熊本からの手紙


むかし熊本や阿蘇でお世話になったG夫妻。最後にお会いしたのが2012年。熊本のステーキ店で、長年の空白を埋めるかのように再会と会話に花を咲かせたひとときだった。

一度引っ越したと仄聞したのでもう熊本に住んでいないかもと思いつつ、もし今回の地震で熊本にいたら、避難して水のない生活をしていたらと、いろいろな考えがよぎった。やはり気になりしかし混乱のなか迷惑になるかもしれないと逡巡しつつ、えいと月曜夜に電話をかけてみた。すると留守電。流れる応答メッセージをききながら、妙に心配になりあてもなくメールしてみた。

翌朝、メールが来ていた。驚いたが嬉しかった。
まずは無事とのお知らせ、市内の家は何とか無事だったが水道・電気はかろうじて足りてている一方、ガス復旧まで2日かかった、阿蘇の家は修復不能といわれたこと。ほかにも、子どもたちが今週帰熊して手を貸してくれるなど家族の近況が綴られている長い長い「手紙」だった。その手紙を私も何度も読み返した。

熊本は、京都・金沢と並び私が日本でもっとも頻繁に訪れた街。
G夫妻とのご縁がなかったら行くこともなかったかもしれない南阿蘇の村、温泉やローカル路線の駅、何より阿蘇外輪山・内輪山の雄大さは今でも心に焼き付いている。また、中学生の女の子たちが話す熊本弁の語尾、「〇〇けん(〇〇だよね、〇〇だからね)」が何ともかわいい響きだった。

そのG夫妻のはからいで参加した熊本大学の学生向けの米国横断旅行プログラムに参加したのが1988年。その道中で知り会った日本人女性(当時A、米国のメディカルスクールに通う学生だった)とは今でも親交が続いており、今回のマニラ行きも応援・祝福してくれた(お世話になった方(1))。このように、熊本大学プログラムへの参加が原点だったと思えたことがこれまで何度あったかしれない。

恩返しをするときが来ている。

熊本


熊本を初めて訪れたのは高校生の時だった。当時、単身赴任していた父を訪ねて大分に行き足を延ばして熊本は阿蘇の村を訪れた。そこには両親の友人のG夫妻が住んでいた。お仕事や子供の学校の関係で平日は熊本市内の家で過ごし、週末は阿蘇の麓の村で過ごすという羨ましいような生活スタイルを実践されていた。熊本で教鞭をとっていたアメリカ人のご主人がモンタナを思い出す、という理由で阿蘇の麓に家を買ったと話していた。

あろうことか、そこにお邪魔している間に私は中耳炎になり併発して高熱を出した。とにかくフラフラで歩けないのだ。出された薬もアメリカの薬だったのだろう、ショッキングピンク色の液体ゼリー状の薬をすぐさま視覚が拒否したことを覚えている。そこですがるように村の診療所に行った。ひとめ見て、この先生ならと思えるような村のお医者さんだったが、その時はぼうっとしていてお名前も覚えていない。診療所でいただいた薬をのみ寝て過ごした最初の阿蘇滞在だった。

その思い出を払拭すべく熊本を再訪したのはもう5年くらい後だっただろうか。当時、中学生だったお子さんたちも家を離れ米国の高校生に通っていた。その時、奥様のHさんに言われたこと
「あの時の恩返しを私たちにしようだなんて思わなくていいのよ。これから生きていくうえで違う形で誰かに返していけば十分なのだから」
なるほど、そういう考え方もあるのかとハッとしたものだ。G夫妻の会話はいつも新鮮で、熊本での子育て、特に「ハーフ」の子供の苦労、お隣の韓国についてなどもお聞きするなど、インターネットもない時代の子どもにとっては外国への窓そのものだった。

大学生2年の春休み、G夫妻の計らいで熊本大学の学生に混じって2か月の米国横断旅行をした。初めて米国の普通の人々のくらし、また民族や考え方の多様性に触れるなど、見聞きするものすべてが刺激的で新鮮だった。その後も何度かG夫妻にお会いしたが最後にお会いしたのは2012年6月。その後はご無沙汰していた。確か熊本を離れアメリカに戻ったようにも仄聞した。いま、阿蘇のお宅はどうなっているだろうか。阿蘇の村での懐かしい記憶を思い出とともに、何とも心が痛む。



