行ったり来たり?


この週末は、街をフラフラ歩き、買い物をしたり書店に立ち寄ったりと、ゆったりした週末を過ごしていました。やや現実逃避気味の気もしましたが、そういう時間も捨て難いものです。ひたすら走り続けるのが私はどうも苦手なようで、時々自ら「休みモード」に入ってしまうのです。今は仕事が繁忙期ということもあり、オフの日はひたすら休みに入ります。でも頭はどこか休まっていないんですよね、これがまた。

そんな中、今日ランチをした友達はとにかくエネルギッシュ。正義感と存在感あふれる人で、昔の同級生ということもあってか、私がどこか気抜けてぼ~~としているときに、現れてくれる頼もしい存在でもあります。今回もそうでした。彼女はとくに多忙を絵に描いたような人なのですが、エネルギッシュながらサラリとした彼女の生き方に教えられました。どこか振り子のように行ったり来たりしている状態の私でしたが、また少しずつ進んでいこうと思います。そんな静かな勇気をもらいました。

このまま仕事に戻れるのかって気もしますが、ま、そこはサクサクっと淡々と戻ることに。

ピッ (←スイッチ切り替えの音)

まずは椅子


フォローアップ報告です。

ねじ山がなく組み立て不能のため、交換となった椅子がありました。1週間前のことです。

その待っていた椅子がようやく届きました~。

うす暗くなった夕方のしかも小雨の降る中、組み立てた状態で、部屋まで入れていただき有難かったです。最初に自分で組み立てている時、仕上げ寸前でねじ山がないとわかった時の脱力感―今日はそれがようやく報われた気がしました。

で、デスクの方は?

実はデスクの引き出しの方もへんなデッパリがあったので、椅子と一緒についでの交換をお願いしたのですが、こちらは見当たらず。聞けば、再度届いた品がキズもので、再手配だそうです。きっと来月の今頃には届くことになりそうです。

ま、ひとつひとつですかね。

フツウのもの


帰宅後、遅い夕食をとる。今日はなぜまだ火曜なの~と言いたくもなる。

もし最後の晩餐に食べたいものはと聞かれたら、それは高級なフランス料理でも懐石料理でもない。上等なお寿司でもない。おそらく普段食べているフツ―のもの、だと思うのです。

例えばこれ
hijiki.jpg

ひじきと糸ごんにゃく―どちらもたまにしか食べないけれど日常の大好物。
それに切り干し大根が加わればいうことなし。
柿も好きなのよね~  栗も

ということで、よろしく、家族(?!)


なかなか来ない家具


まだ夏の暑かった頃、8月下旬だったと思います
ちょっとした家具を購入しました。といってもリビングの片隅におくコンパクトな机と椅子です。

ほとんど物置き場と化していたデッドスペースに入るテーブルなどないと思っていたのが、
お誂えのサイズをみつけたので急遽決めました。まだ夏真っ盛りのことです(遠い目)。

ところが在庫がないということで待つこと1カ月以上。秋風の心地よい10月になって届きました。せっかく届いたのにその日は出張前で組み立てるどころではなく、帰ってからもすぐに取り掛かれず、平日の夜に帰宅後に取り掛かるパワーも(つもりも)なく。かくして、段ボール箱(しかも3箱)は見えないフリをして、しばし放置されること1週間。次の週末を待ってようやく開いたのが今日の午後。

シコシコ、しこしこ 

まずは机を組み立て、机のまっすぐであるはずの部分にみられるヘンなデッパリが気になったがまあいいかとして、椅子の組み立てにとりかかる。

シコシコ、しこしこ 

椅子も大きな最初にねじを3か所とめて、さらに最後に別に3本ずつ(計6本)ねじを入れる場所がありました。
よりによって、最後のこの1本を締めればできあがり!という1本が、どうにもこうにも入りません。

