暑かった大阪

どこにいても暑い日本ですが、本当に暑かった先週の大阪。

その場に居合わせた人の中には、「ワタシ日本初めてデス」といった外国人もいました。
よって、見るもの聞くもの何もかもが珍しい模様。よって、いろいろな質問をぶつけてきます。
たとえば、

Q「いま、通りを誰も歩いていない。自分の国だったら、昼だろうと夜だろうと、街中には絶えず人があふれている。大阪の人はいったい今、どこで何をしているのか」
真顔で尋ねてくるので答えて曰く、
A「平日の日中だから、仕事に行っているか学校にいるか。たとえ家にいても、この暑さ でわざわざ外に出るわけがないでしょう。」

ただでさえ暑いのに、その日はとくに外を歩くことが多かったので、水分補給に立ち寄った、
とあるコンビニ。そこへまたひとり(南アジアの男性)出てきて曰く、
冷えてない水を買いたいのに、どれも冷えています。わたしの国では常温の水を飲むのが習慣なんです」
といって、やたら店員さんを困らせていました。また無理を言って。
日本弁護団が答えて曰く、
「ここは暑いときに冷たい水やビール、お店ならコップやタオルまで冷やして用意するのがサービスなの。そういう習慣は、国に帰ってからキープしてちょうだい。」

しかし考えてみれば、私もかつてラオスかベトナムの田舎で、冷たいコーラやビールを探していたことがあった。地元の人は、今日の私と同じ目で「外国人」を見ていたかもしれなかった。「ここにそんなもん、あるわけないでしょう」みたいな。

休憩時間に思わずアイス
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これは、ジェラートコン○○(←覚えていない)
小難しい名前だけれど、要はアイスクリームにエスプレッソのかかったもの。

とても美味しく、さんざん屋外を歩いた後だったので、有難く味わっていたら、またもや
「ぬるいマンゴジュースをください。ぬるくなかったら要らない」
との声が聞こえてくる(あ~)。

日本に初めて来るみなさん、日本人をいじってはいけません。
とくに、真面目な若い人、かわいそうなくらい困っています。

そもそも、素直なのもいいけれど、若い人にはもっと逞しい日本人になってほしい。ああ言えばこういう、少しくらい不真面目でもいいから笑い飛ばすような日本人を、たまにはみてみたくもなる。

これぞ大阪・・・


せっかくなので、「いかにも大阪」を。

言わずと知れた、なんば 道頓堀。このとき夕方6時過ぎでしたが、もっと暗くなればネオンがすごかっただろうに。
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思わず食べてしまうタコ焼き。ソースにも模様をつけてしまうのね~。
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しかし何が印象に残ったかといえば、この建物。遠くに見えた時は、てっきりユニバーサルスタジオかパチンコ屋かと。。。スラッジセンターなんて言っているけれど、平たく言えば焼却炉。
こんなデザインの焼却炉を作ってしまうのは、日本広しと言えど大阪しかありません。
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全体像がコレ。みごとに焼却炉のイメージを打ち破ってくれました。
とはいっても市民の反応、とくに周辺住民の声を聞いてみたくもあります。
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最後に、新大阪駅でこんな土産物が。
北海道で、「白い恋人」ならぬ「白い人」っていうのがあったけれど、大阪になると、こうなるのね。いや笑えます 。で、笑いながら迷うことなく買ってしまったわたし。家人によれば、オマエは軽い~~~ だそうでございます。フットワークは軽いつもりでしたけど(ま、いいか)。

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ちなみに、オリジナルの「白い恋人」に対して、「白い変人」というのがかつて北海道にはありました。大阪では一文字つけて「面白い恋人」となったようですが、「面白い変人」となるのも時間の問題かと。。。

水素自動車


今週の後半は大阪にいました。ほとんど社会科見学で、何を隠そう私はたいへん楽しみました。
もちろん、大いに学んだことは言うまでもありません。

 

