Connecting the dots

この世には、縁の不思議さや巡り合わせが確かにあると感じざるを得ない時がある。往々にして何とも説明のつかないものでもある。

先週、とあるシンポジウムでバッタリとM先生にお会いした。先生には決まって「思いがけず」会うことになっている。特にここ数年はそうだ。つけたテレビに先生が現われて度肝を抜かれた4年前の春には、当時の緩んだ自分をあたかもお見通しの上でお叱りを受けているようにさえ感じたし、1年前の夏もまさか先生の前で1時間近いプレゼンをすることになろうとはゆめ思わなかった。そして、先週もまた然りである。思いがけずシンポジウムの会場でお会いし立ち話をさせていただいた。

(→ 関連ブログ記事)
偶然とはいえ
スイッチON
M先生の提言

あれは2007年の秋のことだった。M先生との最初の出会いがあまりに印象に残っている。以来、その後も、幾重もの偶然が続いているかのように、何故かいつも「まさかここで会うとは」といった場面でお会いしてしまうようだ。そして、いつまでも発展途上の段階で足踏みしている私は、気恥ずかしさと懐かしさと、何ともいえない戸惑いと嬉しさが交錯している。しかも、偶然が重なりお会いしてしまう時は、緊張とうれしさをで私の頭の中もぐるぐると忙しい。きっと先生の前での第一声は、複雑な面持ちでヘンな声をだして話をしているに違いない。

そんな先生の話や投げかけられる質問は、いつも直球だ。
何とか答えてみると、適切なタイミングで的確なアドバイスや励ましの言葉をいただく。ある時などため息まじりに気落ちしていたところへ2通のメールが飛び込んできた。1通はM先生からだった。これからも志を持続させ前を向いて進むようにと励まし温かく背中を押してくれる、生々しく力強い文面だった。メールにそのような力があるとは思わなかったが、読みながら思わず感極まり涙ぐんでしまった。

厳しい世界でプロとして、研究者として世界を渡り歩いてきた先生のような方と一緒に働いてみたい、そう思ったこともある。たとえそれが無理な相談でも折々にこうして、期せずして先生にお会いしては刺激とエネルギーをいただけるーそれがどんなに有難いことか。2007年は私自身、どこかもがいていた。今もおそらくそれほど変わったとも思えないが、もがき方に余裕がでてきた。振り返ると、当時の自分と今の自分の間にはいくつか分岐点があるのだが、それぞれの点と点を繋ぐ足跡を見て取ることができる。うっすらとだがそれなりの貢献や小さな達成の痕跡がみられ、それを実感できる時はすこぶる嬉しくなりまた立ち上がることができ、やる気が湧き、とりあえず次の一歩を踏み出せる。その小さな足跡のことも先生に指摘されてハッと気づいたことだった。ひとは案外、自分のことは見えていないものだ。人生において点と点を繋ぐもの、あるいは線から面への広がりに気づくには、別の俯瞰的なものの観方、広い視野と経験が必要なのだろう。

これまで決して順調な道のりではなく、けもの道を歩いてきたけれど、M先生のみならず何人かの先生や仲間、友人に手を差し伸べられ助けられ何とかここまで辿りついた。その過程で、自分の中で変わってきたものと変わらざるものがあること、自分の中で動かせない軸、動かしようもない価値観は何であるかがはっきりとわかったのはこの1,2年のささやかな収穫でもある。まだスタート地点であるが、夏以降から少し道が開けてきたように感じている。

それにしても信頼とは何であろう。誠実さとは、真摯な人柄とは一体どこで決まるのだろう。M先生との出会いやこれまでのやりとりを通して改めて人の真摯さを感じ、自分もそうありたいとの思いを強くしている。だからこそ、能力も経験もあるのに必死にもがいて頑張っている若い女性達を見ると、思わず手を貸したくなってしまうのだ。これからも七転八起が続くのだろうが、一緒に雨風に打たれながら立ち上がっていく同志を見るような錯覚に陥りながらも。

ダッカの宿題


お盆が過ぎ気づくと9月に入っていました。
5月のダッカの話がまだ続きます。何を隠そう宿題を引きずっておりました



5月にバングラに行き、いい仲間とも知り合えてエネルギーをもらった10日間だった。しかし、やはりただでは終わらなかったこのバングラ行き。チームリーダーS氏(招待してくれた知人)に帰国前にしっかりと宿題をもらうことになる。私を含む3人にとあるミニプロジェクトを任され、それぞれの帰国後、一日おいて1週間はダッカ、バンコク、東京でメールやスカイプのやりとりが始まった。加えて、S氏がいる英国から、追加の指示や方向修正がときどき飛んでくる。時差があってよかったのかどうか、結果この1週間はえらい働かされた。締切も設定され、これで働いてしまうのがアジア人の哀しい性。いま思えば、年齢、国籍、居住地、性格など見越してこの3人を選んだのかもしれないとボスの人選に内心、感服したりもしていた。

