思考の道具


それにしても、私は一読者の身で、どうしてこれほどまでにユンちゃんのことが気になるのだろうか。それは、まさに、「娘がこのまま一つの言語をものにせず思考の道具と持たないことによって文化的無国籍になってよいものか」と訴える著者である近藤さんの思いが、どこか自分の心の琴線に響いてしまったに違いない。ひとつには言葉の大切さを痛感し、自分でも悩んでいた時期に読んだこともあっただろう。また、それだけに、これはユンちゃん個人の問題ではなく、だれにでも起こりうることであり、将来、自分の子どもに起こったらどう対処すればいいのか、とまで拡大解釈しながら読んだこともあった。



『バンコクの妻と娘』では、この文化的無国籍に係る部分が2か所出てくる。最初の箇所は、ユンが通う東京のリセの校長から著者に届いた手紙のシーンだ。

東京のリセに通っていたユンは当時、17歳だった。そこで父親のバンコク赴任の話が出た時、強固に希望しひとり東京に残ったのだが、いざ寄宿舎で生活しながらにリセに通い、たくさんの宿題を手土産に週末は知人の家を渡り歩くという生活を送っていた。慣れたとはいえ外国での独り暮らしと勉学、そして進路を決定しなければならないとなれば、それなりに精神的にきつい面もあっただろう。その場で親身に相談に乗ってくれる親が身近におらず、時間差のある手紙でのやりとりでは、様々な出来事や悩みが消化不良に終わったとておかしくない。本書でも、東京から手紙がしきりにきたとの様子が描かれている。インターネットもスカイプもある今とは、東京―バンコクの距離感は比較する術もない。

ある年の夏休み前、東京のリセの校長からも著者に手紙が届いた。落第通知だったが、それに加えて本論ともいうべきメッセージが書かれていた。印象に残る部分なのでできるだけ引用しよう。

あくまで参考意見とお受け取りになって差し支えありませんが、との前置きに続く本論は、「私の心の中にいつも腰を据え、時にはそれを直視して考え込み、時には直視することを意識的に避け、あるいは少なくとも先に引き延ばそうとしてきた想いや逡巡に真っ向から触れ、かつそれを代弁するものであった。」と著者は書き出している。

(以下『バンコクの妻と娘』より引用)
 ミーユンは、教育及び人間形成上きわめて特殊な環境にある、と、校長は書いていた。
 親の勤務により各国を転々としなければならない宿命を背負った子供は、少なくない。しかし、ミーユンの場合は、日本へ来るとほぼ同時に、事実上祖国を失いうという異常事態に見舞われた。まず、このことが、本人の将来にどう響くかを念頭に、こんごのことを考えていかなければならない。
 人間にとって祖国を失うということは、「心の家庭」を失うにひとしい。幼ななじみ、古い遊び仲間、兄弟姉妹や従兄兄弟、親戚の叔父叔母や近所の顔なじみにいたるまで、彼女がその中に包まれてきたすべての人間世界が、煙のように消滅した。
 父親であるあなたが、日本に長く居を定められる職病にあり、あなた自身の家庭や親戚が、この、彼女から奪い去られた世界の代替として徐々に新たな人間関係を彼女に与えてやることができたなら、まだ多少の埋め合わせはついたかもしれない。事情はよく知らないが、五年近くの観察を通じて、ミーユンはこの代替の世界を得るチャンスがなかったように見受けられる。

 つまり、彼女にとって、何事か生じたさい、その懐ろに飛び込んで泣ける相手は、こんごもこの世にあなたと母親の二人だけしかいない。こうした境遇は、一見、めずらしくないことのようにみえるが、実はきわめて異常だといわなければならない。私の目から見ると、ミーユンの両親に対する思慕は非常に強く、それは何よりも、彼女を包む通常の人間世界がないからではないか、と思える。失礼ないい方になるかもしれないが、そうした彼女をあなたたちは今、さらに深い孤独と緊張の境遇に投げ込んでいる。私としては、本人の明るく素直な一面に期待を託してはいるが、半面、彼女の脆弱なまでの感受性の鋭さが、こんごの性格形成にどう作用していくか、少なからぬ不安感も抱かずにはいられない。
 これは、教育者としてより、むしろ、あなた同様、人の親でもある私個人の感想である。

 教育者としての意見を述べさせていただくと、ミーユンにとって何よりも大切なことは、一つの文化を見る目を備えさえることだと考える。率直に申し上げて彼女には、今、何の文化的基礎もない。彼女がときおり示す、驚くべき幼稚さもそこから来ている。
 文化を知るということは、思考をするということであり、思考のための必須の道具は、いうまでもなく言葉である。

 ミーユンは日常会話には、もうそれほど不自由しないようだ。
 しかし、一枚めくると、彼女は実は、何の言語も持っていない。
十三歳で中断したベトナム語は、おとなの思考の道具となり得ていない。一方、日本に来てからのフランス語の進歩は、顕著なものがあるが、なんといってもスタートが遅すぎた。
 あなたも含めて私たちの急務は、なんとかして彼女に一個の完全な言語を持たせてやることだと思う。そうしないと、下手をすると思考のない、というより、思考することができない――人間が出来上がってしまいかねない。一個の言語を完全に身にそなえたときはじめて、一国の文化を理解できる。そして一国の文化を理解したとき、はじめて、他国の文化やこの社会全体を見つめ、それについて思考することができる――のだと考える。(引用ここまで)
 
 
この後、「そこで、今、思い切ってあなたに助言をさせていただきたい。」と具体的な助言に続く。

近藤氏は述べている。
「一見、官僚じみたあの小柄な老校長が、これほど鋭く、温かい目で娘を見つめ、的確に彼女の内面を掌握し、ここまで真剣にその将来を考えていてくれたのかと思うと、父親としての怠惰さと決断を先へ引き延ばしていた勇気のなさが恥ずかしかった」

確かに、ユンちゃんは特殊な状況だとは言える。ただし、思考の道具となる言葉の問題は、バイリンガル教育や小学校での英語導入化等を持ち出すまでもなく、英語と日本語の間で苦しむ我々日本人にとってもひとしく突き付けられた問いのように、思えたのだった。近藤氏の本を最初に読んだのは10年以上前のことであるが、日本における日本人の外国語教育の問題は今でもなんら状況は変わっていない、そんな気がする。

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Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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