おかえり


あの日から3週間が経った。
何とか自分を落ち着かせようと思いながらも、どこかいいようのない喪失感を感じていた。

あの震災は、あまりに突然やってきた。
金曜日の3時から予定されていたミーティングで、わたしはちょっとしたアナウンスをするはずだった。ミーティングまであと20分足らずか、と思った矢先のことだった。その時、都内のビルの11階にいたがその揺れようは尋常ではなく、生まれて初めて身の危険を感じた。ちょっとばかり高いビルにいると、外に出るのもタイヘンだ。それでも何とか階段を使って下りていく。

その日は戻れなかった自宅だが、家や街にはそれほど被害もなく家族はみな無事だった。
しかし私の職場には、日本に一時的に滞在している人も少なくない。
配偶者が日本人だったり、日本が気に入ってしまって住みついてしまった人もいる。
その「一時的な」滞在が、3ヶ月だったり3年だったり、あるいは5年、10年、20年以上のひともいる―家庭環境も含めて実にさまざまだ。さまざまだが、ひとつだけ一様に共通しているのは、日ごろから「日本が好きで仕方がない」を自称しているひとたちばかりだ。少なくともそのように振舞っている。

それがあの地震で、一気に散り散りになった友だちや同僚。
ある者は関西や九州へ、ある者は成田へ。
京都まで行った先に、それだけでは飽き足らず関空に向かう人もみられた。
バンコク行きのチケットが18万したとか、7000ドルしたとか、いろいろなうわさを聞いたが、それでも関空は出国ラッシュになったという。成田もそんなものだったろう。

それはある意味、簡単に予想されたことではあった。
地震の翌週から、1週間休みになった職場からは、その間の居場所と身の安全を確認するメールが部署のメンバー全員に届いた。頭の中で、だれがどこにいるか、東京にいるかどうかくらいは容易に想像がついた。ところが実際は、想像以上の人が東京から逃げ出していた。それだけでは足らないと、中国やオーストラリア、欧州まで帰ってしまった人もいた。ほどなくして、一緒に働いていたある人は、米国に戻るとメールが来た。

私はどこかやるせなかった。
別に東京を離れてもいい。仮に私が、ベトナムや中国、フランスで同じような目にあったら、やはり日本に飛び帰るか少なくとも近隣諸国に出国することを考えはするだろう(ただ、我が家の場合、まず夫がそうしない。いざというとき、嫌味なほど落ち着いているからだ。したがって私も残る羽目になる図式が想像できてしまうのだが)。

だから理解はできる。おそらく動揺もしていたのだろう。ただ、悲しかったのはそんなことではない。1週間経ち、2週間経ち、何も言ってこない、それがなんともたまらなかったのだ。

地震の翌週は1週間休みだったが、ある日、職場に行ってみた。停電の影響もあってか、うす暗く何より寒かった。地震の前は普通に笑い声や話し声が飛び交っていたのに、馴染みある場に居ながら、どこか不可思議な感覚だった。何かが変わらず何かが違う―そんな感じだった。

驚いたのは、春分の日21日の夜になって「状況がまだ不安定なので、29日からの出勤にする」と職場のアナウンスが来て、休みがさらに1週間のびたこと。日本では、東京ではすでに人びとはできる範囲で働き始め、子どもでも学校に通っているのに何事かと、組織の姿勢を情けなく思った。

それでも3月22日だったと思う。来れる人だけでも来なさいと、私の属する部署でミーティングの招集がかかった。当然、東京にいる人だけだが30人くらいは集まった。そこでボスが開口一番、「正直言って、この組織のあり様にいささかがっかりした」
トーンを抑えた口調だったが、「あまりにがっかりした」に違いない。
メッセージはただ一つ、「いい加減、目を覚まし、各自の職務に戻るように」だった。

それまで、当然のごとく東京に残った人たち(一部の日本人や、日本に本当に根を下ろしている一部の外国人)は、一様にどこか腑に落ちない気持ちを抱えていた。その気持ちを代弁されたような気がして、すっとした。

かくして職場レベルでは、震災のつめ痕が心に残った。わだかまりというには得体のしれない、失望と言い難いがしかしそれに近い感情を抱いたこともあった。皮肉にもこの震災は、我が職場ではみたくないものが一気に表に出てしまったともいえる。しかもあまりにクッキリと。

私の失望した理由はふたつあった。
(1)「日ごろ、あれだけ日本好きを口にしながら、いざとなればこの程度か」と腹が据わっていなさをみせつけられたこと、(2)一次情報をみようとせず、デマやアテにならない報道に振り回される姿勢。この両方に、「マークよ、お前もか」(ここでマークは仮名、でも何人もいる)、とただただ呆れた。さらに、普段から感情の起伏の激しい人は、その振り幅を思いっきり広げてくれたという、おまけ付き。私が人事担当なら、この機会に学んだことを存分に活用すると思う。

結局、有事に人となりはあまりに隠すすべもなく露出してしまうものだと思い知ったのも、あの地震だ。まあ、日常の態度からもともとそういう行動が容易にわかってしまう人も、いるにはいる。ただ私の場合、外国人のチームの仲間が一人や二人ではなかった。中でも、姉妹のように親しかった友でもある同僚が、仕事は続いているのに知らないうちに、翌々日には日本を離れていた。それを知ったときは何も言わず、何も言えず。それでも原発や日本の社会の方が心配だったから、考えないようにしていた。そして音信不通になっていた。

この頃、彼女にはおそらくもう会えないだろうと半ば確信していた。私は3月で退職することにしていたからだ。彼女が日本に帰りたくでも旦那さんが戻さないだろうとも思えた。それで、Facebookで軽く挨拶をしてみた。もちろん返事はなかった。

それが、昨日の朝、荷造りをしていたところにふと顔をあげたら彼女が立っていた。大きな目に涙を浮かべながら。驚き、素直にうれしかった。彼女は必死に涙をこらえながら
「もうすぐやめると聞いたから。戻ってきたわよ。会えてうれしい」
といった。とにかく荷造りを今日中に終えなくてはならない私は話をしている場合ではなかったのだが、それでも、地震の日からの空白を埋めるかのように、小一時間話してしまった。彼女とは何年一緒に働いただろうか。かれこれ2年近くになる。

わたしはどこか感動していた。
闇の中に一筋に光がさした気がした。竜巻で壊れた街のひとすみで、ひとに踏まれても竜巻で踏み倒されても、それでも地面から負けずに生えてくる植物の小さな芽をみたようだった。

昨日と今日はこんなにも違うものかと思った。



改めて、東日本大震災に被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。


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プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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