なぜだ~・・・ ん

よくよくみれば、ねじ山がないっ・・・

く~、ここまできて。せっかくの日曜の午後がつぶされた気がしてどっと疲れを感じたものの、そこは日本のサービズ。早速、在庫を手配して交換の運びとなりました(といってもそれがいつになるかはまだわからないけれど)。あの机を店頭でみつけてからはや2ヶ月。次はまたしばらくして届いたとしても、また組み立てて最後の最後にまた問題発覚、という思いは繰り返したくありません。ということで、ついでに組み立てての配送をお願いしてしまいました。この際ついでにと、よくわからないデッパリのある机も交換をお願いしたところOKと相成りました。

それにしてもあるべき場所に作りかけの椅子が横たえている姿が少しむなしい
は~、こうして私の自宅片づけ計画は、予定通り、遅々として進まなくなっていくのです。

Wendy's


帰りの空港税(750ペソ)を用意するために両替に行き、ついでにスーパーに立ち寄ったり
歩いているうちに、目の前に現れたのは

wendys manila


お~、久しぶりに見たというか東京ではもうなくなったはず。マニラではまだ健在のようです。

マニラ最終日


Day 1 の次がなかなか書けないうちに、最終日を迎えてしまった。

町の様子は、ほかのアジア諸国、とくにマレーシアの街やインドネシアのジャカルタと似ている。仕事でいえば英語が通じるのは大きい。

マニラ出張が終わり今日の午後のフライトで帰国する前に、ゆったりした朝を迎えている。今の部署にきて初出張だったため戸惑いもあったが、無事終わってよかった。何より出張を通して、業務の何たるかがより明確にわかり学ぶことも多かった。

フィリピン側の担当者と働いていて、やはり「人」だと思った。いい人材と働くことで、事業の準備がいい形で進み結果的にプロジェクト事業もうまく廻る。聞くところでは、今回の出張中で一緒だった彼らのようなタイプはごく一部で、日本の担当者が泣かされるような部署や担当者も同じ組織内でも少なくない。こういう人材と仕事できるのは本当にラッキーで、フィリピンが初めての私にとってこのメンバーはひとつの希望だ。

行く前にフィリピンと仕事していた人から聞いていた。
「フィリピン人も友だちとしてはとてもいいけれど、一緒に仕事をするとなるとね~・・・」
この「・・・」の部分を知りたいと思っていた。今回はこれがいい形ででたようだ。



夜は祝ミッション完了、ということで念願の出張マッサージを受ける。マッサージの女性に聞けば、夕方の4時から朝4時までの勤務で、それだけニーズが高いという。マッサージがとても気持ちよかったので、次回から出張時にはマッサージタイムを早めに予定に入れることにしよう。

Day 1


マニラまでのフライトは4時間という近さ。
機内はそれほど混んでおらず、食事もおいしく、何よりサービス過剰でなかったので快適だった。

朝9時半と午後早い時間の一日に2便の運行だそうだが、こんなに近いのだから、朝ではなくもう少し遅い時間、午前11時半とかのフライトになればもっといい。聞けば、日本からマニラ行きはJALとフィリピン航空がメインだそうだ。私がANAの社員なら「羽田発マニラ行き、正午発」の便を隔日くらいで飛ばすよう提案してみるのだが。

マニラはどこに行くにも道は混んでいるようだ。とはいっても、空港から市内に行く道は途中まで車が動くので、ジャカルタほどひどくないように思う。大きなマンションやショッピングモールがあちこちみられるマニラは一見都会のようにみえるけれど、すでに自然をみたくなる。せめてマニラ湾とかみたいな~。

早速、午後2時過ぎから会議が始まる。気づけば午後6時。

なま温かい夜風、オレンジの壁をしたオフィス、色とりどりの内装、おいしいマンゴ、初日にして十分に「フィリピン」を感じる。

明日からフィリピン


気づくともう10月、過ごしやすい季節になった。
なったはいいものの、どうも9月の連休からあまり休んでいない気がする。
そのせいか、昨日はいやな疲労感漂う朝を迎え、午前中うだうだと眠ってしまった。