これだけの大きな地震の被害を受け、熊本の方々の疲労と不安は察して余りあります。何かできることはないかと思いながら、その時が来るまで準備し力を蓄えて待ちたいと思います。

旅行先の日本


先週末に満開を迎えた桜の季節の便りが今も日本から届く。それで思い出したのが日本を旅行先に選ぶフィリピン在住の人々の話。

昨今、旅行好きのフィリピン人にとって日本は人気の旅行先のようだ。聞けばその理由はだいたい次に集約される。

- 最近、ビザが取りやすく日本入国が簡単になったこと (なるほど)
- 近いこと (これはわかる)
- 桜の季節 (咲き乱れる桜並木の光景は何とも魅力らしい)
- 食べ物がおいしいこと (そりゃそうだろう)
- 買い物が楽しいこと (フィリピン人が何をお目当てにしているかは取材不足。シャンプー買いだめした話は一度聞いたが)
- ヨーロッパはいま危ないし遠いから (日本でさえ入国のハードルが高かったのだから欧州ならなおさらだろう。しかもフィリピンから欧州では日本から行くより遠いのは想像に難くない)

ここまでは納得していたのだが、それは行き先に話が及ぶと、名古屋とか新潟、大阪というから面白い。
「まあ何を見たいか何が好きかによるけれどね。それにしても東京とか京都は行かないの?何回も行っているなら北海道とかもいいんじゃない?」と私。
「名古屋行きのフライトが安かったのよ~」と現実的な答えが帰ってきたかと思えば
「妹に任せたのよ、旅程もすべて。だからついて行くだけだった」
「どこでもいいかなと思って、ツアーですいているところにした」
旅行好きという割には意外と受け身である。

これまた別の外国人同僚に聞かれた。
「日本でスキーするならどこがいいかな?」
「え、わざわざ日本に来てまでスキー?」
欧州出身の彼ならフランスでもドイツでも、そこまで行かずとも地元にスキー三昧できる場所はいくらでもあるのではとあれこれ想像していると、
「妻がスキーをしてみたいというんだよ。でもマニラから近くでスキーができるのは日本かなと思って」
なるほど。その奥さんは確かに雪とは無縁の国からきた方(ちなみにバリバリのプロフェッショナル)である。そして私はスキーといえばはるか昔の学生時代に初めて行きボーゲンで滑るだけだったという極めつけの初心者レベル。そんな私に聞くのもどうなのと思いながら、とりあえず長野か北海道がいいのでは、と話しておく。どっちも冬季オリンピックを開催した場所だからし、ともっともらしくつけ加えておいた。スキーと温泉が楽しめればもっといい、でもこの夫婦は温泉は不要かなとも思いながら。

しかし、である。日本へ旅行する目的がこうも多様化しているとはプチ発見であった。行き先は京都、奈良、東京は浅草・秋葉原、歴史や文化と電化製品を求めて、という時代ではなくなったのだろうか。

忘れ得ぬ人々(2)


一方ならぬ恩を感じる友人として思い浮かぶのはKさん。10年ほど前に森林つながりで職場で知り会った。在籍期間が重なったのは半年弱だったが、米国の大学院で環境専攻、英語で仕事をする感覚、理系の研究者出身(注:私は過去形)などの共通点があったためか波長が合ったのだろう。その後も何かともがきながら仕事をしてきたので、人生という海に放り出され必死に小舟をこいできた感覚や思いは重なるもの。悲喜こもごもを分かち合い、共鳴して盛り上がる時が度々あった。会えば話が弾み、互いの環境や状況、その時々の思いや目標を語りあいながらいつも時間が足りなかった。

