しみじみ


先日、実家でちょっとした引越しがあった。



実家にはピアノが2台あった。
昔からピアノや楽理を教えていた母が、徐々に整え用意していったものだった。ある時は購入し、ある時はひとさまに譲られ、また譲ったかと思えばまたある時は違うピアノが加わったりと、いったい我が家には何種類の、何台のピアノがあったことだろう。

だからか私が家にいた頃は、ピアノの音が聞こえない日はなかった。とくに子どもの頃は家にいるとよくいろいろな曲やメロディー、リズムが聞こえてきたものだ。それを知らず知らずのうちに結構楽しんでいたわたし。

ポロローン、ぽーん、キーン (← うまく表現できないけど不協和音をイメージしたつもり

それは日常の何十年もの間、変わらぬ光景であり音環境だった。それが、

もう教えるのはやめて静かに余生を暮らしたい

と母が言い出したのが半年ほど前。

わかる気もしたし別に反対する理由もなかった。私は弾かないし(もう弾けない?)、母以外に弾く人は生徒さんくらいだった。だから少なくとも1台はひとに譲ろう、と。そう言い出したときは既にそう心は決まっていたらしかった。

そしてピアノの引越しが年の暮れ

大きくともピアノ運送はお手のものとばかりに速やかに運ばれていく。

そのあとの空間は何かぽーんとしていて、ときの流れを感じた。なぜかもの哀しかった。

My Birthday Book


My Birthday Bookなるものを古い友人からもらったのは先日のこと。パラパラと開いてみるとなかなか面白い。

要は誕生日ごとに、どんな性格で、どんな出会いや人生の展開が待っているか、みたいなことがコンパクトに書かれている。割とあたっていたのと話の種にと、帰りに家族の分も買ってみた。1日1冊ずつしかないのである日の分をすでに買われていたらアウトなのだ。結果、今日のわたしも書店を2ヶ所を回ることに。

占いみたいなものでしょ、と言われればまあそれに近いだろう。占いに興味津々のいまどきの子どもは夢中になって読んでいる。一方で、「これ、20~30代のひとが読むと面白そうだね~」と親世代には言われてしまう。以前は、占星術とか占いとかにまったく興味すらなかった。なのに今、これを読んで楽しんでいるとはね。最近、こういうことが多いような?まあ楽しめればいいわ~。

みなさまもぜひお試しあれ?

一石二鳥?


今日はお昼前から来客。しかも一人や二人ではない。
ということで朝から部屋の整理と掃除。普段していないだけに、このところ我が家はすごい状態が続いていただけに、それなりにヤリガイのある掃除ではある。

シコシコ・・・しこしこ・・・

気づくと10時過ぎ。そこから買い物に走る。帰宅後、ポツポツ到来。それでもまだヌカリがないか
見回す。みな同じ時間に来るわけではないから



お客様が帰られたあと、家が妙にきれいになっている。少なくともそうみえる。まさしくこれは
副産物。これで年末の大掃除はしたことにしよう。気分がそうなっているし本当にそうなりそう。
これぞ一石二鳥?

あ~、スッキリした(気分が、笑)。

少数派


xmas2.jpg

この土曜日はお客様が来るのでケーキを用意することになっていました。
そこで数日前のわたし
「木曜はケーキ要らないよね?土曜まで待てるよね」
「そうだね」
家族のうち二人は難なく同意。しかし一人でも
「え~なんで~」
なんてのがいると、もろくもケーキを用意する破目になります。
はい、我が家にもちゃんとおりました、そういう「おひとりさま」が。

「え~なんで、今日ケーキないの?」
「・・・だって土曜があるから」
「それはそれ、今日は家族のクリスマス。だからケーキを囲んだっていいでしょ」

悪くはないがわざわざ用意するほどでも。だって土曜が ← すでにこの辺りになると声が届いていないのかだれも聞いておらず、もう家全体があっさりとケーキムードに包まれている(空気を読んでしまったわたし・・・)。

私ってつくづく少数派・・・。これも甘党でない宿命か。それでもいちおう
メリー クリスマス! 


