世代間格差に思うこと(2)


(昨日の続きですが、トピックが拡散するので分けて、追記しました)

この1年、とくに最近、日本の若者の内向きを嘆く声がさんざん報道され、また声高に叫ばれてきた。一方で、世代間闘争はよくないとか、??と思うようなコメントも(だいたいが年輩からである)。しかし、わたしが見ているに、日本の若い人たちは、シニアグループが思っているよりずっと逞しいし、新しいことにもどんどん挑戦している。シニア世代よりは海外に出ていく人材だって少なくない。ただ、海外で学んだり働くことを、選択肢の一つとして考えているだけで、あの世代ほど特別視していないだけのことだと思う。

わたしが危惧するのは、ソーシャルメディアに敏感で、日々夥しい情報にさらされている今の日本の若い世代が「そう言われればそうかもしれない」などど無用に自信を失うこと。若い人たちは、こんな一部のシニアの意見に頷くのではなく、起爆剤として「なにくそ」といった気持で前へ進んでほしいと思う。この若いには、上でいうグループBとCが入っています(あ、わたしもです )。

そしてシニア世代には、いろいろな嘆きや不満は呑み込んで、意味のある将来への指針と提言を発する方に力点を移していただきたい。

数日前の新聞でもある高名な政治家がとうとうと自説を述べていたが、
日本人はプレゼンが下手だとか、内向きになった、というのではなく、せめて
自分の世代の日本人はこうだったが、その教訓と反省を踏まえて、これからの日本の若者にはこうなってほしい
といった前向きな提言こそが、そうした若者への励みと日本の来年の活力になる―そう信じている。

この点、分野も違うお会いしたこともないのに、著書を読んだだけで引き込まれ、また尊敬してしまうのが、物理学者の木下是雄先生だ。これまでのブログにも書いた。
 スウィッチヒッターふたたび
 スウィッチ・ヒッター

ロングセラー『理科系の作文技術』の著者でもある木下先生は、言葉の重要性を熟知されている。そのうえで、若い世代へのエールと愛情さえ感じる書きぶりに、私はひきこまれたのだと思う。そして、先生の本や語り口にひそかに励まされた内気な(?)理系の学生や研究者の卵は、これまで多かったのではないかと思われる。

世代間格差に思うこと

先日も触れた、科研費が増額、しかも最大の増額規模(本年度予算に230億円プラス)。
ということで、これを朗報と取りながらも最後通牒と取る向きも、当事者にはあるようです。

そもそも、こういうことに関心を示したり問題として真剣にとらえ意見を表明する人は、往々にしてそれこそ研究の現役か第一線にいることが多く、それ以外の人は当事者なのに(研究者でも)のほほん~としているのが、現実でありましょう。

分野にもよりますが、世代間格差がアカデミアではとくに顕著になっているとわたしは見ています。
とくに、ジョブセキュリティ(のなさ)、研究資金の重要性については、意識の差は想像以上に大きいのが現実ですが、この認識は世代間を超えてほとんど共有されていません。

ではその世代別の特徴を考え、便宜的に分けてみましょう。
グループA:50代後半~60代(あるいはそれ以上??)
グループB:30代半ば~40代
グループC:20代後半~30代半ば

グループA:研究資金繰りで苦労した人の割合が、今に比べてかなり少ない。
お金は、申請書を出せばもらえる、あるいは上から与えられるもの、本当に必要ならどこかから出てくると、どこか思っている節がある(あった)。あるいは、ないならないなりに、大学からのシードマニ―でできる範囲の研究だけに収めようとするひとも少なからず。
この世代でグラント獲得で苦労した人は、だいたい新しいことをしようとする場合か、周りに迎合しないで研究を進めようとした場合。運がいいと、理解者や共同研究者、スポンサーにめぐりあうことも。

20代、遅くても30代前半には正規ポストについているから、年金の心配はしても少なくともポストの心配などしたことがない。

グループB:
研究資金(グラント)の獲得の大変さを実感してきたから、グラントは「獲りにいく」もの、という意識がしみついている(「当たる」とか「もらう」ものではない)。

