来てしまった Montpellier
とうとう来ました、今回の旅の最大かつ最後の目的地でもある Montpellier に

SNCFの駅を降りた空気からして違います。さんさんと降り注ぐ太陽光を余すことなく受け止めるかのようなつくり。まさに南国、いえ南仏です。ボルドーの友達にも、モンペリエはもう南仏だと感じるといわれていましたが肌寒いパリから南下してきた私にとって軽い衝撃でした。まさに南そのものです。よほど驚いたのでしょうか、旅行中に唯一アップしたブログも、モンペリエについてでした。


駅に近いはずのホテルがわかりにくい立地でうろうろしていたところ、すぐに助けてくれる学生とおじいさん。いや、ここ同じフランスですか?と自問自答していました。この陽光で額に汗がにじみます。
街の中心であり旧市街への入り口でもあるコムディ広場。カラフルなトラムに誘われて歩いていくとすぐに到着。モンペリエは旧市街と新市街からなるらしく、まずは旧市街から歩き始めてみました。


どこを歩いても歴史の趣ある建物や通りがあるので、あてのない散策にはもってこいの街です。


これは12世紀に開校した医学校が前身の医学部。モンペリエでは宗教や出自に関係なくだれでも医学を教えることのできる学校が、当時は画期的だったとのこと。西洋医学を教える欧州最古の医学校のひとつだそうです。正面入り口の銅像はモンペリエ出身の医者(であり医学校の教授)たちとのこと。


構内にも医学校の歴史が刻まれていました。

医学校を出てまた歩きます。パリ凱旋門に模して造られた「凱旋門」に突き当たりますが、その周辺。(あ~、まだ南仏に入るか入らないかのモンペリエにして、このあり余るほどの太陽の光はなんなんだ~)


夜のコムディ広場はライトアップされていました。これまた別世界






一夜明けるとこんな感じ、朝7時から市場が立ち始めます。市場といってもこの日差しですから生鮮食料品ではなく、軽い服とか靴、かばんを売るお店が多いですね。私もモンペリエ不問の記念に10ユーロのTシャツを1枚買いました。

Antigone と呼ばれる新市街に行ってみます。もと軍の用地だったところを1978年に市が再開発をした区域。歩いても歩いても先が遠くに広がってみえます。時々ベンチで休んでみたり。


モンペリエの建築アピールが目的のひとつだそうですが、いや、ただただ圧倒されてすでに十分目的を果たしていると思われます。私がフランス人、あるいは欧州人ならぜひともモンペリエに住みたいと思いました。


この広場の向かい、遠くに見えるヨーロッパ広場の前から空港行きバスが走っています。街の中心から数分トラムに乗ってここまで来て、バスで空港に向かうという段取り。そう、明日はとうとう帰国の日。