その彼女だが英国やフランスで研究生活を送っていた時期が続いた。一度などフランスに遊びに行き一緒にノルマンディをドライブしたり、ボルドーの市場やパン屋に立ち寄ったり、教会や城めぐりをしたのも何とも懐かしい思い出だ。また、昨年12月のパリのテロ事件のニュースを聞いた時、まさか今頃フランスにいないでしょうね、と虫の知らせか数日後にメールした。すると、彼女の乗った飛行機がパリを離陸した2時間後にテロ事件が発生したことを日本に帰国して知った、とのことだった。

どちらからともなく連絡しては、2年に一度くらいの頻度で会っていたように思う。それでも互いに離れた場所に住んでいたので、何よりそれぞれ仕事をしていたので簡単に会えるわけでもない。会えずとも、仕事上の困りごとや悩みがあるとふとKさんならどうするかなと考えを聞いてみたくなり、その度に忙しいだろう中、真摯にメールや電話で相談に乗ってくれた。時には、意外な角度やそういう見方もあるのかと目から鱗の視点を示されたが、つくづく誠実な人柄と友情の有難みを感じたものである。

年が明けて、彼女が出張で渡欧する前に羽田で久々の再会ディナー。それはまた話が弾んだものだ。これまで仕事や応募でどっと落ち込み脱力しているときに彼女の言葉に救われたことが何度かあった。そのお礼を改めて伝えると、ナント、そういう言葉を発したことを全く覚えていないというのだ。言葉の重みを感じるとともに、機転や行動・フットワークの軽さ、言葉の素晴らしさを知った。仕事でもプライベートでも会話を楽しめる数少ない同世代の友人であるKさん。彼女との出会いも思えば奇遇だったが、これからもどこかでプライベートや仕事での交差点があればと楽しみにしている。

釜めし


いまだホテル住まいの身。目下の悩みが毎日の食事。特に夕食など普通に料理ができないどころか、野菜不足と口に合うもの不足に陥っています。野菜はいいんです、何とかランチでカバーすることもできるもの。しかし土日や夕食を毎日毎回外食する気にもなれず(外出しようにもマニラは夏、暑いんです)、もはや悩みを過ぎて、まぁいいか~的なやり過ごし(あきらめ?)モードになっています。

野菜やビタミンが足りないだけでなく、普通の食事や粗食が食べれない環境。ここで「普通」とは何かという問いになります。要は食べ慣れてきたサッと簡単に用意できるものと言いたいのですが、理屈はともかくとして早く生活基盤を落ち着かせたいところです。ところで私は女性にしてはしっかりがっつり食べるタイプで、どんなに忙しくても食事と栄養はきちんと摂るよう心掛けてきました。それが今や。。

そんな時、スーパーで、隠れたようにしかも売れ残り同然で売っていたものが目を引きました。どこに行ってもマクドナルドとかインスタント食品はまず食べない私でしたが、この「釜めし」の字に惹かれ即買い。3週間ほどおいていました。今日恐る恐る開けてみると、「線まで水を入れレンジで6分、蒸らし2分」と指示通りにしたら
takimeshi.jpg takimeshi2.jpg

いや、おいしいのなんの。これこれ、こういう味に飢えていたのでした。
そこで今日お店に向かい、同じもしくは似た商品を探したのですが、売れ残りだっただけありもはやどこにも見当たりません。
いや、この満足感で1週間はがんばれそうです。

おつり


日本からマニラあてに郵便局よりEMSで荷物を発送していました。
その荷物が到着したらしく、書類へのサインと手続きの経費105ペソを求められたのが2日前。夕方、無事に荷物が職場に到着。みかん箱ほどの段ボールだったのですが、その上に何やらいぶし銀の物体が?

ESM_.png

箱に無造作に貼り付けられているのは 5ペソ硬貨
おそらく110ペソ払ったのでしょう。「おつりはあとで」とはこのことだったのかと。こういうゆるさは楽しめます。

プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

カレンダー
03 | 2016/04 | 05
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

Twitter
FC2ブログランキング
カチッ♪クリックしていただけると  はげみになります ↓

FC2Blog Ranking

天気予報

-天気予報コム- -FC2-
月別アーカイブ
リンク
カテゴリ
RSSリンクの表示
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター