おかえり


あの日から3週間が経った。
何とか自分を落ち着かせようと思いながらも、どこかいいようのない喪失感を感じていた。

あの震災は、あまりに突然やってきた。
金曜日の3時から予定されていたミーティングで、わたしはちょっとしたアナウンスをするはずだった。ミーティングまであと20分足らずか、と思った矢先のことだった。その時、都内のビルの11階にいたがその揺れようは尋常ではなく、生まれて初めて身の危険を感じた。ちょっとばかり高いビルにいると、外に出るのもタイヘンだ。それでも何とか階段を使って下りていく。

その日は戻れなかった自宅だが、家や街にはそれほど被害もなく家族はみな無事だった。
しかし私の職場には、日本に一時的に滞在している人も少なくない。
配偶者が日本人だったり、日本が気に入ってしまって住みついてしまった人もいる。
その「一時的な」滞在が、3ヶ月だったり3年だったり、あるいは5年、10年、20年以上のひともいる―家庭環境も含めて実にさまざまだ。さまざまだが、ひとつだけ一様に共通しているのは、日ごろから「日本が好きで仕方がない」を自称しているひとたちばかりだ。少なくともそのように振舞っている。

それがあの地震で、一気に散り散りになった友だちや同僚。
ある者は関西や九州へ、ある者は成田へ。
京都まで行った先に、それだけでは飽き足らず関空に向かう人もみられた。
バンコク行きのチケットが18万したとか、7000ドルしたとか、いろいろなうわさを聞いたが、それでも関空は出国ラッシュになったという。成田もそんなものだったろう。

それはある意味、簡単に予想されたことではあった。
地震の翌週から、1週間休みになった職場からは、その間の居場所と身の安全を確認するメールが部署のメンバー全員に届いた。頭の中で、だれがどこにいるか、東京にいるかどうかくらいは容易に想像がついた。ところが実際は、想像以上の人が東京から逃げ出していた。それだけでは足らないと、中国やオーストラリア、欧州まで帰ってしまった人もいた。ほどなくして、一緒に働いていたある人は、米国に戻るとメールが来た。

私はどこかやるせなかった。
別に東京を離れてもいい。仮に私が、ベトナムや中国、フランスで同じような目にあったら、やはり日本に飛び帰るか少なくとも近隣諸国に出国することを考えはするだろう(ただ、我が家の場合、まず夫がそうしない。いざというとき、嫌味なほど落ち着いているからだ。したがって私も残る羽目になる図式が想像できてしまうのだが)。

だから理解はできる。おそらく動揺もしていたのだろう。ただ、悲しかったのはそんなことではない。1週間経ち、2週間経ち、何も言ってこない、それがなんともたまらなかったのだ。

地震の翌週は1週間休みだったが、ある日、職場に行ってみた。停電の影響もあってか、うす暗く何より寒かった。地震の前は普通に笑い声や話し声が飛び交っていたのに、馴染みある場に居ながら、どこか不可思議な感覚だった。何かが変わらず何かが違う―そんな感じだった。

驚いたのは、春分の日21日の夜になって「状況がまだ不安定なので、29日からの出勤にする」と職場のアナウンスが来て、休みがさらに1週間のびたこと。日本では、東京ではすでに人びとはできる範囲で働き始め、子どもでも学校に通っているのに何事かと、組織の姿勢を情けなく思った。

それでも3月22日だったと思う。来れる人だけでも来なさいと、私の属する部署でミーティングの招集がかかった。当然、東京にいる人だけだが30人くらいは集まった。そこでボスが開口一番、「正直言って、この組織のあり様にいささかがっかりした」
トーンを抑えた口調だったが、「あまりにがっかりした」に違いない。
メッセージはただ一つ、「いい加減、目を覚まし、各自の職務に戻るように」だった。

それまで、当然のごとく東京に残った人たち(一部の日本人や、日本に本当に根を下ろしている一部の外国人)は、一様にどこか腑に落ちない気持ちを抱えていた。その気持ちを代弁されたような気がして、すっとした。