行き先のひとつは関空、KIX こと関西国際空港。
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大阪湾(泉州沖5キロ)に浮かぶ空港で、いまだ路線を拡大中
住宅地の中に作られた国内線の伊丹空港の教訓から、騒音対策や環境モニタリング(おそらく騒音がメイン)、排水処理などの環境社会配慮を設計時から考慮していた空港でもあります。

とは、今回初めて知ったことばかり。
そもそも、これまで関空を使ったことは一度しかなく(しかもその時は、羽田から関空経由ベトナム行きの便で、夜中の数時間を関空で過ごしたのみだった)、海上の埋め立て地にできた空港ということすら、知らなかったのです。

空港は株式会社の経営ですが(これも初めて知り)、職員には土木工学出身の若い女性もいて、隔世の感ありと心強く感じたものです。というのも、私が学生の頃だと土木工学には女子学生は皆無に近かった(いても学年にひとりふたりとか)のに、それが今は、空港整備の分野で働く女性がいるのですから。



その空港で、突如目の前に現れた、水素自動車。
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たまたまある建物のそばに停まっていただけなのですが、見た途端、思わず

あ~~~

と奇声を発していました。何でも最近、某省に2台しかない「水素自動車」と聞いたばかりだったのです。聞けば、大阪にも2台しかなく、日本全国で100台はないのでは、ということです。
それもそのはず、お値段が、ナント





1億円

現在、自動車メーカーが開発中で来年あたりから市場でも増えていくようです。
価格は500万円程度を考えているとか。

空港で一番印象に残ったのは間違いなく、この水素自動車でございました。
運転してみたかったけれど、値段を聞いてしまったので今回はガマン

夢のある仕事へ


佐渡と能登GIAHSのインセプションワークショップも無事終了した。

喜ばしいことに、またいくつもの幸運も重なって、GIAHS日本はようやくここまで来た。
最初に日本でもGIAHSを、との話が出てから2年余、本格的に動き始めてからは1年弱の道のりだった。その間、いろいろなことがあった。

最初は、それまでしていた仕事とは少々ちがう性質の仕事でもあったので、私自身、どこまで手をかけていいか、迷いがないわけでもなかった。それでも途中ある時点で、意を決したというか腹をくくった。
よし、やるぞ! みたいな。なぜそう思ったのかは覚えてないけれど。

GIAHS は申請すればいいだけではない、国や地域の協力が不可欠だ。
役所文化も、それなりに知っているようでそれほどは知らなかった。
しかし何よりも決定的というか致命的なことは、日本の農村地域の人々と働いた経験が、それまでの私に皆無だったこと(その昔、学生の頃、京都の知人の農家でボランティアをしていたときに見た農村の様子は、ずいぶん社会的しばりがあるんだな~という印象だった。でもそれは、旅人の目であってそこの住み人の見方ではない)。
途上国のコミュニティに入って働いていたのに、日本の農村はそれほど知らなかったとは... 

だから、というわけではないが、日本で初めてのケースでもあり、どう進めたらいいものか、
いい事例や羅針盤がなかった。正直、途中で途方もない壁を感じたことも多々あった。
そして、いろいろな人に支えられてきた。さもなければ、この壁は超えられなかったはずだ。
いろいろなことが、走馬灯のように廻る。

ここで行きついた私自身への問い―それは、
いったいこの仕事の何がよくて、私はここまでエネルギーを注いだのだろう。

自分でもわからないけれど何かに取りつかれていたような時期もあったから。回りもどんどん巻き込んでいたみたいだし。

 

「夢を与えてくれてありがとう」
この3日間、幾度となく出てきた言葉が「」。
ああそうか~、このプロジェクトには夢と希望がつまっていたんだ。
そして、それはまさに私の仕事への思いでもあった。

この仕事の最後の方は、思い出せばつらい時期でもあったが、わたしの中ではほとんど
夢と愛国心に支えられ駆り立てられて、それだけで進めていたように思う。
ただ、佐渡と能登の人にとっては、夢よりもむしろ立ち向かうべき現実があることも、
忘れてはならない。