ポストの問題は絶えず頭の片隅にあり、いいポストがあれば動くこともいとわない。卒業後に正規雇用のポストがあることは稀で、学位取得と同時にポスドクをするのが基本(常道)だった世代。ポスドクで海外に武者修行に行く人が普通にいた(むしろ国内ポスドクが少数派だった)。日本に戻る人もいれば海外でラボを構える人も。

野茂に始まったメジャーリーグへの日本人選手の挑戦を心から応援し、自分たちの姿に重ねた世代から、そうした海外への挑戦を当然とみなす世代、ともいえよう。

グループC:
20代(大学院生も含む)で、科学に対して夢をみたり語ったりがあまりできない世代。

ひたすら研究をして、たとえ学位を取っても職がない、ポスドクすら難しい。しかもせっかくポスドクになっても、ポスドクの名前では研究申請をさせてもらえない大学研究機関は、日本には多いらしい。これは、海外のポスドクと大きく異なり、まさに日本のハンディ。骨のある人は、ここでやはり海外に出ていくのだろう。それでいいと思う。

このように、ジョブセキュリティ、研究資金の獲得の2点で大きく違うのだが、ちょっと考えただけでもこれだけの大きな差がある。極論すれば、今回増額の230億は、そのままグループBとCで山分けしてもいいくらいだ(?!)。



以前、ある研究費を申請したところ申請後にさんざん質問を受け、すべてに対応し回答した結果、不採択に終わった。それは結果として受け止めたが、簡単でいいから参考までに理由をお聞きしたく尋ねてみたところ、さんざん待たされた挙句に帰ってきた回答が、

審査員からのアドバイスは、審査の公平性を規すため望ましくないとのご意見がございましたため、お伝えできません。

ならば、全員にフィードバックすればいいではないの?数行のコメントでいいのだから。
こういうことを尋ねる側はそれだけエネルギーも時間もかけてきたし、真剣にとりくんでいるのだから、希望者にこそ、率先して伝えるべきではないか。それが次のよりよい研究申請につながるかもしれない。学問の発展を願う立場ならそのくらい考えて然るべきだろう。

この際、言わせてもらいます。こういう人は、まずグループAに属する確率が高い。

ときどきこうした公平論を聞きますが、日本社会の悪平等を思い起こすことがあります。そもそも、公平とかフェア Fair という言葉は本来がもっと重量感のある言葉で、それを意識して使っていただきたいものです。もっとも公平の意味を肌で感じしっかり理解しているのも、じつはいまの若い世代ではないか、と思えるのです。

歓迎すべきわがまま


来年度予算の成立前に、科研費の230億の増額が報道された数日前―クリスマスプレゼントとまでは言わないが、朗報には違いない。

いやそうでしょう、やはり。
ノーベル賞効果ともはやぶさ効果とも言われるが、この際、理由はどうでもいいから、長期的な科学技術の支援と支援体制の強化をお願いしたいものだ。科研費が増額したからには、どこか削減された予算があるはずだ。それが何かは知らないけれど、たとえODAが減っても科学技術の予算こそ増額すべきだと個人的には思っている。

首相の「わがまま」を通した形となるらしいが、こういうわがままは大歓迎。しかも、ここぞというときに出るわがままは、後から振り返ってよかったと思ったりそれなりに意味のあるわがままのことが多い。

使ってみたかった

クリスマスイブの今日。
いや、何をするというわけでもないのですが

なにせ祭りごとの好きな家族なものですから、何かしないといけないらしく(日本人的?)。。。

さりとて外出も寒いし面倒だし、ということで自宅でささやかなクリスマスディナーとしてみました。
(壮行会や誰かの誕生日にかけて飲み会をするのと似たようなノリかも?)

そこで急に思い出したことに、一度ぜひ使ってみたかったものがありました。

これです、これっ↓                             
markers.jpg  

ん?と思われる方のためにズームイン
marker2.jpg

コレ何かと言われれば困るんですけれど。ワイングラスの持ち手の下にさりげなくつける飾り、というとヤボに聞こえますが、Wine markerみたいな名前のようです。

最初に知ったのは、アメリカであるお宅に招かれた数年前。それはそれはかわいい、動物やら星やらいろいろなバージョンがありました。あまりのかわいらしさに驚くわたし、数日後にはキッチン用品のお店に連れて行かれていました。
その時はなぜか、秋なのにクリスマス用のこの柄しかオプションがなく、これを購入する羽目に。ところが毎日使うものでないし、ワイン通でもないので、キッチンの片隅のまた片隅に置かれたままでした。おそらく2年ほど。

じつは内心思ったものです、アメリカにこんな細やかな飾りをする文化があったなんて~。
こうした行き届いた細やかさは日本の専売特許と思っていたわたしです。
ま、キッチン用品はアメリカは種類も豊富ですからね、まして値段は安いし。ローソクとかせっけん、メッセージカード類も、日本よりバラエティに富んでいるというか市場が発展していますね。

ともかく、今日はめでたく食卓に登場したわけでございます。

オマエが知らないだけだよ、というオチもありそうですが。。。

ブレーキ


今日は朝から、どこか体がだるく、一日休みモードでした。
体にブレーキがかかっているというか(心のブレーキでないといいのだけれど)。
登校拒否ならぬほとんど外出拒否じょうたい。。。
ストレスフリーに近い形と自覚していたはずがそうでもないのかな。

で、一日休養。こんなに家でゆっくりしたのもめずらしいほど。ま、人間、休むときは休むべきかと。



こどものときは

よく遊びよく学べ

と言われ、大人になったらなったで

よく遊びよく学べよく働け

とどこかで聞いたけれど(いまの職場でそういうこという人は皆無ですが)、これってどうなのかな?

そんなに全速力で走れる日ばかりじゃないと思う雨の日 ・・・皆既月食みれないし(?)。

Closing of the Year

週末は金沢へ。今年かれこれ4回目になる。
今回は急遽行くことに、目的はこれ。国際生物多様性年クロージングイベント


東京から新幹線、越後湯沢で景色が「冬」にかわる。

(雪が降っているプラットフォーム、いちおう ↓)    (越後湯沢駅ホームの手湯? ↓)
1. DSCF9092  2_convert.jpg

プレゼンあり、スピーチあり、映像に歌ありと、とてもよかった。何よりホールが素敵。
金沢駅近くの音楽堂邦楽ホール、こんなところで能や歌舞伎が鑑賞できればさぞかし素敵だろうな~。

国際生物多様性年2010年のクロージング。
来年は、国際森林年  らしい。

COP10名古屋で議長国をつとめた日本は、2年後のインド開催COP11まで、役割があるという。
2. DSCF9128

2010年のクロージングだけでない、今年は本当にいろいろなことがあった。
万感の思い(しみじみ)。。。  

しかも下のCOP10ビール、妙においしそう。
3. DSCF9139

いまどきの


このところ、仕事やらほかやらいろいろあり、しみじみ師走です(← じつは関係ない?)。
(その間、笑えることもあるにはありましたが、それはまた別の機会にするとして)

その合間に入ってきたのが、よくある、仕事の延長のような、しかし何だかわからない作業
――そのひとつ、推薦状

しばらく前からなんとなく頼まれてはいた。

昔、仕事を手伝ってもらっていた元同僚。その人は、米国の大学院を終えていてさらに博士課程への進学を希望。
わたしでいいのかどうかはともかく?
「大学院(米国)の博士課程に応募するので、そのうち推薦状をお願いしてもいいですか?」
程度だったので、OKと軽く返事。その後、忘れていたころに、ボンボンくるわ来るわ。応募先の大学事務局からのメールが。

で、当人からもらった基礎資料(CVやらエッセイなど)をちらちらみながら書いてみる。
しこしこ書きながら、長すぎるものよくないし、短くてもなんだし。
もののサイトによると、そこそこの学生には2パラ程度の短い推薦状しか出さない先生もいるようだ。強く推薦する場合はしっかり書く。しかし1ページにおさめる。その辺は、日本の先生とは違って、かなり正直に書かれている。その推薦状を信じてとった人物が、いまいちならば、それは即、推薦状を出した先生の評価にもつながってしまうのが、米国とのこと(ほかの国はどうなのかな?)。

さあ、手紙はかけた。それで提出するためオンラインに行ってみる。

その形式がまた新鮮。ふむふむ、今の推薦状ってこうやって出すのね~、と思いながら進める。

基本的に3段階になっている。
(1)項目ごとに評価する、選択式(だいたい3項目くらい、多くてその倍)
(2)簡単に質問に答える(300語以内とか制限がある)
   応募者とどのくらい(期間)知っているかとか
   どういった能力について知っているか
   どういう人と比べて評価したか
(3)推薦状を添付(ここで用意しておいた手紙をアップロード)



わたしが応募する頃は、すべて郵便でした(ただし10年前 )。

といっても、もちろん
いや、私は何が何でも郵便で出したいんじゃ~
というひとにはその選択肢は残されているようですが。

科学への投資

 
 今年もノーベル賞の話題で日本が湧きそうだ。純粋に喜ばしいことだと思う。
以前こちらで紹介した、下村さんの文章はまっすぐでいい。同時に、随所に多くの科学に対する思いとメッセージが散りばめられている。ちょっと長いが、再び引用しよう。

(ここから引用)

思わぬ偶然を引き寄せることができたのは、少しの失敗は気にせず、あきらめずに努力したためである。試練には何度となく直面したが、私は逃げることは考えなかった。逃げることができなかったといってもよい。

研究者として、私は実験がうまいとも言われる。(略)実際のところは、私は不器用で、実験は上手ではない。よく失敗する。ただ、簡単にはあきらめない。うまくいかなかったら考え直して、別なやり方を試みてみる。だめだったらもう一度。それを何度も繰り返す。それだけだ。

科学研究に関していえば、私がやってきたのはずっと基礎研究である。生物発光の研究を、何かの役に立つとか考えたことはほとんどない。そうした基礎研究の蓄積があって、緑色蛍光たんぱくGFPのような、後に社会に役に立つものが生まれた。まったく予想を超えたことであった。あらかじめ、予定された成功などはないのだ。

日本の若い人たちに重ねていいたい。がんばれ、がんばれ。物事を簡単にあきらめてはだめだ。

(引用ここまで)

 うまくいかなくてもあきらめず、別のやり方を試してみる―これこそ科学のいい点であり、今の日本社会に欠けている視点だと思う。実際、日本の若い人たちでも、簡単にあきらめない人はまだ多い。研究者なんて、あきらめない精神の塊だ。それでも、そういったひとたちのやる気を失わせるような科学行政や社会の動きが何とも歯がゆい。私に言わせれば、科学は社会の投資である。これまでもこれからも科学技術立国として進むしかない日本にとって、国の将来への投資である。そして、もうこれ以上発展しなくていいというものでは決してない。
 
 たとえば、年間500万円のグラントがあったとしよう。使い道を細かく既定したうえでに細かい予算書やその根拠書類だの証憑やらの提出を求めるのではなく、「あなたの研究計画と研究の将来性にかけて、500万を投資します。どうぞご自由に、研究活動にお使いください。」と一言いってくれればいい。それがグラントのあるべき姿だと思う。ちなみに500万というのは、本を読んで論文を書けばいい分野ならいざ知らず、普通の自然科学やフィールドワークをする学際研究の研究費としてはそれほど大きい額ではない。問題は、小規模であろうと高額であろうと、研究をする立場からすれば申請準備でも報告でもかかる事務労力はそれほどかわりないこと。換言すれば、秘書や事務スタッフが複数いるような大きなチームでなければ、研究者にかなりの負担と労力がかかる。となれば、こうした作業に、大学研究機関の研究者が少なからず時間とエネルギーを費やさざるを得ない。それでいい研究成果を求めるのでは、あまりに筋が違う。

