科学への投資

 
 今年もノーベル賞の話題で日本が湧きそうだ。純粋に喜ばしいことだと思う。
以前こちらで紹介した、下村さんの文章はまっすぐでいい。同時に、随所に多くの科学に対する思いとメッセージが散りばめられている。ちょっと長いが、再び引用しよう。

(ここから引用)

思わぬ偶然を引き寄せることができたのは、少しの失敗は気にせず、あきらめずに努力したためである。試練には何度となく直面したが、私は逃げることは考えなかった。逃げることができなかったといってもよい。

研究者として、私は実験がうまいとも言われる。(略)実際のところは、私は不器用で、実験は上手ではない。よく失敗する。ただ、簡単にはあきらめない。うまくいかなかったら考え直して、別なやり方を試みてみる。だめだったらもう一度。それを何度も繰り返す。それだけだ。

科学研究に関していえば、私がやってきたのはずっと基礎研究である。生物発光の研究を、何かの役に立つとか考えたことはほとんどない。そうした基礎研究の蓄積があって、緑色蛍光たんぱくGFPのような、後に社会に役に立つものが生まれた。まったく予想を超えたことであった。あらかじめ、予定された成功などはないのだ。

日本の若い人たちに重ねていいたい。がんばれ、がんばれ。物事を簡単にあきらめてはだめだ。

(引用ここまで)

 うまくいかなくてもあきらめず、別のやり方を試してみる―これこそ科学のいい点であり、今の日本社会に欠けている視点だと思う。実際、日本の若い人たちでも、簡単にあきらめない人はまだ多い。研究者なんて、あきらめない精神の塊だ。それでも、そういったひとたちのやる気を失わせるような科学行政や社会の動きが何とも歯がゆい。私に言わせれば、科学は社会の投資である。これまでもこれからも科学技術立国として進むしかない日本にとって、国の将来への投資である。そして、もうこれ以上発展しなくていいというものでは決してない。
 
 たとえば、年間500万円のグラントがあったとしよう。使い道を細かく既定したうえでに細かい予算書やその根拠書類だの証憑やらの提出を求めるのではなく、「あなたの研究計画と研究の将来性にかけて、500万を投資します。どうぞご自由に、研究活動にお使いください。」と一言いってくれればいい。それがグラントのあるべき姿だと思う。ちなみに500万というのは、本を読んで論文を書けばいい分野ならいざ知らず、普通の自然科学やフィールドワークをする学際研究の研究費としてはそれほど大きい額ではない。問題は、小規模であろうと高額であろうと、研究をする立場からすれば申請準備でも報告でもかかる事務労力はそれほどかわりないこと。換言すれば、秘書や事務スタッフが複数いるような大きなチームでなければ、研究者にかなりの負担と労力がかかる。となれば、こうした作業に、大学研究機関の研究者が少なからず時間とエネルギーを費やさざるを得ない。それでいい研究成果を求めるのでは、あまりに筋が違う。

 ならばそういう仕事は事務担当にやらせればいいじゃないか、という声もあるだろう。まず、そんなスタッフが潤沢に雇える研究チームはごく一握りだ。さらに、その分をもっと別に研究に直結する仕事につなげたいと思う心情は、研究者ならば至極当然だ。できればポスドクを雇って戦力の強化をはかりたい場合もあろう。ポスドクなら、なおさら研究に専念したいし、周りもさせたい。それを含めてバックアップするのが研究支援の仕事であり、実務レベルでは大学や研究所の事務職員の仕事となるが、国はその責任の一翼を担っている。

 一方で、お金をもらう以上、税金を投入する以上、このくらいのチェックは当然という声がすぐに聞こえてきそうだ。一見、まっとうな正論に聞こえる。しかし、それに対してわたしはこう思う。
(1)お金の使われ方(予算計画)に異常なほど細かい注意が払われる制度は見直すべき
   成果が出ようが出まいがお金が適正に使われていればいい、というのであれば、研究費関係
   の報告は役人の説明責任のためだけに、しているようなもの。首をかしげざるを得ない
   ような「対応のお願い」も散見される。日本の好きな海外視察でもして、いっそ米国や英国の
   研究所や大学の研究費配分の仕方をしっかりと学んでくるといい。
  
(2)年度内消化でなく次年度への繰越を認める
   こんなこと、書くのもバカバカしいのだが、大まじめに主張する人がいるから念のため

(3)成果だけを求めるのではなく、研究の目指す方向性、将来性にかける姿勢がほしい
   これは投資の考え方につながる。3年で小さい成果は出るかもしれないが、成果が出なくても
   不思議ではない。なにが起こるかわからないけれど、知りたいからやってみる―科学とは
   そういうもの。昔、物理学者の小柴さんは、研究費支援を求めにある会社に出向き説明した
   ところ、「その研究が何の役にたつのですか?」と聞かれた。曰く、
   「今は正直、何の役にも立ちません。しかしこの研究の価値は100年後にはわかるでしょう。」
   それで出資を決めた企業の気概を国も見習うべき。

(4)国民への説明責任をかくれみのにしない
   税金というのであれば、数多ある国際会議や国際機関への拠出金など、いくらでも使途が
   うやむやになっている莫大なお金に対しては、どう説明できるのか。この手の支出額は、
   研究費に比べれば比較にならないほど高額だ。



 はやぶさの帰還で感銘を受けた人は大きい。しかし帰還するまでどれだけの人が、はやぶさの存在を知っていただろうか。将来性や意義を理解していただろうか。あるいはほかの分野でも、たとえば新薬の開発でも、10年に一度出ればヒットといわれている。何でもそうなのだ。科学への投資は息の長いものであるべきで、計画通りに行かないのが未知の自然現象に挑戦するサイエンスの根幹、というしっかりした認識を、まずは科学行政に、そして社会に求めたい。意外と社会の方が、スッと理解してくれるかもしれない。
 繰り返すが、役立つかどうか分からないのが科学なのだ。リスクを承知で、むしろそのリスクを背負って大学院を終えても、研究のためなら休日も返上して残業手当とかとは無縁で(そもそも研究者にはそういう感覚自体がもともとないのだが)仕事をしている若い研究者に、もっともっと温かい手が差し伸べられてしかるべきだと思う。ノーベル賞受賞者が出たときだけ喜ぶのではなく、地道に普段から支援の手を差し伸べる努力を、政府が進んで数十年いや永続的に続けるべきだ。

 夏ごろだったが、研究費配分の一元化(省庁ごとでなく)の報道があった。それもいいが、研究費そのものについて、以下の点を提案したい。
(1)そもそも科学研究費は、科学技術立国日本の将来への投資であると明記し、事業仕分けの対象外とする。
(2)若い研究者、女性研究者へ配分する研究費に重点をおく。
(3)ユニークなアイディアの萌芽研究を助成する特別枠を設ける。この場合、これまでグラントをそれほどとっていない若い研究者や独立前の研究員のみを対象とする。大規模な研究室に所属していない要件が加わってもいい。
(4)役所主導の細かい予算チェックを軽減する(省略する、とホントはいいたいところ)。その代わり、選考時の審査は透明性を高め、厳しくする。

 と思うままに書いてみた週末。

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Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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