忘れ得ぬ人々(2)


一方ならぬ恩を感じる友人として思い浮かぶのはKさん。10年ほど前に森林つながりで職場で知り会った。在籍期間が重なったのは半年弱だったが、米国の大学院で環境専攻、英語で仕事をする感覚、理系の研究者出身(注:私は過去形)などの共通点があったためか波長が合ったのだろう。その後も何かともがきながら仕事をしてきたので、人生という海に放り出され必死に小舟をこいできた感覚や思いは重なるもの。悲喜こもごもを分かち合い、共鳴して盛り上がる時が度々あった。会えば話が弾み、互いの環境や状況、その時々の思いや目標を語りあいながらいつも時間が足りなかった。

その彼女だが英国やフランスで研究生活を送っていた時期が続いた。一度などフランスに遊びに行き一緒にノルマンディをドライブしたり、ボルドーの市場やパン屋に立ち寄ったり、教会や城めぐりをしたのも何とも懐かしい思い出だ。また、昨年12月のパリのテロ事件のニュースを聞いた時、まさか今頃フランスにいないでしょうね、と虫の知らせか数日後にメールした。すると、彼女の乗った飛行機がパリを離陸した2時間後にテロ事件が発生したことを日本に帰国して知った、とのことだった。

どちらからともなく連絡しては、2年に一度くらいの頻度で会っていたように思う。それでも互いに離れた場所に住んでいたので、何よりそれぞれ仕事をしていたので簡単に会えるわけでもない。会えずとも、仕事上の困りごとや悩みがあるとふとKさんならどうするかなと考えを聞いてみたくなり、その度に忙しいだろう中、真摯にメールや電話で相談に乗ってくれた。時には、意外な角度やそういう見方もあるのかと目から鱗の視点を示されたが、つくづく誠実な人柄と友情の有難みを感じたものである。

年が明けて、彼女が出張で渡欧する前に羽田で久々の再会ディナー。それはまた話が弾んだものだ。これまで仕事や応募でどっと落ち込み脱力しているときに彼女の言葉に救われたことが何度かあった。そのお礼を改めて伝えると、ナント、そういう言葉を発したことを全く覚えていないというのだ。言葉の重みを感じるとともに、機転や行動・フットワークの軽さ、言葉の素晴らしさを知った。仕事でもプライベートでも会話を楽しめる数少ない同世代の友人であるKさん。彼女との出会いも思えば奇遇だったが、これからもどこかでプライベートや仕事での交差点があればと楽しみにしている。

マイノリティであること


毎日いろいろなことが起こるが、新しい環境での仕事や家探しに追われひとつひとつ書き留めておく余裕がまだない。それでも、これだけはと今のうちに書いておかなくてはならないことがある。それは、ここに至るまでに受けた応援と支えていただいた方々への感謝の気持ち。

お世話になった方には、「悩ましい選択でしたが、これでよかったと思えるよう覚悟にかえて頑張ってまいります」と、決意表明のごとき文面のメールを出していた。マニラに来る選択は決して易しいものではなく苦渋の決断だったので、おのずと心情の吐露になったのだろうしあたかも自らに言い聞かせていたかのようだ。



まだ職業人生も半ば(のつもり)だがこれまで本当に多くの方にお世話になった。もともと一研究員としてラボで実験をする仕事をしていた私が、2000年に仕事を、それも分野ごと変えようとしたことから、けもの道が始まった。今思えば、かなりの向こうみずだった。良くも悪くも世の中に疎かったので景気とか社会の情勢とかを考えることなく、行きたい道を目指して突き進んでしまった。とはいえ一介の研究者が、しかも別の分野で容易に仕事がみつかるほど世の中甘くはない。明らかに英語力も足りなかった。そこで専門性の基盤確立と英語力強化のためにまず米国の大学院に留学し、マレーシアでフィールド調査の真似事をしたりベトナムでインターンをしたりして国際協力の世界へ入った。ちなみに米国留学中はこれまた大変にお世話になった二人の方がおられるのだが、これはまた別の機会に書きたいと思う。

