ローマの食


ローマの食、といっても美食ばかりだったわけではありません。ほとんど急ぎ食べたりテキトーに済ませたことが多く、最後の日に少し街のレストランを楽しむことができました。

夕食の前菜。一人ならこれだけでもう結構十分な量です。
roma40_.jpg

このパスタはおいしかったですね~。右はかなり黄色みがかっていますがカルボナーラ。
味は日本のカルボナーラよりコクがあり、ずいぶん違う味でした(フシギ)。
roma41_.jpg roma42_.jpg

このティラミスは、かなり甘く大きく・・・。味は日本のティラミスの方が好きかも。
roma43_.jpg

心残りとしてはもっと市場を歩いて野菜を食べたかったかも?

ローマ街歩き(3)


この写真を見て、そういえば最初にイタリアを旅行した時(1992年?)『サン・ピエトロが立つ限り』という本を読んだことを思い出した。読んだ後に思わずため息の出るような力作だった。
roma32_.jpg  

サン・ピエトロを後にナヴォナ広場を目指して歩き始める。
サンタンジェロの前を通り、テヴェレ川をわたり、目指すはナヴォナ広場(というよりどこかで足を休ませ、ジェラートを食べたかった)歩いていて風が心地よい。気候も穏やかでローマ散策にはいい季節だ。
roma34_.jpg roma33_.jpg

そうこうするうちにナヴォーナ広場の噴水に迎えられる。ベルニーニの作らしい。
roma35_.jpg roma36_.jpg

広場はなかなかのにぎわい、今日は土曜日だっけ?(←金曜日でした)。
roma38_.jpg roma39_.jpg

広場で休憩。ようやくありついたジェラート。ローマ4日目にして初!
roma37_.jpg

 

ところで私がナヴォーナ広場に行きたかったのは、ローマに来た2年前にナヴォーナ近くを歩いていた時、職人の手作りによるかばんや靴のお店が並ぶ通りに遭遇したことを思い出したからでした。今回は残念ながらその通りの名前を思い出せなかったのですが、帰国後調べてみると、Via della Stelletta だったことがわかりました ナヴォーナ広場近くに南北に走る通り Via della Scrota から右に折れる小路 Via della Stelletta で、ナヴォーナから北東に歩いて5分ほどの距離です。ガイドブックにはないですが、小さい家族経営の皮革製品のお店が多い通りだったと思います。よかったらローマ旅行の際に立ち寄ってみてください。

ローマ街歩き(2) 


3日目の午後はフリーとなり、街に繰り出した。
コロッセオを通りテルミニ駅からローマのオペラ座へ(あわよくばバレエかオペラをと思ったのもつかの間、今日の演目はなく残念

roma22_.jpg roma23_.jpg

そこでバチカンへ行ってみることに。サン・ピエトロ大聖堂も修復中か清掃中のようだ。歴史のある町は維持もたいへん。
roma24_.jpg roma25_.jpg  

サン・ピエトロ大聖堂の中に入る。神を賛美するあまり煌びやかな装飾と高すぎる天井。
roma26_.jpg roma27_.jpg

近く信者の集まりがあるのだろうか?
roma28_.jpg roma29_.jpg

大聖堂から出てくるとバチカンの衛兵が微動だにせず立っている。衛兵は代々スイス人らしい。
直立不動かと思いきや・・・
roma30_.jpg

ナント、話しかける観光客が現れた!(子連れの利?)。
roma31_.jpg

そうか話してもよかったのかな?
仕事の邪魔はできないだろうと思ったり、実は話しかけられた方がいいのかと思ったり。

ローマ街歩き


ホテルから会議場まで毎日メトロとバスを使って通うことになる、とは思っていませんでした。ホテルは主催者の指定の場所なので、きっと会場までも歩いて行けるだろうと調子のいいことを考えていたほどです。それが、毎回小一時間みましたよ(片道)。歩くのは好きですけれどね、雨に降られたある日には迷うことなく会議場からホテルに戻るのにタクシーにしてしまいました。それが、車で20分の道のりだったとは・・・。

