大学図書館
振り返るに、今まである意味、大学や図書館に囲まれた生活をしてきた。
・ 大学、大学院まではいいとして
・ その後働いていた研究所や大学院大学もいいとして
・ 米国の大学院―それはもう、無尽蔵の蔵書とすばらしい図書サービスの数々。全米の大学
ネットワークやe-library, アマゾンの普及も手伝って、本には不自由することはなかった。
・ 帰国後約2年間―図書館に囲まれる生活という点では真空地帯にいたかもしれないが、
なぜかそれほど不満はなかった。やはりアマゾンの力かもしれない。
・ そしてまたここ数年、大学や研究所で、近くに大学もあり、本には不自由しないはず
だった・・・。
先日、とある大学図書館まではるばる出かけた。というのも、分野外の専門書を急遽読まなくてはならない状態になったからだ。調べてみると、○○大学の図書館にあるとわかった。ただ、大学は春休み中(なんてことはすっかり忘れていたが
)で、平日でも閉館になる日もあるらしい。また開館時間もいろいろ変更があるそうだ。もちろん所蔵の有無をはじめ下調べと準備はバッチリ。あとはそこに出向いて本を借りるのみ。慣れない敷地内でようやく建物を探し当て、地下2階まで下がり、奥の書庫に行き迷路のような中を突き進み、やっと見つけた1冊。手を伸ばし開いてみると、貸し出し欄は空欄。2006年出版だが学内どころか借りた形跡は一切ない。
ずんっ
(随分と重い本だこと・・・) → 階段を上がり
→ 貸し出し手続きへ
図書館への紹介状をみながら、「少々お待ち下さい」とカウンターのスタッフ。さんざん待たされた挙句に言われたのは
「すみませんが、この本は本学の学生でないと貸し出しできないことになっているんです」
目がテン
とはこのことである。それなら電話で問い合わせ確認した時に、なぜそう教えてくれなかったのだろうか??
そもそも、貴重な昼休みを使ってそこまで行き、本を求めて荷物を片手に地下2階まで下りてゆき、重い本をもって階段で地上階受付まで来た挙句に、にこやかに断られた時の脱力感ときたら・・・。
何も辞書とか古文書でもあるまいし、この2年間、学生も教職員もだれ一人借りていない。この、いかにも需要のない本を求めて来た学外の人に貸せない本、そして図書館サービスとは一体何であろう。そう思ってみればみるほど、あまりにフツウの本・・・(ちょっと重いけど
)。
どんなに e-libraryが発展し電子ジャーナルが普及しても、どうしても図書館の手を借りなくてはナラナイ時が、やはり出てくる。絶版の本、分野外の本、今日中に必要になった時、今回の私のようにあまり興味ないけれど急遽読まざるを得ない状況・・・。そしてそういう時は往々にして不意にやってくる。
基本的に個人で本を買ってしまう人は少なくない。なぜか―ひとえに「待ってられない」からだ。
では何を待てないのか。それがいろいろあると思う。名づけて、ユーザーが待てないことリストを
挙げてみます。
・ 待望の本が届くのも
・ 設備が整うのも
・ 行き届いたサービスが大学や連携している複数の大学間に浸透するのも
・ 図書館サービスの主体である人材が育つのも
・ ニーズに素早く応える仕組みを作るにも
・ そのための予算がつくのも
・ 予算をつけようと学長や行政が動き始めるのも
この「いろいろ」は、そのまま図書館サービスの質に直結しているということを、図書館業務に携わる人、もっと言えば図書館行政の関係者は認識しているのだろうか。
言い過ぎを承知で書けば、私の見る限り、大学図書館で働く人はニーズに反比例したようにどうも仕事中、のんび~りしている方が多いように見受けられる。まだ公共図書館の方がキビキビしている気さえする。想像するに、大学の先生や研究者は結局自分で書籍を買ってしまうことが多く、よほどのことでないと図書館は利用しない。対して公共図書館は、利用者もニーズも様々で、地方自治体もサービスの質向上に努めようと躍起になっているところもあるくらいだ。もうこの際、各図書館に一人でもいい、図書や文献を手元に置いておく重要性を知っている人、配置するべしと思う。大学図書館のクライアントは学生だけではない。時間との戦いで図書館まで足を運んでいる人もいることを理解してほしい。
大学図書館サービスとは一体何であろう。
以前、よその大学に文献コピーを依頼した時、見開きB4サイズに近い文献が、A3用紙にコピーされて届いたことがあった。思いっきり非対称だし、黒い面積の多いこと。紙の無駄に思えるが何より読みにくい。コピーし直さなくてはならないが、やはり紙と時間の無駄だ。せめて次回はと思い、
「拡大でも縮小でもいいのでA4か用紙のサイズに合わせるなり、両面コピーにしてもらえませんか?」
と尋ねてみたところ、即座に返ってきた答えは
「他大学に複写依頼を出すのにそこまでリクエストはできないんです。コピーの取り方は先方にお任せするしかないんです」
本当だろうか?経費を払っているのに依頼すらできないのもおかしな話である。せめて試しに頼んでみてもいいのでは?さもなくば、もう次からコピーはいらないからスキャンかPDFにして送ってもらいたいものだ。
美術館、博物館、大学図書館等をみれば、その国の知的ニーズがわかる、という。確かにアカデミズムや知的ニーズと相関関係が高い。図書館だけが理由ではないが、50年後、いや20年後、このままでは日本発の学問の、世界への貢献度も怪しくなっているかもしれない。日本発の学問が取り残されていくのは忍びないけれど、とにかく私は待ってられない!ということで、ごくたまに図書館を利用してこんな目に遭うまでもなく、結局自分で本を買い続けることになる。
・ 大学、大学院まではいいとして
・ その後働いていた研究所や大学院大学もいいとして
・ 米国の大学院―それはもう、無尽蔵の蔵書とすばらしい図書サービスの数々。全米の大学
ネットワークやe-library, アマゾンの普及も手伝って、本には不自由することはなかった。
・ 帰国後約2年間―図書館に囲まれる生活という点では真空地帯にいたかもしれないが、
なぜかそれほど不満はなかった。やはりアマゾンの力かもしれない。
・ そしてまたここ数年、大学や研究所で、近くに大学もあり、本には不自由しないはず
だった・・・。
先日、とある大学図書館まではるばる出かけた。というのも、分野外の専門書を急遽読まなくてはならない状態になったからだ。調べてみると、○○大学の図書館にあるとわかった。ただ、大学は春休み中(なんてことはすっかり忘れていたが