違う道へ踏み出し国際協力の世界に来た、まではいい(本でいえばまだ第一章)。入ることは誰でもできる。問題はどのような形で仕事に就くかだ。専門職なのか、職員や契約職員なのか、ボランティアやインターンから始めるのか。また国際協力といっても分野とレベルは様々だ。この傾向は今も続き、多様化は進んでいると思うが核となる専門が必要なことには変わりない。個人の選択として、それなりに専門にこだわるか、専門に近いところでがんばるか、多少の幅を広げるか、不本意な分野でも正職員を選ぶか(そもそも正職員になれるのか)、どこまで妥協できるか、そして何より継続的に仕事ができるか、などなど悩ましくどうみても先が見えない状況だった。また、国際協力の仕事は地域性(アジア、アフリカ、中南米、中東)もある。ちなみに私の分野は自然資源管理・農業(アグロフォレストリ)、地域はアジア―そういえるのもようやく最近になってのこと。走りだした頃は自然資源管理の仕事を目指しつつも暗中模索だった。

自然科学から国際協力へ。30代になって大胆にも方向転換をしたことになる。分野替えや年齢制限もあってか、日本での仕事探しは容易ではなかった。日本社会ではなかなか仕事が見つからないとなると、自ずと海外での仕事や海外との仕事にも目が向く。これは国際協力ということもさることながら、元研究者としては自然なことだったとは思う。そうこうするうちに数年、しかし日本の組織も海外の組織も考えつつ、その両方でポストを探しながら応募し続けることは案外しんどいもの。転職経験者にはご理解いただけると思うが、仕事をする傍らで応募書類の作成から面接、時にプレゼン資料作成までをこなすには精神的にも体力的にもエネルギーを要する。しかも、ひとたび道を外れた人間に日本社会は優しくない。学生時代の専攻(生物)から環境(自然資源管理)の分野に移った理由をこれまで何度、日本人(おしなべて男性)から訝し気に尋ねられたことだろう。卒業後10年以上経ってもなお続くこの問いに対して、そのうち自分の中で確たるストーリーができ上がってきたのは幸いだった。ところかわればダブルメジャーとか学際的経験と海外の機関から評価されたこととは対照的だった。とはいえ海外の組織だって厳しい。日本人というより応募者の一人としてみられるから業務遂行力や研究能力をはかる点では徹底しており、容赦ない。双方の共通項といえば、いわゆる人脈やネットワークがものを言う場合があるということ。正職員にならない限り、任期と次のポストへの応募はつきもの。先が見えないから、歩み続けながらも期限やゴールをどこに設定すればいいのか、また家庭の事情の変化や人生の岐路での対応といった問題も出てくる。遠く先に見える一寸の光をあてに出口のないトンネルを千鳥足で歩き続ける小動物―それが私だった。

中学時代に端を発し、その後も一度や二度のみならず何かとマイノリティである自分を痛感することが多かった。その一例は、学生時代の同級生や先輩はバブル世代で就職しており、また理系だったこともあり転職している人は少なかったこと。翻って、国際協力の仕事についてからというものどの職場でも同期もいない私は、自然と世代や国を超えて同様の悩みを抱える人や国際協力の仕事をする人が友人や仲間となった。だからだろうか、国際協力の世界に入ってからできた友人は自分より一回り前後若い人が圧倒的に多い。また人の年齢が気にならない、同僚でも言われない限りほとんど当人の年齢を知らないできた。いろいろな年代の友人と付き合ってきたことだけは今になってよかったとつくづく思う。