ルピー経済圏


昨日の新聞記事の続き。フロンティアではないが西へ進むアジア新経済帯の話である。

アラビア半島のオマーンやアラブ首長国連邦で働くインド人が増え、インドルピーによるルピー経済圏ができつつある、との内容だ。ムンバイで中東行きの労働者の採用面接を開いたら応募者が殺到した、ともある。

そういえば先月、インド国内線で隣のおじさんはインド南部の出身。途中で、機内食で出された料理名が南インド料理だったのを機に話が弾んだ。聞けば、ドバイで働いて1年半になるエンジニアだった。その時は、リクルートをする側としてインド国内を回っており、総勢70-80人の採用を見込んでいると話してくれた。インドでは、ドバイで働くことに人気があるのか聞いてみた。
「そりゃぁ、インドより給料がいいからね。それにドバイはインドから飛行機で3時間だ。働くにはなかなかいいところだよ」
なるほどそんなに近いとは思わなかった。
「ただし数年だね、一生住みたいと思うところではないね。町全体が人工的だ」
と本音もチラホラ。彼自身、もう高校生の息子や教師をしている奥さんと母親の家族を残しての単身赴任。現に彼もあと1年半ほどでインドに戻る計画だとも話していた。

こういう彼のようなインド人が中東へ働きに出て行く傾向が増えているらしい。

アジア新経済帯


今日の日経新聞によると、中国南部を起点に北緯23度に沿って、アジア経済のうねりが期待されている地域があるそうだ。名づけて
北緯23度アジア新経済帯
香港、ダッカ、コルコタなどの交易拠点が位置し、いずれの都市も背後に人口密集地域が控える共通要素をもつ。ダッカの低い人件費に目をつけた中国や外資の繊維系企業がなだれ込んできた近年、経済成長率は7年連続で5%以上を保つ。

外資の参入が多いのはダッカで私もうすうす感じていた。ここ半年ほど顕著な傾向らしい。一方で、ダッカにも来年開店予定のショッピングモール(メガモール、といってもいいかもしれない)が建設中なのをみて、何か違うとも思った。それが何かはまだわからないけれど。

バッターボックス


数日前の夕刊1面に、東大の北岡先生の囲みコラムがあった。題して『バッターボックスに立て!』

(以下一部を抜粋)
20年近く前、ある高名な評論家に、意見の賛否は別として、この北岡という人は、いつもバッターボックスに立っていると言われたことがあった。大変な賛辞だと、ありがたく受け止めて、そうありたいと努めている。

大体、自分が責任者だと思って考えなければ、真剣にはならないものだ。どうせ誰かが決めてくれるだろうという態度では、進歩はない。バッターボックスに立って、凡打や三振を繰り返して人は成長するのだと思う。(後略)

(12月17日日経新聞夕刊より)

これはずしんと響いた。
どうみても今年は、好むと好まざるとバッターボックスにいる場面があまりに多かった。それがいつも自主的ならいいのだが、場合によっては成り行きによってとかやむを得ず立たされている感もあったから、「いったい何してるんだろ、わたし」と思ったことも。

今になってわかった。あの日あの時、わたしはバッターボックスに立っていたんだ~、と。
結果的にいろいろと学んだ。仕組みの大切さも、人と協力することも。人間、腹をくくれば結果がついてくるからそう怖れることもないことも。

それでも「今年」はまだ終わっていない。この調子であと10日はありそうな気配である。

COP15閉幕


コペンハーゲン合意ともってCOP15が閉幕した。

言うは易しく行うは難し、を体現するような各国の言い分だった。

とくに中国 
会場であるベルセンターへの入場ひとつをめぐって、あれこれ文句をいう一幕もみられたという。
手違いで大臣が入場を許可されなかったことを、最初にあれこれ思わせぶりに(7分ほど、何回か繰り返し)話してから、本来の議論に入る光景もみられたとか。3万人規模の国際会議で、事前登録しても入場登録を済ませるのに4時間待つほどだったと聞いた。ロジの多忙と混迷ぶりにポーズでも少しは理解を示してもいいのだが、そういうことはまずしないのが中国だ。

