避けて通れないもの―死への準備


ちょっとこのタイトルを見てぎょっとされる方もおられるかもしれません。

たいへんお世話になったI夫妻のご主人様の訃報を受けました。あれはまだ我が子が0才児だった時のこと、私たちは静岡県三島市に住んでいました。夫は東京まで新幹線通勤の身、共働きで昼間は保育園にお世話になりました。

が、それだけで済まないのが子育てです。熱があれば保育園からすぐに呼び出しが来る、日帰りでも東京に出れば帰りは夜8時以降になり、そういう時に限って新幹線が遅れたりもする、急に親が入院する羽目になるーそういったときにお隣に住んでいたI夫妻はいつも決まって快く、0才児の世話を引き受けてくださいました。お二人の存在だけが、親戚も知人もいない静岡にポンとやってきた私たちの拠り所でもありました。今でも頭が下がります。

とても細くお若くみえ、庭仕事と犬の世話を日課とされていたこともあり、病気ひとつないようにお見受けしたIさんでしたが、年末に病気が発見され3ヶ月後のことでした。今でも信じられません。昨年のお正月に三島に立ち寄った際にお会いできたのがせめてもの慰めです。

死とは突然やって来るものです。今さらながらに思いますが、昨年、健康そのものだった義父が急逝した時もそうでした。死とは避けられないものである以上、人生の幕が下りる前にどこまで準備ができるのか、また準備をしたいのかは、おそらくひとそれぞれでしょう。実は私の両親も最近よくそういう話ーお葬式や献体をするかどうかなど―をするようになりました。若いころの私は、自分が事故にあい脳死状態になったら「使える臓器があれば人様に使っていただくのがベスト」と信じていました。今はそう思いつつも少し変化があり、家族もいればこれからどうするのかはまた考えるべきことになるでしょう。

千葉敦子さんというジャーナリストが書かれた本に『死への準備日記』というものがあります。千葉さんは東京新聞の記者を経てフリーのジャーナリストとして活躍されながら、乳がんになり、闘病生活や日米の医療の違い、仕事の進め方等についてたくさんの著書を残して亡くなりました。確か、『よく死ぬことはよく生きることだ』という本もあったかと思います。彼女の本に触れたのは学生時代でした。あれから20年以上が経った今、改めて、彼女のメッセージが迫ってきているかのように感じます。

なでしこの存在


毎日暑い日が続いています。8月の東京の暑さは、もうマニラやジャカルタの比ではないですよ。
東南アジアは暑くてもだいたいカラっとしています。

この暑さの中、今日の銀座はすごい人でしたね~。メダリストのパレードに駆け付けた人々の山と熱気は目を見張るものがありました。といってもニュースでみただけの管理人です。いや、何たって暑いんですもの (しかし50万人ってほんとですかね?街の一角にそこまでの人数が収まるのかやや疑問でもありますがそれは置いといて。)

オリンピック期間ほとんどマニラにいたせいか、今年のオリンピック、ほとんど見れませんでした。みれたのは開会式と男子マラソンくらい。あと、女子体操の個人総合です。ボホールにいた時、夜中にテレビをつけると女子体操が流れていたので、もともと好きなこともあり見入ってしまいました。小一時間、ロシアと米国の選手のメダル争いを堪能しました。子ども時分にコマネチに魅了された世代で、以来、女子体操は好きなのです。ロス五輪のメアリー・ルー・レットン(米国)とサボー(ルーマニア)も印象に残っています。今はルーマニアの女子体操は昔ほど強くないんですね、ちょっと残念。

ということで今年のオリンピックといえば、ほとんどみていなかったのですが、11日の帰国でなんと、なでしこジャパンと一緒になりました。私はマニラからの朝便で成田着が2時半過ぎ。到着ロビーにでるとすごいカメラと出迎えの数。聞けば、ロンドンから3時着の便でなでしこが戻るというじゃないですか!

そこは本来のミーハーぶりを発揮して、まず予約した帰りのバスをすぐさま1本遅らせることに。肝心の選手の通路いうか一体どこに出て来るのかわからず、荷物を持ちながらウロウロしていたところ、キャーという歓声が。

(え、どこ?どこどこ?)

声は聞こえど選手はみえない。というか目の前は人の背中ばかり。。。

と思って右にずんずんカニのように動いていたら、にわかに佐々木監督が足早に歩いてくる姿がみえるではないですか。続いて選手も。

ん?わたし、もしかしてすごくいいポジションにいるのかも?
と慌ててカメラを握る始末。ここは握るのではなく構えなければならないのにっ。

で、がんばってとった写真がこれ(汗)。せっかくの澤選手が。
nadeshiko_convert.jpg  nadeshiko2_convert.jpg

それでも期せずして成田で迎えたなでしこの選手から、元気をもらいました。

実はあの時、ちょっと思ったんですよね。
あれだけの活躍をして長旅で帰ってきた選手に対して「おめでとう!」「おつかれさま」の一言もかけることができず、写真を撮る方に必死で少し悪かったかなあって。

