行けなかったけれど・・・


送別会の飲み会に誘われた金曜日。
ボスやお目付け役も出張でいないし、職場の雰囲気も全体的にどこか飲み会ムードである
この暑さに、9月以降のスケジュールを考えると、今のうちにという心情もよ~く理解できる。

私自身も、送り出される人には陰に日なたにお世話になったので、できれば行きたかった。
だが、今回はやめておいた。

なぜか?

どこか気が進まなかったから、

いや、本当は・・・
このところシゴトやら飲み会やらで帰りが遅くなる日が続いたので、
たてつづけというのは、家族、とくに子どもの前ではどこか気が引けた。

ま、こういうこともあろうかと、彼を囲んだプチ送別会を設けたのは先日のこと
将来が楽しみな彼には、きっとまたどこかで会えると思う。
いつか機会があれば、いちど一緒に働いてみたい、とも思う(今回はわたしの直属ではなかったから)。

今の若い人は、みんな同じようにみえてなかなか個性的だったり、将来性やエネルギーを感じる
ひとも少なからずいる。結局、みんな違うものをもっている、ひとそれぞれということ。

それもまた味だと教わった、この夏。

同級生


ひょんなことで高校の同級生と会うことになり、ランチをした。

もともと竹を割ったような性格で、話していて気持ちがいい。
超多忙なビジネスパーソンだし営業畑の最前線を走り続けている人だけあって、
話していて学ぶことは実に多く、必然、話は面白い。何よりカンがいい。

こうした友だちのいいところは、率直に幅広く話ができること。
だから話の流れや効率(?)が断然いいし、時間の密度が濃いってこういうことなんだ~と実感。
なんともたわいない話から、臓器移植、政治から日本の活力など、とかく話が飛んでは戻り、また深まった。
お互いの成長と年をとったことを笑いながら確認。
それでもひとまわりもふたまわりも大きくなっていた私たちを、外から眺めるようで、いとうれし~

夢のある仕事


この夏はまことに暑い。
暑いから、できるだけ家にこもることになる。必然的に子どもと話す時間も多くなる。

そんなあるとき、テレビで「そんな姿勢では夢のある仕事はできない」と力強く語る、
企業経営者の姿が映っていた。ふむふむ、と聞いていると、横から
「ママの仕事は夢のある仕事なの?」
と、ど真ん中の直球が飛んできた。 この、あらぬ方向からの 素直な問いに対して、

そりゃあるわよ~
と即答できればいいのだが、あれこれ目の前のシゴトやら現実が頭の中をかけめぐり、
どう答えたものか考えているうちに、テキも待ちきれなくなったらしい。
やおらきびすを返して、

どういうシゴトが夢のある仕事なのかな~

などどぶつぶつ言いながら、次の行動に移っている。
わたし、なにマジメに考えていたんだろっ(フッ)


以前、仕事の話をしているときに言われたセリフに、

たいへん夢のあるお話で、
ずいぶんと純粋な方向をお考えで


というのがあった。その時は明らかに、字面通りには受け取れないニュアンスを感じたし、
仕事に夢を込めることはいいけれども、その実、なんだか許されないようなトーンだった。
こちらは大まじめだったけれど、彼らの職場文化からすればそう感じるのも無理はなかろう
―そう考えることも今ならできる。



今日、マザーハウスのイベントに初めて参加してみた。

なんで行きたいと思ったのか自分でもわからないのだが、元気をもらう必要があったのだと思う。
どこかなえ気味の自分に、喝を入れてほしかったのかもしれない。

そこで、山口さん
夢があるから仕事ができる。どんなに困難が立ちはだかる時でも、一歩一歩進んでいくことで、夢が実現する。ひとつの夢が実現するとまた次の夢が生まれる―仕事とは、その繰り返しだと思う。
そんな事を話していた。

もちろん立場の違いはあろう。山口さんは経営者だ。しかし、最初から経営者だったわけではないし、今だって経営者は彼女の仕事のひとつ、であろう。

経営者であろうと一職員であろうと、仕事をするうえで夢は思い描くべきものであり、夢のない仕事はやはりさびしいと思う。正直、わたしは夢のない仕事なぞ、考えられないのである。

となれば、やはりわたしの仕事は夢があるのだろう。せめて、夢のあるときもある、と考えたい。

気づくと

金沢に来ております、仕事で。。。

先週は和歌山から戻った翌日の金曜は旅行ボケかボーっと過ごし、土曜は家にいながら
仕事をやりかけてしまい、それでもいい休みとなる一週間を過ごせました。
ただし、「命の洗濯」というにはあと、1~2週間ほしかったかな?

