ポスドクの就職状況


昨日のニュースで、大学生の就職状況の厳しさを伝えていた。
大変だとは思う。それでもまだ20代前半。可能性も同じだけ秘めている。
若い頃の苦労は当然だと思うし役に立つことが多い。

しかし、
世の中は、ニュースではポスドクの就職状況の厳しさは伝えない。
ポスドクとは何で(どういう存在で)、何をしているのかも伝えない。
そもそも知らないのだろう。
知らないのに、政府は科学技術予算を削減しようとした。
とんでもないことだと思う。だから、まずは知ってほしい。研究者の自助努力も必要だ。

それにしても、こんなところに日本の科学技術政策の無策ぶりが目に付く。
科学技術が立ち遅れたら、世界における日本の存在感は今まで以上にかすれてしまう。

最近このサイトを聞いた。創作童話とはいえ、創作ではないリアリティを感じずにはおれない。
日本の博士がこれではいけないと危機感を覚える。

http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/

とりあえず写真


帰ってきたら、仕分けやらCOP15やらでにぎわっています~。

11月10日くらいからインドの分を先ずは写真等を少しずつ載せました。
ビジュアル的にも説明かあった方がいいかと。

文章のももう少し書き加えたいとは思っていますが・・・。

Facebookへの書き込み


Facebookに何かコメントか書き込んであった。
開くと、誕生日のお祝いが。

みなさま、ありがとうございます~!

もう最近は、自分の誕生日も気づかない日を送っておりました。まずいまずい・・・。

久しぶりの友だちからのコメントは一行でもうれしいものです。


筋肉痛


日本に戻って2、3日の昨日今日。
何だか足のふくらはぎに筋肉痛を覚えるようになりました。
疲れがない、なんて書いた日もありましたが、これってウソ?
でもなんで筋肉なのだろう?

すると我が夫
バングラであまり歩いていなかったんじゃないか?」
ドキッ 
「歩くには歩いたけど・・・」
「1日1000歩くらいでしょ」
そ、そうかもしれない。
少なくとも1万歩は歩いていなったことはたしか。

インドはまだしも、バングラについてからはあまり歩かなかった。
歩くに歩けなかったこともある。
街を歩くと陥没したアナに一人落ちたりしていたことも
運動したわけでもないのに、歩いていないで筋肉痛になるとはね。

そういえば、日本に来て電車に乗るようになって体が軽くなった、という友だちは少なくない。
その心は、
車に乗らない→自然に歩くようになる→日常的に運動するようになる→体が軽くなる
正のスパイラルである。

まさにその逆が今回のわたし。
歩くことがこんなに意味あることだったとは。それを教えてくれた筋肉痛に感謝?

尽きない疑問


バングラにいたのはたかだか1週間ほど。市井の人々と接する機会は少なかった。それでも目に訴えかけるものは多い。インドでもそうだが、社会の秩序など気にもせず、よく言えば自由、好き放題に生きている。日本人ほど正直で勤勉でないかもしれないが、懸命に働く姿はそこかしこにみられる。しかも必死に生きているようにもみえる。それでも社会のモラルはいうまでもなく、とても公共とか人間の尊厳とかいう概念からは程遠い。

な・の・に

一方で、歴然たる階級社会がちゃんと存在する。つまりものすごいギャップがあるのだ。
ホテルでの晩餐を楽しむ上流階級の人たちと、そんな夜を想像だにせず毎日コツコツと働けども働けども日銭を稼ぐだけの人―いったい、どのくらいの人がどれだけの上澄みをすいとっているのだろうか。その統計があるとしたら、あったとしても、その数字を見てみたくない。希望を感じる数字ではないと思える。

人々はみな、あきらめてしまっているのか、はたまた受容してしまっているのか。その根底には、貧富の差という言葉だけではない、何かがある気がする。これは社会システムの問題なのだろうか?

疑問は尽きない。
援助のお金はどこまで流れていくのか。NGOの役割とは何なのだろうか。政府の機能はどうなのだろうか。

中古リキシャ


チッタゴンで聞いた話。街を走るリキシャは二つある。曰く、

サイクロリキシャ(自転車版リキシャ)は日本製、
オートリキシャ(自動車部品を使って作ったリキシャ)はインド製

もちろんどちらも中古で、日本の中古自転車の部品を使った、インドの中古車の部品を使った、という意味。しかもインド産というよりはインドから流れてきた車、ということらしい。自転車シクロはなかなか壊れないが、インドから来たシクロはやたら壊れる。だから、と彼は言う。

ジャパン、エブリシング イズ グッド
インド、ノー・グッド

・・・

 

帰宅


無事戻ってまいりました~。
成田に着くと早朝ということもあり、8.7℃という数字が目に入る。それだけでもうミブルイが・・・。

やっぱり家はいいな~。お茶があるし、お風呂があるから(笑)。
インド・バングラでは、毎日朝は早く、夜もなんだかんだ言って遅くなるのが常でしたから、
もう少しは体を休ませたいと思っております。

またおいおい書いてまいります♪

帰国の途へ


今、バンコクで落ち着いています。

今回の旅は私には長かったのですが、幸いなことに今は疲れもそれほどなく安心しています。
またおいおい書いていきますが、今回は地理的に、また仕事面でも(何より付き合う相手や会議の
色彩など)振れ幅が大きく、まさに振り子のようにモードをスイッチしなければならない場面が続き、
自分の軸を保つのにエネルギーを要した(と気づいたのは今が初めて。だからときどき疲労を感じ
ていたのだと思う)。

ふと見ると、シロン(インド北東部)にいた前半にはまだあった右手の肌荒れがいつのまにかなく
なっている(いとうれし~ )。暖かい地域にいたからかなあ(といっても日本の9月上旬くらい)。
寒かったシロンにいたのが随分昔のことのように思える。東京は寒さが進んだと聞く。
このブログの天気予報も気温がみられればベンリなのだけれど。と思って今i Phoneを取り出す
と、東京13℃と出る(!)。午前中まで29℃のところにいたのにこの気温差は・・・。でも友だち
曰く、バンコクもここ数日寒くなってきたらしい。体調管理に注意しなくては。

これからやっと日本へ!
フツーのおにぎり  が恋しいわたしです。(もうカレーはしばらくみたくない・・・笑)

バンコクでの夕食:好物のパタタイ(タイ風焼きそば?)と注文してみたおみそ汁
misosiru.jpg

ダッカ考

ダッカでは、交通渋滞がなければ、との枕詞を聞かない日はない。
朝9時から夜9時まではまず渋滞である。しかもダッカの渋滞は単なる渋滞ではない。大型バスに乗用車にリキシャに自転車が入り組んでいて、そこを人が横断するだけでなく物売りや物乞いの人、子どもまで参入している。これで渋滞しない方がおかしい。そう考えれば、日本の渋滞なんてかわいいもの。日本の渋滞がTraffic JAMならバングの渋滞はTraffic Chaos ではないか。