かくして職場レベルでは、震災のつめ痕が心に残った。わだかまりというには得体のしれない、失望と言い難いがしかしそれに近い感情を抱いたこともあった。皮肉にもこの震災は、我が職場ではみたくないものが一気に表に出てしまったともいえる。しかもあまりにクッキリと。

私の失望した理由はふたつあった。
(1)「日ごろ、あれだけ日本好きを口にしながら、いざとなればこの程度か」と腹が据わっていなさをみせつけられたこと、(2)一次情報をみようとせず、デマやアテにならない報道に振り回される姿勢。この両方に、「マークよ、お前もか」(ここでマークは仮名、でも何人もいる)、とただただ呆れた。さらに、普段から感情の起伏の激しい人は、その振り幅を思いっきり広げてくれたという、おまけ付き。私が人事担当なら、この機会に学んだことを存分に活用すると思う。

結局、有事に人となりはあまりに隠すすべもなく露出してしまうものだと思い知ったのも、あの地震だ。まあ、日常の態度からもともとそういう行動が容易にわかってしまう人も、いるにはいる。ただ私の場合、外国人のチームの仲間が一人や二人ではなかった。中でも、姉妹のように親しかった友でもある同僚が、仕事は続いているのに知らないうちに、翌々日には日本を離れていた。それを知ったときは何も言わず、何も言えず。それでも原発や日本の社会の方が心配だったから、考えないようにしていた。そして音信不通になっていた。

この頃、彼女にはおそらくもう会えないだろうと半ば確信していた。私は3月で退職することにしていたからだ。彼女が日本に帰りたくでも旦那さんが戻さないだろうとも思えた。それで、Facebookで軽く挨拶をしてみた。もちろん返事はなかった。

それが、昨日の朝、荷造りをしていたところにふと顔をあげたら彼女が立っていた。大きな目に涙を浮かべながら。驚き、素直にうれしかった。彼女は必死に涙をこらえながら
「もうすぐやめると聞いたから。戻ってきたわよ。会えてうれしい」
といった。とにかく荷造りを今日中に終えなくてはならない私は話をしている場合ではなかったのだが、それでも、地震の日からの空白を埋めるかのように、小一時間話してしまった。彼女とは何年一緒に働いただろうか。かれこれ2年近くになる。

わたしはどこか感動していた。
闇の中に一筋に光がさした気がした。竜巻で壊れた街のひとすみで、ひとに踏まれても竜巻で踏み倒されても、それでも地面から負けずに生えてくる植物の小さな芽をみたようだった。

昨日と今日はこんなにも違うものかと思った。



改めて、東日本大震災に被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。


パン屋


近所になかなかおいしいパン屋がないなと思っていたところ、ちょっと先にある小さなパン屋を教えてもらい行ってみました。女性だけでやっているらしいパン屋で目立たないのですが、確かにおいしく、これで2回目です。