でも今日の50万の人々が、あれだけの歓声と感謝の言葉を選手にかけて、その役目を果たせていただけかなと思い直しました。

なでしこ、本当におめでとうございます!
ここぞという時に希望の光を灯してくれるのは、いつもなぜか、なでしこです。

大切なこと


来週に出張を控えている。家庭の諸事情と重なったため、それに合わせた出張スケジュールを組んでみた。

今の職場では、なぜが出張の移動日が休日扱いにされるという不思議な制度がある。出張中の移動は仕事をしていない扱いなのだ。なのに日曜に日本を出る移動日に充てる人々が圧倒的に多い。時間節約なのだろうが、家庭を持つ身なら週末からの出発なぞできるだけ避けたいもの。今回も月曜出発に対して、「それは珍しい組み方ですね」と言われたりもした。

私に言わせれば、休みを削ってまで移動するほどの緊急性がない限り、あるべき組み方をしたつもりだ。今回は家の事情もあるのでできるだけ日本にいたいと思った。そういう理由で数日短縮したスケジュールにもした。幸い、同行者の予定もこのスケジュールが好都合とあって、私としてもとても助かった。

といった話を帰り際に、同僚のNさんと立ち話ですると、歯切れがよくこう語った。
「それはもっともな考えですよ。誰が何と言ってもそうですよ。だって、家族が一番大切ですもの。」

こういう発言を若い世代が当たり前のように話すのは、何とも心強いではないか。彼女は家族至上主義だと公言してはばからない。こういう何気ないが当り前のことを若い人が臆することなく堂々と口にする増えてきたのは、ようやくかという思いと日本もいい方向に行くのではといった予感がして、何だかうれしかった。

イクメンが増えてきたというけれど、小さな子どものいる親御さんだけでなく、個人や家庭の事情を優先して、それを理由にだれもが堂々と休みを取得できる社会、またそうした行動を当り前と受け止める姿勢が、真の豊かな社会への一歩になると思う。

水に流さない


大津市の中学の続き。自殺した中学生の父親が、加害者の少年を刑事告訴に踏み切ったという。今の日本でいじめと呼ぶ限りいじめがなくならない、というtwitterをみたが、なるほどその通りだと思った。中学生とはいえ加害者のしたことは尋常ではない。恐喝、暴行、強要となれば、それは立派な犯罪になる。報道から知る限り、自殺した中学生の受けていた被害は、大人ならばそのまま警察に駆け込むか助けを求めてもおかしくないレベルのことだ。それが「いじめ」などという生易しい言葉で表現されることで真実が隠されたり、「いじめでなくケンカだと思った」などと教師が発言しあらぬ方向に話が逸れる事態は、当事者からすればやるせないに違いない。また、この事件の解決や真相解明は、もはや学校や教育委員会に任せておれない、という意識もあったのだろう。これまでに対応をみていれば、第三者が見てもそう思えてくる。

これを見ていて思い出したことがある。私の友達Mは米国人の父と日本人の母を持ち、中学校まで熊本で育った。3人兄弟の彼女にはお兄さんがいた。小学生のお兄さんがある日、家のお財布から黙ってお金をとったことがあった。1000円にも満たない額で、お兄さんとして小遣いほしさかでき心だったはずだ。しかしそれを知ったお父さん、激怒してすぐさまバイク(←さすがアメリカ人)に息子を乗せ熊本警察署にまでバイクを走らせ、署に息子をつきだしたという。「あれで悪いことをしたらどうなるか身をもって学んだ」と後にお兄さんは述懐していたという。このお父さんが、大津市の加害者の生徒のしたことを知ったら何と言うだろうか。それが自分の子どもに起きたら、どういう行動を取っただろうか。

悪いことは悪い、と教え諭す、必要なら罰することが、特に子ども時分には必要なのだが、日本社会はいつからか、子どもに甘く寛容すぎる社会になってしまった。一方で、水に流す、大目にみる、という文化が日本にはある。しかし、世の中には水に流していいこととそうでないことがある。「本当に納得がいかなかったり心底憤りを感じた時は、私は水に流さないことにしている」という大学の先生の言葉を思い出す。そのくらいの決意や信念が必要な時があるのだ。

少年の命が失われた後、一連の学校や教育委員会の対応は、あまりにひどくお粗末を越えている。こういう対応しか校長や学校ができないことに、同校の教師も愕然としたのではないだろうか。学校の生徒は、事件の関係者であろうとなかろうと、学校に対する距離や違和感を大きく感じたり不安を覚えただろう。保護者は自分の子どもは自分で守るしかないことを実感しただろうし、不信感も芽生えたに違いない。教師は教師で無力や喪失感を感じただろう。

これで得たものがもしあるとすれば、いじめや自殺が起きた場合、学校に対して警察が入る可能性がある、ということを世の中に知らしめたことだ。それが全国のいじめ抑制の効果につながればいいのだが。