ところでダッカにも来年オープンの大きなショッピングモールが建設中である。一方で、都市部にはスラムや物乞いが跡を絶たない。そもそも、都市開発よりもインフラ整備よりも、まずは道路整備や交通整理をすればいいと思うのだが、バングラディシュの人々は政治家をハナから信じていないことが言葉の端々から容易に伺える。たとえば、横断歩道があっても意味がなさそうだが(この調子では、横断歩道があっても誰も通らないだろう)、歩道橋を作るのはどうだろう。(私の勝手な想像だが、この国ではどうも都市よりも農村から安定し発展していく予感がする。)



ダッカにいる間、日増しに感じていたのは、英国の影響だった。200年間の宗主国だから不思議ではない。それでも、インドでもマレーシアでも感じないイギリスの影を感じた。それが何かはわからないけれど。今でもDFID(英国開発庁)の関与は非常に強い。そのうち思った。この国で出ている世界地図を買い求めたい。英国の影響下で作られてきた地図は、いかなるものなのか、という思いもあった。アジア女子大学にあった地図を見てその思いは強まった。調べると、ダッカで大きな書店に行けばあるという。そこで目指すはWord ‘n’ Pagesという大書店。ダッカの書店をみてみたかったこともある。

午後は空港に向かうので、朝の2時間ほどしかないが、運転手に頼んで連れて行ってもらうことに。ところがその書店。場所がウェスティンホテルのすぐ隣のはずなのだが、行けども行けども周辺には番地すら見当たらない。仕方なくホテルの人に聞くと、あっさりと「さぁね、知りません」という。そこを歩きかかったビジネスマンに聞くと、その本屋は移転したと移転先を教えてくれる。もう一度私だけでなく運転手に話してもらい、懇切丁寧に説明しているかにみえた(実際、そうだと思った)。しかしそこへ着いてもやはり「本屋はここにない」といわれる。洋服や貸衣装屋のような店構えで、いかにも書店がなさそうなつくりではある。再びみたび、運転手は大またで歩き始める。歩きながら誰にでも聞くわけではない。聞く人を選んでいるかのようだ。

今この場で書店に電話をすればいいではないか、と言ってみたがなかなか首を縦に振らない。散々歩き回った挙句の果てに、運転手は遠い目をして、はき捨てるようにつぶやく。
この国では誰も何も知らない。誰に何を聞いてもなにひとつ確実な答えは返ってこない。誰に聞いても100%確実にわかることはまずない
きちんと知らないのならなぜ答えるのか、と私など思うのだが、とにかく人に聞けば聞くだけ混乱することは確かだ。となれば、自分で調べて自分で確認するしかなさそうだ。
「ともかくいろいろと尽力してくれてありがとう」
「書店が見つからなかったのにお礼なんてフシギですね」

後で調べるとその本屋は遠く離れた別の地区に移転していたことがわかった。その本屋に行くには、ダッカの渋滞を考慮すれば半日はみておかなくてはならないことも自ずと明らかになった。地図はどこでも手に入る。しかし、次のダッカに来ることがあればその書店に必ず行こうと決めた。

日本に来た外国人は、日本人は親切だといって一様に驚く。私にいわせれば、彼らを驚かすのは、何も「親切に」道を教えるのではなく、誰に聞いても高い確率で「正しく」教えるからではないだろうか。

不確実性 UNCERTAINITY ―これもまたダッカでよく聞いた言葉だ。このUNCERTAINITYこそがまさにバングラディシュの抱える二つの問題、つまり社会と気候変動の共通点でもある。

それでも私は、この国にひとすじの希望の光を見出している。とくに人材面で。

たとえば、1日に何度も電気が切れていた。最後までそうだった。でもすごいのは、ほとんどの場合、1分としないうちに復旧することだった。これは、30分から2時間は覚悟するのが普通のラオスではありえないことだった。これでラオスとバングラがどうというつもりはない。しかし、途上国という言葉だけではくくれないリソースを、潜在性を、どこか私は感じている。今、有能な人材が母国に戻り始め、また国内でも人材が育っていくことを期待したいと思う。



そして、だからこそ、日本は、日本人はもっと力を発揮できると信じている。

アジア女子大学


昨日で主要な予定はすべて終え、今日は日帰りでチッタゴンに行ってくる。目指すは
アジア女子大学

ミーティングを終えた後、クラスを見学したり学内を案内してもらう。ここではアジアの途上国から
学生を募り、まず大学準備コース(1年)に通わせてから大学に行く5年コースを設けている。
一家から初めて娘を大学に送り出す(つまり家族に大学に進学したメンバーのいない)家庭出身の
学生には全奨学金を支給している。全寮制で、学生の30%はバングラから、残りはベトナム、
スリランカなどアジア13カ国から集めている、バングラ初の「国際的」大学だから来たのだと、
チッタゴン出身の学生はうれしそうに語ってくれた。昨年始まったばかりで、今いるのは大学1年生か準備コースの学生。

昼食時に、親しげに話しかけてきたカンボジアの学生3人と話す機会があった。素直で向学心に
燃えている、若さがまぶしいい。将来の夢を聞いてみると、IT専門家、エコノミスト、などすぐに
出てくる。ぜひ叶えてほしい。これからのカンボジアを支える人材の萌芽がここにすでにある。
学生のだれもが、やや恥ずかしげに、しかし臆することなく話しかけてくる。自分の若い頃を
振り返っても、これは日本人の見習うべき点だと思う。

実はこの大学について、7月下旬の新聞でたまたま見た記事で知った。興味を覚えたがしばらく
そのままにしていた。10月になってバングラに行くことが決まり、チッタゴンまで足を延ばしてみる
ことにした。ダッカではずっとワークショップやらミーティングやらで、今日しか空き時間がなかった
のだが、ここでは日曜は平日なのが幸いした(金曜土曜が週末)。

来年を目途に建物を増築中で、キャンパスの一部はまだ工事中だが、Twitterに書いた
無線LANが通じた場所も実はここである。大学だから当たり前では、必ずしもない。インドや
バングラでは。無線LANが普通に見られるのは一部のエリート工科大学だけではないか。

また、日本でみつかならなかった(もともとないのだろう)バングラのガイドブックだが、アジア女子大学の外国人スタッフに教えてもらった英語のガイドブックは一見してよくできていた。アジア女子大学や気候変動まで書かれている。帰りに、彼女に教えてもらったチッタゴンの本屋で購入。数ヶ月前に英国で出版されて入ってきたばかりだという。Lonely planetに比べても倍以上の厚さだ。

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ところで私の泊まっていたホテルには、あるポスターが貼られていた。その文句がまたいい。

ツーリズムが来る前にバングラに行こう
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セピア色で、いかにも時間の経過を感じさせるポスターだが、聞けば8年前のものだという。

「でその後、たとえば今は観光客は来ていますか?」
「ぼちぼちです」
ポツッ、ポツッ、ではないだろうか?