始まりが初日は11時、二日目以降は10時というのも助かる時間設定でした(それでもしれっと遅れてくる人もいたり)。

街歩きは好きなのでともかく歩くことに。右の写真は宿泊先のホテルですがこの茶系に緑の取り合わせが支配的なイタリアの街並み。マクドナルドまでこの色になっています。
roma12_.jpg  roma13_.jpg

街を歩くだけでいろいろなお店があって面白いです。
この刺繍が施されたエプロンはどういう時に使うのだろう?と思ったり、パスタ屋さんのパスタの豊富さに驚いたり。
roma14_.jpg  roma15_.jpg

スーパーに入ってみると品ぞろえが豊富です。とくにバラエティの豊富さに目を引いたのはハムなどお肉とチーズ系。
roma16_.jpg  roma17_.jpg

しかもこの買い物かご。店内の通路は日本のスーパー以上に狭いのでこういう形なのでしょうか。
roma18_.jpg  

素敵なマンションなのに、中央の白い部分に描かれたこの大胆な落書きは?!
こういうことに対してローマ市民は寛容なのか、どうもわかりません。
roma20_.jpg  

と思えば、これはとあるオフィス内の階段。
色がなんとも素敵!建物内のある区画の階段はこの色に統一されています。
roma21_.jpg

街に出てみえた公衆電話が妙に地味に映るのは気のせい?
roma19_.jpg

肝心のプレゼン


今回の出張は、とある会議への参加及びプレゼンであった。会議は2日半で、15~20分のプレゼンをすることになっていた。初めて参加する集まりであることもあって、ちょっと緊張していた。それだけに準備は入念とまではいかずとも、それなりにしたかった。

まずはこの、小野先生の講義に慶應大学に行ってみたことは前述の通り。外部のセミナーに参加したのも久しぶりである。それほど準備に頭を悩ませていたのだろう。

セミナーでのアドバイスに従って、わかりやすいストーリー作りを心掛けた。有難かったのは、用意したプレゼン資料に対して、職場の思いがけない方から適切なフィードバックを二度にわたりいただいたこと。フィードバックは自分の視点で見落としている点に対して向けられるのでとても勉強になり助かった。以前はフィードバックを受けないでプレゼンに臨んでいたこともあり、痛く反省した。後は練習あるのみ。

また小野先生も話していた通り、自信を持って話すように努めた。確かに、日本から一歩外に出ると、自信を持っているかのように話さないと、だれも耳も貸してくれない(たとえ万全の準備ができていない場合でも)ことがある。この集まりは30人ほどの参加だったが、どのプレゼンターを見ていても自信ありげに堂々と話すことがデフォルトのようである。裏を返せばハッタリでも堂々と話すくらいの気構えがあってちょうどよいくらいだ。

私には英語で話すと早口になる悪い癖がある(流暢に英語が口を衝いて出てくるわけでもないので、早口になるとタチが悪いというもの)。おそらく声は低い方だが響く声でも大きな声でもないので、努めてはっきりゆっくり話すように心掛けた。おかげでプレゼン自体は割とうまくいったと思う。初日にプレゼンが終わったのも有難かった。

そこで期せずして、一人の日本人女性Mさんにお会いした。Mさんは高校から米国に留学し、そのまま米国の大学に進んだ後、英国と米国で法律関係の仕事をしてきたプロフェッショナルである。日本人女性さながら細身ながら、話し方が堂に入っているし、何より話す内容に迫力がある。彼女が話すと、たとえそれがちょっとしたことでも一同耳を傾ける空気が流れていた。そういう空気を彼女が話しながら作っていた、といってもよい。こういう堂々たるしなやかさがほしいと、同じ女性から見ても実に眩しい方だった。