とはいえこの宿題は、実はまだ道半ばである。最初のステージは首尾よく進み1週間で終わった。さすがアジア人同士、仲間で進める推進力はすごいねと喜んでいたものの、その後、6月、7月と本務や出張などそれぞれの事情でメール連絡も途絶えがちで、7月第一週のメール連絡を最後に仕上げが延び延びになっていた。

早く仕上げて手放したいのはみな同じ。しばらくおいても反応がないので、お盆休み中に「Summer Greetings from Tokyo! ところで例の件ですが」と切り出したところ、連絡が途絶えていたチームの一人Aから反応があり、なんとか再開にこぎつけた。すると、それまで反応の速かったPからは、8月末まで休暇なのでよろしくとの連絡。私は自分の持ち分を仕上げてPに送っておいたところ、9月に入り再開の連絡。ようやく今週末にはまとまりそうな気配である。

早ければ2か月で終わるところが4か月かかったことになる。こだわりポイントも程度も三人三様。それでもこのメンバーで各人のおかれた状況で進めるにしては早かった方だと思えてしまう自分がいる。こういう感覚が通じる世界で仕事をするのはある意味、楽しくもある。最初は何かの拍子に巻き込まれてしまったのかと思えたプロジェクトだったが、S氏の時機を得たほどほどの関与や指示を受けながら、リーダーシップとは、コーディネーションとは何かを身を持って体験した貴重な学びの機会でもあった。



Old Dhaka訪問 のことも書きたかったのですが、それはまた別の機会に譲るとしてダッカ記はこで了と致します。

初めての沖縄

いま沖縄に来ています。何を隠そう、初めての沖縄になります。

何人かに念押しのように「本当に初めてなんですかっ?!」と聞かれたほどですが、これまで機会がなかったとしか言いようがありません。今回は某ワークショップ参加なので観光の時間はとれないかもしれませんが、それでも旧知の人々との再会はうれしいもの。ただ、おひとりだけ久々にお会いしたのにまだ十分に話せていない某先生とは、ぜひ明日にでもお話しできればと思っています。

沖縄の天気は変わりやすいと聞ききました。この数日の予報は連日曇りのち雨でした。しかも雨が降ったかと思うと1時間もしないうちにカーッと日が照り始めます。しかも照りつける太陽は半端でない陽射しの強さ。今日一日で随分と日焼けししまったようです。


スイッチON

唐突だが、私には前の仕事で親しかった同僚、仲間がいる。Lとしよう。彼は私の上司というよりは先輩であり、数々のプロジェクトを動かすために6年間伴走してきた仲間でもあった。もちろんアジアの自然資源管理については圧倒的に豊富な経験とネットワークをもっており、何より彼の視点や対象地域がユニークだったこともあり、彼や彼と進める仕事からは学ぶことが多かった。おそらく、最初は彼と働く予定はなかったはずだ。それが、初期に私の担当したプロジェクトが分野的にも彼の仕事と一脈通じるものがあったのだろう、徐々に彼とプロジェクトを共有することが多くなっていった。

その彼が、急に国に帰ると聞いたのはこの2月のこと。かれこれ15年は日本で働いていたはずだが、その帰国のニュースは、すでに別の職場にいた私にとってはあまりに急だったので急ぎ送別のランチをするしかできなかった。折しも、彼の帰国後、彼の住む地域では暴動が起きたり地震が起きたりで、大丈夫だろうと思いつつそれなりに心配もしていた。

昨晩、そのLと小一時間スカイプで話した。このskype の時間設定にメールのやり取りでも一週間かかったので、まだ生活は落ち着いていないのかしれなかった。彼の住む街は知る人ぞ知るそれなりの国際都市ではあるものの、果たせるかな東京ほど便利でないと苦笑していた。彼にしてみればホームラウンドだから直に勘を取り戻せるだろう。