議論でも反対や批判ばかりが続いた。しかし、先進国と途上国、と今の世界を二つに分けることに無理がある。ツバルのような国は優先されて然るべき。しかしそれは少なくとも、島嶼国や後開発途上国だけに限定されていい。

ああいえばこういう国に、直球勝負だけではなかなかうまくいかない。日本も、もっと強い口調で発信するべきだ。身の丈に応じてでいい、少しでも損失や苦汁をなめる努力を示す国だけが、資金でも技術でも先進国の援助の恩恵を優先的に受けるーそういったメッセージを、中国のような新興国に対するメッセージを投げかけられないものか。たとえば、25%を目標に掲げた日本の理念に反するのでA国にはここまで支援するがB国の行動にはここまでしかできない(もっとしたいけれどする用意もあるけれど、そちらがそう出るなら仕方がない、みたいなトーン)、と堂々といえるのが主権国家だと思う。

また、取り組み経過の透明性を求める発言をクリントン国務長官がしていたが、これは基本かつ大切。案の定、拒否されたけれど。そもそも米国だって透明にできるのかわからない、透明にみせることはうまいかもしれないけれど。

私には中国人の友だちや知り合いが少なからずいるのだが、この問題をどこまで議論していいのかと思うことがある。
それでも聞いてみちゃうのだろうけれど 

科学と政治


COP15は出口がみえない行き詰まりの様相をみせている。

温室効果ガスの削減率を測るのに
ある国は2005年を基準にし、ある国は1990年比とする
ある国はGDPの○%、と言ってはみる。

これではまったくてんでんバラバラ ではないですか~(呆)。
サイエンスの世界では、まずありえない 話である。基準となるコントロールが違う実験や
話なぞしようものら、
「お前、ナニ言ってるの?」
と言わんばかりの冷たい視線が浴びせられればまだマシな方。下手をすれば誰も話を聞いて
くれない。仕事もなくなるかもしれない。死活問題である。

言ったもの勝ちというか、交渉の場として各国が臨んでいるのはよくわかる。それを差し引いても
そんな議論を、臆することなく恥ずかしげもなくむしろ堂々と展開できる国際会議、国際政治とは
いったい何なのだろう。だからこそ、
問題は世界中のほとんどすべての人が理系でないということだ
と書かれてしまうのだ。

忘れられない言葉がある。バングラディシュで聞いたもの。

The question is how to marry science and politics.

科学と政治の融合、とでもいおうか。
科学と政治はあまりに遠い―どうするんだろう、どうなるんだろう。そんな思いで聞いていた。
日本はどうするのだろう、どうしていくのだろう。



ポイント


「ポイントは何ですか」
「一言で言えば、どういうことですか」

研究者ひと筋だった頃のこと。よく、こんな会話が周囲でよく飛び交っていた。いろいろ話してくれたけれど、妙に話が長い割には核となるメッセージが伝わらない、本質がわからない、中味がつかめない、という印象を聞き手に与えるとこうなる。対する回答として何点か挙げようものなら
「その優先順位は?なぜそうなるのですか」
と容赦ないことも。ちなみに聞くほうは別に悪気はなく、ひとえに知りたい、と思ってのこと。とにかく疑問点があれば氷解させ、明確にして、次のステップへつなげようという発展的力学が全体的に働き、質問者だけでなくその場を支配している。だから、こういうやりとりは発表者にとってためになる場合も多い。そしてこれは、おそらく自然科学の世界ではどこでも似たようなものではないかと思う。

もちろんケースバイケースで、話が長くて然るべき内容の時はこの限りではない。でも限度がある。そもそも研究者は忍耐強いのが常である(実験がうまく行かない時をはじめいろいろな場面で粘り強さが求められるから)ものの、長い話や延々と続く会議への忍耐までは持ち合わせていないようだ。若い研究者はとくにそう。