夜はローマに住む友人二人と再会、旧交を温めた。

二人とも何年来の友人だろうか。最初はインドの山奥で出会った仕事仲間だったのだが、数年後にあるプロジェクトを遂行するに当たりお互いが必要な時期が続いた。ひとつの仕事を共にやり遂げるということはある固い絆(あるいは信頼といっていいかもしれない)を生み出すことを、この二人は教えてくれた。

それぞれ年齢を重ね、人生にも少しずつ変化が起きているのに友情は変わらない。これはとても嬉しいことだ。

roma1__20130505211643.jpg

束の間のローマ行き


4月下旬のローマ行きは4泊6日の出張でした。ほとんど毎日会議だったので、隙間時間の街歩きを楽しみにしての出発でした。



ローマに着いたのは午後3時すぎ。ホテルまで車で行くが、その車のハンドルのかわいいこと。ドライバーは女性だ。右写真は毎日みることになるホテルからの眺め。この道がまたわかりにくく、最寄りのメトロから戻るのに3回ほど間違えてようやく覚えたところ。おそらく道を覚えにくいのは、道沿いの家の色彩がどれも妙に似ているからではないだろうか。
roma2_.jpg roma3_.jpg

ローマの日は長い。午後8時でもまだ明るいと聞き、街をしばらく歩いてみる。
メトロに向かい10分ほど歩くと通りの向こうに現れたのはFAO本部。目の前にあるメトロの駅名もチルコ・マッシモ。となれば左向こうに見えるはチルコ・マッシモ?それともフォロ・ロマーノか?
roma4_.jpg roma5_.jpg

なぜかローマの起点のような気がして、またポポロ広場に来てしまう。双子の教会は修復中の様子。
roma7_.jpg roma6_.jpg

スペイン広場やトレビの泉を通り過ぎて街を歩く歩くひたすら歩く
roma9_.jpg

ホテルは メトロ駅のCirco Massimo と Pyramide の間にある。この写真はPyramide 駅に向かう途中の通り。街のどころどころで現代と古代が同居しているかのよう。
roma10_.jpg roma11_.jpg

新人の季節

雨の日曜朝。朝からなかなかの本降りだった。それでもずっと行けなかった買い物もあり街に出た。

今日は多くのお店で若い店員さんが目についた。新入社員なのだろうか、あるいは新しい配属先に来たのだろうか。いずれにせよどの店員さんにとっても4月から働き始めた新職場のようだ。言葉づかいもたどたどしく初々しい。まだ不安もあるのだろう。我が職場にも新入社員がいるからよくわかる。まして接客相手だと、あまりつっかえつっかえ話すこともできないと構えているかもしれない。この前まで学生だったとしたら、日曜日も働いているわけだし、大変な生活の変化だろう。もしかしたら、失敗してはいけないと思っているかもしれない。失敗してもいいんだよ、萎縮しなくていいんだよ、といってあげたい。大切なことは失敗した身にしみた経験を通して覚えていくのだから。そうしてみな新しい一歩を踏み出し、鍛えられていくのだから。

考えてみれば、私自身が最初に入った某職場では研修などなかった。新卒一括採用の職場ではなかったからだろう。その後の職場でも社会マナーなどの研修はなかった。外部の研修に行かせてはくれる。ただし専門知識の習得などに限られていた。もし今の自分を社会人と呼べるとしたら、一体これまでどこでどうやって社会人として染まってきたのか(染まってこれたのか、染まらずにきてしまったのか?)、不思議でもある。おそらくいろいろな人を観て感じたのか、あるいは見よう見まねでフリを覚えてここまで来たのか、急に不可思議な思いにとらわれた。

本質的なことは、見た目とか表面的でないところにあるのだろう。自分の役割と果たすこと、仕事をしっかりこなすこと。

正直、私は若い世代に希望を見出している。今のシニアの世代にはなし得ないことができるのも、日本の閉塞感を破るのも、リーダーシップを発揮し、リスクをとり、自由な発想や冒険、チャレンジができる若い世代だと信じている。その日が来るまで私も私なりにがんばろう。

