理系に光を


最近、twitter で、「理系と文系の給与体系が違う。なぜ文系が無条件に高いのだ」という話題が展開していた。そして米国と日本の大学教育に話が及び、今日、こういうつぶやきがあった(以下でいう「大学教育」とはまさに日本のことである)。

(さらに言わせて頂くと、)理科系は文系に比べて大学教育がまだ正常に機能している。
日本の文科系の高等教育 は本当に酷い。批判を浴びるのを承知で率直に申し上げると
同じ大卒としてスキルを評価するのは失礼。


twitterの引用の仕方がよくわからないのだが、これを書いた方は、米国の大学で教鞭をとるいわゆる「文系」の先生だ。

かくいう私は文系のことはあまり知らないのだが、理系の大学教育が機能しているというくだりには、ただただ頷くしかない。理系の学生は、本当によく勉強している。これは確かだ。ときどき、日本の大学生は勉強しない、ラクして単位を取る、ノートを借りて済ませるとかいう話があるが、学生時代の私の周囲は皆、これを聞いてもピンと来ないというか、どこか別の世界のことだろう、と思って終わっていたはずだ。そういうことがまず通用しない世界だったし、学部のころから、授業や実習で夜が遅いのも普通だった。物理でも化学でも生物でも、結局は自分でデータを取らないと書けないレポートばかりだから、それが当たり前だと思っていた。これは今も昔も同じで、数年前に母校を訪れたとき、やはり学生がどこかしこでも勉強する姿が印象に残っており、こういう光景は変わらないものだと感心した記憶がある。その調子で大学院に進めば、よくも悪くもラボで一日過ごすようになる。企業の研究職に就職した先輩が、遊びに来た時、「学生時代とほとんど同じ仕事と生活をして、お給料がもらえる事実に感動した」と話していたことを思い出す。

⇒ 理系の学生はよく勉強する。

理系と文系で給与体系が違うという。いうまでもないが、文系の方が給与は高く(初任給が高いのか上昇率がいいのかは?)、理系だからいいということはまずない(大学院卒だから学部卒よりいいということはあるが、それとて大した差ではないし、それは別の話。)。だから、一般にとはいえ、理系と文系で給与体系が違うというのは、どこか腑に落ちない一方で、上の先輩のように思う人が理系のひとには案外多かったのかもしれない。私が学生のころはバブル最盛期で、理系の各学部や学科から、銀行や証券会社に1割くらいが就職していた時代だった。当時は、理系の人の金融機関への就職がまだ珍しく、頑張って冒険してもシンクタンク、という感じだった(と言いながら、学部時代は就職活動をしていないのでよくわからないのだが)。思えば、この1割の人は、文系の給与のよさをいち早く知った人たちかもしれなかった。理系の学生は、ウブで世間知らずが多いのもまた、悲しいかなある程度共通した傾向だったのだ。

⇒ 理系の学生は、ひとがよく世間知らずが多い。

大学時代の私の先生なぞは、
「どうして日本の社会では、人さまのお金を預かっておきながらそれを横に流したり(おそらく、貸し借りする銀行のことかと)人の命の値段の説明(おそらく、保険業界のことかと)に使う仕事がはるかに高給をもらい、ものづくりに貢献する人が冷や飯を食わされるんだ?明治のあしき慣行をまだひきずっているとしか思えん!
としばしば、吠えていたものだ。ちなみにこの先生は、日本の企業に勤めてから、米国の大学で長く研究生活を過ごしたということで、この疑問はもっともである。
「こうして構造の解明とか言って物理の研究をするより、トラックの運転手をしている方がどれだけ高い給料をもらっているかしれない」と、授業中にしつこく言っていた先生もいた。

⇒ やっぱりどうも理系は給与が低いらしい。

先日、ちょうどある役所の人たちをみていて不思議なことがあった。例えばそのチームに5人くらいの人たちがいて、私は「ワタナベさんが・・・」と話すと、なぜか必ず「ワタナベ室長のことですね」とタイトル付きで返ってくる。「コバヤシさんが」といえば、「コバヤシ課長はですね」と役所のひと。一事が万事、その調子である。コバヤシさんとワタナベさんでは、どう見ても年齢は数年の違いにはみえない(かなり年の差あり)が、若い人(ここでいえばワタナベさん)のポストが上だという。ポストが上ならそれなりの役割があるだろうに、これまたどうみても、(失礼ながら)どうでもいいような小さな雑務に走り回っているのも、そのワタナベさんだった。さらに、そのタイトルがまた、5人いれば5人とも違うし、○○企画室長だの△△関係調整課長だの、長かったり多様なこと。その時のふとした疑問を、後日、そっと同じ役所の別の知人にぶつけてみた。
「年功序列社会と思ったら、公務員でも若い人が評価されてポストが上になることがあるんですね」
彼に状況を話すと、
「えっ、知らないんですか?」
その説明によれば、要は、役所に入る時に理系か文系かで、その後の職業人生というかあゆみが大きく違ってくるそうだ。
「それっておかしくないですか?」
「いや、そうなんですが。みんな、そんなものだとわかって入っているもので」

つまり、理系だと、
企業に入れば、待遇で自動的に差をつけられ、
企業の研究所で発明して特許を申請たり利益の折半を申し出ようものなら、「研究を金儲けのためにしているのか」と目くじらを立てられる。
役所に入れば入ったで、文系出身の行政職のひとに技術職は後れをとる。
さらに大学院にいって研究者でも目指そうものなら、今のポスドク問題に突き当たる。

⇒ 好きとはいえ、勉強した努力があまり報われないこともあるのが理系

まして、事業仕分けにあった理系の人たちは、政治家や文系の人による評価に何を思い、どう感じたであろうか。それでも、それほど大きな声を上げない。研究の議論ならいくらでもするのに、政治的な議論に加わる文化は少ないし、政治家や行政官との対応がおそらく得意ではない。専門以外のことには関わりたくない、という思いもあろう。大学の先生だから話すのは本職だろうに、こういうところは妙なカルチャーが存在するのだ。

何もここで私は文系の人が勉強をしていないとか、仕事の評価が甘い、というつもりはない。ただ、「理系」「文系」というくくりだけで、スタートラインから差をつけるのは、いい加減やめようではないか、といいたいのだ。評価って、もっと別の方法があるだろうし、健全な評価こそが、いい仕事や成果、労働環境を生み出すのだと思う。

⇒ 理系離れはある意味、当然の流れである。これを食い止めるには、理系文系を超えた、適正で健全な評価システムの導入が必要。

割に合わないのが理系、夢を追い続けるのも理系 ― ふと、先輩の言葉を思い出した。
つまるところ、個人の生き方の問題なんだろうけれど。

勤勉ながらもリスクをとってきた理系の人たちにもっと光の当たる社会であってほしいと思う。
はやぶさやノーベル賞の時期だけ騒ぐのではなく、地道ながら恒常的な支えがあっての科学技術の発展であり日本の将来なのだから。

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プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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