しかもテラスで食べることもできており、こんなコーナーが。
何だかステキなアイディアです。

bread shop

お祝い


昨日は小学校の卒業式でした。幸いお天気にも恵まれ、いい式になりました。
私もがんばって着物で参列。

式の最初に、君が代を歌いました。久しぶりのことです。
震災の被災者を想い、今後の復興を祈る気持ちが、会場全体に漂っていました。

いつもはがぜん話の長い校長先生も、手短に済ませてくれたのも、個人的にはよかったです。

今日になって、近所のマリちゃんが、この花をもって「卒業おめでとう」と言いに家まで来てくれました。

Lily mari

マリちゃんは3年生です。お母さんは働いています。1人で、小さなアタマで必死に考えたのだと思います。
なんてかわいいんでしょ~

卒業を前に


このところ、というかしばらく前から夜型になって以来、平日は毎朝こどもに起こされる始末。
な、情けない

今日は久々に子どもと一緒に通勤に出ました。というのも、こういうことができるのも今日が最後なのです。
こんなうしろ姿をみれるのもこれが最後と思い、パチリ。

randosel.jpg

明日は卒業式。寒い3月ですが、お天気でありますように。


この一週間


3月11日の地震から10日が経ちました。

わたしの周囲もまだまだ平常とはいえません。近所のスーパーでは牛乳や卵がない日が続いていますし、職場も半分も戻っていません。機能からすれば1/4以下の状態です。それでも少しずつ、日常の生活に戻ろう、戻そうという気持ちだけはあります。それが、今私たちにできる復興へ向けた貢献だと思うからでしょう。

それでも、いろいろなことを考えました。そしてちょっとブルーになったりもしていました。

地震の前日からですが、我が家の固定電話とインターネットが不調でした。つまり機能せず。
そこへあの地震。
なんというタイミング(絶句)。

地震の前日に届いたルータの「電源アダプターの交換のお願い」なるものに素直に応じてしまったがために、自宅では電話&ネット不通の1週間となってしまいました。もとの状態にもどしても、電話こそ回復すれネットはつながらず。問い合わせても、新しい電源アダプターが届くまでひたすら待つしかなく、その電源アダプターがようやく届いてもまだつながらず。結局ルータまでご丁寧に故障していたことがわかったのが土曜日。ネットが回復したのが翌日曜のこと。

その間、電車その他の理由で仕事にも行けず、わたしは内心穏やかではありませんでした。
唯一のライフラインが、アイフォンだったとは。

先週は、ネットを通じる環境を求めて(しかも歩いて行ける・・・キビシイ)さまよい歩きました。
帰宅困難者の次はネット困難者になってしまうとは。

ここまでインターネットに依存した生活になっていたのか、とも思いました。

変化の兆し?


久しぶりに電車に乗って都心に向かった今日。どこか緊張しているみたいだ。
駅構内やプラットフォームはもちろん、車内まで暗かった。それでも朝だから読書には支障ない程度の暗さ。

数日前に行ったスーパーも、どこも照明を落としていた。
普段は寒いくらいのスーパーもあるのに、その日はどこも冷気も少なかった。

これでいいのだ。

これまでが明るすぎて、つまり電気を使いすぎていた。
ならば、これからはもうこれまでの6、7割で、あるいは5割の電気でもやっていけるかもしれない。

電車の本数も少なくなっているらしい。といっても15分に1本は来る。十分だと思う。
もうこれからは5分や10分の遅れくらいではお詫びのアナウンスもなしにしよう。
それだけ静かな環境が保たれるというもの。

帰りに寄ったお店や書店は、今日はどこも5時や6時に閉まるという。
それでいいではないか。とりたてて不便でもない。

早く帰って、家でゆったりとした時間を過ごそう。

何も意地でも職場に行くのではなく、もっと多様で柔軟な働き方に変わってもいい。
おそらく多くの人が前々から薄々感じていたことを、この計画停電をきっかけに、
はっきりと感じ始めているのではないかと思う。

いい兆し。

教育者のメッセージ


連日の引用で気が引けますが、ぜひ紹介させてください。

卒業式が中止になった高校の校長先生から、卒業生へのメッセージ
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

すでにいろいろなところで(でも静かに)広まっているみたいです。

これを読み、二度読み、三度読み、
教育者とは偉大だと思った。
あるいは真の教育者が、偉大なのかもしれない。

教育の真髄ここにあり、というようなことばです。
こういうことを真正面から言える大人の存在が今こそ大切で、また希望の光を感じるのです。

私がくじけそうになったらここに戻ってきたいと思います。
この言葉を向けられた生徒たちは幸せですね。

希望


3月16日ニューヨークタイムズに出た、村上龍さんのエッセイ
nyti.ms/g7gl4E

「多くを失った今、私たちが唯一取り戻したもの ― それは希望。地震と津波は多くの人命と資源を奪っていった。だが、繁栄に酔いしれていた私たちに、再び希望の種を撒いた。だから私は、信じることを選ぶ。」

そうです、そうなのです。


(追記)日本語訳も出たようです。

Sharing


しばらくネットにつながりませんでした。今日やっと少しつながる場所に移動、今のうちに先ほど友だちに書いたメールを、ここにも記録として載せてみます。

どうなる日本?どうする日本?