あるときまで、これは、この簡潔さを求めるのは理系のカルチャーかと思っていた。理系の社会しか知らなかったから。しかし今思うのは、どんな仕事にもこういう場面は出てくるということ。

****

仕事をしていて必要以上に話の長いひとがいる。あるいは、すぐに答えてくれない。替わりに頼んでもいない解説や背景説明が始まる。そういう時は決まって堂々巡りで結論がでない。超特急で片付けるべき用件なのに。思わず私は「一言での答え」を求めたくなる。すっと答が跳ね返ってこればいいけれど、そうもいかない。

仕事の本質に対する問いに対して答を用意できるかどうか、せめて自分の言葉で答えようと努力できるかどうか

ここでの分岐点はひとつ。これはもう、しっかりとした考えを基に仕事を進めているかどうか。
もっといえば、本気で目の前の仕事を推し進める気概があるかどうか、ここぞという時に渾身の一撃を込められるかどうか、無意識でも覚悟が決まっているかどうか、にかかっている。

そんなことをつらつら考えた日曜の朝。

珍しい買い物


ドサクサに紛れて、こんなチョコレートを買ってしまった土曜の午後。

godiva_convert.jpg


わたくし、間違っても甘党ではありません。
基本的に塩辛いもの、が好み。何を隠そう、酒飲みの口の私です。

そもそも、なぜ「甘い豆」が存在するのか、が理解できません。
子どもの頃、なんとアズキとはお手玉を作るために存在するものだと信じて疑いませんでした。
そのうち、和菓子のよさは大人になればわかるとも言われました。
逆に、同じ豆でも塩やしょうゆ味だったりすると、とてもおいしいと思います。
パクパク食べてしまいます。

今でも、和菓子はもちろんのこと、ようかんやおはぎ、正月料理に至るまで「甘い豆」は哀しいかなダメ。ちょっとまだ道のりは遠いようです。

洋菓子はまあ出されれば食べますが、なくても問題なく生きていけます。
学生時代、友だちだが連れ立っていくケーキバイキングなるものへの参加を断り、顰蹙を買ったことも(笑)。
今でも買う時は、贈り物だったり誰かを喜ばすためで、自分のために買うことはありません。

な・の・に
今日は、意味もなく買ってしまいましたよ~、甘いもの代表格を。

その心は、と考えてみました。以下、リストアップ。
・ 季節的に何か買う気になったものの手軽に買えるものだったら何でもよかった 
・ チョコでトリュフを食べた気になりたかった
・ 少し疲れているのか甘いものを体が欲していた  
・ 単に間違って買ってしまった

おそらく、そのどれもかと・・・

Typical Japenese beauty


先月、インドはメガヤラ(チェラプンジ)で会い、話も合った同世代と思しき夫婦がいた。頼まれていたこともあり、帰国後(といっても12月になって)写真を送った。
するとお礼のメールがきた。写真に対する感謝の気持ちが綴られていた。続けて曰く、

きみもなかなかよく写っているね~。 Typical Japenese beauty.

なんですかっ、このティピカル・ジャパニーズ・ビューティーって(笑)。

インド人の考えるティピカル・ジャパニーズ・ビューティーの解釈とはいかに
聞きたいような、聞きたくなかったような?

ぬくもり


寒さがやや和らぎ、日差しにぬくもりが感じられる一日となるでしょう 
(いや、確かに昨日は寒かった~ 

ふと耳にとまった、今朝の関東地方の天気予報。
何気ない日本語はどこか美しい。

これにあやかって(?)
差し込む光かせめて一筋の光、希望の灯をみたいと思うCOP15 


忘れさせてはいけない大前提


気候変動への取り組みとして鳩山首相の国連演説に対して、藤原正彦氏はこう書いていた。
ちょっと長くなるが、タイムリーだし面白いので引用してみたい。

==以下引用==

鳩山首相は国連で「日本は温室効果ガスを2020年までに1990年比25%削減することを目指す」と明言し満場の大喝を浴びた。(中略)英米仏ロ中などの首脳がこぞって絶賛したことも気味が悪い。世界は利害得失のみで動いていて、友愛で動くのは日本だけだからである。首相は絶賛の嵐に大分気をよくしたようだが、日本が一方的に損をするという余りにうれしい演説に腹黒い人々が退路を断つべく満身の力をこめて拍手をしたととるべきだ。排出量削減目標とは将来の経済成長の枠を決めることなのだ。

