。だいたいねぇ・・・」
「だましたんだわ。私たちが外国人だからって、わからないと思ったのよ。きっと騙されたのよ、私たち、何てこと!」
さらに
「今まで日本のサービスが世界一だと信じていた。でもそれも過去の話。もう失墜したわ」
日本のメーカーを悪く言われては、半ば日本メーカー応援団(自称)の私としてはたまらない。

「で、結局どうしたいの?どうあってほしいの」
「もちろん無料での修理サービスよ!」
「もう一度メーカーに連絡してみれば」
「でも望み薄よ。今までBさんにもCさん(ともに日本人)にも電話してもらってこうなんだから」
それを早く言わんかい 
しかし、とそのBさんとCさんを思い浮かべてみる。ふーむ、何ともソフトと言うか押しが足りないと言うか。先方の説明をフンフンと聞くだけ聞いて、素直にそのまま彼女に通訳してみた光景まで思い浮かんでしまう。交渉する以前に主張した気配すら感じられない。
「でも、もうほかにだれに頼めばいいのか」
「・・・うん、となると・・・たぶん、わたしかしらね?」
「え、頼んでいいの?」
「うまく行くか約束できないけれど、ま、やってみるわ。期待しないでね」(←結構のんき)
待ってましたとばかりにマダム・エモはパッと晴れやかな顔に変り、握手の手を差し出す。

まずは電話してみる。先方は記録を取り出してきて説明を始める。聞くと、「本体の機能に問題なし。故障箇所はホース」と記録されていたことがわかる。原因は、ホースではない 給水中に汚れるのではなく、洗濯槽が回り始めてでてくる、正体不明の黒い異物の存在が、どうしてホースの問題として説明できよう。ここにミス・コミュニケーションありきと判明。

そこで、無料修理サービスの依頼をすると、もう一度センターからのチェックが要るという。前と違う人がチェックすることもできるというので、その方向でお願いした。それが週末のこと。
週明けのお昼前、マダム・エモが晴れ晴れ  とした表情でやってくる。

「今朝きてね、ものの30分で直してくれたのよ。もうこれで毎日の手洗濯から解放されるわ~」
果たして、新たな修理センターの人は、洗濯機内部の故障とあっさり判断。その場で修理してくれただけでなく、汚れの原因となったであろう洗濯機の底の部分を外して部品の取替えまでしてくれた。もちろん無料サービスの一環で。
「日本のサービスってやはり世界一だわ。すばらしい~」
マダム・エモはどうしてどうしてかなり単純な性質である。彼女の反応は、時として傍から見ていると可笑しくもある。同時に何だか昔の自分を見ているようで、楽しくも恥ずかしく、何よりどこか放っておけない。

2回目のチェックでコミュニケーション上で問題があったら私に電話が来るはずだった。だからそうなったらどう話を進めようかと、これでもあれこれ考えていた。
一般的な対応。
「あのですねぇ、彼らはだまされたといっていますよ。お客を騙すような行為は、A社ともあろう大企業はなさらないですよね」
次はプランB
「いいですか。彼らは中国人ですよ。ご存知でしょうが、中国社会の口コミと情報ネットワークはすごいものがあります。いずれ国に帰る二人が、この洗濯機の件を言いふらして被るであろう御社の損害はおわかりでしょうね」
ほかにもあれやこれやと、ひとり作戦会議を頭の中でしていた。ここですべきことは、相手を責めることではなく、相手に1年以内の保証期間での無料サービス修理に同意させること、に尽きる。誉めたりなだめすかしたり、主張したり譲ったり、なんだかこういうことが最近多いような気もしなくもないし、気のせいであってほしい。まったくコミュニケーションの難しさ。
それでもふたを開くと、まったく杞憂に終わっていた。マダム・エモの喜びようはいうまでもない。