カーラ・ヒルズのメッセージ 「私の履歴書」より


先月の日経新聞「私の履歴書」は、米国の元通商代表カーラ・ヒルズ氏による連載でした。彼女の名前と共に「スーパー301条」が新聞一面に出ていた頃を覚えています。とかくタフ・ネゴシエーターの印象が強かったヒルズ氏は、弁護士出身だったということを知りました。

この連載は読み応えのあるものでしたが、そのうち3月30日の連載(30)は最終回前ということもあり、働く女性としてのメッセージがしんみりと伝わってきました。以下引用します。

==(以下引用)==

振り返ってみると、私はとても幸運だった。弁護士という仕事に就きたいと思い、その願い通りになった。後に政府の公職を引き受けることになり、それらもとても面白く感じることができた。私は自分が女性だから、共に働く男性陣とは違う、あるいは違うと判断されるべきだと思ったことはない。むしろ、「良い女性弁護士」になろうとはせず、「最良の弁護士」であろうとした。

働く女性に対して私がアドバイスできるとしたら、「自分が好きだと思える仕事に就きなさい」ということに尽きる。好きでもない仕事に就いても熱意は出ない。そこから生まれる結果も知れている。次のステップは、「その好きな仕事において、ベストであろうと心がけなさい」ということだ。別の言い方をすれば、5年をメドに仕事に取り組み、それで様子を見てみることと。もし、喜びを見いだせていないのならば、自分に向いていないということだ。若い時分はいくつかのことにトライしてみるのもいいだろう。それらを通じて、「自分に最も合っているもの」を選ぶことができる。そうすれば、それはもう、自分にとって「仕事」ではなくなる。その瞬間、それは「喜び」に変わっているのだから。

夫・ロデリックは本当にできた伴侶だと感謝している。しかし、彼は今もどの戸棚にコーヒーカップがあるのか知らないまま、日常生活を営んでいる。彼の母親は専業主婦であり、何から何まで彼の面倒を見ていた。しかし、私の子供たちの世代は全く違う。息子や娘婿たちは夫よりはるかに家事をこなす。それが世代間の差異なのだろう。私の母も懸命に父に尽くし、彼を支えた。幼心にも私も「妻とはそういうものなのだ」と感じていた。私のような世代の女性にとっては、夫がゴミ袋を家の外のゴミ捨て場に持って行ってくれるだけで、とてもありがたく感じてしまうものなのである。

思えばまだ弁護士、そして主婦として働いていた頃、私は毎朝7時半には家を出ていた。それまでに4人の子供たちに食事を作り、学校に送りだした。子供たちの通う学校が違ってきた時には、夫も彼らを車で学校まで送ってくれた。素晴らしい家政婦さんに恵まれてはいたものの、とにかく1日中、走り回っているような気分だった。それでも、そんな生活を楽しんでいる私がいた。
==(引用ここまで)==(青字は共感した箇所)

女性であることを意識せず仕事をしてきたヒルズ氏でも、家庭では主婦の役割を担ってきたこと(家事を代行してくれる家政婦さんがいたとはいえ、指示や監督はやはり一家の主婦である彼女の仕事になる)、米国でも男女の役割にここまで顕著な世代間の相違があったことは、今の日本にとっても何とも示唆的だと思いました。彼女のように優秀な弁護士でかつ政府の要職につきながらも、家庭や社会で個人に求められるものは普通の市民と同じだったのです。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

カレンダー
03 | 2013/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
最新記事
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

Twitter
FC2ブログランキング
カチッ♪クリックしていただけると  はげみになります ↓

FC2Blog Ranking

天気予報

-天気予報コム- -FC2-
月別アーカイブ
リンク
カテゴリ
RSSリンクの表示
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター