それでもイタリア(2)


今回は(も)、自由時間がさりとてなく、とんぼ帰りのイタリア行き。残念に思っていたところ、何とか半日自由時間をゲット。今日の午後になってようやく外に出る。しかし、イタリアの午後から夕方は、日本の夜中に向かう時間なので、時差ボケもありあまりに眠たい。ほとんど眠った状態で歩き、バスに乗っているわたし。何度か手に持った地図を落としていたり。

ということで、写真中心にいきます。

こういう景色が、街中に不意に、しかもしばしば現れるのがローマの底力というか歴史の重み。
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ただ残念なことに、街全体に落書きが目立って多い。この写真の右側にもあるが、もっとすごいのも。
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有名なスペイン広場前。今はさすがにオフシーズンで観光客は少ないようだ。その先をぐんぐん進むとポポロ広場が広がる。さすがに、この広さを前に目を見張り、皆が足をとめてそれぞれに休んでいる。(だけど、なぜにここに自由の女神の人形が立っているのかはナゾ。。。)
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広場は、市民の憩いの場にもなっているようだ。この子たちが乗っているものが気になったわたし。。。こういうことができる年齢のうちはいい。イタリアのママンが必死にシャッターを押しているのに、何度も応えようとする男の子の健気さというかかわいらしさ。
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そうなると、不思議なもので、街中のゴミ箱まで素敵にみえてくる。ジェラート屋さん脇のもゴミ箱。
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最後は、トレビの泉へ。もう暗いので、人影もまばらかと思ったら、しっかりライトアップされており、なかなかのにぎわいです。
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中断していた「ローマ人の物語」を読みたくなりました。なんていいながらも、
それでも、ローマの何が楽しいかといえば、やはりダンゼン買い物です(笑)。歩いて見るだけでも楽しい。小路や裏路地の小さなお店に、とても素敵なデザインのバッグや小物があり、イタリア人のすごいセンスを感じました。やはり芸術の国、ダビンチを生んだ国ならではの、独創性と奇抜さ、そしてカラフルな色合い。しっかりわたし好みのものが並んでいました(笑)。イタリアは、いわゆる高級ブランドのお店がなくても十分やっていける生産力を備えているでしょう。

なんだが、最後はイタリア賛歌になってしまいました。。。 まあいいか、ザックの国だし(?!)

それでもイタリア


それでもせっかくイタリアにいるんだからと、朝食時にエスプレッソを飲んでみる。

・・・に、にが~い。。。

ホンモノはここまで苦いのかと、急いで水を飲む。するとこれがまたガス入りの水でなかなかきつく、むせそうになる。慌てて、ジュースをのどに押し込む。は~~~。

それでも食べ物はやはりおいしい。
ハムやらサラミやらついつい食べてしまう。いかにも太りそう。

少し外に出てみるかと思うが、何せ眠い。イタリアからすれば、まさに地球の裏側から来たわたしの体内時計はまだ夜中である。でもおなかがすいたので夕食を探しに外に出る。自慢じゃないが、わたしは英語メニューを見るのが苦手だ。今日も出てきてわからなかったのが Baked Pasta

Baked?? と思っていたら、ラザニヤのことだった。
これがまたおいしく、パクパク食べてしまう。ちょっと塩が効いていたけれどおいしいことには変わりない。
また太ったわね、という周囲の声がすでに聞こえてきそう。一緒にいた連れのザンビア人は、なぜかステーキなぞ注文していた。パスタの国イタリアにいながら、もったいない。。。

確かにイタリアの食事は、日本人にしてはよく食べる私にとっても量が多い。一日二食でも済んでしまう。時間と胃に余裕があればピザとアイスも食べてみたいのだけれど。

来てしまったイタリア


チューリッヒにもう少しいたかったのですが、泣く泣く(?)ローマに向かいました。



機内で、スイス人(だか何人だか知らないが)の男性CAから、これ以上ない笑顔で迎えられる。
(一般人なのになぜだろう?)と不思議に思いながら着席。
その男性がまた、何ヶ国語かで次々とアナウンスを続け、うらやましがらせてくれる。

と思っていたら、そのうち飲み物か何かを配りにやってきて、開口一番、

「マダム、ドイツ語を話されますか。」(見るからにアジア人の私が話すわけないでしょ。)

「マダム、お飲み物は何がよろしいでしょうか?何でも用意してございます、マダム」

何でもいいけれど、ちょうど暑かったこともあり、あまり考えずに

「じゃあアイスティーください」

すると、またたく間にもの悲しげな顔になり、

「マダム、アイスティーだけはございません。。。」

そこまでしなくても、と思うほどの表情の変化に、もしかしてCAというのは俳優並みの演技力が必要なのかもしれないと思ったわたし。



イタリアに着くと、荷物を待つ間に、日本からのツアー客と一緒になる。すると添乗員さんの言うことがまたいい。
「みなさま、ここで荷物をお引き取りください。ここはイタリア です。荷物が出てくるまでにかなりの時間がかかりますので、その間にお手洗いなどをお済ませください」
イタリアです、に強い語気を感じた。日本ではないのですよ、みたいな。

荷物を引き取ったあとにパスポートの準備をしていたら、気づけばなにもなく終わっていた。
そうか、スイスですでに「入国」したことになっていて、要らないようだ。
Welcome to Europe!

そのあと、空港から電車に乗ろうとして、行き方をそばの女性に聞く。私の感触では、イタリア人は見知らぬ旅人に対しては、概して女性の方が親切だ。同世代のようにもみえるそのひとは、何でも音楽家らしく日本に二度来たことがあるとか。

で、彼女のあとについていくと、エスカレーターが故障して動かない。するとすぐに隣の階段をスタスタ上がり始める。私より小柄で私より大きな荷物なのに、それを抱えてあの歩く速さはなんだ~
私は、おそらく女性にしては逞しい方だろうけれど、それでもヒ~~ と内心叫びながら、必死に階段を上がる。踊り場2回、ゆうに50段はあったと思う。ぜ~ぜ~言いながらあがりきったところで彼女曰く、

Welcome to Italy!

あまりうれしくないかも。 ・・・チューリッヒにいればよかった。。。

とりとめもなく

いま、チューリッヒにいます。

やはりアジアは比較的なじみがある方だが、なにせ不慣れなヨーロッパ。
スイスなんてほとんどハイジの世界、入国すら初めて。

ということで、みるものの何もかもが珍しい、おのぼりさん状態です。

まずなんたって、空港が、静か~~~ 日本の駅やデパートのアナウンス、さらにアジアの喧騒に慣れている身としては、驚きの静けさです。テレビがついていても音声がないに等しい状態ですよ、だって何も聞こえないし。

次に、ドイツ語が飛び交っている~(あ、アタリマエ?)

空港全体がまた、どことなくほかの国に比べてきれいな印象ですね。

そんななか、もっともビジュアルに訴えたのはコレ。腕時計が柱時計になっている。
さすが時計この国、スイス?

watch swiss

ちょっと疲れているのかも。。。でもどこかうれしい気分でもある。


もがく?


ときどき拍手をくださるみなさま、ありがとうございます!うれしいです~。

  

タイから戻ったこの週末、最初にやるべきこと―それは、行く前に突如起きた、

正常に起動しないPCを何とか立ち直らせること。
あるいはダメならダメとふんぎりをつけること。

一日目、メーカーに問い合わせ、ウィルスセキュリティ関係の問題とわかる。
そのあと、シリアルナンバーを探していたりするうちにタイムアップ。

二日目、シリアルナンバーはわかったものの、複数台用ウィルスセキュリティを購入していたことを思い出し、どっちのナンバーがどっちのPCなんだ~?!状態。格闘しているうちに、ほかにも急きょ起きた所用を済ませる必要が。。。その傍ら、気持ちはどこかこのラップトップに。。。

ここ数年、愛用していたPC。毎日みていた、デスクトップのシリアの砂漠の写真が見れなくなるなんて悲しい(おい)。

いけない、いけない。ここは頑張りどきなので目の前のことに集中せねば。





ヤクルト


昨晩はやはりどこか疲れが出たのか眠気を感じて、ほどなくして寝てしまう。
となると仕事を済ませるべく今朝は早めに起きて仕上げる。ランチをとてもおいしくいただく。

とそこまではよかったのだが、午後3時くらいから体調に異変が。結論は、ランチのタコかイカがあたったというのが最も有力な説。当の本人は、原因を議論しているよりもとにかく横になりたく、部屋に戻ったのだが、こういう時に限って部屋の電話が故障していたり、部屋の清掃が来ていなかったりするのでさすがに不便を感じた。大学のゲストハウスだが立派なつくりだ。もっとも、部屋がきれいかどうかはさほど問題ではなく、飲み水やティーパック、タオル、トイレットペーパーの補給が大切なのだ、こういう非常時には。だって電話が使えないのだから受付に電話もできない、わたしの生命線が。。。

薬をのむほどではなかったが、同僚が体調を崩した時はチリなどの香辛料スパイスが一番効くと言い、ただでさえ何も口にいれたくないのに余計萎えた気分になる。しかしそこは若い同僚が快く動いてくれ、とくに今回初めて一緒に出張に来たひとりは、水もほかにどこからかヤクルトと日本茶、スプライト、バナナまで用意して届けてくれた。こういうときに気の利いた対応が、本当にうれしい。タイにはヤクルトがあるんだ~、とひとり感心していた。というのも、欧州在住の友達だったか、「日本の何が懐かしいかってヤクルトよ」と話していたから。

CN tea

ヤクルトのおかげで回復したころに、明日の準備を始める。朝早くにフィールドに出る明日に備えて、朝食が届けられる。冷蔵庫に入れておくよういわれたが、触れると底が温かい。みれば、目玉焼きなどの朝食セット。それにしてもみてくださいよ、後方にあるビニール袋を。それぞれグアバジュースとお醤油をいれたビニール袋。それで飲むときのカップまでついてきている。ここまでしてビニールに液体状のものを入れてしまう発想がすごい。何だか元気がでてきた(笑)。

CM breakfast

チェンマイへ


土曜からうす暗い天気が続いていた東京。日曜の朝は成田に着くと雪景色。新橋あたりから降っていたらしい。

今日からタイはチェンマイへ。前回はいつだったか思いだせないのだが、どうもいろいろ考え合わせていくと2005年3月、という線に落ち着きつつある。そのときは水の都チェンマイ、しっとりとした街だった記憶がある。チェンマイの人とは年に一度は、多ければもっと、どこか別のところで会っていたので錯覚していたが、チェンマイに足を運ぶことは意外としていなかったようだ。だから戻ってきたような気分で何だかうれしい。

成田でのチェックインでは、遠目からみてすでに際立って混んでいる長蛇の列があり、それがなんとバンコク行きの便だった。しかも30分後にもう一便飛ぶというのに、それでも両方とも混んでいるのだ。なんでこんなに混んでいるのか、と思っていた。いまそれがあるのかどうかも知らないけれど、最初は卒業旅行かと思っていたが、どうみても乗客はみなシニアの人ばかり。気のせいか、中国人も多い。

結論は、「ゴルフにタイに行く」であった。今がハイシーズンらしい。おそらく、かつての買い物に香港やハワイに行く、と同じノリなんだろうけれど。なんだかすごいな~。

機内ではいろいろすることがあったので、気分的にはすぐにバンコクに着いた。やはりバンコクは近いと感じる。ほかのアジア諸国はもちろん、欧州や米国に行くのに比べれば断然ラク。これがソウルや北京みたいに近すぎると、まとまった時間がとれないので、バンコクくらいがちょうどいいかも?!

乗り継いでチェンマイ着が夜6時半ころ。空港から5-10分で市内に着く。これが日本にはないアジア各地の羨ましい点。夜だから、カーディガンを着たままでも意外と寒い。気持ちのいい夜風に吹かれながら夕食。

切り替わるとき


私の替わりにいろいろな仕事をしてくれ、手伝ってくれるチームの仲間。近しい人もいれば、日ごろはそれほど顔を合わさない人もいるけれど、こちらのお願いに対して快く引き受け手伝ってくれる。先ほども、週末の夜中なのに、成果品を送ってきてくれたふたり。私は彼らやチームに支えられているんだな~、と思うと有難く、涙が出てきた(じ~ん)。

すると不思議なことに、PCも、
まあそれでも一台(つまり今使っているコレ)動いているので、いいことにしよう
と気持ちもすぅ~と切り替わっていた。どうせ明日からいないし。バックアップはとれている(はず)。

とにかく淡々と、しかし着実に準備を進めなければならない今の状況下。
今日はこれから、冬の日本から気温差のあるタイに行くので、体調だけはしっかり管理しよう。

自分だけでなく、
がんばれ、受験生~

ショック


PCが壊れた、かもしれない? 今日立ち上げようとして「初期化に失敗」などのメッセージが出るだけで、とにかく作動しないのだ。ショック。。。そうこうするうちに、unknown hard problem という文字が。

確かにここ数日、触っていなかった。まさか、つむじを曲げたのかしら?もう一台の方が起動が速いこともあり、何となく小さいもう一台の方を使うことが多かったのだ。特に今年に入ってからはそう。でも、その動かないPCが「主」PCだったことには変わりない。

こんなショックを抱えながら、明日からタイ。こういう時に限って、なぜに予定が詰まっているのだ。
いえいえ、今はもうPCのことは忘れるしかない。は~、なすすべなし。
しかも今はさまざまな問題を振り切って(見ないで)、集中して前へ進むとき。とにかく、
がんばれ、自分! 

補足


前回の補足として書きます。

自然科学の分野で基礎研究をしながら学位取得を目指す大学院生、そしてアカデミックポスト(正規雇用であれ任期であれ)を目指すポスドクの方々は、ぜひとも頑張っていただきたいと思います。基礎科学の発展を心底望む気持ちが、私の基本スタンスです。ただし、

その選択や決断が、本当に自分が望む、主体的選択の結果であれば

ということになります。


これは研究の分野にいる人に限らないとみていますが、どうも

周りに流されたり、だれかが(国が、先生が、ラボヘッドが)何かをしてくれる

と当り前のように思っている若い研究者予備軍が普通に見られた時代がありました。
今がそうでないことを願っています。

それでも老婆心ながら言っておくと、
先生や先輩のアドバイスに耳を傾けうことも時に大切ですが、流されてはいけません。
もっと主体的に人生を選択し、決断していくことも十分考えて、変化も含めて戦略的に動いた方がいい、という主旨です。なぜなら、言うまでもないことですが、だれもあなたのことをあなた以上には考えないからです。どんなに有能で真摯な医者でも、患者以上に患者の気持ちや病状、痛みを理解できないのと同じです。

今朝、たまたま早く起きてテレビをつけたら、教育テレビだったのか、「基礎医学に進む研究者が少ない傾向を憂う」といった内容が流れていました。医者をしながら基礎医学をする研究者の支援の充実を国にお願いしたい、そんなくだりでした。その「お願いしたい支援」の内容ががまた、生活費の支援と研究費の支援の二つでした。正論ですが、お願いする姿勢にどこか違和感を覚えました。そもそも、そういう人には学位取得後に医者に戻るという選択肢が十分にあるわけです。というかそれがもう、大半の基礎医学研究に従事する人(=医者)の前提でもあるはずです。

ところが、医学以外の自然科学系(すなわち理学、農学、薬学、工学系)のポスドクには、そうした選択肢がありません。一般論ですが、薬学、工学系ならまだ企業への就職とか、道が考えられます。農学だって企業はもとよりほかにもいろいろな就職先の選択肢があるかもしれません。そうなると、理学系の人が一番困るという図式が浮かびあがります(確か、公務員試験でも、農学はあれど理学という区分はなかったような?)。

ひとたび研究の道に入るとそれ以外の生活設計を考えられない研究者が多いのもまた一面の事実でしょう。
日々の実験や研究活動で忙しいほかに、ほかの社会をあまり知らない、ロールモデルがないからピンとこない、生活に苦労した経験が少ない育ちのいい人が周囲に(とくに上の世代に?)多い、などなど理由はいくらでもみつけられます。理由はともあれ、せっかく教育を受けてきたのだから、自分と対峙しもっと人生に貪欲になっていいと思います。

私もいずれまたおいおいに書いてみたいと思います。いまはそれどころではありませんが。。。

日本だけではない


山中さんの話を書いた翌日にこういうことを書くのも何ですが、タイムリーで印象が強かったので書いておこう。

それは

1月6日号の Nature の記事。

ズバリ

CAREERS Where are they now?