といいながら、月曜からフル回転です。それはこの出張が入ってしまったから。
それでもヨーロッパの知人友人は、思いっきりバカンスの最中ですよ。3週間とか4週間とか。
メールして Auto reply が戻ってこようものなら(大抵がそうですが)と、ガクッときます。
となれば、わたしの願い(あと1~2週間ほしかったという)も決してワガママではない、
十分受け容れられるべきものと思ってはいるのですが。ということで、今から宣言。
年末と来年の夏は、思いっきり休むぞ!


金沢の話に戻ると、
幼少時に住んでいたこともあり、そのあと何度か来ることもあったので、
金沢は縁がない場所ではないのですが、

仕事でなく遊びで来たい!

というのが今の本心かも。21世紀美術館もまだみれていないし。。。

でも最近のビジネスホテルってよくできているのね~、と妙なことで感心。
すべてがコンパクトに収まっているつくり。料金も良心的な設定になっている。

ベットの下に大きな荷物が入れられるスペースがあったり
机の下にちょっとした台があったり
机も最近はPCを開ける広さになっており、もちろんインターネットも使え
手の届くところにお茶や冷蔵庫があり
テレビも薄くなり、最低限の機能だけになった分、化粧鏡とかティッシュとか一見どこでもありそうで意外とないものがきちんとある。
枕元にも適当なスタンドとランプがあるし。
なにからなにまで過不足なく適切な場所(高さとか)に設置してあるのがすばらしい。

ここにあればいいものといえば、アイロン、かな?出張で来た女性客のために。
まあそれがないから、無印のアイロンを持ち歩く羽目になるのですが。。。

牛馬童子

ちょうど一週間前に訪れた、和歌山熊野古道の牛馬童子のことで、こんな記事を発見。

和歌山 Day4

起床後、6時より本堂で勤行に参加。朝食を済ませ、奥の院へ向かう。
この奥の院、恥ずかしながら来るまで知らなかったのだが、戦国武将やら歴史上の人物が眠る場所だった。。。親鸞から始まり、伊達政宗、織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、石田三成、明智光秀と、歴史好きにはたまらない名前がまだまだ続くらしい。

奥の院入口_convert

奥の院から金剛峰寺へ。空海の開いた真言宗の総本山である。狩野派のふすま絵や石庭、豊臣英次の切腹の間など、1200年の歴史を持つ高野山の寺は、悠然と構えている。僧侶曰く、「高野山は世界遺産などというものに登録されたようございますが、遺産というよりは未来を見据えた教えを伝えていく使命を賜っております」。金剛峰寺は歴史が長いだけでなく、それはそれは大きく広い。また、歴史を感じさせる重厚なふすま絵も多く、石庭は日本一の広さだそうだ。↓

金剛峯寺_convert

金剛峰寺、壇上伽藍をあとにして、高野山の「かさ国」という和菓子屋さんに立ち寄る。そこで「みろくいし」と買う。みろく石とは別に、あんこのないお菓子を探していたところ、いもパイと牛皮のクルミ菓子(←名前は覚えていないのでテキトウ。。。)をみつける。とってもおいしかった。

ところで高野山は、下界と気温が10度違うという。大げさな表現かもしれないが標高900メートルだけあって、たしかに、それほど暑さを感じない。その分、冬はマイナス10度まで下がり庭の池の水が凍るという。

午後は一路、和歌山市内へ。この4日間で500キロ以上走るドライブとなった。走っているときは、ほとんど雨の中の海岸沿いと山道だったが、ドライブをあまりしないので楽しんだ。Vitzよ、よく走ってくれた~。特に山道は小さいながらがんばりを感じた。

和歌山駅でレンタカーを返したあと和歌山城に立ち寄り、天守閣から紀ノ川をのぞむ。和歌山発5時前の特急くろしお。そのくろしおの全座席のうしろに張ってあったこのシールの熊野古道マップに改めて目をやる。今回訪れたあちらこちらを振り返る。まさにこの地図上の場所をウロウロした4日間だった。
JR convert