わたしは、日本の底力と立ち直る力、レジリエンスを信じています。


Dear Friends,

Thank you for the kind e-mails of concern and warm note. We are fine, indeed the quake was the biggest one in my life, as it is said once a 1000 year level. On Friday, I was on the 11 floor of a building in Tokyo. The building was quite severely shaken and made my messy office messier...(I should have taken a photo as a record, perhaps). Due to the public transportation stop, I had to stay there for a night, but enjoyed the McDonald dinner and collective breakfast with colleagues.

One thing for sure is I was encouraged by information through ustream, Twitter, Facebook and emails from all of you. Thank you!!

As the risk from a nuclear fallout is minimal in Tokyo, I think we have to see the nuclear reactor situation nationwide. The Tohoku region hit by the horrible tsunami and nearby the nuclear reactors is one of the richest place in Japan, with nature and warm hearted populations. I do hope the recovery of the areas and will do what I can do. The disaster made me humble to feel how small/powerless of human being in front of nature.

Honestly, I am a bit suspicious about mind-sets of journalism/media in Japan, but there is no point in panicking. Good news is people are trying to get and sharing more professional/scientific perspectives, as much as possible, about both of the earthquake and nuclear reactors/dose effect. I have felt some information divide/gap between multiple medias, particularly twitter and TV as well as domestic and international.

Let's see how the country and its people will cope with the situation and what we can do. As it may take time, I believe our resilience and potential.

Lastly, sorry I was not able to reply sooner. With the emergent situation, I have been staying at home since Saturday and spent quality time with my family. Coincidently, there has been something wrong in internet access and landline phone at home (it happened for the first time but what a timing!), but I have read all e-mails on my mobile phone. I really appreciate your friendship.

Thank you very much for the concern again.

Warmest regards,

Shimako

一夜明けて


地震から一晩、昨日は眠れるのかどうかもわかりませんでした。
が、思いっきり眠ってしまいました。いや、ホント眠たかった昨晩
一度寝たらまず起きないたちのわたくし、地震が来たら真っ先に危ないのも私だと、
周囲には話していたのですが。それを、あやうく実証してしまいそうになりました。
とりあえず、東京は余震のみですんだようです。

日本全体では、被害が広がっているようで心配です。
こういうときこそ、日本人と日本社会のあり方が問われているのかもしれません。
大丈夫ですよ、きっと!
私は昨日の夜、街の人々やお店の様子を見て、心配するとともに(こんなときに、
ここで働いていて大丈夫かな?と)、助け合う日本のよさを見た思いで、有難く心強く思いました。

今朝やっと携帯が使えるようになりました。それまで一晩ずっと、Ustream と twitter,
それに Facebook の書き込みに助けられました。それぞれに怖かった一日だと思います。
本当にありがとうございます。今から気をつけて帰宅します。

もうしばらくして、オフラインになるので、書いておきました。

こわかった地震


怖かった今日の地震。午後3時の会議まであと15分くらいかな、と思った矢先、
壁やホワイトボードがゆれ始め、あっという間に目の前のPCが傾き始めた。
職場にいたのだが、書類や本の山があっという間に崩れ、また備え付けの本棚からも、
本や雑誌が次々と床に放り出された(この様子を写真に撮っていたつわものが、私の同僚にいた。。。)。
それだけでは地震エネルギーは収まらなかったらしく、今度はテーブルや机が滑り出した。
5分しても地震は収まらなかったように思え、初めて生命の危険を感じた。
そして、こんな形で死にたくない、と思った。こんな大きな地震は初めてだ。

少しして、職場から外に出るようにアナウンスが流れた。その頃にはもう非常口の階段を
下りていたのだが、階段途中の壁紙がはがれたり破れていたり、散々な様子だった。

自然というのは本当にこわい。自然の前には人間なんて本当にちっぽけなものだ。

今も家に帰れず、しかも停電で電話も通じない。心配だけがつのる。
こんなとき、ネットだけが通じるインフラなのも奇妙なものだ。

今もNHKのUstreamをつけている。これとtwitter、ネットでの交通状況が情報源。
FBでは世界からの心配と応援メッセージに励まされる。

近くのマックに夕食をとりに行く。コンビには何もないみたいだ。

この地震で、東京中で惨事が起きているのではない。交通インフラがマヒしている
のでもない。ただ、安全を確認するまで電車は運行できないといっているだけで、
いま確認しているところなんだ。

冷静な同僚にそういわれ、「ま、そんなものか」と気を取り直す。
外は寒くなっている。都内の大学やホテルのロビーも解放しつつあるようだ。
怖いけれど、屋根のある職場に戻れることに感謝しつつ、電車運行の再開を待つ。

明日こそは家に帰れますように。

皆様とご家族のご無事をお祈りします。

理系に光を


最近、twitter で、「理系と文系の給与体系が違う。なぜ文系が無条件に高いのだ」という話題が展開していた。そして米国と日本の大学教育に話が及び、今日、こういうつぶやきがあった(以下でいう「大学教育」とはまさに日本のことである)。

(さらに言わせて頂くと、)理科系は文系に比べて大学教育がまだ正常に機能している。
日本の文科系の高等教育 は本当に酷い。批判を浴びるのを承知で率直に申し上げると
同じ大卒としてスキルを評価するのは失礼。


twitterの引用の仕方がよくわからないのだが、これを書いた方は、米国の大学で教鞭をとるいわゆる「文系」の先生だ。

かくいう私は文系のことはあまり知らないのだが、理系の大学教育が機能しているというくだりには、ただただ頷くしかない。理系の学生は、本当によく勉強している。これは確かだ。ときどき、日本の大学生は勉強しない、ラクして単位を取る、ノートを借りて済ませるとかいう話があるが、学生時代の私の周囲は皆、これを聞いてもピンと来ないというか、どこか別の世界のことだろう、と思って終わっていたはずだ。そういうことがまず通用しない世界だったし、学部のころから、授業や実習で夜が遅いのも普通だった。物理でも化学でも生物でも、結局は自分でデータを取らないと書けないレポートばかりだから、それが当たり前だと思っていた。これは今も昔も同じで、数年前に母校を訪れたとき、やはり学生がどこかしこでも勉強する姿が印象に残っており、こういう光景は変わらないものだと感心した記憶がある。その調子で大学院に進めば、よくも悪くもラボで一日過ごすようになる。企業の研究職に就職した先輩が、遊びに来た時、「学生時代とほとんど同じ仕事と生活をして、お給料がもらえる事実に感動した」と話していたことを思い出す。

⇒ 理系の学生はよく勉強する。

理系と文系で給与体系が違うという。いうまでもないが、文系の方が給与は高く(初任給が高いのか上昇率がいいのかは?)、理系だからいいということはまずない(大学院卒だから学部卒よりいいということはあるが、それとて大した差ではないし、それは別の話。)。だから、一般にとはいえ、理系と文系で給与体系が違うというのは、どこか腑に落ちない一方で、上の先輩のように思う人が理系のひとには案外多かったのかもしれない。私が学生のころはバブル最盛期で、理系の各学部や学科から、銀行や証券会社に1割くらいが就職していた時代だった。当時は、理系の人の金融機関への就職がまだ珍しく、頑張って冒険してもシンクタンク、という感じだった(と言いながら、学部時代は就職活動をしていないのでよくわからないのだが)。思えば、この1割の人は、文系の給与のよさをいち早く知った人たちかもしれなかった。理系の学生は、ウブで世間知らずが多いのもまた、悲しいかなある程度共通した傾向だったのだ。

⇒ 理系の学生は、ひとがよく世間知らずが多い。

大学時代の私の先生なぞは、
「どうして日本の社会では、人さまのお金を預かっておきながらそれを横に流したり(おそらく、貸し借りする銀行のことかと)人の命の値段の説明(おそらく、保険業界のことかと)に使う仕事がはるかに高給をもらい、ものづくりに貢献する人が冷や飯を食わされるんだ?明治のあしき慣行をまだひきずっているとしか思えん!
としばしば、吠えていたものだ。ちなみにこの先生は、日本の企業に勤めてから、米国の大学で長く研究生活を過ごしたということで、この疑問はもっともである。
「こうして構造の解明とか言って物理の研究をするより、トラックの運転手をしている方がどれだけ高い給料をもらっているかしれない」と、授業中にしつこく言っていた先生もいた。

⇒ やっぱりどうも理系は給与が低いらしい。

先日、ちょうどある役所の人たちをみていて不思議なことがあった。例えばそのチームに5人くらいの人たちがいて、私は「ワタナベさんが・・・」と話すと、なぜか必ず「ワタナベ室長のことですね」とタイトル付きで返ってくる。「コバヤシさんが」といえば、「コバヤシ課長はですね」と役所のひと。一事が万事、その調子である。コバヤシさんとワタナベさんでは、どう見ても年齢は数年の違いにはみえない(かなり年の差あり)が、若い人(ここでいえばワタナベさん)のポストが上だという。ポストが上ならそれなりの役割があるだろうに、これまたどうみても、(失礼ながら)どうでもいいような小さな雑務に走り回っているのも、そのワタナベさんだった。さらに、そのタイトルがまた、5人いれば5人とも違うし、○○企画室長だの△△関係調整課長だの、長かったり多様なこと。その時のふとした疑問を、後日、そっと同じ役所の別の知人にぶつけてみた。
「年功序列社会と思ったら、公務員でも若い人が評価されてポストが上になることがあるんですね」
彼に状況を話すと、
「えっ、知らないんですか?」
その説明によれば、要は、役所に入る時に理系か文系かで、その後の職業人生というかあゆみが大きく違ってくるそうだ。
「それっておかしくないですか?」
「いや、そうなんですが。みんな、そんなものだとわかって入っているもので」

つまり、理系だと、
企業に入れば、待遇で自動的に差をつけられ、
企業の研究所で発明して特許を申請たり利益の折半を申し出ようものなら、「研究を金儲けのためにしているのか」と目くじらを立てられる。
役所に入れば入ったで、文系出身の行政職のひとに技術職は後れをとる。
さらに大学院にいって研究者でも目指そうものなら、今のポスドク問題に突き当たる。

⇒ 好きとはいえ、勉強した努力があまり報われないこともあるのが理系

まして、事業仕分けにあった理系の人たちは、政治家や文系の人による評価に何を思い、どう感じたであろうか。それでも、それほど大きな声を上げない。研究の議論ならいくらでもするのに、政治的な議論に加わる文化は少ないし、政治家や行政官との対応がおそらく得意ではない。専門以外のことには関わりたくない、という思いもあろう。大学の先生だから話すのは本職だろうに、こういうところは妙なカルチャーが存在するのだ。

何もここで私は文系の人が勉強をしていないとか、仕事の評価が甘い、というつもりはない。ただ、「理系」「文系」というくくりだけで、スタートラインから差をつけるのは、いい加減やめようではないか、といいたいのだ。評価って、もっと別の方法があるだろうし、健全な評価こそが、いい仕事や成果、労働環境を生み出すのだと思う。