もちろん、鳩山首相も警戒心はもっている。だからこそ、「主要国の参加が前提」と付け加えた。首相は理系の人だ。この前提が満たされなければ約束は当然反古になると信じている。理系のすべての人がそう考える。問題は世界中のほとんどすべての人が理系でないということだ。前提は忘れられ必ず25%が独り歩きする。前提が満たされなかったから約束は反古にする、といつの日か言ったら日本に対する信頼は地に堕ちるだろう。鳩山首相の国際デビュー土産としては高価すぎたが悔んでも仕方ない。転んでもタダで起きないことが大切だ。25%を目指し国連をかけて技術革新に励み、他国を寄せつけない高技術に一大輸出産業を育てることである。同時に、前提を機会ある毎に言い続けることだ。保険としてである。そして何より、膨大なガスを悪びれもせずたれ流しし続ける米中を強く牽制し続けるためにである。
(週刊新潮 10月22日号 藤原正彦の管見妄語 より、太字・色は管理人による)

==引用ここまで==

技術革新は国連をかけてできるものかどうかはさておいて、前提を言い続けることは大変重要だしミニマムである。鳩山首相のNYでの演説時に、この前提部分に私は目を引かれたし、だからこそ拍手を送りたいと一日本人として思った。将来、言質をとったかのように言われる日に備えて、日本の政府関係者はたくましく、あきらめずに、堂々と主張していってほしい。いや、そうしなくてはならないと思う。

明日からコペンハーゲンでCOP15が始まる。

RICH countries


そもそも私がバングラに行ったのは、あるワークショップに参加するためだった。英国とバングラの研究機関が主催する、気候変動(適応)にバングラディシュや地域がこれからどう取り組んでいくか、がテーマのワークショップ。参加者は、バングラ人のほかにインド、ネパールとやはり南アジアが主流で、ほかにはオーストラリア、オランダ、英国、日本くらい。

いろいろなセッションがあり議論があったが、COP15を前にここで話題となるのは、自ずと京都議定書後の各国の責任分担と気候変動へ取り組み。このワークショップに政治的な色彩はない。それでもインドや中国も含めて途上国のスタンスは、一貫して国際社会での議論を色濃く反映している。
「脆弱な社会基盤や不安定な政治要因、技術不足を抱える途上国こそ、気候変動の影響を受けやすい。このような気候変動を招いてきた背景には、これまでの先進国の遂げてきた経済成長がある。したがって、気候変動に対しての責務はまずは先進国にある。バングラのように気候変動の影響で予測し難い降水量の変化や洪水氾濫に見舞われている途上国への支援も含めて」

ところで、今までこう思っていた。
途上国 = developing countries
先進国 = developed countries


ところが、バングラやインド人が「先進国」を指して使うのは、developed countries でもadvanced countries でもindustrialized countriesでもない。彼らは先進国を指して一様にこういう。曰く、

Rich countries

この、Rich countriesという表現が繰り返して出てくるうちに、だんだん気になった。彼らが、途上国でひとくくりにされるのを嫌がるように、私だって日本を「金持ち国家」としてのみ扱われることに、どこか心理的抵抗がある。先進国の一員であるオーストラリアもオランダも、何かヒトゴトのような眼差しで静かにしている。最初は黙って聞いていたけれど、途中から穏やかならざるものがあった。話が進むに連れてちょっと待った~と言いたくなった。そこで思わず啖呵を切った。

