雨の土曜日


<今日の言葉遊び>

口がむなしいのは?
人の夢は?      
心を亡くすと?   

(答えは下)



今日は朝から雨、そしてえらく寒い。
午前中は所用を済ませた後、本屋に立ち寄り久しぶりに本を物色し少し買い求める。午後は少し転寝した後、お茶を沸かしながら、こたつでぬくぬくしながら買ってきた本や雑誌を開く。子どもの時から雨の音を聞きながら家で過ごすのが好きだった。こういうひとときは幸せ~。

やおら、ホワイトデーに夫にもらったお菓子を開けてみる。
私の抹茶好きを覚えていてくれてうれしい。
DSCF1964_convert_20120317172624.jpg
なんたって夫にもらった○年ぶりのプレゼント?! 
念のため彼の名誉のために、記念日とかプレゼントはほとんど忘れる(か気にしない)二人です。



ここで上の答えに戻ると、

口がむなしいのは?  
人の夢は?       はかない(儚い)
心を亡くすと?     忙しい。忘れる

こういうなぞなぞ的なことを子どもに言われると、なるほど~と言いながらドキッ
結構内心効いていたりもします。。。

地震国


最近になって、また時々地震が続く。今日も震度3の地震が東京であった。
家にいてよかったと思った。ふと昨年の3月11日とその後の余震が思い起こされ、家族の安否がいつも気になる。

ここ数年、友達や知人、同僚に「私は/家族が、阪神大震災の被災者で」と話す人が増えてきた気がする。当時、高校生や大学生だった人が長じて東京に出てきたのかもしれないし、皆それぞれに怖い思いをして、しばらく封印していたかもしれなかった。そのうち十年後くらいには、東日本大震災の被災者という人に会うかもしれない。

私自身、子どものときは地震の巣といわれる地域で育ったし、長じて静岡の駿河湾近くの三島に住んでいたこともあり、地震への心理的備えはいつもあったつもりでいた。静岡では「東海大地震がいつ来てもおかしくない」と言われていたが、東海大地震は、起きる起きると言われていながら「いまだに起きていないのに名前が既についている」、ある意味、稀有な地震でもある。そのうち、三島を離れしばらく地震のことは忘れていた。でも東日本大震災を機に、結局、日本列島全体がいつ地震に見舞われてもおかしくない立地だということをいやというほど思い知らされた。今日まで続く、その後の地震や余震が実証しているかのようである。

日本に生まれてよかったな~と有難く思うことが多いけれど、どうして日本に生まれたのだろう、と思う数少ない時は、いかんともしがたい地震国で生きていく運命を痛感する時である。

地球上の日本の場所をひょいと動かすことができたりしたら。。。

自分への問いかけ


東日本大震災から今日で1年が経った。twitterでも紹介されていたが、本日の読売新聞一面は心に響く。雪の降り積もる仙台市の被災地の慰霊塔の写真、いつもは下にある『編集手帳』のコーナーが一面トップに拡大版として出ている。みだしは
時は流れない。雪のように降り積もる。
人は賢くなったか。優しくなったか。


-------(以下、共感する部分を一部抜粋して引用)-------

使い慣れた言い回しにも嘘がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる◆(中略)この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである(中略)
◆口にするのも文字にするのも、気の滅入る言葉がある。「絆」である。(中略)すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。
◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。
(2012年3月11日 読売新聞より)

-------(引用ここまで)-------

全文は以下の通り
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20120310-OYT1T00861.htm
もし実物を手に取れる方はぜひみていただきたいと思う。画面から訴えかける何かがみえてくるかもしれない。



個人的には昨年の3月11日は、都内にいながらこれまでにない地震の揺れと恐怖を感じ、早々と帰宅難民となり、電話はおろか携帯もつながらず、twitter や FB の威力をひたすら実感した日でもあった。何より、自分のアイデンティティをしかと自覚し、何が大切かを痛感した日だった。いろいろと重なって複雑な心境でもあり、思い出したいことそうでないことが交錯し、振り返ってもこの1年はずいぶんと泣いた。大人になって最も涙した年だったかもしれなかった。

今、自分に静かにおそるおそる問いてみる。

私自身は、いったい少しは賢くなったのか、そして少しは優しくなったのか。
  ・
  ・ 
  ・
正直わからない。まだまだだとも思う。でも、おそらく寛容にはなったのではないか、と思っている。