健康ってホント大切、と今さらながら当たり前のことをしみじみ思う。

今日は久しぶりに家族と過ごした日曜だった。
ぶらぶら街を歩き、買い物を済ませ、ランチを楽しみ、日常の有難さを感じる。

明日からフィリピン出張です。
これまでアジアはいろいろな所に行ったけれど、フィリピン人にも縁があったのだけれど、
実際にフィリピンに行くのは初めて。

それにしても近いようで、成田から4時間(ちかっ)。
いつも飛行機でしている諸々のことができるかどうか?

卒業スピーチ


週半ばに入ってきたSteven Jobs 逝去のニュース。彼の偉大さは言うまでもないが、個人的には彼のわかりやすく迫力ある言葉が大好きだった。変革を恐れない勇気とその実行力に裏付けられた言葉だから、心に迫るのは自然なことだとは思う。なかでも彼のスタンフォードでのスピーチは象徴的だ。

米国の卒業式のスピーチは卒業シーズンの一大イベントだし、それを依頼されることは名誉なことなのだろう。2002年春に卒業した私の留学先では、ワンガリ・マータイが卒業式のスピーカーだったことは前述の通りだが、今日はその選び方について。

年が明けて1月から春学期が始まる。春学期は卒業前の最終学期で、イースター休暇前からは卒業への準備が始まる季節でもある。もちろん学生は授業のほかの卒業するための論文やらプロジェクト、就職活動に忙しいものの並行して、2月くらいにクラスの中で卒業スピーカーに招きたい人のリストアップが始まる。呼ぶ人は有名無名、学校へのゆかりの有無を問わないのだが、「この人の話こそぜひ聞きたい!」という人がノミネートされる。私の時は15~20名くらいリストに挙がっていたように思う。職業も様々で、政治家だったり、作家、大学の先生などなど。留学生からすれば「この人だれ?」みたいな米国人しか知らないような人もリストに入っていた。覚えているのは ワンガリ のほかにAl Gore、 Stephen Jay Gould だった。リストの中で、この人にと思う人に学生がひとり一票メールで投票するシステムだった。よくわからないなりに私は Gould に入れた。グールドは有名な生物学者であり作家で、日本でも『ダーウィン以来』始め多くの著書で知られている。もと生物畑の出身としては、し、生グールドに会いたい、一目みてみたいとのミーハーな思いで決めた。結構高い位置にランクインしていたように覚えている。

その先はショートリストを作成し、トップ5 くらいに順次、打診していくらしい。結果的にワンガリだったが、ほどなくして 我らが Stephen Jay Gould  は選ばれても来られるはずがなかったと知る。同年の夏、まさに卒業する5月に訃報を聞いたからだった。

ワンガリの思い出


ワンガリ・マータイさんの訃報が飛び込んできたのは、26日月曜の夜の twitter だった。まだそれほど高齢とは思えなかったので、驚きを隠せなかった。報道によれば卵巣がんで、一年前、米国の病院で手術を受けていたが再発し、この日曜にケニアの病院で亡くなったという。

実は、幸運にも彼女に会う機会が昔のことだがあった。

ワンガリに初めて会ったのは2002年の春学期の始まる1月だった。その頃いた米国の留学先に、ワンガリが客員教授として着任した。私にとっては初めてのアフリカ人女性だったし、それまでワンガリのことは何も知らなかった。当時の学部長が招いた人、という程度の認識だったので当然、彼女のこれまでの仕事も経歴も、偉大さも、恥ずかしいほど何も知らなかった。それでも、彼女のオーラや人間的魅力は人の心を捉えて離さない何かがあった第一印象を、昨日のことのように覚えている。