ずんっ


図書館への紹介状をみながら、「少々お待ち下さい」とカウンターのスタッフ。さんざん待たされた挙句に言われたのは
「すみませんが、この本は本学の学生でないと貸し出しできないことになっているんです」
目がテン

そもそも、貴重な昼休みを使ってそこまで行き、本を求めて荷物を片手に地下2階まで下りてゆき、重い本をもって階段で地上階受付まで来た挙句に、にこやかに断られた時の脱力感ときたら・・・。
何も辞書とか古文書でもあるまいし、この2年間、学生も教職員もだれ一人借りていない。この、いかにも需要のない本を求めて来た学外の人に貸せない本、そして図書館サービスとは一体何であろう。そう思ってみればみるほど、あまりにフツウの本・・・(ちょっと重いけど


どんなに e-libraryが発展し電子ジャーナルが普及しても、どうしても図書館の手を借りなくてはナラナイ時が、やはり出てくる。絶版の本、分野外の本、今日中に必要になった時、今回の私のようにあまり興味ないけれど急遽読まざるを得ない状況・・・。そしてそういう時は往々にして不意にやってくる。
基本的に個人で本を買ってしまう人は少なくない。なぜか―ひとえに「待ってられない」からだ。
では何を待てないのか。それがいろいろあると思う。名づけて、ユーザーが待てないことリストを
挙げてみます。
・ 待望の本が届くのも
・ 設備が整うのも
・ 行き届いたサービスが大学や連携している複数の大学間に浸透するのも
・ 図書館サービスの主体である人材が育つのも
・ ニーズに素早く応える仕組みを作るにも
・ そのための予算がつくのも
・ 予算をつけようと学長や行政が動き始めるのも
この「いろいろ」は、そのまま図書館サービスの質に直結しているということを、図書館業務に携わる人、もっと言えば図書館行政の関係者は認識しているのだろうか。
言い過ぎを承知で書けば、私の見る限り、大学図書館で働く人はニーズに反比例したようにどうも仕事中、のんび~りしている方が多いように見受けられる。まだ公共図書館の方がキビキビしている気さえする。想像するに、大学の先生や研究者は結局自分で書籍を買ってしまうことが多く、よほどのことでないと図書館は利用しない。対して公共図書館は、利用者もニーズも様々で、地方自治体もサービスの質向上に努めようと躍起になっているところもあるくらいだ。もうこの際、各図書館に一人でもいい、図書や文献を手元に置いておく重要性を知っている人、配置するべしと思う。大学図書館のクライアントは学生だけではない。時間との戦いで図書館まで足を運んでいる人もいることを理解してほしい。
大学図書館サービスとは一体何であろう。
以前、よその大学に文献コピーを依頼した時、見開きB4サイズに近い文献が、A3用紙にコピーされて届いたことがあった。思いっきり非対称だし、黒い面積の多いこと。紙の無駄に思えるが何より読みにくい。コピーし直さなくてはならないが、やはり紙と時間の無駄だ。せめて次回はと思い、
「拡大でも縮小でもいいのでA4か用紙のサイズに合わせるなり、両面コピーにしてもらえませんか?」
と尋ねてみたところ、即座に返ってきた答えは
「他大学に複写依頼を出すのにそこまでリクエストはできないんです。コピーの取り方は先方にお任せするしかないんです」
本当だろうか?経費を払っているのに依頼すらできないのもおかしな話である。せめて試しに頼んでみてもいいのでは?さもなくば、もう次からコピーはいらないからスキャンかPDFにして送ってもらいたいものだ。
美術館、博物館、大学図書館等をみれば、その国の知的ニーズがわかる、という。確かにアカデミズムや知的ニーズと相関関係が高い。図書館だけが理由ではないが、50年後、いや20年後、このままでは日本発の学問の、世界への貢献度も怪しくなっているかもしれない。日本発の学問が取り残されていくのは忍びないけれど、とにかく私は待ってられない!ということで、ごくたまに図書館を利用してこんな目に遭うまでもなく、結局自分で本を買い続けることになる。