ちなみに、なんでも今日の夜は白河と那智勝浦で花火大会が予定されていたが、白河は天候のため1週間延期となったとか。打ち上げ花火が、さそがしきれいだったろうに。

ところで、帰りの新幹線のぞみは、普通席でも無線ランが使えるようになっている。日本の新幹線たるもの、こうしたサービスあって然るべきだし、少しずつ整備が進むのがうれしい。しかも足元にパソコン用とおぼしき電源スイッチが。
新幹線 convert

やっとこういう時代になったか。高野山の宿坊ですらインターネットを使えるのだから。

和歌山 Day3

本日目指すは高野山。ということで、那智勝浦から新宮の手前で海岸線ともお別れ。

最初に何気なく立ち寄った熊野川の静かできれいなこと。どこにいっても和歌山は川の水がとてもきれい。
熊野川 convert

この熊野川でもっとゆっくりしたかったが本宮まで行き、その足で熊野本宮大社(↓)に立ち寄ったあと熊野古道へ向かう。
熊野本宮大社_convert_20100813143307

熊野古道を歩くには、本当はそれなりの山の恰好が必要なのだろうが、(車でワープしてしまう我々ってどうなの~)と、古の参拝客に思いを馳せる。先人の汗と努力のうえに脈々と続く伝統と歴史があったからこそ、世界遺産にも指定されたというもの。そのときにできたであろう世界遺産センターで情報収集し、中辺路(なかへち)へ。ちなみに、道が世界遺産として登録されているのは、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼街道と熊野古道だけだという。ということで、熊野古道の片隅を歩いてみる。
熊野古道 convert

熊野参詣は1090年の白河上皇の参詣を機に貴族の間で広まった。そのうち庶民にも広まったのだろう、蟻の熊野詣といわれるほど参列者が列をなした熊野詣で、もっとも人気の高かったのは田辺から本宮へ至る中辺路。今回行ってみたのは、牛馬の童子。ほかにも、不寝の王子、近露の王子など、中辺路には王子(や童子?)と呼ばれる神祠が100以上あるらしい。ここで調べてみると、「王子というのは熊野三山の御子神や摂社のことをいい、その昔、中辺路をたどる参詣者は、この王子ひとつひとつに奉幣し祈りを捧げて熊野三山を目指した」とある(世界文化社『熊野古道を行く』より)。

熊野古道を歩いていると、サワガニ発見。やや動きがにぶい。
カニ convert

熊野古道を後にして目指すは高野山。ここでまた雨が降り出す。今回は台風の影響なのか、山の天気だからか、雨と晴れ間の繰り返しで、運よく(?)車で走っているときだけ雨が降っているので、何とかその合間をタイミングよく潜り抜けている感じだ。ひたすら走り高野山着は夕方の5時前。今日の宿泊は高野山の宿坊。おそらく、1200年の歴史をもつ高野山で宿泊するにはホテルはないのではないだろうかと想像。宿坊の場合、チェックインは夕方5時まで、夕食は5時半から遅くても6時開始、門限は夜9時、お風呂は10時まで、となっている。

一乗院_convert

宿坊では精進料理をいただく。聞けば、修業僧は高野山大学を終えてきたり、直接門をたたいたりと、お寺にもよるのだろうが現在4名。和歌山県出身者は少ない。修行が1年で住めば短い方らしいが、厳しいので途中でやめていく者もときにはいるとか。ただ、食事は特別の儀式では精進料理だが、普段は我々と同じようなものを食べているとのこと。ナットク。

夜、家族が写経に挑戦しているうちに、睡魔とたたかう間もなく私は寝てしまった。

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和歌山 Day2 ~ 南方熊楠


二日目の朝、南方熊楠記念館を訪れた。
南方熊楠について、粘菌の研究者でNatureに投稿した最初の日本人、という以外ほとんど何も知らなかった。今回とても驚き、感動した。ということで、同じ日に二回となるが改めて書いておきたい。

まず、和歌山の田辺の出身で1867年生まれ、子どもの頃から大変な読書好きと記憶力の持ち主だったという。友だちの家にあった『和漢三才図会』を片っ端から読んでは記憶し、帰宅して書き写していたというから、その記憶力のよさが伺える。その記録も展示してあったが、とても記憶できるような代物ではない。並はずれた記憶力の持ち主に違いない。

その後がまたすごい。東京大学予備門に入り、夏目漱石や正岡子規と同級で、後の首相となる高橋是清に英語の授業を受けたというから、どれだけの秀才でエリートまっしぐらの道を歩むのかと思いきや、自分の野外調査と標本採集(いまで言うフィールド調査?)に明け暮れた挙句に落第し退学。故郷の田辺に戻る。

そこで終わらないのがまた彼のすごいところ。あの時代に父親を説得し、海外遊学に出てしまうのだ。米国にわたり、まずサンフランシスコの商業学校へ行き失望(そりゃそうだろう)、東へ進みミシガン州ランシングに行き州立農業大学で学ぶ。またそこで独りフィールドに励み退学となる。そこでフロリダ、南米へと足を延ばし、ひたすらフィールド調査に勤しむ。そうこうするうちに、Natureに「東洋の星座」なる記事を投稿するようになり、大英博物館やロンドン大学の先生に見出されるようになる。魅力的な人柄ゆえに要所要所でいろいろな人と知り合い、英国にいた時に紹介された中国の孫文とも親交を結んだという。

当時の英国で、学位をもっていないどころか大学も出ておらず、私費(と想像)で遊学を続ける南方の精神力、タフさは文句なく素晴らしい。持ち前の記憶力が生きて語学が堪能だったとかで、アルバイトでラブレターの代筆をしていた話も痛快だ。一時は、大英博物館の正館員として就職の道もあったのだが、自由が損なわれることを極度に恐れてその話を辞退した、という。その後、職がなくなり和歌山に戻り、田辺を拠点に彼の知的生活は続く。その生産性は、むしろとどまるところを知らなかったようである。生態学者としてのみならず、民俗学、宗教学などその専門性は幅広く、民俗学者の柳田国男との手紙のやりとりも続いた。今でいう、学際分野とでもいうのだろうか、まるで日本のダ・ビンチだ。

田辺のそばにある神島の開発を憂い、神島の保全を訴えたのも南方熊楠だ。また昭和天皇の南紀行幸の際には案内役をつとめ、その縁もあってだろう、のちに神島は史蹟名勝天然記念物に指定されたという。記念館の上にあがると、その神島をはじめ素晴らしい眺望がひらける。おしもおされぬ生態学者というだけでなく、どこにいても変わることなく知的生活を営む知の巨人の生き様に、こういう人が明治大正の時代に和歌山にいたのかと、ただただ圧倒された。そして感動した。


和歌山 Day2

朝はけっこうな雨が降っていたどうも急に発生した台風4号の影響らしい。
和歌山県の白浜は、全国的にも有名な美しい海浜である。これだけ雨が降っていても、海水浴客がおびただしい。雨の降る中、砂浜に向かう人の群れが続く。白浜に限らず、和歌山は走るたびに大小の海水浴場が目に入り、実に豊富であることが伺える。

雨の向こうに円月島を眺めながら南方熊楠記念館に向かう。しかしラッキーなことに、雨も朝の数時間だけだったようだ。記念館からは、神島をはじめ素晴らしい眺望が。そのまま千畳敷へ。
千畳敷_convert

千畳敷のあとは本州最南端の潮岬へひたすら走る。本州最南端の割にはレトロなタワーがあるのみ。よくいえば、世間の影響を受けずに昔のままでいるが、観光地としての振興とか活性化を図る様子はみられない。費用対効果の問題もあるのだろう。ちょうどその活気に合わせてか我がカメラの調子も悪くなり、潮岬にいる間の写真はすべて白黒になっていた。。。

潮岬というか串本から海岸沿いに北に進むこと1時間強。くじらの町であり捕鯨発祥の地でもある太地に到着。太地のほうが潮岬よりまだ少しだけ、観光客を意識している。とはいえ、和歌山ではどこに行っても「駐車場やお店の呼び込みがまったくない」と家族。こののんびりしたムードの漂う和歌山は、かつて住んでいた静岡にどこか似ている。

太地からさらに北上し、2日目の宿泊地の那智勝浦へ。少し早めに着いたので、那智の滝に足を延ばす。遠くから見るとこんな感じ。
那智_convert

近くにいくとやはりすごい。
那智の滝_convert

御神体といわれる日本一(133メートル)の那智の滝で大きなおみくじを引いた後、那智大社のさらに奥にある妙法山阿弥陀寺へ。現に、阿弥陀寺に向かう道は、心細いほどだれもいないし車もない。途中お寺近くで我々を唯一迎えてくれたのは、山に大きく掲げられた白い寺社マークで、これは遠く那智湾からでも見えるだろう大きさだった。そのうち道路わきにはこんなものが。
what_convert.jpg

だれもいないと、余計怖く感じる。いぶかしげにみてみると、小さなお地蔵様だった(ホッ)。
It convert

和歌山 Day1

今日から和歌山へ。毎年、家族で旅行かアウトドアキャンプに行くのが恒例。行ったことのないところでできれば温泉があるところ、ということで今回は和歌山めぐりとなる。

新大阪まで新幹線、そこで特急くろしおに乗り換え和歌山へ。まずは予約していた駅レンタカーに。ここで今回の旅のお伴、Vitzを借りる。まず市内を走り少し車に慣れてから和歌山ラーメンを楽しみ、今日の目的地、白浜に向かう。ほどなくして、こんな看板が(笑)。

漁師さんconvert

お店の名前はもとより、その下に並ぶワインボトルの列に目にいってしまう。。。入ってみたいけれどまだ先がある。そのあと、海南市を通り過ぎて最初の休憩地が、由良の白崎海洋公園。車なのでときおり休んでいくつもりだったが、休憩所サインが見えてから走っても走ってもなかなか表れない。この先にあるのかな~、と不安に思いながらもかなり走ってやっと到着したのが、白崎海洋公園。石灰岩に囲まれた、ダイビング&キャンプ場だった。白い石灰岩と海の碧とのコントラストが美しい。

とはいえ先は長い。
お天気雨も降るなか、面白い形の、いかにも雨が降ってきそうな入道雲をみながら梅の産地みなべを通り抜け、白浜手前の田辺市へ。夕方だったので天神崎を軽く散策。

入道雲_convert

休暇モード


仕事はひとつずつ進み、しかし次々と予期せぬ注文が間に割ってやってくるといった風で、
先週はなかなか厳しい週でした。それも無事終り(終わらせ)、日曜から、すでに休暇モードに入っています。

明日から、プライベートの家族旅行と称して和歌山にまいります~。
楽しみ & 休むぞう~。

人生の先達


子ども時分からときどきお世話になってきたH先生の奥様が亡くなった、と風の便りで知ったのは
1ヶ月ほど前のこと。

先生の奥様にお会いしたことはない。
知っていたことはただひとつ―ご主人を立ててついていく絵に描いたような良妻賢母の奥様に
しっかり支えられたH先生だった、ということ。それだけに、奥様の存在の大きさは熟知していた。
H先生にお世話になるということは、すなわち、奥様にお世話をかけることである。
先生の陰に、横に常に奥様がいらしたのだ。

今日そのH先生にお会いした。どこから話し始めていいかわからないようだった先生も、
ポツリポツリと今の思いや日常の変化を静かに語り始めた。

 夫婦というもの
 長年連れ添った妻が、ある日を境にいなくなる日常のひとコマ
 いいようのない寂しさを感じるとき

そうしたものを語り口から感じ取るのに十分だった。



おかしな話だが、親以外の人生の先輩の話に耳を傾けるのもいいものだ、となぜか思えてきた。
世代や境遇の違う人の話は教えられることが多い。

あきらめないこと


日経新聞の『私の履歴書』―7月は、生物化学者の下村脩さんだった。毎日楽しみにしていたが、最終回の今日は、字面を追いながら最後まで読み終わる前に無性に感動した。さっそく引用しておこう。

(ここから引用)
講演後のパネル討論の場で、会場の若い参加者から私への質問が出た。おそらく研究者かその卵であろう。「研究で成果が出ず、行き詰ったときはどうすればいいか」という問いだった。
ちょっと考えた後、こう言った。「がんばれ、がんばれ」。つべこべ言わずに努力をしなさいという、突き放したような言い方に、ひょっとしたら聞こえたかもしれない。もう少し丁寧な答え方をしようとも思ったのだが、私が言いたかったのは、結局はこの「がんばれ」に尽きるのである。
「やりたかったことをやっていて行き詰まったらどうするか」と、聞かれたこともある。この質問の真意が私にはよく分からない。
すぐにあきらめたりして、ほかのことに移ってしまったりするのは、それはそのことが本当にやりたかったことにはならないのではないだろうか。
もちろん、人が置かれる状況はそれぞれ異なるだろう。私の場合は、生物発光というテーマを与えられ、その不思議さに魅せられつつ、格闘してきた。

ノーベル化学賞の成果となった緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見までには、同じオワンクラゲからとれた発光たんぱく質のイクオリンや、それ以前に日本で取り組んだウミホタルのルシフェリンの研究が役立った。これが成功裏に進んだのは、様々な幸運もあったし、巡り合わせが作用した。
しかし、そのような思わぬ偶然を引き寄せることができたのは、少しの失敗は気にせず、あきらめずに努力したためである。試練には何度となく直面したが、私は逃げることは考えなかった。逃げることができなかったといってもよい。研究者として、私は実験がうまいとも言われる。「神の手を持つ」などと神格化するようなことを言われたこともある。実際のところは、私は不器用で、実験は上手ではない。よく失敗する。ただ、簡単にはあきらめない。うまくいかなかったら考え直して、別なやり方を試みてみる。だめだったらもう一度。それを何度も繰り返す。それだけだ。

今の研究者には難しいテーマには取り組もうとしない傾向があるようにみえる。こうやれば、結果が出ることが見えているものは手がけるが、すぐに結果が出そうにないものは、はじめる前から尻込みしてしまう。最近は女性より男性にこの傾向が強い。女性の方がまだ元気があるような気がする。

科学研究に関していえば、私がやってきたのはずっと基礎研究である。生物発光の研究を、何かの役に立つとか考えたことはほとんどない。そうした基礎研究の蓄積があって、緑色蛍光たんぱくGFPのような、後に社会に役に立つものが生まれた。まったく予想を超えたことであった。あらかじめ、予定された成功などはないのだ。日本の若い人たちに重ねていいたい。がんばれ、がんばれ。物事を簡単にあきらめてはだめだ。
(引用おわり)

ひとことひとことがずしんと胸に響いた。研究者魂を感じたことと、とくに研究の真髄ともいえる、愚直なまでのこだわりととことん努力する姿勢をみた。

でもこのメッセージは研究に向けてだけではないと思う。失敗しても何度でも立ち上がる、あきらめずにやり通す―こうした姿勢は日本の活力にもつながはずだ。あきらめないことの大切さを知っている人は多い。しかし知らない人もまた多い。

『私の履歴書』は、月によって読んだり読まなかったりするが、科学者の話はたいてい面白い。下山さんのほかにも、かつては石坂公成さん、小柴さん、古くは渡辺格さんは、当に読ませる文章を書かれていたと記憶している。いつだったか、ある研究者の先生がブログに書かれていた。「旅先で『私の履歴書』を初めて読んだが、まったく面白くなかった。あんなの誰が読むのでしょうね」。それをみて思った。
・ その月の執筆者がたまたまその先生にはハズレだったのだろう(はっきりいって、書き手によって大きく分かれる)
・ 先生もそのうち書くことになりますよ~、きっと?!

電化製品


かくして、日曜の午後に近くの家電量販店に行ってみました。
実物を見ないでネット注文するほど詳しくないこともあり。

うすうす自覚してはいたのですが、実際みてみて、よ~くわかったこと。
CDラジカセとかカセットの時代ではないということ(笑)。
そしてこれを親にわからせるのがまた、やや難儀であること。

機能も18年前のCDラジカセの方がずっと充実していたし(オートリバースありとか)、
デザインもいろいろありました。今ではもう、店頭で見る限りCDラジカセは
「これしかありません」的ななけなしの状態
CDラジカセに関しては、ラジオ録音のニーズから代替案を考えることに。
ICレコーダーとかに収まりそうです。

ところで、ほかの家電製品もみたのですが、いま買うとしたら掃除機。
我が家に今あるものもまだまだ使えると思うのですが、そう主張するのは家では私だけで、
家人からいいのがあれば即買うようにいわれていました(昨年から)。
で、今日までのびのびに。そこで掃除機をみてみることに。
学生時代からの習性か、わたしはスティック式の掃除機でないと使えないようにできています。
で、今回も買うならスティック式。ところが、従来の掃除機はいやというほど種類も豊富なのに、
店頭で見る限り、選択肢は少ないし、スティック式掃除機にさして種類も進化もみられません。
やっぱり、今もっているのがよくみえてしまう。
やはりこれもネットで買うことになるのでしょうかね。

しかしいろいろみていて楽しみました。
電化製品というものは、iPad のような新製品はもちろんのこと周辺機器でも家電でも、
実に時代を映す鏡だと思いました。

CDラジカセはもういいから、ポータブルのプリンターがもっと種類があればうれしい。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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