フレンドシップ・ブック


(承前)もう一か所は、東京リセ校長の問いかけに呼応した形で、出てくる「フレンドシップ・ブック」の個所である。

(ここから引用)

たちどまって考えると、問題はまだ何一つ片付いていない。(中略)
「文化的帰属」の問題もいまだ明確な基礎固めができていない。東京の校長の手紙にあった、「人間は一国の文化を理解したときに、はじめて、他国の文化を理解し、同時にこの世の中を理解できるようになる」
という言葉は、ものを見る目の「基礎」がどこにあるか、という問題の核心を、重く、冷徹に衝いているように思える。

(中略)

娘は、現在のバンコクの暮らしが、「仮りの住まい」であることを十分に心得ている。しかし、友人が増えるにつれ、この土地への密着度も、明らかに深まりつつある。(中略)

「ほら、もうこんなにお友達ができたぜ」
新しい仲間の写真や、友情の言葉をおさめた分厚い「フレンドシップ・ブック」を見せられるたびに、私はむしろ、心の痛みを感じる。フレンドシップ・ブックは、形成期に各国を渡り歩く運命を背負った子供たちの多くが決まって作成する“宝物”だ。単に年頃の子が切手やマッチ箱のコレクションに対して示す性向と同質の“趣味”なのかもしれない。

だが、潜在的にせよ、フレンドシップ・ブックの中に友情を収集しようとする心理の背後には、結局のところ、それらの友人とのある日の別れが不可避のものであることへの、それなりの認識が働いているように思える。必要とあればいつなんどきでも訪れ会い、話し合えるような「一生の友人」が相手なら、何もその写真や親愛の情を示す言葉をノートの凍結しておこうなどという心の動きは生まれまい。
花模様の分厚い表紙のノートに貼られた何十枚もの仲間の写真、それに添えられた、書体もインクの色もまちまちな、つたない文章に目を通しながら、私は、ここでも思いに沈む。

(中略)

一冊のノートは、多数の友情を記録として保存する。だが、記録として凍結された時点から、すでにその友情は、生命を失いはじめる。そして。容赦のない時と距離の力の前でしだいに単なる「思い出」と風化していく――。(中略)
このフレンドシップ・ブックの中の何人が、いったい彼女の財産として残るだろう、と考えた。

(引用ここまで)

『バンコクの妻と娘』では著者の近藤紘一氏が若くして死別した前妻のことが書かれている。いわゆる帰国子女でありながら、文化的無国籍感覚に悩み、孤独や無力感の壁にぶつかった経緯に触れている。この前妻の軌跡を、ミーユンの将来に重ねて考えずおれなかった、と述べられている。そして、哀しさとともにミーユンの父親が近藤氏でよかったのだと、静かに共感できる部分でもある。



文化的無国籍とフレンドシップ・ブックは、『バンコクの妻と娘』の中で大変印象に残った個所であり、また重い問いかけでもある。これについては本書を読んでいただくのがベストだが、近藤氏の言葉をまずはそのまま引用させていただいた。

古い本ながら今でもまったく色あせることない本を書き続けながら、こうした人生の問いに立ち向かった著者に、心からの敬意を払わずにはいられない。

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プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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