自分への問いかけ


東日本大震災から今日で1年が経った。twitterでも紹介されていたが、本日の読売新聞一面は心に響く。雪の降り積もる仙台市の被災地の慰霊塔の写真、いつもは下にある『編集手帳』のコーナーが一面トップに拡大版として出ている。みだしは
時は流れない。雪のように降り積もる。
人は賢くなったか。優しくなったか。


-------(以下、共感する部分を一部抜粋して引用)-------

使い慣れた言い回しにも嘘がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる◆(中略)この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである(中略)
◆口にするのも文字にするのも、気の滅入る言葉がある。「絆」である。(中略)すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。
◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。
(2012年3月11日 読売新聞より)

-------(引用ここまで)-------

全文は以下の通り
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20120310-OYT1T00861.htm
もし実物を手に取れる方はぜひみていただきたいと思う。画面から訴えかける何かがみえてくるかもしれない。



個人的には昨年の3月11日は、都内にいながらこれまでにない地震の揺れと恐怖を感じ、早々と帰宅難民となり、電話はおろか携帯もつながらず、twitter や FB の威力をひたすら実感した日でもあった。何より、自分のアイデンティティをしかと自覚し、何が大切かを痛感した日だった。いろいろと重なって複雑な心境でもあり、思い出したいことそうでないことが交錯し、振り返ってもこの1年はずいぶんと泣いた。大人になって最も涙した年だったかもしれなかった。

今、自分に静かにおそるおそる問いてみる。

私自身は、いったい少しは賢くなったのか、そして少しは優しくなったのか。
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正直わからない。まだまだだとも思う。でも、おそらく寛容にはなったのではないか、と思っている。

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プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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