コルコタのバス


ダッカでオンボロ・タクシーに揺られながら、私はコルコタでの半日を思い出していた。

あれはちょうど2年前のこと。インドのシッキムからの帰り、コルコタで8時間ほど待ち時間があった。その時一緒だった3人。うち、一人は空港で休んでいるという。そこで、ぜひコルコタの街をみてみたいというY先生と連れ立って町へ向かうことに。はやる気持ちをよそに、ちょうど祭日だったこともあり車はなかなかみつからない。そこへやっと一台、値段交渉も済んで車に向かう。

ところが一目車をみたY先生、即断して曰く、
「いや、この車は止めた方がいいですよ。こんな車、20年前の日本だってお目にかかれませんよっ」
いや、40年前の間違いでは?とつっこみをいれてみたくもなるのだが、とにかく目的は空港からコルコタ市内へ向かうこと。
「あのぅ、コルコタ市内に行きたいんですよね?」
改めて先生にも水を向ける。
「そう、でもこの車ではいやです。これじゃ命がいくつあっても足りない」

それなりに結構きれいでそれほど悪くもみえなかった車だが、Y先生は断じて首を縦に振らない。仕方がないので手持ちのガイドブックを開くと、Dum Dumという駅まで行けばそこから地下鉄が走っていることがわかる。市の中心までも20分もあれはつきそうだ。問題はそのDum Dumまでそうやって行くか、だ。選択肢は唯一

ローカル・バス・・・

そりゃあもう、インドの街を走るローカルバスのオンボロ度など、先ほど断りの憂き目に合ったクルマとは比較にもなりません。
「車でいかないとなると、ローカルバスになりますが、ホントにいいんですねっ?、ねっ?」
その日は大きな祭りの日ということもありタクシーすら滅多につかまらない。なのにあの、おそらく唯一の車を断った私たちに、もはや選択肢はない。それでも、あのきれいな車を断った先生の覚悟の程だけは確認しておきたかった。
「もちろんいいです」
この期に及んではそう答えるしかあるまい。

そこで空港から少し歩いて、人に聞きながらバスの通っていそうな通りに出てみる。そこで歩いていたインド人紳士に乗るべきバスを聞くと、たまたまその駅まで行くという。程なくしてバスがやってきた。そのローカルバスは、ドアはもちろん開いたまま走るし、体半分を外に出している少年(車掌代わり?)に料金を払うことになっている。それがまたいくらかわからないので、紳士をみようみまねに小銭を払う。一方、きれいな車を断ったY先生はローカルバスに乗れて何だかうれしそうだ。適当に写真をとってあげると笑顔満面になっておりまぁよかったこと。20分ほど乗っただろうか、そのインド人紳士に手招きされ、バスから降りれも「ついてきなさい」と足早に歩き始め、Dum Dum駅まで道案内をしてくれる。その間の5分、それだけでもインドらしい活気と多言語、そしてカオスの入り混じったすごい道を通りながら(ひぃ~と心の中で叫びながら)、小走りにひたすら紳士の後を追う私たち。電車ひとつに乗るにも窓口の切符ひとつ買うのも行列だ。だがその割には意外に早くさばけてチケットを買い、電車に乗る。結局空港からトータル1時間くらいで街中に着いた。車だと2時間と言われたので、時間のない私たちにとっては結果的にローカルバスは正しい選択だったことになる。それから暗くなるまでコルコタの街を散策し(というような美しいものではなかったが)、夜になって空港に戻る。

そんなことはすっかり忘れていたのだが、ダッカのオンボロタクシーを前にしてコルコタの空港で断った「きれいな車」 がにわかによみがえってきた。しかも偶然、Y先生から最近メールが届いた。

「お元気ですか?コルコタのバスのアドベンチャーは忘れられない思い出です」
はい、私も忘れられません(笑)。

タクシーのその後(2)


これに乗るんですか

なんていえる訳もない。これに乗るしかナイからだ。保険の有難味を感じると同時に、腹をくくる瞬間でもある。相手方が行き先と住所をしっかり伝えてくれたことだけを頼りに(信じて)、言葉の通じない運転手に、自分の身を委ねてホテルに送り届けてもらうしかない。

午後4時半くらいだったと思う。通りは明るいが、なにせダッカである。渋滞で車は動かない。車が停まっているとどうなるか。そこに一見して外国人が乗っているとどうなるか。それが女性だったらどうなるか・・・。

子どもを抱いたお母さん、少年少女、片足を失った人など次から次へとやってきては窓越しに語りかける。何でも売り物になるのか、彼らは一様に何かを手に持っている。海賊版だろうなと思うような本をみせたり、お菓子を差し出したり、中には手を差し出してくる人も少なくない。しかもそのタクシーの窓が開いているので、ひっきりなしにくる。車道と歩道が分かれていないからこうなるのだが、そんな分け隔てがダッカの道路にあるワケもない。窓を閉めようにもしめるノブすらついていない(壊れている)のだから仕方がない。これはもう、メーター設置以前の問題ではないか。

黙っているとそういう人たちはずっといるので、断ると
「XXXXXX」
たとえ言葉はわからなくても、悪態をつかれたかどうかくらいはわかる。
後で、バングラ人の友だちやホテルの人に聞いてみた。
「ああいう場合、どうすればいいの。どう言っているの?」
「△△△△△△」
「それ、どういう意味?」
「あっちへ行け、だよ」

ナントモいえない気持ちになる。それはいいたくないし、またいえないのである、日本人の私は。
ヒナだったら、何と答えるだろうか?