大学院を出てポスドクとなったその後のキャリアについて、紹介されているが、これはアメリカの話。

記事によると2004-2009年まで追跡していた24人のうち、21人のその後を確認。

・研究を続けている12人(うち5人は今もポスドク)
・別の世界へ転身した人9人
 その内訳はビジネス(3人)やサイエンス以外の公的機関(1人)、サイエンスライター(3人)、
 サイエンスから離れてしまったひとも(2人)

ちなみに米国では、博士課程の大学院生といえば授業料免除はもとより(免除というが大学なりほかのスポンサーが代わりに払っているのだ)奨学金付きが普通だから、生活の苦労という点では日本の大学院生よりはるかに恵まれている。バイトなんてしないで研究にいそしみなさい、というメッセージ付奨学金なのだから。収入面だけみれば、日本の学振をもらっているドクターの学生が、そのまま米国の大学院生、という図式があてはまる。

だからこの記事は、ポスドクをしたその後、ということになる。
すなわち、学位はとって研究者としての一歩を踏み出した数年後、だから30代。セカンドポスドクも入るから、30代前半から後半まで幅広い。当然、人生計画も考える重要な時期だ。

しかし正直、驚いた。米国でのアカデミックポスト獲得のたいへんさは仄聞してはいたが、大学院生までの話で、学位を取ってからでもここまでとは思わなかった節がある。米国で、大学院の博士課程をするにはかなりの投資がされている(それが国からだったり大学からだったり、財源はいろいろだが)。だから、米国では学位を取るまでにすでにある程度のセレクションがかかっているというのが、わたしの認識だった。そこからポストを得るまでに、1/3はいなくなるにしても、6,7割は残り、アカデミックポストを取るかほかの大学関係の職(小さなカレッジで教えるとかも含む)を得るものと、どこかで思っていた。なのに、ポスドクになってから人生を考え直す人がいかに多いことか(実は私もポスドクから転向したから、何だか他人ごとではない)。しかもそれが海の向こう、サイエンスの国アメリカで起きているとは。

しかも Natureだからかどうか知らないが、出てくる人々は MIT, UCLA, Cornellなどの有名大学出身者ばかり。
何よりも、経験者としての言葉は、シンプルで明確なだけに重く、まさに傾聴に値する。今学生のひとも、ポスドクの人も、この記事の一読をお薦めします。

The hardest part of the postdoc was how it ended, and the spectre of unrealized potential I had in that lab, in that career path and field.

I don't necessarily want to be a lab rat, now that I am a mother.

I want to live a life - not just be grappling for grants.

Science is only one of many activities in which human beings engage. Don't let its practice rule your life. Don't think that it is the only plausible perspective on the world.

Off-kilter work-life balance strained marriages, complicate dparental aspirations, and stymed the pursuit of other interest.

On the one hand, I feel like my scientific training was a massive detour and took up a lot of time that I cannot get back.

中には仕事で米国に来た英国人ポスドクまで登場して、アカデミックには残らなかったがNASAに職を得た。いい仕事をしているようにみえるものの、本人はいたって冷静で「英国人なんだから今のプロジェクト終了後まで米国に居座るつもりはない。」というコメントで終わっている。



何だかどれも否定的なトーンに聞こえるかもしれない。しかし、見方によっては、これは日本の大学院生へのエールというか共有すべきメッセージではないだろうか。

研究は好きな人は、また続けられる人は、とことん進めばいい。

しかし必ずしもそうでないような人は、違う道もあるということを認識し、下調べを進め、タイミングを自分で見極めたうえで決断することもまた、必要である。

Science is only one of many activities in which human beings engage.
Don't let its practice rule your life.

これは本当にそうだと、今だからわかる。私はサイエンスが好きだし、サイエンスの発展を今もって願い、また信じているけれど、自分の人生と軌を一にしきれない部分があったのだろう。サイエンス研究は、本当に独創的なサイエンス研究をやりたくまたできるごく一握りの人と、また少数の実用的な研究のみをする人のみに任せてしまっていい気がしている。その方が、科研費も有効に使えるというもの。

それにしても昔は(私が学生だった頃)、海外でポスドクと聞けば武者修行で、そのあと若いうちに小さくでもラボを構え、ひと旗あげる、といった気勢がどこかしら感じられたもの。この記事では、ポスドクが人生の分岐点というトーンで、どこか隔世の感を感じる。

科学の世界には、若い人がもっともっと夢を抱けるような可能性をみたいもの。

山中さんのメッセージ


今日は成人の日、ということで、朝のニュースで
高校生へのiPS細胞の研究者(というか今の日本で最も世界に知られている研究者)、
山中伸弥さんのメッセージが紹介されていた。



失敗をたくさんしてもらいたい
9回の失敗をして1回の成功が得られる

悪い時は良いことが(その先に)ある。
かがんでジャンプするというように、よいことがある一歩手前

成功にはVW、すなわち Vision and hard Work
このどちらが欠けてもダメ
逆にこれがあれば
どんな職業でも成功できる(と米国の恩師の言葉も紹介)

ものすごいいと思ったことがとんでもないことの始まりだったり
大変だなと思ったことが実はうれしいことの始まり

山あり谷ありで、ここまで来た
失敗することは恥ずかしいことでも、だめなことでもない

いい時も悪い時もがんばる




これを私なりに解釈して、脚色するとこうなる。

・うまくいかないことも多いもので簡単に成功はできないが、失敗してこそ1回の成功の価値の重みが実感できる。

悪いことばかりは続かない。良いことも然り

 ものすごいと思ったことがとんでもないことの始まりだったり
 大変だなと思ったことが実はうれしいことの始まり(←これは言い得て妙) しかも今実感中。。。

 結局、人生なんて山あり谷ありだから、どうせぞうなのだから
 いい時も悪い時も、淡々とがんばるのみ

う~ん、高校生よりも、今の大学生や社会人が聞きたい言葉だったのではないだろうか。


牧之原台地

お正月は、またもや温泉にいっておりました
ほとんど温泉三昧、いえ親孝行としてでございます

いちおう元静岡県民としては 愛着のある大井川に沿ってずんずんのぼり、行きついたのが、寸又峡
紅葉シーズンとお正月(おそらくは新緑の季節も)以外は、シーズンオフだというだけあって、しっとりとしています。温泉街などもないし歓楽街もない、ホント、温泉だけの街、それだけに温泉がいい。町営の温泉もあります。だからか、ホント商売っ気がない。でも食べ物はやはりおいしく、山菜だけでなくシカの肉やらイノシシ鍋やら、山芋もち(写真)と山の幸を楽みました。

山芋もち



寸又峡でよく聞いた言葉は「やんばいです」という方言。塩梅がいいから転じて「お元気ですか」という意味らしい。

川根町

帰り、牧之原台地を通り過ぎる。
じつは小学生の時から不思議に思っていた。何をもって台地というのだとう、と。
今回初めて通った牧之原台地。そこはかとなく感動しました。
なぜって、
本当に台形だったから(?)。というか台形の上辺の部分が台地になっている牧之原台地を走っていることが、実感できる地形なんですよね~。しかも道の両側ともに一面に広がる茶畑の数々。これがよくみる川根茶の産地。
お茶の産地って、無駄なく土地(斜面)を隅々まで利用してお茶を栽培しており、それはインドとかスリランカでもそうだった。昔からの知恵なのだと思う。

そこに、茶畑の中にふいに現れしミニ扇風機のようなポールの数々。

fan.jpg

これってなに

風力発電、という声が耳に入るものの、どこか腑に落ちない。

発電するほどのものにもサイズにもみえないけれど、そもそも風力というほどの空気の流れを感じない。。。

それが数日だった今になって、ひょんなことで知りました。それは

防霜ファン

なんでも、空気の冷気を散らして茶に霜がつくのを防ぐためのファンだそうだ。
ちなみに、急斜面の茶畑では冷気がお茶の葉につくことなくおりていくので、このファンは設置しないとも。

なるほど~。

新年


新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます


red fuji
元旦の夕方にみた赤富士、終わる一歩手前でした

今年はどんな変化が待っておりどんな変化を引き起こせるのか
まったくの未知数ですが、どきどきワクワクはらはらでございます。


プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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