横綱北の湖


元横綱北の湖の死去のニュースが昨晩飛び込んできた。驚きであり衝撃だった。

今では相撲ファンからは程遠い私だが、小学生の頃はいっぱしの相撲ファンで亡き祖父と一緒によく観たものだった。場所が始まると夕方5時代からがテレビの前に陣取る相撲の時間だった。相撲といえば思い出すことのほぼすべてに必ず北の湖がいた。北の湖と輪島の対戦ではいつ見ても大半のお客さんががなぜか輪島を応援していたように感じた。土俵では常に動じることなくふてぶてしい表情をしており、しかもここ一番の相撲があまりに強かったので、「憎たらしいほど強い」とよく言われていた。負けた相手に手を貸さないで勝ち名乗りをあげるのも、悲願の初優勝を前にした力士に対して真っ向から勝負し当然のように優勝杯を手にしているのも、いかにも北の湖そのものだった。そんな北の湖にも苦手な対戦相手はいてなぜか朝潮に弱かった。当時(1970年代後半)は横綱、大関が多く、四横綱時代や大関が5人いた時もあったと記憶している。それだけに個性的な力士が多く、また技も多彩で、体格も大型力士からいかにも体重をつけるのに必死な体格の力士までそろい踏みで、観客にとってはもっとも相撲の楽しかった時代ではなかろうか。そうした中にあってなお、北の湖は圧倒的な存在感があった。あれほど相撲に対して一途で勝負に徹した力士はいなかったのではないか。いかにも力士らしい力士であり、相撲の王道を貫いていたように思う。

このブログを始めた時も北の湖のことを書いている。
北の湖
ねこだまし

その後、世間のニュースで芸能人やスポーツ選手と同様に力士の結婚が取り上げられるようになった時ふと思ったものだ。
「そういえば北の湖なんていつ誰と結婚したかもニュースになってないよね。あれだけ強かった横綱なのに、人生って不公平だわよ」などと友達と話していたこともあった。それほど、何かにつけて相撲といえば思い出すのが北の湖だった。これは千代の富士以降の相撲を見なくなったからでもあり、今に至っては白鵬以外は外国人力士がどうかも知らないほどだ。

北の湖は理事長などその後も相撲界に貢献してきたが、相撲の一時代を築き上げた力士なだけにもはや「横綱」のイメージしかない。

ご冥福をお祈りいたします。

中国人の買い物

3月上旬のこと、昔の同僚でもある中国人が東京にきた。再会してひと通りの近況報告や四方山話をした。そのうちに、ふと不思議に思っていたことを思い出し、「この際、思いきっていくけど」と切り出してみた。ここ数年のなぞというか疑問があった。それは、

「日本に旅行に来る中国人って、なんであんなに一度に大量に買い込むのか?」

2月下旬、御殿場のアウトレットに行った時のこと。元静岡県民にとって毎日目にしていた懐かしの富士山全景。そんな富士山にシャッターを押す観光客。平日ですいていたのだが、旧正月の休みだったためだろう、中国人の多いこと。また、どこからか御殿場によるツアーが出ているようで、スカーフを巻いた女性など中国人以外の外国人もいるにはいるのだが、なんたって中国人が圧倒的に大多数を占めていた。さらに目立つのだ、彼らは。なぜか。私の観察したところ、以下のうち少なくとも二つ当てはまれば中国人だ。

・4人以上の集団で動いている。1人や2人で歩いていることは稀。
・グループには父親なのか息子なのか、男性が必ず一人はいる。荷物持ちなのか、買い物が好きなのかわからないが、そこのいること自体、嬉しそうにしている。仕方なくついてきた感がない。
・大量の買い物袋を下げている。マチ付の大きな紙袋をいくつも両手に抱えている。あるいは、2-3個の大型スーツケースを引いている(その中に買ったものをいれているかどうかはわからない)。
・とにかく声が大きい。話している中国人を見て、喧嘩している、と思う日本人は多い。

かつて、一昔前の日本人だって香港やハワイまで行き買いものに興じては現地の人を驚かせていたとの指摘もあるが、やはり買い物量に関してはちょっと違うと思う。あの頃に買い物に走っていた日本人はおそらく多くは若い女性、OLがメインだった。だから買い物したとて手にもてる量も買える量もたかが知れている。頑張ってもスーツケースひとつだ。

ところが目の前の中国人たるや両手にわんさか抱えて、スーツケース3つももって、男女問わずどうしてあそこまで一度に一気に買い物できるのだろう?確か2年ほど前も、新宿のデパートで靴を4足パッパッと選んで買っていた中国人がいて不思議に思っていた。この度、アウトレットで見た光景はその比ではなかった。