いまだに変化しない公教育


大津市の中学で昨年秋に起きた中学二年生の自殺の事件。報道からだけでもあまりにひどい、むごいことが起きていたかが伺える。今回たまたま公になったものの、ひたすら事件をひた隠しにしようとしてきた教育関係者の姿勢、度重なるいじめに対して見て見ぬふりをしてきた学校の態度は、まるで日本社会の陰の部分の縮図を見るようだ。

事件の起きた大津市の中学校と教育委員会の両方に憤りを感じる。特に、いじめの日時を特定することやどうしたら自殺を防げたかの考えを、あろうことか被害者の両親に求めていたというからあいた口がふさがらない。学校が把握できていない学校内の出来事をどうして親が知り得よう。遺族の心情を慮るどころか、自らができないことまで遺族になすりつける、これはまさに責任放棄と職務放棄そのものだ。これまでの対応ですでに、大津市の中学校全体が保護者の信頼を失いかけていることにいい加減、気づけばいいものを。

ここまで逃げの姿勢や意味不明の発言を公にマイクの前で繰り返す教育関係者を、半ば不可思議な思いで眺めていた。そもそも教育委員会とは何のために存在するのだろう。教育委員会の存在意義が自分が中学生の時から不思議だったがいまだにわからない。ただヒントを得たことがあって、10年ほど前のこと、某市の教育委員会と一年ほど仕事をする機会があった。その時は、教育委員会とは地方公務員である教員の人事上の理由で設けられた、と印象を受けた。だからか、会議を開いても会議にならない。公立中学の教師が市の職員や教育委員(=教育委員会に出向している教師、ということになる)に対して意見を述べることなどまずなかった。またある時、雑談中だったと思うが、30代の先生が「巷では、最近の教師は労働者になってしまった、と言われるけれど、そもそも教師は労働者なんです」と言い放った。昔のように生徒のためならすべてを投げ出す教師などいない、我々教師は各都道府県との雇用関係にある労働者だ、という意図だったのだろう。内心そう思ったとしても教師の口から聞きたくない言葉でもあった。まあそんなものかとその時は思ったが、今ならこう言いたい。労働者なら労働者らしくもっと世の中の教育に対するニーズに敏感になれ、教師なら教師で自分の信念を示しつつ、もっと世の中の変化に貪欲に学び続けろ、と。教師としての軸や信念もなく、世の中のニーズや変化に気づいてもいない教師が増えていることを、ここ数年の学校をみてきた保護者として感じる。

考えてみれば、学校や公教育ほど、人間相手の仕事でありながら世の中のニーズや変化と組織(ここでいえば学校や教育委員会)の考えの乖離している業界はないと思う。またその乖離は拡大すらしつつある。様々な教育ニーズに伴い、教育サービス(塾、習いごと、私立校)もこれだけ多種多様なのに、公教育だけはこの30年ほとんど変わらないままきた。しかし世の中も個人も、子どもたちも親の姿勢も昔とは大きく変化している。学校側も、体制や先生の役割や先生に求めるものを見直すなど、時代の変化(しかも急激な変化)にそれなりに対応できるよう進化していく必要があるのだ。それが難しいのは、ひとつには先生の世界が外の世界とつながっていないからだと思う。前も書いたが、小中学校の先生には、若いうちに学校以外の勤務経験をぜひとも求めたい(過去ブログ)。先生自ら、世の中にはいろいろな仕事があり、いろいろな考え方、文化がある、ということを頭ではなく体で理解することが必要だから。そうすれば、子どもへの接し方も自ずと幅が出たり変化していくと思う。世の中、正解はないんだよ、人と違っていいんだよ、というセリフが自然に学校の先生の口から出るようになってほしい。自殺した男子生徒だって、そういう先生がいれば随分と違ったことだと同情する。

私も中学の頃、まわりの人と違うことをしては妙な風当たりを何度も感じた時期があった。いじめにこそあわなかったが(もしかしたらいじめられていたのかもしれないが)、負けず嫌いだったし、皆と違って何が悪いのかと半ば開き直っていたこともあり、どこか割り切っていた。そもそも明らかにクラブ活動での人間関係が要因だったので、学校生活の軸や楽しみを自然とクラブ以外に求めたのだろうしそれでよかったとも思う。それでも、ほぼ毎日あるクラブだったので、人と違うことをするとは何ともしんどいものだ、と中学生で実感したことを覚えている。
この際、生徒が学校生活での苦痛やいじめが原因と想定される自殺の場合は、学校の校長と担任は厳罰に処すくらいの法律ができてもいいと思う。例えば、「いじめの事実があるとは知らなかった」などと口に出す校長は、それだけで責任を問われるべきだとの覚悟と責務を負っていてほしいし、日常的に子どもに接する(=子どもに与える影響の大きい)先生も然りである。親からすれば、子どもを学校に預けるとはそういうことなのだ。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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