もともと環境に負荷へ与える途上国の開発に対する興味がもとで私は留学していたので、迷うことなくワンガリの授業をとることにした。といっても授業内容は、ほとんど彼女の経験、すなわちケニアでのグリーンベルト運動をどのように始めたか、どんな状況でどんな障害があり、何を考え、どう乗り越えてきたか、また何が課題として残りどう対処していったか、といった内容だ。彼女が話しながらクラスでディスカッションが続く形式の授業で、そうした授業を重ねていくうちに、自然と彼女のこれまで歩んできた驚くほど大変な道のりについて知り、クラス全体が圧倒されることになる。そのクラスの学生は25人ほどで、これは一クラスのサイズとしては大きい方だと思うが、大半が女性だった。

授業は坂の上にある Marsh Hall という建物の一階スペースで行われた。彼女のオフィスも Marsh Hall 内にあり、何度かオフィスアワーの機会には通ってはアドバイスを受けたりもした。ワンガリは、会うたびに違う色のアフリカンドレスを身にまとい、いつも目が輝いていた。私たち当時の学生は、ワンガリの人柄、そしてグリーンベルト運動とともに歩んできたまさにへこたれないワンガリの精神と情熱に敬意と親しみをこめて、彼女をワンガリと呼び続けていたし、それが彼女の希望でもあった。

ところで米国の大学の卒業式は、卒業生の門出を祝う一大イベントでもある。その目玉のひとつがゲストスピーカーで、いわゆる祝辞なのだが、そこはスピーチの国、「スピーカーが誰で何を話すか」がすごく注目される。そうした期待を込めながらスピーカーを選ぶのも学生なのだ。その年のゲストスピーカーはまさにその場にいたワンガリで、2002年の卒業生とその家族に向け、お祝いと魂の込もった熱いメッセージが送られた。確かにワンガリはあの頃からオーラがあった。それでも学期の初めに会ったワンガリと、卒業式のワンガリはまた、違ってみえた。明らかに、最初に比べて緊張感もとけ、互いの距離が縮んだだめかもしれなかった。米国の大学の卒業式にはまた、普段は離れて暮らしている家族や両親、恋人が駆けつける。そのため大学周辺のホテルには予約が殺到し、大学街は5月半ばから下旬がハイシーズンとなる(これは入学シーズンの9月も)。その時、私の家族も来てくれ、卒業式でワンガリと一緒に写真に収まったことも、今となっては貴重な思い出である。

ノーベル賞を受賞したのはそれから数年後のこと。その時思ったのは、本当によかったという嬉しさと世の中には正義があるんだという思い、加えてきっとこれからますます有名になるんだろうな、という淡々と思いだった。2006年頃にあるケニアの大学生と雑談中に期せずしてワンガリの話を聞いたことがある。彼曰く、「ワンガリ・マータイはノーベル賞をもらっても環境大臣になっても、日々の生活や人との接し方は何ら変わっていない。同じ家に住んでいるし、それまで通りの生き方をしている」
いかにも、自分のルーツを大切にするワンガリらしいと思った。

グリーンベルト運動は、簡単に言えば、環境保全を目指して行う植林活動で、それが女性のエンパワーメントや持続可能な開発につながる。グリーンベルト運動と、政治的な圧力をはじめ苦難が多かった歩みは、ワンガリの自伝『へこたれない』にも詳しい。日本では、「もったいない」を国際的に呼びかけたマータイさん、として知られているが、ワンガリの原点は土地や自然資源への愛着であり、それがそのままグリーンベルト運動の原動力でもあったのだ。

最初にも書いた通り、自分にとって初めて会うアフリカ女性だったし、私の会ったワンガリは一学期限りの先生でもあったから、あまり彼女の個人的なことまで知る由もなかった。今思えば、ワンガリは私の母親と同じ年齢だった。米国滞在中は娘さんがワンガリを訪ねてきたこともあったと記憶している。あの頃がワンガリにとって最も自由で心安らぐ時期だったかもしれない、と思いたい。

彼女の人生と教え、そしてケニアへの思いと情熱に敬意を表し、合掌。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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