水に流さない


大津市の中学の続き。自殺した中学生の父親が、加害者の少年を刑事告訴に踏み切ったという。今の日本でいじめと呼ぶ限りいじめがなくならない、というtwitterをみたが、なるほどその通りだと思った。中学生とはいえ加害者のしたことは尋常ではない。恐喝、暴行、強要となれば、それは立派な犯罪になる。報道から知る限り、自殺した中学生の受けていた被害は、大人ならばそのまま警察に駆け込むか助けを求めてもおかしくないレベルのことだ。それが「いじめ」などという生易しい言葉で表現されることで真実が隠されたり、「いじめでなくケンカだと思った」などと教師が発言しあらぬ方向に話が逸れる事態は、当事者からすればやるせないに違いない。また、この事件の解決や真相解明は、もはや学校や教育委員会に任せておれない、という意識もあったのだろう。これまでに対応をみていれば、第三者が見てもそう思えてくる。

これを見ていて思い出したことがある。私の友達Mは米国人の父と日本人の母を持ち、中学校まで熊本で育った。3人兄弟の彼女にはお兄さんがいた。小学生のお兄さんがある日、家のお財布から黙ってお金をとったことがあった。1000円にも満たない額で、お兄さんとして小遣いほしさかでき心だったはずだ。しかしそれを知ったお父さん、激怒してすぐさまバイク(←さすがアメリカ人)に息子を乗せ熊本警察署にまでバイクを走らせ、署に息子をつきだしたという。「あれで悪いことをしたらどうなるか身をもって学んだ」と後にお兄さんは述懐していたという。このお父さんが、大津市の加害者の生徒のしたことを知ったら何と言うだろうか。それが自分の子どもに起きたら、どういう行動を取っただろうか。

悪いことは悪い、と教え諭す、必要なら罰することが、特に子ども時分には必要なのだが、日本社会はいつからか、子どもに甘く寛容すぎる社会になってしまった。一方で、水に流す、大目にみる、という文化が日本にはある。しかし、世の中には水に流していいこととそうでないことがある。「本当に納得がいかなかったり心底憤りを感じた時は、私は水に流さないことにしている」という大学の先生の言葉を思い出す。そのくらいの決意や信念が必要な時があるのだ。

少年の命が失われた後、一連の学校や教育委員会の対応は、あまりにひどくお粗末を越えている。こういう対応しか校長や学校ができないことに、同校の教師も愕然としたのではないだろうか。学校の生徒は、事件の関係者であろうとなかろうと、学校に対する距離や違和感を大きく感じたり不安を覚えただろう。保護者は自分の子どもは自分で守るしかないことを実感しただろうし、不信感も芽生えたに違いない。教師は教師で無力や喪失感を感じただろう。

これで得たものがもしあるとすれば、いじめや自殺が起きた場合、学校に対して警察が入る可能性がある、ということを世の中に知らしめたことだ。それが全国のいじめ抑制の効果につながればいいのだが。

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Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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