昨日のskype ではある新規のプロジェクトの話をした。プロジェクト始動を私から申し出たもので彼も協力を快諾してくれた。そもそもの発端はあるプレゼンだった。

8月のお盆前にプレゼンをする機会があり、そのプレゼンで私の中の火がついた 。その聴衆には思いがけず懐かしいM先生もいらした。M先生の前でプレゼンするの初めてだが粛々と進めたプレゼンだった。それまでもプロジェクトのことは考えてはいたのだが、どうも一歩を踏み出せなかった。おそらく自分の中でも、こんなプロジェクトができるのだろか、との不安や迷いも多少はあったのかもしれない。しかし、プレゼンに対しての質問や聴衆の反応、何よりM先生のコメントで、このプロジェクトに取り組む決意が固まった。これまで自分のしてきた仕事や数々のプロジェクトを振り返る意味でも、このタイミングでのプレゼンは(プレゼンの準備の段階も含めて)大変いい機会となった。そのプレゼンの後に、Lとの出会いをしみじみと思い返していた。そして改めて、LとM先生への感謝の念が湧いてきた。

Lの帰国以来、初めて聞く声は思ったより穏やかだったので安堵した。やはり、彼の視点は面白い。9月半ばに会えることになったので、その時を楽しみにしている。それまでプロジェクトの準備をできるだけ進めておこう。プレゼン後はお盆休みなどもあってどうも進捗が捗々しくなかったが、今回のskype で私の中で本当にスイッチが入ったみたいだ

このプロジェクトがどのような形で仕上がるかは未知数だ。地味な作業も続くし、リソースがふんだんにあるわけでもない。それでも、限られた時間を費やしてでも、取り組まずにはおれない。こういう分野の仕事に巡り合えて、不思議な思いと満ち足りた気持ちと幸せを感じている。

とある話


先月下旬のことだったがオンラインで相談を受けたことがあった。相談の主は中国人女性、まだ20代だと思う。私は彼女のことを知らない。どこかから探してコンタクトしてきたのだが、相談の趣旨は進路の相談だった。スカイプで話せるので連絡先を教えてほしい、との勢い。その頃あまり時間はとれなかったのでメールでのやりとりとなる。

詳細は割愛するが、米国の大学院(修士プログラム)と日本の某大学院(修士プログラム)の両方に合格したが、どちらを選択するか非常に迷っておりアドバイスを求めるもの。米国の大学を卒業して今は中国の非営利機関で仕事をしており、「将来はエネルギーと環境セクターでキャリアを積みたい。両方のプログラムの教育の質を比べてどう思うか。将来日本で働きたい場合はどちらのプログラムがいいか」といった内容だった。また、個人的にも日本で働く経験と生活することに強い憧れがある様子が伺えた。実は、こういう時代でも日本と米国の大学院で迷う中国人がいることに、多少の驚きも感じた。

直感的に米国のプログラムがいいのではと思ったが、一方で、彼女が将来何を目指す次第かとも思えた。民間に行くのか、公的機関で働くのか、博士課程に進学するのか、中国に戻るのか、日本で働くのか、米国で働くのか――むしろ彼女のバックグラウンドで英語と中国語ができるとなれば、可能性は無限大にも思われた。私に連絡してきたのは、おそらく米国の同じ大学院の卒業生だからだろうが、在籍していたのはかれこれ10年以上前になる。ひと時代違うと、学部長もプログラムも大きく進化してきている。5年前に再訪したときにも学校の外観だけでも変化を感じた。キャンパス内の建物が移築・増築されていたり駐車場ができていたこと、中国人留学生が増え日本人留学生が減ったことを見聞きした。何よりその比較対象となる日本の大学院のプログラムについて、私は全く知識を持ち合わせていなかった。

そういったことを正直に交えて返事をした。彼女からは程よい感覚で時折、返事というか中間報告が届いていた。私はこれまで何人かの中国人と働いたことがあったが、いずれも30代~40代の人だった。彼女とのやり取りを通して、中国の若い世代に対して好印象を抱いたし、上の世代との変化を感じた。

不思議なもので、偶然、彼女の選択肢にある日本の大学院を卒業した人に職場で遭遇した。事情を話し可能な範囲での協力をお願いし快諾していただいた。その後、2週間ほどたち、最終的に米国の大学院に進むことにしたとの連絡。お礼と決めた理由、考える過程などについて述べた簡潔にして丁寧なメールが届いた。どのメールでも、彼女がいかに日本で働きたいか、日本で生活することへの強い興味が文面から読み取れた。そして最後がこう締めくくられていた。

Peace for Japan and China

彼女の前途に幸あれ。

プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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