事業としての黒部ダム

黒部ダムといえば、昭和30年代当時、秘境といわれていた黒部峡谷と、そこを流れる急峻な黒部川を利用して進めた「世紀の大事業」として知られる。戦後、日本経済の復興期に発生した深刻な電力不足に対して、関西電力が挑んだ水力発電所の建設事業だった。

黒部ダムの建設の最大の関門は、長野側の大町トンネル(今の関電トンネル)の掘削工事中に出てきた破砕帯だった。破砕帯とは、「岩盤の中で岩が細かく割れ、地下水をため込んだ軟弱な地層」のこと。これを突破しないとトンネルの掘削は進まない。通常なら8日で終わるトンネルの掘削も、破砕帯のため7カ月に及んだという。関電トンネルの開通は、ダム建設のための資機材を運ぶルートの開設として必須の要素だった。当時の最新技術を集結させながら厳寒の地で人力作戦も導入、171名の犠牲者の慰霊碑が黒部ダム近くにある。トンネル開通後に続くダム本体、発電所の建設で、7年の歳月をかけて昭和38年、黒部ダムは完成した。東京オリンピックの前年ということから、日本の高度経済成長の黎明期の事業だったことが伺える。

黒部ダム建設事業の概要、歴史について

こちらのサイトでは、黒四スピリッツ、仕事に対する情熱が語られています。

黒四ダムの資料館の映像で、最初にこんな言葉が流れていた。

  記憶したい、人間の勇気を
  伝えたい、人間の叡智を


黒部ダム建設といえばまた、世界銀行から借款を受けて事業である(ほかには首都高速、東海道新幹線)。関西電力の資本金をはるかに上回る巨額の費用(当時で513億円)が必要だったためだ。円借款ではない借款の歴史が、日本にもあったのだ。

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Sainah

Author:Sainah
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少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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