当初は、急に何を聞かれるのかと身構えていたL氏も、「ああそのことね」と笑みを浮かべながら、その第一声は「その気持ちはすごくよくわかる。共感できる」 ときたもんだ。ちなみに、L氏はそれほど買い物好きでない、むしろほとんど買わない方だ。そのL氏をして、見知らぬ同胞が抱えきれないほどの大量の買い物を短時間でする心理が実によくわかると言わせしめる背景には何があるのだろうか。

彼の説明をまとめると、こういうことだった。

・ 日本の品物は品質がいい
いいものは買った後でもやはりいい。よく見えたものが使ってみたら見かけ倒しだということもない。たとえば中国でPCを買おうとすると、PCに詳しい人を一緒に連れていかないととても買えない。でもそれは手間だ。商品のラベルやお店の説明をそのまま信じることができない。一人でものを見て買う買わないの判断ができるだけで、文句なく素晴らしい買い物環境だ、という。
・ 日本は、価格がどこもほぼ一定である
同種のものの値段がほぼ一律、少なくともお店や地域によって大幅に値段が異なることはない。他店より高かったらお知らせください、という家電のお店もあるが、同程度のものなら数百円の違いでそれほど値段は大きく変わらない。大阪でも東京でも神戸でも同品質のものが同レベルの値段であることは、驚くべきこと。何より店員のいうことを疑ったり値段の交渉をしなくていいことは精神的にラクだ、と話す。

それなら中国から日本へは近いし羽田もできたしたまに来ればいいのでは、何も一度にあそこまで大量に買い込まなくても? 「飛行機代は惜しくない。それよりビザや渡航の手続きが煩雑で面倒、あれをまたするくらいなら一度でできるだけ買ってしまいたいと思うもの。その心情がいたいほどわかる」という。

つまりは、日本中どこにいっても品質のいいものを、安心して選べ、短時間で買い物ができる ということが中国人の「日本のどこでも大量買い」の理由らしい。

乗り継ぎでとかくビザで手間取っていた彼との出張を思い出すと、ビザの手続きのくだりはなんとなく理解できた。それでもやはり買い物に興じる中国人環境客にはどこか豊かになったからというだけではない、中華商人の血を感じなくもないのだ。

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自分らしく、自分ぶらず


12月から巷では風邪が妙に流行っていたようですが、しばらく無縁で過ごしていました。ところが年が明けて気づくと、家族もろとも時間差で風邪にかかってしまいました。日常の疲れを吹き飛ばす運動を、年末年始の休暇にかこつけて怠っていたからだと自己分析しています。

熱も高すぎず低すぎず。7度5分~8度になるかどうかを行き来する時の体調はどうも好きになれません。我が身体ながらはっきりせい!といいたくなるモヤモヤ感が体全体を襲っていました。さりとて、この程度で病院に行く気力も体力もなく。
かくしてしばしの休みを得て、今日は今年の初ヨガ。汗をかき、体を動かす喜びを感じました。



自分らしく、自分ぶらず

今年はこれでいこうと思います。

子どもが小学校の担任だったT先生の口癖ともいえる教えです。決して熱いタイプの先生ではなかったものの、どちらかといえば静かで芯をお持ちの若い(おそらく20代だったと思います)女性の先生でした。先生がこの言葉をクラス便りで紹介してから、ゲンキンなものでそれまでより熱心に先生に耳を傾けるようになりました

自分らしく ― 世の中や他人に流されず、自分を見失うことなく、生きていくこと
自分ぶらず ― 自分の殻に閉じ籠らずほかの人の影響も受けながら新しい自分を発見していくのも楽しいよという生き方

今でもときどき、感謝と懐かしさの念でT先生とこの言葉を思い出します。

今年の抱負なるものを立てずに毎年過ごしていましたが、年の初めに思うところあり書き留めておく次第です。

(参考)
こういう意味を紹介しているブログもありました。
http://blog.livedoor.jp/penguinoyaji/archives/34960273.html
○○らしく・・・というのは、あるべき姿に向けて努力をすること
○○ぶらず・・・というのは、驕らず謙虚な気持ちを忘れない
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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