ひるがえって今の仕事は似た業界ではあるものの、着実でしっかりした案件の実施が主目的だ。
そこから学ぶことも多い。

それでもやはり、わたしは夢のある仕事が好きだ。不可能なことを可能にするのは楽しい。
少しでも、かけらでもいいから夢を描ける仕事をしたい―改めてそう強く思った。
一度でも知ってしまった以上、夢を抱きながら夢に向かって物事を進める楽しさは忘れられない。
後戻りはできない。する必要もない。
となれば、この際、「夢、希望、ビジョン」と「着実な実施」をかけ合わせたような
仕事を進めていけばいい、ということになる。

途上国や地域コミュニティのエンパワーメントに資するような、夢のある仕事―これが私の目指す道。それを改めて認識し、自分の内なる声を知ったことが、この3日間の、もうひとつの大きな収穫だった。

前も、夢のある仕事について書いていたみたいだ。
夢や希望のある仕事は、転がってはいないだろうけれどやりようによって発掘できそうにも思う。

GIAHS in 能登


対して能登は、石川県の4市4町、ということもあり、能登地域GIAHS推進協議会が申請書を提出した。協議会は、七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋(はくい)市、志賀町(しかまち)、中能登(なかのと)町、穴水町、能登町の各首長で構成される。

能登といえば、海に面した千枚田。今は1004枚ということですが、オーナー制の水田。
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羽咋市の低農薬農業のひとつ。雑草はまず根から生えていくという。そこで、雑草がはびこる前の若いうちに、何連ものくさりがついた鋤農具で引いて、根ごと抜きとる。そうすることで、まく除草剤の量がかなり減るという。そう農家の人が教えてくださった。なかなか面白い知恵だ。やはり地域の農民(英語で言う local farmer の感覚ですが)はすごいな~と思った。
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ほか、揚げ浜式製塩、キリコ、輪島塗などの伝統や文化面も評価された。
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能登地域 GIAHS 推進協議会のリーダーである武元七尾市長が、ごあいさつの冒頭で、
「この度の GIAHS 認定は、本当に、涙がでるほどうれしい」と述べられた時、思わずわたしも目頭が熱くなった。
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改めて、おめでとうございます。

何でも「佐渡おけさ」に出てくる「対岸」は、実は新潟ではなく能登半島を指す、という話も聞きます。佐渡と能登は、朱鷺つながり、 GIAHS つながりで、連携を深めていってほしいと思います。ついでに、UNESCO世界遺産に登録される東北は平泉とも結び、世界農業遺産/世界遺産トライアングルとして地域振興のために何かできるといいのですが(思いつき)。

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GIAHS in 佐渡


先週9日~11日に北京で開かれた GIAHS 国際フォーラムで正式決定した日本初のGIAHS だが、国内でのインセプションワークショップが今週15-17日、佐渡と能登でそれぞれ開かれた。いわば、国内での公式のお披露目みたいなものである。

地元ではこんなポスターが作成されていた。
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今回、GIAHS認定のシンボルとなった、朱鷺米。そして佐渡の里山。
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能の舞台や運営するコミュニティが150もある。 Agri Culture というように、農業は農村文化と密接につながった生計手段である。佐渡は、持続的な農法(朱鷺米の生産、低農薬生産など)に加え、農業と文化の両面をうまく体現した点が高く評価された。ここでもマイクの主である高野佐渡市長は、中国のフォーラムでのプレゼン後にも「佐渡おけさ」を歌われたとか(すばらしいノリでございます)。
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シルエットの美しい佐渡の夕日。
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GIAHS 日本の誕生に、管理人も微力ながら携わった関係で、参加させていただくことになった。ついこの前までお世話になっていた先生、ともに走ってきた広い意味での仲間たち、懐かしい面々にお会いできることは、本当にうれしかった。何よりこの場に立ち会えて、それまでの道のりが走馬灯のように浮かんできた。佐渡に最初に伺ったのは昨年の今頃だったはずだ。わずか1年でのGIAHS 認定が現実のものとなった。ひとえに喜ばしく、ただただうれしい。
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改めて、心よりお祝い申し上げます。

GIAHS


飛び込んできた「朗報」とは

国連食糧農業機関FAO が「世界農業遺産」(通称)に、佐渡と能登が日本から初めて認定を受けた、というニュース ♪
GIAHS(ジアス)は Globally Important Agricultural Heritage Systems ですが、そのままだと長いしピンとこないので通称「世界農業遺産」となりました。

日経新聞でも取り上げられていましたが、今日(11日)に北京で開催中のGIAHS運営委員会で、正式に認定されました。
世界農業遺産に佐渡と能登 国内初
佐渡と能登、世界農業遺産に認定 先進国で初
今日の夜7時のNHKニュースにも取り上げてくれていました。

農水省のHPにも出ています(さすが)。
ひるがえって協力本体だったはずの某職場のサイトは? のぞいてみるとまだです(やはり)。

概要も含めて、日本語では 佐渡市長のメッセージに、よくまとまって書かれています。

伝統文化や自然との共生、昔ながらの農法―こうしたものはGIAHSの趣旨に合致するだけではありません。何より、古から先人の努力の上に積み重ねらた歴史の証明で、日本から堂々と発信できる日本ブランドであると、信じて疑いませんでした。その思いがようやく実を結び、本当にうれしいです。

関係者のみなさま、地元のみなさま、ここまで本当にお疲れさまでした。
心よりお祝い申し上げます。

時間のフシギ


新職場で働き始めてひと月がたった。

うまくいえないけれど、ホッとしたのと何だか感無量なのと半々だ。



今の仕事を始める前に、旅行したりふらふらしたり、非日常の世界にいるかのように、どこか時間はゆったりと流れてはとまっていた。前職を離れてから少し休みをとりたかったこともある。

わかっていたとはいえ、前の職場から離れることに踏ん切りがつかなかったこともある。
しかも3月に震災があったから、急に非常事態ニッポンとなり、長いこといつもの仲間に会えなかった → 仲間にきちんとお別れが言えなかった。それは想像したこともない心理状態だった。

その思いはしかし、5月末の送別会で成就された。
懐かしい面々や期せずして会えた昔の同僚との時間は、哀しくもうれしいものだった。会う人会う人に、すごくリフレッシュしてハツラツしている、と言われたのも、本人自覚がないだけに不思議だった。同時に、ついこの前まで一緒だったはずなのに、月日が経つのは本当にはやいものだ。

新しい環境に入ったとき、最初は自分がどうやっていくのか、どんな毎日になるのか皆目わからなかった。ひとつには、前職場やそれまでの自分とのきちんと決別していなかったこともあり、命の洗濯旅行(ロンドン行き)ではどこか物足りなかったのだろう(楽しかったけれど、それはまた別)。それに当り前だが、メンバーも環境も今と前とではずいぶんと違う。
それでも不思議なことで、少しずつ慣れてきたし、仕事の意味や面白さを感じつつある。

時間の力ってすごい。いろいろな思いが重なり、加工され、美しくよみがえる。

何だかすべてがうれしくなって、思わず冷蔵庫に眠っていたビールを取り出し家族と乾杯

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(しかし、いったいいつのビールだっつ~うの

そこで朗報が飛び込んでくる

妹の門出


今日は学校行事の運動会でした。これがまた延びに延びて、送っていくべき客人がいる私は帰れず。客人の送迎を終えてから、とあるパーティーにダッシュ。夜遅かったけれど、彼らのパーティーは深夜までのはず。

それは、お世話になったA&M 夫妻のお別れパーティーでした。

彼らは日本に来て約4年。奥さんAの学業のために日本について来た旦那さんMが、今度はオーストラリアで仕事を見つけたので、帰国となったわけです。奥さんも学業を終え、この2年はわたしたちと一緒に働いていました。この1年は思い出深いものです。彼女なしのチームは考えられませんでした。

何を好んでか、私が行くフィールドにもよくついてきてくれました。インドネシアもタイも、とりわけ日本の里山は珍しかったようです。
「オーストラリアにいる間は農業のことなんて考えたこともなかった。野菜も肉もスーパーに行けば売っている、そういう認識しかなかった。なのに日本に来て初めて街中にもある畑を見て、農業と日々の生活が密接につながっているということがよくわかった。土に触ったのは日本に来て初めてだった」
だそうでございます。広大な国に住むとこうなるのね~。