「ちょっと待ってほしい。さっきから盛んにRich countriesと言うけれど、その軸だけで議論を進めていいのでしょうか。世界にはいろいろな国がある。たとえば日本は、サステイナビリティという言葉が出てくるずーっと前から、日常的にものを節約しリサイクルを進めてきた。”もったいない”ではないけれど、資源を有効活用し大切に使ってきた文化と歴史があります。それでも経済成長してきたために、その面だけに光を当てて、声高にRich countriesの責任のみを追及される立場はどうにも腑に落ちません。先進国に対して気候変動への貢献を求める国際世論はわかります。かといって100%納得しているわけでもありません。いったいどこまで我々が負わなければならないのか、どこまで支払いを求められるのか、というジレンマを前に首を傾げている日本国民は少なくないはず。鳩山首相は25%と言いましたが、それは主要各国が参加したら、という条件付きでの話です。それだけは忘れてほしくない。そしてそれに対する努力は、区別して議論されるべき」

そんなことを一気にまくしたてた。するとインド人がすぐに反応した。
「いや、我々は何も日本が悪いとは言っていない。そうとも思っていない」
「でも日本を含めた先進国へ対する注文ばかりが議論の中心となっている」
「いや、むしろ日本以外の先進国に目を覚ましてほしいと思っている。日本は技術も進んでいるし、ハイブリッドカーやリサイクルなどの取り組みもよく知られている。だから日本にはこのままがんばってほしいし、日本こそもっと世界に向けて声を上げていってほしいとの期待は大きい」
まったく同意。そこで私はと付け加えた。
「もちろん適応するべきは途上国だけでない。先進国だって適応しなければならないと思う。それには、先進国でも一部の国だけ約束をさせられるのは、やはりおかしいしうまくいくとは思えない」
一連の議論に、その場にいたインドやバングラ人は大いに納得していた。



前後して、ある英国人がこう言っていた。
「一国の首相が条件付きで公約するのはいかがなものかと思う。それではどの国も条件をつけてしまうではないか。となれば交渉ごとはまとまらない」

果たしてそうだろうか?

条件付きの公約とは、明らかに鳩山首相の25%を指している。フェア精神をモットーとする英国が何を言わんかや、である。そもそも、条件付きの約束はどうか、など小学生でもあるまいし、散々条件や駆け引きを散りばめた歴史を重ねてきた英国である。気候変動の論議でも日本に無条件降伏をせよ、というのか。

そこで私は聞いてみた。
「条件をつけようがつけまいが、それが問題なのではない。むしろそれ以前の問題ではないか。何も言わない、国として目標に掲げる数字を示すことすらしない各国のスタンスは許されることなのか。そのような姿勢をどう考えるのか」
「それを言うなら英国のスターン報告書は何だったのか。あれは試算しただけです、といいたいのですか」

すると、本人も決まり悪く感じたのか
「何も私は日本をどうこう言っているのではない。自分の国の政治家を思い出して反省しているのです」
答えになっていないけれど、本当にそうならばその調子で大いに反省したうえでしっかりと行動に移してほしいものだ。そもそも政治とは無縁の場、インフォーマルな議論の場なのに、こんなところできれいごとで済ませようとしたり、まともな議論をできないようでは先が思いやられる。

その先、セッションの総括時に、この議論を聞いていたインド人が
「適応するべくは途上国だけでない。先進国だって適応することを考えなければならない」
の部分を加えよう、と言い出した。後でもインド・バングラ人が「日本の言い分はまったくだ」と支持してくれた。どうも私は一日本人として、こういう時は黙っておれない。

ダッカ滞在中の私の英国不信の根は、こんなところにもあったのかもしれない。

「巨人の肩」

今日の日経夕刊より。

日立製作所の小泉さんが、「あすへの話題」というコーナーで、科学研究の積み重ねについて書かれている。その締めくくりにこうあった。

 ニュートンは「巨人の肩の上に立って遠くが見えた」と言った。
 科学は先人の偉大な業績の上に、ささやかな結果を積み上げながら進歩していく。


科学の進歩を止めるような動きは、科学技術立国の日本でいささかもあってはならない。

書きだめ?


しばらくバングラのことを考えていたかったのですが、消化する間もなく仕事に追われていました。

やっとこの週末に少し書き加えましたので、よかったらお読みくださいませ。
11/13+11/17以降です。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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