⇒ 理系離れはある意味、当然の流れである。これを食い止めるには、理系文系を超えた、適正で健全な評価システムの導入が必要。

割に合わないのが理系、夢を追い続けるのも理系 ― ふと、先輩の言葉を思い出した。
つまるところ、個人の生き方の問題なんだろうけれど。

勤勉ながらもリスクをとってきた理系の人たちにもっと光の当たる社会であってほしいと思う。
はやぶさやノーベル賞の時期だけ騒ぐのではなく、地道ながら恒常的な支えがあっての科学技術の発展であり日本の将来なのだから。

お雛さま


知人宅で先日、こんなものをみつけました。本日は3月3日ということでアップ。

こういうさりげないお雛さまっていいですね。最近は、小さな雛人形を自分のために買い求める年輩の女性が増えているそうです。なぜかわかる気がします。

hina_.jpg hina2_.jpg

連帯感


ダウンしているうちに、気づけば3月ではないですか~~。時間の経過に軽いショックを受けています。早く体調を直さなくては。。。

ダウンして家にいるせいか、ゆったりした時間が流れています。まあ仕事をまったくしないわけではないのですが、何せ自分のペースで過ごせるので時間の密度が違います。



最近は、女性の大学院生(となるとポスドクもおそらく)増えてきているようでうれしくまた頼もしく思いました。90年代半ばなんて、理系でましてドクターまで行くとなれば、女性の大学院生は圧倒的に少なかったものです。今思えば、バブルという時代もあったのでしょうが、何より「女性は結婚したら仕事はやめるもの」といった観念が。まだ抵抗なく叫ばれていた時代でした。

何が納得いかないかって、そういったセリフが「なにも知らない若い」男性や「子育てをすっかりまかせっきりで自分は経験していない年輩の」男性の口から当然のように出てくることでした。今はそういう人は、少なくなりました。思っても言わない人も含めてですが。

今思えば、知らないことへの恐れ、という気もします。何がわからないかというと、
・女性の能力
・女性にどこまで仕事を任せていいのか
・仕事でも何でもどこまでやり遂げる責任感があるのか
・子どもをもっても仕事をするつもりなのか
・女性が泣いたらどう扱えばいいか
などなど。

ちなみに最後の項目ですが、泣いても別に慌てることないのです。実際こういうケースはいまどき少なく、あっても多くの場合、放っておかれるようです。。。

閑話休題。

女性の研究者の卵がなぜ増えているかわかったかといいますと、ネットでそういうブログが散見されたからです。大学院生で実験をしながら、子どもを育てたり、実験と子育てのやりくりに奮闘したり、と日々の様子がつづられています。大変ながらも若いからこそできることと、エールを送りたい気持ちになりました。

こういう情報は、後に続く人に役立つと思います。
よくロールモデル不在とかいいますが、ロールモデルはあればあったでいいですが、なかなかみつからないものです。ましてこの時代、生き方もさまざまです。いればラッキー、しかしいなくてもがっかりすることはありません。今はITの力でかなりの情報が収集できます。そして物理的に離れても同様の状況の人の経験から学んだり、目に見えない連帯感を感じるものです。こういうものが、わたしが大学院生時代には皆無だったので、とてもいい時代だと思います。身近に先輩でもいなければどうしようもなかった時代に比べれば、本当に心強いものです。読みながら、勝手にわたしの方が若い世代と連帯感を感じて励まされました。

ざっとですが、こうした印象を受けます。

わたしの上の世代:結婚か仕事か(公務員でもなければ)。職探しや仕事では、男女の差別が如実だった(というかそれが当然と思っていた)時代。

わたしの世代:結婚も仕事も、できれば子どもも。職探しや仕事では建前とは別に、男女の差別を露骨に味わった時代。

今の20-30代前半:結婚も仕事も、もちろん子どもも。職探しや仕事では男女の差別がうすれてきたであろう(すみません、わたしの印象です)時代。

今日、働く日本人女性は概してしっかりしていますし、海外ではとくに評判がいいです。研究者でも別の世界で仕事をこなす女性でも、今の20-30代がいずれ花開くのではないかと期待しているところです。もちろん私もがんばります。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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