さて、時間はかかったものの、オンボロタクシーは無事ホテルまで送り届けてくれた。この時、安堵感もあって150タカを払ったらえらく喜んでいた。やはり相場は最大150タカなのだ。すると、同じワークショップに参加している男性3人が、両手に大きな買い物袋を2つ3つ提げてリキシャから降りているところにぶつかる。
これまたすごい買い物の量だ。しかも満面の笑み。

「ずいぶんとまあ~買い物したわね。男性でもここまで買い物が好きとはね~」
思わず言うと、インド人の一人が笑って曰く、
「別に買い物が好きなんじゃない。インドより安く買うのが好きなんだ」
と、理屈にもならないリクツを並べる。それでも、
「まだ買い残したものがあるから、よかったら明日連れて行ってあげるよ」
ときた。まだ買うものがあるとは・・・。ほら、やっぱり買い物が好きなんじゃない?(笑)

タクシーのその後(1)


ヒナの話の続きです。

やっと来たタクシーだが当然のように渋滞に巻き込まれ、5-10分の距離に30分以上かかり、
ミーティングには2時半の到着。タクシーにはメーターなぞない。そこで「社会調査」も兼ねて一応聞いてみる。
「いくらですか」
一瞬の間をおいて遠慮気に運転手。
「500タカです」
料金は最大でも150タカですだと教えられていた。そこで私もいちおう遠慮気に言ってみる。
「そんなにもっていないの。じゃこれで」
と200タカを渡してサッと降りる。
「マダム、ワン モア プリーズ」
という、しかしあまりに真剣みの足りない声を背に受けながら。

ランチでもしながら、となりメキシコ料理のお店に連れて行かれる。バングラでメキシコ料理とは
ナントモ強烈な響きだが、オプションはないしこの際何でもいい。

リラックスしていたこともあり、いいミーティングだった。帰り際、頼む前から相手側がタクシーを呼んでくれ値段交渉まで済ませてくれる。こういう少しの心遣いが身に沁みてうれしい。
「120タカですが、少しサービスしてくれるとうれしいです」
「150タカでは?」(ここではサービスを期待されているのはドライバーではなく私?と思いつつ)
「それでもう十分でしょう」
やはり相場は150タカなのだ。さらに教えられる。
まず、街を走るタクシーの運転手で英語を話す人は皆無とは言わないが実際ほとんどいない。メーター設置が義務付けられているが、お金がかかるし誰もつけない。だからメーター設置のタクシーをみつけるなんてダッカでは考えられない。ここで、ヒナのリクエストはちょっと現実離れしていたことがわかる。同時に、もっともな心配でもあったこともわかる。とんでもない、オンボロタクシーが到着した・・・

ミノムシ in Dhaka

バングラ女性のアクセサリー
color rings

男性もそうだが、ここバングラデシュ(以下バングラ)の女性はそれはそれはおしゃれで、毎日、
下手をすると一日に2回、とっかえひっかえ違う色の鮮やかなサリーを着て現れる。まるで昨日
着たサリーと同系色はゼッタイに選ばない、むしろ思いっきり異なる色彩を選ぶという、母から
娘への教育でもあるのだろうか、少なくともそういった信念が見え隠れする。もちろんこれは
日常的なレベルでの話。社会的地位や貧富の差に関係なく見るもあでやか、それに比してわたし
の服など、紺や茶色いポロシャツ、若草色のシャツにチャコールグレーのパンツなど、どれをとっても地味そのもの。彼らが東南アジアや熱帯地方に生息する色とりどりな野鳥とすれば、わたし
などくすんだ茶色のミノムシそのものである。その証拠に、くすんだサーモンピンクのTシャツを来た日には「あら~、今日はちょっとビジュアルに明るいじゃない?」と、バングラ人男性に言われる始末である

村の女性たち
color dress

町の女性たち
dress11.jpg dress22.jpg 

= 今日のニュース(The Daily Starより) =
今日は何でも、バングラにとって歴史的な日だと聞いていた。朝からニュースも新聞もそのことで持ちきりだ。1975年8月の未明、時の首相Bangabandhu Sheikh Mujibur Rahmanがダッカ市内の自宅で暗殺されその家族諸とも巻き添えになる惨事が起きた。軍の何者かの企てだったらしい。後で容疑者がつかまり(もちろん複数)、彼らへの最高裁の判決が下される日が、34年を経た今日の11時だった。新聞の一面も
Justice order of the day
34 years for justice
などの見出しが踊っている。これで納得のいく判決が出なかったらまた問題が起こると国中の注目を集めていた。結果はみなの納得する判決(死刑宣告)だったという。暗殺された首相の娘二人だけが当時英国に滞在中だったために命拾いをした。その後もしばらく亡命生活を余儀なくされ、ときがきたら戻ってきた姉の方が今のSheikh Hasina首相だという。

ヒナ


ヒナは今参加しているワークショップの、ほとんどすべてを仕切っているスーパーコーディネーター。何を任せてもとかく安心、しかしなにせ機関銃のような語り口(汗)。
「あなた、まるでニューヨーカーみたいな話し方ね」
と切り出してみる。ヒナ曰く、
「学部からNYなのよ。最近戻ってきたの。実は荷解きもまだなのよ」
聞けば、幼少時から世界各地と転々とし、家族の都合で8月に帰国したばかりだという。それまで米国でいくつかの仕事を経験し、最近までは博士課程の学生だったというのだ。もうすでに20年、いや30年近くにわたり国を離れていた彼女は、その感覚は明らかにコスモポリタンというか米国のそれで、逆に言えば思いっきりバングラ離れしているといえよう。風貌もどことなく気高さが漂い、どこかの王族でも通じそうな端正な顔立ちである。

そのヒナはいろいろな場面で世話を焼いてくれ本当に助かるのだが、一方でそれはもう過保護で、最初はほとほと困ったものだ。その筆頭がトイレ。休憩時間にわたしがちょっとでもウロウロしようものなら
「Sainah、どこへ行くの?」
と呼び止められる。
「・・・ちょっとそこまで」
「もしかしてトイレでしょ?」
「まあ、そう」
「待って、私が一緒にいて見張っていてあげるから。ちょっと待ってて。この用を済ませるから」
「いや、別にそこまでしなくても・・・」
しかもひっきりなしに電話のかかってくる彼女が、その用を済ませるのにどれだけ時間がかかるか
わからないのもまた事実。

それでもヒナは簡単には引っ込まない。
「だって、今トイレが工事中だから。誰かが入ってくるかもしれないし心配で」
といってもちゃんと各トイレにドアがついている。むしろ私が気になるとしたらトイレのつくりだが、
普通の水洗トイレだし紙もあるから(←これが重要)問題ないと思うのだが。タダでさえ忙しく走り
回っている彼女が、何もそこまで気を回さなくてもいいのだ、というのがそもそもの私の考え。
「あのね、ヒナ。そんなこというけれど中国やインドネシアによくある農村のトイレ、行ったことある?」
「・・・」
「それこそヒナがいてくれればうれしいような環境よ。それに比べればここは紙もあるし水洗だから
まったく問題なしよ」
そもそも女性とはいえだれかにずっとトイレの前で見張られている方が落ち着かない(笑)。
ということで晴れて解放されひとりトイレに向かう。

別の日の第二弾。
ミーティングに市内のとある事務所までわたしが一人で向かうと、ヒナがどこかから聞きつけて
また飛んできた。曰く、
「あのね、ここはダッカなの(はい、わかっています )。タクシーはとても薦められないわ、まして
一人でなんて。オー・ノー」
あのね~。
ここでは外国人の選択肢は限られている。タクシー、乗用車、バス(ローカル、もちろん)、リキシャ(自転車と車に2バージョン、それぞれサイクロ・リキシャ、オート・リキシャという)、レンタカー(1週間単位とか)しかない。これでタクシーに乗るなというなら、どうやってそこへ行けというの~。
ヒナ、もっと自分の国を信じて~。

妥協案としてホテルの受付でヒナと一緒に聞いてみる。
「マダム(=ヒナ)、タクシーが一番ですよ。今はホテルのバスも出払っていますし、この時間では
(正午過ぎ)タクシーがつかまりやすいですよ」 (やっぱりね)
「外国人が一人でも?随分汚いタクシーばかりじゃない」(よくいうわ)
「今は随分よくなりましたよ。我々がちゃんと呼びますからご安心ください」
「英語がわかるドライバーがいるかしら?」
「お約束はできませんがベストを尽くします」
「料金メーターとかついているでしょうね」
「それもお約束はできませんが、我々がちゃんと送り出しますよ」
「値段の交渉もちゃんと済ませてよ」
「お任せください、マダム」
やれやれ。でもありがとう、ヒナ、

あのホテルマン、タクシーが一番早いとかいいながら、結局到着まで待たされること40分余り
(この時にはもうヒナがいなくてよかったことであるよ)。やっと来たタクシー、ホテルマンに「この
距離でしたら料金は最大でも150タカですからね」と教えられて乗り込む。

それでもヒナはある意味正しかった。と後で知ることに。(こういうことが多いんだな、まったく

The Daily Star


ダッカで何気なしに新聞をチラチラを見ていると、なかには面白い記事がある。面白い記事のほかにもビル貸しや求人広告などがあって何となく社会の一端がみられる。
お気に入りはThe Daily Starという英字新聞で、毎日部屋に届けられていたThe Independentという面白みのない(!)新聞をある日を境にThe Daily Starに変えてもらったほどだ。

ということで面白い記事があったら抜粋してみようと思う。

= 今日のニュース(The Daily Starより) =
オバマ大統領についてワシントンで批判があがっているという。
米国大統領はどこでも胸を張って立っているべきである。たとえ相手が天皇でも大統領が深々と頭を下げるとは何事か、という論調だ。

これぞ米国の一方的かつ偏狭な見方を象徴している。オバマ大統領も文化慣習を尊重し、
ローカル作法に合わせたに過ぎない。

米国が外国からの賓客を迎える時、米国大統領自らが赴く人物が世界で3人いるという。
ローマ法王、英国女王、そして日本の天皇だ。ならば、オバマ大統領の作法は当然というより
自然に思えるのだが。

朝の挨拶


面白いのは、朝の挨拶でよく耳にする言葉だ。それは、
VERY good morning, everyone! 

外は雨の日でも、である(笑)。

バングラ人しか言わない。というかバングラディシュ人ばかり言っている。
VERYに妙に力を込めていうおのだから景気づけに言っているのだろうか、と最初は思っていた。
その心はまだわからない。

どこか疲労を覚えてきた。朝早く、フィールドからダッカへ戻る道もなかなかスムーズではない。
私は何に疲れていたのだろうか。ここの人々が当たり前のこととして受け止めている交通渋滞であり、周りを飛び交うベンガル語であり、いやおうなく目に入ってくる色とりどりの街の光景であり、むやみに話しかけられまた不意に投げかけられる日本への質問でもあり--それらはまた旅の疲れでもある。



BBCの天気予報で東京寒しと出ると、そろそろ東京に帰りたいと里心がついてしまう。同時に、最近、どうも何かが足りないと思っていたらそれは本に囲まれる生活だった。すると無性に日本語の本を読みたくなる。ないとわかっていても心が求めてしまう。

書きたいけれど

少しずつですが先週インドのことからアップしています~。
先週から今週にかけてのことですがよかったらそちらもお読みください
 


日本は寒いそうですね。

ムンバイにいるころからなかなかアップできていません。
それでもここを訪れてくださっている皆様、どうもありがとうございます。

インドのムンバイでは何と、インターネットアクセスの環境になかった(!)のですが、
ここダッカでは、朝晩は何とかつながります。時々トラブルがありますが(電気がとまったり
まあいろいろ)、概ね好調です。skypeも使えています。

書きたいことはたくさんあります。毎日ドントン出てきます。しかしなにせ
お・い・つ・か・な・い~状態でございます。

あさってにフィールドに行く前になんとかせねば(汗)。

写真アップはおそらく東京に戻ってから、それまではできる範囲で何とかがんばります。

ところで、今日のBBCニュースでは、
オバマ大統領の中国到着と並び、「日本経済の上向き」がしきりに報じられていました。
それも銀座の買い物客の映像を交えて(何か違う気がするんですけど~?)。



ダッカ着


ダッカに着く。バングラデシュは初めてだが、思ったよりずっときれいな空港だ。しかし一歩空港の外に出ると、通りはすごい人と車、そしてリキシャの数々。バングラデシュの人口密度は世界一と、昔まだ小学生だった頃に習った記憶があるが、確かに通りのすごさは、バンコクやハノイの比ではない。

ホテルまでの車で同乗した英国人ビジネスマンは4回目のダッカだという。このおじさん、実は
空港での入国手続き時も私のすぐ後ろにいて、あれこれブツブツ言っていた(どこでもときどきいるんだよな~こういう人、なぜか私のうしろに当たってしまう・・・)。その時はこの列さえ切り抜ければ小言から逃れられると内心思っていたが、甘かった。またホテルまで一緒とは。心でため息をついていたら、
「あれ、きみたしか前にいたよね~」(しかもみつかっちゃたし

結局、渋滞も手伝って車の中で1時間以上付き合わされることになる。それはまだしもこのおじさんを皮切りに、何となくなのだか、英国人のバングラ人に対する物言いにどこかひっかかるものを感じることが少なからずあったのもまた事実。

果たしてどんな1週間になるのか。

デリーでの乗り換え

dehli-dhaka.jpg


デリーに着くと、国際線乗り換えの方に進む。ここがまたインドだからか首都デリーだからか知らないが、妙に空港が広い(ハブ空港はムンバイでなくむしろデリーなんじゃ?)。国内線から国際線の空港にはバスで移動が必要といわれ、ベンチの片隅で静かにバスを待っている。すると、空港職員らしき男性がつかつかと歩み寄ってくる。その近づき方が、ある地点からあまりに一直線に向かってくる。まるで描かれたベクトルの軌跡がみえるかのようだ。しかも眼光鋭い目でみられ、思わず
「わたし、何かしたっけな?」と一瞬だけ弱気になる 

「マダム、ムンバイからのご到着ですね。これからダッカへ向かわれる途中ですか」
ギクッ、追跡されたみたいだがその通りである。
「実は、お荷物の件で参りました。ムンバイでチェックイン時にお荷物の受け取りはダッカとお伝えしましたが、さきほど到着した国内線から国際線へ荷物を運ぶのに時間がかかり間に合わない恐れが出てきました。つきましてはここで荷物をピックアップし、そのまま国際線の空港へ持って行っていただきたいのです」
な、なんだ~(拍子抜け)。
ノープロブラムだけれど、ちなみに空港内の移動になぜ時間がかかるのだろう。
「今は外でデモが起きていて一般道路での渋滞が予想されるからです」

聞けば、荷物は国内線の空港から一般道路に出て国際線の空港へ向かう手はずだったという。
しかし我々乗客はほどなくして、空港をゆっくり走るバスに揺られて優に20分はかかり国際線空港に運ばれた。このバスと一緒に、あるいはその後ろについてなぜ荷物を運ばないのが不思議なのだが、まあいい。そもそも私の荷物なんてスーツケースひとつだし、最初から一緒の方が安心ではあった。ムンバイで別れるインド人同僚に、「デリーで荷物をダッカ行きに移したが、きちんと確認した方がいいですよ。その辺はぬかりなく。ここはインドですから」と「親切な」忠告を受けてはいた。
果たして茶色いスーツケースはすぐに出てきた。

それをもってダッカ行きの便を目指すと、何重にも蛇行した長蛇の列。5分ほど並んでみたが俄かにこのままでは間に合わないとわかり、空港職員に理由を話して思いっきりワープする。こういう時のインド人の柔軟性はうれしい。でもまだ安心していられない。搭乗券は持っているので荷物だけ預け、ダッカ行きの荷物であると念を押し、次はセキュリティチェックの列。何だかしっかり停まっている。しかしここも突破しなければならない。幸い、後ろにいた二人も同じ便でダッカに行くというので、ここでも掛け合って堂々と再ワープする。何も言わないと何も起きないので(当然だが)、結局こうしてワーワー言うしかないのだ。セキュリティチェックを抜けるとあとは走るのみ(ダッ)。まったく4輪のスーツケースにしておいてよかったことであるよ。迎えのバスに飛び乗り、一安心。両替する時間も場所もなかったので、ムンバイで両替もしておいてホントよかった。

あの、わたしをめがけてまっしぐらに近づいてきた男性のことを思い出していた。ここでは何かとピンポイントで見つかるわたし(苦笑)。その理由は明白である。周囲はインド人か南アジアの人ばかり。日本人の私なんて、ここの誰よりも目が小さいし、服装が違うし、体も小柄にみえるらしい。サリーを着ていない女性を探すのが至難の世の中で、私はいい意味で浮いてしまっているのだろう。まったく悪いことはできないものである(笑)。

両替の話


昨日に引き続き、早朝にノックの音で起こされた。ホテルのお茶のサービスだという。
後でインド人の同僚がやってきて「ぼくもあれで起こされたよ。まさかあんなサービスがあるなんて知らなかったよ」となにやらブツブツ言っているが、いいサービスではないか!お茶民族のわたしには温かいお茶はきわめて重要。
tea.jpg

この日は朝早くにムンバイを出てダッカへ向かう。ムンバイからの道中、いろいろなことがあって多くを考えた。旅は人を思索に誘う。しかしゆっくり考える間もないほど次から次へといろいろなことが降りかかるのもまた事実。

まずムンバイの空港でチェックイン、セキュリティチェックを過ぎてたまたまみつけた両替所、最初はデリーで両替するつもりだったが、ゲート前まで来て後は乗るだけという待ち時間を利用して両替をトライ。みると両替所にお兄さん(若いおじさん?)は一人しかいない。まいいかと、もっているインドルピーの大半をさし出した。それほど高額ではない。ところがそのお兄さん、ルピーを数え受け取りながら手持ちのドルがないと言い、仲間か誰かに電話でドルの調達を始めている。

ここって空港よね?(はい、インドのハブ、ムンバイ空港です)
mumbai hub

「今、ドルを持ってくるのでちょっとお待ちください。2分で戻ります」
と言い放ちどこかにいなくなる。ふと、いやな予感がよぎる。ここでの最悪のシナリオは、
彼が戻ってこないこと、あるいは戻ってくる前に飛行機の搭乗時間がくること。それでも
一応待ってみると、5分ほどして戻ってくる。

「ありました、ドルを用意しました~」(わかっているよ、そのための両替所でしょ?)
満足そうな顔をしておもむろにお金だけを差し出すけれど、満足しているのは彼だけだ。
「で、両替証の書類は?」
「あいにくここでは1000ルピーまでしか書類は出せません。それ以上は公式には出せないことに
なっているのです」
とぬけぬけとのたまう。

本当かもしれない。あるいはそうでないかもしれない。ドル札がないことといいこのことといい、
最初からそう言ってよ、ということが続く。いずれにせよこれから飛行機に乗ろうとするわたしに
時間はそれほどない。
「わかった。公式でなくていいから、その両替の金額を出した計算の過程を今ここで紙にメモ書き
してちょうだい」
「紙に書くんですか?」
いかにも気が進まなそうだ。

そこで今度はこちらがおもむろに身を乗り出して、
「あなたね~、そちらは私のドキュメント(パスポートのコピーやら両替する金額のメモ、控えなど)を
ぜ~んぶもっているでしょ。なのに私には何も渡せないっていうワケ?本来ならその紙のコピー
(カーボンコピー)が私の手元に残るはず。しかもこれは私のお金じゃない。日本へ帰ったら戻す
お金なんだから少なくとも何か書いたものが必要なの。1000ルピー以上は無理というのは
わかった。だからこちらの言うこともわかってちょうだい」

この手のことにはもう慣れっこである。間違っていても正当性を主張することに長けている輩は
どこにでもいくらでもいる。だからこそ、言うべき時はキッパリ言わなければならないということを
学んできた。相手が日本人でなければなおさらである。

それでもまた四の五ののたまう。
「1000ルピー以上書類は出せないことをお客様は了承済みと思っていました。それでも
問題ないかと思いました」(その状況に客の私がcomfortableだ、と彼は言った)
「何の説明も受けていないのにcomfortable もなにもないでしょ 。そもそもドルがないことと
その限度額1000ルピーとやらを最初に言うべきでしょ」
「・・・」
「そんなこと言うなら、全部お金(ルピー)を返してちょうだい。別にここで両替しなくたって
構わないんだから」
そう、もともと両替はデリーでするつもりだった。

「オーケーオーケー」
オーケーじゃないんだよ、まったく。ともあれ手書きの紙を出すことをOKしたようだ。
「もちろん日付もつけてね」
渋々書き始める。
「ついでにサインもね」
「マダム、サインだけはできません」
今まで散々Youとぞんざいに呼んでいたくせに、今頃マダムなんていっても何が変わるわけでも
トーゼンない。
「安心してちょうだい。これは日本用の記録として必要なだけ。インドにいる間は誰にも見せない
から大丈夫」
「ホントですか?」
「あのね、こんなことで日本人はウソつかないわよ」
すると今度はアッサリとサインした。こうるさい日本人に当たってしまったと苦笑しながら。

それでも、ムンバイで両替しておいて正解だったとあとで知ることになる。

mumbai-dehli.jpg

ピンポン


何年になるのだろう。これまで私は、仕事のうえで少なからずインド人との関わりがあった。
いろいろなタイプのインド人をみてきたが、まあ何とかやってこれた。とくに長続きする相手は
だいたいそれほど強引でもないどころか、尊敬してしまうタイプが多かったことも幸いした。しかし
今回みた人たちは、オシが全然違う。その理由のひとつは、もしかしたら

インド人 VS インド人

だからか?今までの環境は、インド人もいるけどほかの国の人もいる多国籍グループが多かった。しかしムンバイでみたのは、まさにインド人同士の議論だ。喧々諤々というほどではないが、そのやりとりが、テンポが速過ぎるのだ。しかも矢のように鋭い言葉が行き交う。かわす、とか、受け流す、という余地はゼロに近い。インド人たちがワぁーワぁーいっているうちに、穏やかモードに終始している(←入る余地のない)私なぞ
「まあそれは突き詰めていけばこういう事なんじゃないですか?」
「こういうやり方もあるんですよ」
「こういうに進めるのはいかがでしょう?」
とまあ、ほとんど合いの手を入れるクッションに過ぎない。

会議終了後、相手方に言われた。
「私たちのやりとりをみて怯えていないといいんだけど」
別に怯えることはなかったけれど、めちゃくちゃ興味深かったのもまた事実。
あとで夕食時に思わず言った。
「いや~、インド人同士の議論は見ていてすこぶる面白かった。あのやりとりはテニスのラリーなんてもんじゃない。まるで
速効ピンポンそのもの!」(爆笑)

「でもあの程度のやりとり、インドではそれほど珍しくもないですよ~」(ええ、そうでしょうよ~)

お茶をめぐり


インド人の話にはたとえの登場する回数が概して多い。

「ここで二つほど簡単な例を挙げながら説明させていただきます」
その例がまた、簡単ではナイ、のだ。しかも「たとえ」は長~いだけでなく、
ひとつで十分なことが多い。だからインド人の口から「たとえ」がでてくると、頼むからひとつで
よろしく~(オンリーONE?)と叫びたくなる。



さて、5人で食事をしていた夕食では、インド人3人に東アジア人が2人。
「ねえ、お茶ほしくない?」
「あればいいよね」
東アジアの同胞は難なく合意。

インドの同胞「お茶?お茶ですか?」
明らかに驚いている。
「そう、お茶。TEA
「どんな?」
ここで、どんなときたもんだ。
「どんなって、フツーのブラックティー(いわゆる紅茶)でもマサラティ-(インドのしょうが入り
ミルクティー)でもいいけれど」
「なぜお茶なんですか」
「なぜって、食後だから」(← ニーズがあるんだから理由なんてどうでもいいでしょ、
何でもいいから早くお茶を~

「あのですね」
おもむろに切り出される。たかがお茶ひとつをめぐってなんだというのだろう。
こんなとき、日本だったら(禁句?)もうとっくにお茶が出てきているというのに。
苦笑して諭される。
「お茶は頼めば出てくるだろう。だけどお店の人は訝しげに思うに違いない。こんなにおいしい
食事の後にお茶?と、あたかも怪訝に思いながらお茶が出される。それでもいいの?」
え~い、もう面倒くさい~
別に人にどう思われてもいいという生き方を地で行くインド人に、こう言われるとはね。
そもそもこれくらいのこと、どう思われてもいいのだが、一応ローカルの作法に合わせてお茶を
あきらめてみる。

(後日談)
それでもこれはやや一面的な見方らしい。他のインド人に取材してみると、料理の組み合わせに
よって、お茶が出されることもあるとか。

indian meal

要説明?


今日からムンバイに移動。寒かったシロンに比べれば何と日差しのまぶしいことか。
朝3時に北部メガラヤ州のシロンを出てひたすら車で走ること3時間、グワハティの空港に着いたのが朝6時。そこから国内線でムンバイ着がお昼の12時。荷物が出てくるのに1時間待ち、空港から渋滞を通り抜け市内へのホテルに着いたのが午後2時半。なのに3時半から市内の研究所で
会議とかなりの強行軍である。
それにしてもナンですか、この予定は?インドの広さを考えているのかね、まったく・・・。
(注 予定を立ててくれたのは某インド人) 

welcome mumbai mumbai1.jpg

インドにいると、という言い方はやや危険だが、それでもある程度のコミュニケーションを求められると、違う意味で疲れることがままある。

たとえば、やや急いでいる時に何か飲み物を軽く薦められたとしよう。飲めるなら飲みたいものの、
そうもしていられない時がある。相手も、こちらが他のプライオリティがあることを十分にわかる
状況である。

日本だとこんな感じ。
「紅茶いりますか?」
「う~ん(← 一瞬の間)、今はちょっといいです。」
日本人同士だと、あるいは日本人でなくてもこの一瞬の間で伝わり、だいたいこれで済むことが
多い。ところが、私の今置かれているインドの環境では、説明というかここまで言わなければ
ならないことが、昨日今日で薄々わかってきた。

「紅茶いりますか?」
「う~ん、今はちょっと」
ほしくないの?」
ほしくないとは言っていない。むしろ飲める時間があるならほしいとは思う。それでも今は先にやるべきことがあるから、やめておく」
とまで言わなくてはならない。それでやっと、
「オーケー」
となる。何だか疲れる1分である。

tata wall


チェラプンジ


今日は朝6時半の朝食から始まる。急いで済ませ7時発のバスでフィールドへ。行き先は、同じメガラヤ州のチェラプンジ (Cherrapunjee)。

ここは世界一降水量の多いといわれ平均年間24メートル(24000ミリ)という記録をもつ。しかし雨が実際に降るのは6月から8月の3ヶ月だけだというからその量のすごさが伺える。しかも降雨はたまるわけではない。メガラヤの眼下に広がるのは隣国バングラディシュ。メガラヤの雨はすべてバングラに流れ、そのバングラでは洪水が起こるのだから、何か割に合わない気がしなくもない。ちなみに今は、もっとも雨の少ない時期。だから滝もこんな感じ。これが雨期に重なると何重にも滝ができると聞く。

Cherrapunji.jpg

gogoasiaさんのブログによると、こんな感じだそうです。
http://gogoasia.exblog.jp/9203734/

片道3時間ほどの道のりが、ほとんどR先生との会話を楽しむ。R先生とは先月ブエノスアイレスでも一緒だったのだが、なにせ私の声がでなかったのであまり話せなかった。だから今回はお会いできてよかった。彼は本当に話好きというか語るべきものが多いのだろう。
「時間がないので一言で言えば」
「話が長くなるのでかいつまんでいえば」