最初は日本にこんなに長くいるつもりでなかったけれど、日本が大好きになり古い家を借りていました。朝食に納豆を食べ、夜はラーメンを楽しみ、家庭菜園まで精を出すことに。仕事も熱心で、仕事量に対して明らかに人員が足りないチームだったので、休日や残業もいとわず(それが彼女なのか日本化したのかわかりませんが、両方だと思います)、本当によく働いてくれました。

いまや数人に増えた、前職での「妹」のひとりとなりました

これから彼女は少し休んで、PhD course 出願の準備を進めるようです。それも農業系のコースを希望しています。もし、わたしたちと働いた時間が、彼女の将来の道しるべになったのなら、私は限りなくうれしい。
Wishing her very best luck! 

仕事を楽しむ?


今の職場はかなりのドメドメ職場といいますか、これぞ ザ・ジャパン を絵にした職場―少なくとも私の眼にはそう映ります。

さすがに今の時代、お茶くみの女性はいないですが。
(でもトップマネジメントの部署にはいるのかな、と妄想していたり。ま、いいけれど)

それにしても日々経験している数々のカルチャーショックや驚き(内心ワ―オ  といいたくなるような)。素晴らしい知恵もあれば、忙しいと言いながらどうしてこんなことやるのかな~、ということもあります。

私がこういうことを感じるにも、一応ワケがあります。
なにせ、こういう環境(ザ・ジャパンの職場)で働くのが初めてなのです。
おそらく日本的基準から言えば、多分かなりの世間知らずであろう自分。
前職場の仲間にも、とくに後輩にすら
「僕、Sainah さんが新しい環境でやっていけるかなって、正直ひそかに心配しているんですけれど~」
と言われる始末。そ、そうかな
ま、正直無理せず、それでもいいとも思っています。それに「日本の基準」やいわゆる「常識」にもおかしなことって多いですし。

それでも最近わかってきたのが、業界用語に加え、彼らのよく使う言葉の本当の(ウラの)意味。
たとえば、今のチームは4月に人員の編成があったらしいのです。
そんなことは知らずに、深い考えもなく5月中旬から加わった私は、

みなさん、せっかくですから楽しく仕事しましょう。

といったリーダーのかけ声を聞いても、あまり響かず。
むしろロンドン休暇明けで気楽な気持ちだったこともあって、ほとんど流していました。
それにしても以来、何度聞いたことか、このセリフ。
だんだん聞くたびに、何か少し違和感が芽生えてきたのも事実。

だって、仕事とて、どうせやるなら楽しまなきゃという思いでしたから。
言われるまでもないし、当たり前のこと。。。
そもそも、楽しい仕事ってどこでも転がっているわけではないけれど、仕事をしていくうちにみつかる種々の楽しさやワクワクした思いはたまりません。 それを別にことさら強調されなくても。
それに、仕事が楽しいのは個人次第のこともあるのに、もしかしてみんなが楽しめる仕事ってそんなにあるものなのだろうか?それってなんだろう?

みたいな疑問がわいてきました。で、そのうちわかったこと。

・楽しく、は「仕事」にかかるのではない。
・みんなで楽しく、の意味は、和を尊びチームワークを大切にすること。


つまり意味するところは、「仕事はみんなで協力してやりましょう」。
そういう意味だったのね~(汗)。

どうりで微妙に浮いていたはずだわ、わたし。。。
仕事自体をモロに楽しんでいましたから(笑)。



先日訪ねてきてくれた昔の同僚のFさん。曰く、
「一度でいいからこういう職場で働いてみたかったんですよ~」

私「え、まじ?ほんとですか?」

Fさん「結局、夢に終わりましたけどね、でも大変なこともあると思いますから、人格変わらない程度にがんばってくださいね」

彼は正直で実直なひとですが、ヨーロッパで働く環境を手に入れ、なかなかお上手もうまくなったものです。

ま、がんばります~。

プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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