 ならばそういう仕事は事務担当にやらせればいいじゃないか、という声もあるだろう。まず、そんなスタッフが潤沢に雇える研究チームはごく一握りだ。さらに、その分をもっと別に研究に直結する仕事につなげたいと思う心情は、研究者ならば至極当然だ。できればポスドクを雇って戦力の強化をはかりたい場合もあろう。ポスドクなら、なおさら研究に専念したいし、周りもさせたい。それを含めてバックアップするのが研究支援の仕事であり、実務レベルでは大学や研究所の事務職員の仕事となるが、国はその責任の一翼を担っている。

 一方で、お金をもらう以上、税金を投入する以上、このくらいのチェックは当然という声がすぐに聞こえてきそうだ。一見、まっとうな正論に聞こえる。しかし、それに対してわたしはこう思う。
(1)お金の使われ方(予算計画)に異常なほど細かい注意が払われる制度は見直すべき
   成果が出ようが出まいがお金が適正に使われていればいい、というのであれば、研究費関係
   の報告は役人の説明責任のためだけに、しているようなもの。首をかしげざるを得ない
   ような「対応のお願い」も散見される。日本の好きな海外視察でもして、いっそ米国や英国の
   研究所や大学の研究費配分の仕方をしっかりと学んでくるといい。
  
(2)年度内消化でなく次年度への繰越を認める
   こんなこと、書くのもバカバカしいのだが、大まじめに主張する人がいるから念のため

(3)成果だけを求めるのではなく、研究の目指す方向性、将来性にかける姿勢がほしい
   これは投資の考え方につながる。3年で小さい成果は出るかもしれないが、成果が出なくても
   不思議ではない。なにが起こるかわからないけれど、知りたいからやってみる―科学とは
   そういうもの。昔、物理学者の小柴さんは、研究費支援を求めにある会社に出向き説明した
   ところ、「その研究が何の役にたつのですか?」と聞かれた。曰く、
   「今は正直、何の役にも立ちません。しかしこの研究の価値は100年後にはわかるでしょう。」
   それで出資を決めた企業の気概を国も見習うべき。

(4)国民への説明責任をかくれみのにしない
   税金というのであれば、数多ある国際会議や国際機関への拠出金など、いくらでも使途が
   うやむやになっている莫大なお金に対しては、どう説明できるのか。この手の支出額は、
   研究費に比べれば比較にならないほど高額だ。



 はやぶさの帰還で感銘を受けた人は大きい。しかし帰還するまでどれだけの人が、はやぶさの存在を知っていただろうか。将来性や意義を理解していただろうか。あるいはほかの分野でも、たとえば新薬の開発でも、10年に一度出ればヒットといわれている。何でもそうなのだ。科学への投資は息の長いものであるべきで、計画通りに行かないのが未知の自然現象に挑戦するサイエンスの根幹、というしっかりした認識を、まずは科学行政に、そして社会に求めたい。意外と社会の方が、スッと理解してくれるかもしれない。
 繰り返すが、役立つかどうか分からないのが科学なのだ。リスクを承知で、むしろそのリスクを背負って大学院を終えても、研究のためなら休日も返上して残業手当とかとは無縁で(そもそも研究者にはそういう感覚自体がもともとないのだが)仕事をしている若い研究者に、もっともっと温かい手が差し伸べられてしかるべきだと思う。ノーベル賞受賞者が出たときだけ喜ぶのではなく、地道に普段から支援の手を差し伸べる努力を、政府が進んで数十年いや永続的に続けるべきだ。

 夏ごろだったが、研究費配分の一元化(省庁ごとでなく)の報道があった。それもいいが、研究費そのものについて、以下の点を提案したい。
(1)そもそも科学研究費は、科学技術立国日本の将来への投資であると明記し、事業仕分けの対象外とする。
(2)若い研究者、女性研究者へ配分する研究費に重点をおく。
(3)ユニークなアイディアの萌芽研究を助成する特別枠を設ける。この場合、これまでグラントをそれほどとっていない若い研究者や独立前の研究員のみを対象とする。大規模な研究室に所属していない要件が加わってもいい。
(4)役所主導の細かい予算チェックを軽減する(省略する、とホントはいいたいところ)。その代わり、選考時の審査は透明性を高め、厳しくする。

 と思うままに書いてみた週末。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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