年輪を重ねていくということはまったく、ずうずうしくなることであり、ことを押したり引いたりする按配を知ることでもあろうか。


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小学校の先生


かねがね気になっていたことがあった。
小学校の先生のことである。

どの先生も、熱意がありまじめだ。しっかり仕事をこなそうと努力しておられるのもよくわかる。若くてやる気がある人も、ある程度の経験をつんで落ち着かれていることもわかる。しかし、教育現場が上手く回っているようにも見えないときがある。というか、もっとこうすればいいのにといいたいことはよく出てくる。はっきりいって、提言や改革の可能性の宝庫なのだ、学校の教育現場は。
一方、同情すべきは、学校の先生や現場で、教育以外の業務が多すぎること、恐るべきは(推測だが)、本来の教育や関連する大切な業務にしわ寄せが来ている場合もある、ということ。

そこで本題に戻り、考えていたこと
小学校の先生の能力をもっと上げなければならない
それにはこのままではダメだと思う。
ここ数年、教育現場にビジネスパーソンや教育界の外から人を呼ぶのも、そういった危機感の表れだ。問題は、そういう危機感がごく一部のひとにしか共有されていないこと。
今の学校や先生に望むこと――幅広い視野や柔軟な考え、的確な判断力と冒険をしてもいい土壌―もっとあるかもしれない。そこで私の提言。
先生に違う世界で働く機会を提供しよう~! 

なぜそう思うかというと。
今まで何人もの先生をみてきた。共通しているのは、ご自分で判断できない状況が多すぎるのだ。理由として、能力と土壌の両方があると思っている。
今まで一人だけ、たいへん判断や融通のきく女の先生がいらしたが、聞けば案の定、5年近く社会で働いてから教員に転職した、という経歴の先生だった。言葉遣いから対応まで、あまりに違ったのが印象的だった。

ややもすると、先生一人一人がどんなに頑張っても、定年近くまでその世界しか知らない環境におかれている。それは、トップに立つ校長(*1)や副校長を始め、教育委員会と話してみればすぐにわかることだ。このダイナミズムの時代にして、小学校教員(*2)の世界に特異かつ顕著な傾向だと思う。しかもそれは、社会や保護者のニーズと学校の乖離を意味する。

と思っていたらたまたま今朝のNHKニュースで川端文科相のインタビュー。
医学部や薬学部のようにという意味らしく、教員養成期間を6年制にする構想が出されていた。
いいと思った。というのも、先生になってからでは遅いのだ。忙しすぎて能力を磨いている時間がとれないようだし、研修といっても半日とかで、しかも研修内容が進化しているのかどうかはよく知らないが。とはいえ、学校の先生の卵に6年も学校だけにいられてはたまらない、とも思う。ますます世の中に疎くなってしまう。

そこで思った。そうだ 6年のプログラムに実社会で働く機会提供を組み込めばいいのでは!

6年のうち最低半年、できれば1~2年、社会に出て働く機会を提供するのはどうだろうか。お店でも、企業でも、公的機関でも、NGOでもいい。将来働く学校とは異なる世界で見聞を養ってもらうのだ。社会で揉まれてもらうというのだろうか。できれば、雇用側から「どうせ学校に戻るのだから」といった感覚でみられ甘やかされないためには、まだ議論の余地はある。6年間学費を払い続けるのと、そのうち1年間給料をもらいかつ違う仕事経験をする機会を得るのでは、教員志望の人材の意識や質も断然変わってくると思う。もちろんその間の給料は税金でまかなう。会社がその人に残ってほしいと考えかつ本人もその仕事をが続けたい(=学校に戻らない)のであれば、それもあるだろう。教育の一環と考えるか、投資なのかは議論の分かれるところだが、そこはまた途中途中でのシステム上の工夫の余地が大いにある。

日本の次世代への投資をもっと重くみようではないか。私はそう考える。



*1 概して、校長先生の話は長い。それは、話す内容が何であれ聴衆は聞いてくれるのが前提で厳しい評価にさらされていないからだ、と斉藤孝『話す力』に書いてあった。その通りだと思う。ちなみに私の知っている校長先生は、正直言ってあまりに話が長い。あなたの話は中味の割には長いですよ、と言われたことがおそらくないのだろう。子どもの卒業する頃になったら、校長にさりげなく(さりげに)進言してみてもいいかなと思っている。

*2 若い先生は同じ学校の先生同士で結婚する場合もあまりに多い。


プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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