ヨガ、珍しく続いています


1月末にヨガを初めてはや1ヶ月。
なんと、珍しく続いております。週1,2回程度のレッスンに時間を見つけては通っています。

その理由はおそらく、
・自分のペースでできること
・無理しなくていいこと(レッスン中も途中でも疲れたら休むとか自由)
・元を取りたい発想(月会員になってしまったので)
でしょうか。

それが、なんと昨日になって初めて、かつてのママ友に会ってしまい。うーん、ますますやめられなくなりそう。


子どものときは運動が嫌いではなかったものの、体を動かさなくなってかれこれ15年くらいか?
最後はつくばマラソンの10キロコースを走った20代半ばだった。

40代になって身体を動かす人は目立って増える印象だったが、これにはそれなりの背景があるように思えてきた。ひとつには20代まではナンヤカンヤで身体を動かす機会があるものの、普通に仕事をしていればそういう機会のめっきる減るのが30代。仕事が忙しかったり子育てしていたり、それ自体が運動という人が多い。

あと体力的な貯金が利くのもおそらく10年くらいと想定。それが切れるのが40代、また40過ぎると健康的にもコレステロールが増えるとか、メタボの兆し、人によっては歯科の関係でいろいろな黄信号が灯る。親が年とったり病気になったりして健康の大切さに改めて気づくのもこの年齢だと思う。

個人的にもそうだし、私はよくフィールドを歩いていたこともあり勝手に健脚だと思っていたのだが、どうもそれにも限度があるように感じていたころに目の前にあったチラシに誘われヨガを始めた次第。年齢には逆らえないけれど、体を動かす気持ちよさは何歳でも味わえるもの。またそういうことができる環境も有難い。

ということで今日も気持ち良く汗した土曜の朝。

あと、もうすぐ結婚するヨガ友達に「まだ続いています!」って報告する義務もあり。

大学のビジョン


先日、英国の大学関係者と話す機会があり、入試の話になった。

欧米の大学、とくに英国や米国はそうなのだが、いい大学であればあるほど寄付を募るいわば Fundraising の活動が活発で、大学を経営していく際の重要な仕事の一部になっている。それでも入試は完全公平性で選抜していく。多額の寄付納税者の子息や関係者を優遇することは一切ない。例えば、米国の一部の大学にみられるように、多額の寄付をした有力政治家等の子息子女が入学している私立の大学があるが、かの英国の大学はそういう特別措置は最初からしませんと内外に宣言している。

そこでふと思い出したのが、昔NHKでみたオックスフォードのドキュメンタリーだった。入試は書類選考出の選抜があり、そのあと面接を徹底的にするのだがその質問がまたふるっている。

例えば、幼少時からバイオリンをしてきたという少年には、「バイオリンの形はどうしてこうなっていると思いますか。構造についてあなたの考えを説明しなさい」という質問が向けられる。また将来、医者になりたいというインドの少女には、「伝統医学の可能性についてどう考えていますか。ヒマラヤ医学の知識を用いて答えなさい」と現役の大学教官が質問するのだ。相手が高校生といえど、そこには一対一の真剣勝負でもある。将来、オックスフォードの教育を授けるに足る学生の選抜にかける教官の意気込みと、費やすエネルギーの大きさを感じた。これはそのまま、これからの「のびしろ」を感じる学生を獲得しようとする大学の強い意識の表れでもある。大学の先生も、面接のやりとりが楽しくて仕方がないのではないだろうか。

英国の大学は、有名大学でも(だからこそ)かなりの熱意とエネルギーで米国の諸大学ともしのぎを削り学生を獲得しようとしているのに、日本の大学はペーパーテストのみでの選抜となる。これまでそれでやってきたと言えばそれまでだが、真の国際化を目指すのであれば入試制度を見直してもいいはずだ。東大の秋入学を皮切りに、そういう議論が起きてもよさそうだが、大学教員の負担増加など言い訳にもならない言葉が飛び出すことも想像に難くない。

そもそも、本当にいい人材を得るには大学でも会社でも同じで、もっと手間ひまかけるべきなのだ。逆に言えば、日本社会は人材の採用や発掘にそれほど時間もエネルギーもかけていないようにみえる。型どおりの履歴書や語学力の判断がTOEICだったり、といったい何を見ているのだろう。もっとも、適切な人材採用ができる人も意外と少ないのではないかとさえ思えてくる。なぜならそれだけの選抜をするには、それなりのビジョンが必要だからだ。ビジョンがあって初めてこういう人材をほしい、だからこういう方法でこういう問いを向けて、となる。政治家ですらビジョンなきと揶揄される時代だが、対して大学や大学で働く教官はビジョンをもっているのだろうか。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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