こういう枕詞をつけながら話はどこまでも続く。延々延々延々延々延々延々延々延々
ところが不思議なことに、聞いていて全然飽きないのだ。それどころかユーモアやウィットに富み、
何よりとても言葉のセンスがいいので、その歯切れのよさや言葉の使い方に聞いていてしびれてしまうことさえある。その先生が急に、人生で大切なことは 
Do the right thing in a right place at the right time. 
だと力強く語ってくれた。私の好きな言葉でもある。

 sign.jpg  sign2.jpg

ランチはフィールドでお弁当をみんなでつつくことに。インドの伝統的な結婚事情、お見合いについて話が盛り上がる。

夜はシロンの宿舎に戻った直後に停電、復旧を待つ間にしばらく眠ってしまう。お陰で夕食前の予定をすっかり逃してしまった。

thanks.jpg
(現地カシ語での”ありがとう”)

インドよもやま


寒いついでに、インドのシャワーの話を書いておこう。これはよく経験してきた割には、おそらく
驚きは最初の1日だけということもあり、またインドに限ってのことなので、すぐに忘れてしまう
ことでもある。今回、忘れてはならないと肝に銘じた。

インドのシャワー、とくに山奥では、お湯が出るのに時間がかかる。お湯への切り替えスイッチを
押して「お湯」を出してから、本当にお湯がでてくるまでにかかるのは3分ほどか。しかも、ようやく
出てくると思って油断してはならない。出てくる量に限りがあるし、それがどれだけのものかも
わからないので3リットルほどと見積もっておく。となると、日本で普通にお湯を使うようにはとても
使えない、少なくともここでは。「湯水のような」という表現はまさに日本ならではのものと体感。水道をひねってすぐにお湯が出てくる世界は、実に有難いといわざるを得ない。かくして私は重ね着とカイロの助けを借りて、夜を過ごすことになる(うすい布団はあります、一応)。

夜、ダウンタウンへ。ものすごい人ひとひと。いかにもインドな町並みと辺境地の風情。
いつも驚かされるのは、こんな人里離れた山間の地に、こんなに活気ある町が存在している
というリアリティだ。それも駐車場まであって、我々の乗った車数台は無事収まる。
駐車場内もすごい駐車状況だったけれど。私は木製の小さいスプーンと料理用ヘラを買う
(35ルピーだから70円)。ある先生は寒さ対策で薄いセーターを一枚買って安心していた。
つい、「それいくらですか」と口をついて出てきてしまう。あ~、イケナイいけない。

Shillong town night

ところでこの辺り(インド北東部)は、いろいろな民族が混ざっている。主要な民族だけでも3民族、
マイナーな民族は5ほどあるという。見かけも、いかにもインド人からネパール人っぽい人、中国系の顔までその多様性は目を見張るものがある。中には、とてもインド人には見えない日本人に近い
顔立ちのインド人もみられる。だからか(なぜだか?)、日本人である私は思いっきり地元の人に
間違えられ、容赦なくローカル言語で話しかけられる。どうしてほかの人はみな堂々と「外国人」で
通じるのに、私だけローカル人として受け容れられるのだろう、とみなの笑いを誘いながら地元人
になりすまして(何も理解できないけど)歩く管理人です。

ここはメガラヤ州のシロン(Shillong)。バングラとミャンマーの間にあるインド領。

大きな地図で見る

メガラヤ州の位置ならこちらの方がわかりやすいかなと思ったり。

megharaya.gif

便利か不便か


初日の夜はあまりに寒いので、どうしようかと思ったが、どうしようもない。
出るお湯にも限りがあるし、お湯というには涼しい。

忘れ物にも気づいたり。そんな中、もってきてよかったお役立ちグッズは、
何たって使い捨てカイロ  コレがあるだけで、どれだけ救われたことか。

今回は北に南にいくので冬服ばかりを用意するわけにもいかなかった。

一方で、通信機器の活躍はいまいち。幸い今はネットが通じるけれど、
この先どうなるかはわからない。なのに、i Phoneがいまいち不調

動かない車は鉄の塊に過ぎないように、ベンリなはずのものも使えないとただのモノと
化してしまう。
いえいえ、これはまだ私が使い慣れていない証拠

それでもベンリな世の中になりましたよ、やはり。
インドの山奥にいても、仕事ややりとりを進めることができるのですから~。
すごいことです。

寒いインド


先週の水曜くらいから日本でいろいろなことがあった。途方もない状態に思えたことも。
なのに今、こうしてインド北東部にいるのが不思議なくらい。

しかも寒い・・・。

途中、暑いバンコク、コルコタを経由してきただけに、寒さが身に沁みる。

あまりに寒いので今日はここまで。またアップデートします。

機内の隣人


成田からのバンコク行きの機内は4人がけの通路側の席。真ん中二人はいないようだ。少しはゆったりできそうに思い、私はすぐにまどろんでいた。前日まで睡眠時間も少なく、インドに行けるのかどうかわからない状態だった。いつもそうだが何かに追われた後に空港に向かう途中、これでとにかく飛行機に乗りさえすればと思うと、どこかホッとする。

ふと目覚めるといつの間にか走っている。離陸寸前のようだ。見るともなしに横を見ると、隣人はなんと、

mickey.jpg

突如表れるぬいぐるみに一瞬のげぞるが、5才くらいの男の子が幕張で買ってもらったものを後生大事に抱えていたらしい。その子もミッキーの向こうで寝込んでいる。
あ~ビックリした。いっぺんで目が覚めちゃったわよ~。

インドの山奥


インドの山奥で~ 

こんな歌というか節をどこかで聞いた記憶があった。子どものころはやったCMソングだったのか、
はたまた何かの歌だったのか、トンと思い出せない。それでもよく耳にした。なのに、ではその歌の
続きを聞かれるとこれまた、この6文字以外さっぱり出てこない。困ったものだ。
今日からそのインドの山奥(らしいところ)に行ってきます~。

日本人と言えどインド行きにはビザ申請が要る。申請書類をみてみると
あれやこれやの「個人情報」を書かされる前に、まずビザ取得の目的を選ぶようになっている。
ふむふむ、とみていると妙に選択肢が多く、丸で囲むよう書かれている。書類ではこう。
Type of visa required:
Business / Diplomatic / Employment / Journalist / Medical / Official / Research / Student / Transit / Tourism / Yoga / Other

ヨガが Otherでなくて堂々と渡航目的に記載されているとは、さすがヨガの国インド 

楽しみ半分、怖さ半分ですが行ってきます~♪

プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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