ソファのクリーニング


今日は日曜日だが朝から部屋のソファのクリーニングサービスが来ることになっていた。大屋さんが手配している業者が朝9時に来る、はずだった。それが朝8時、電話の音で起こされる。
「クリーニングサービスですが」
いやいや、日曜だしこの電話で起こされたも同然。まだ寝起きである。しかも約束は9時のはずでは?予定より遅く来ることがあっても早く来る(しかも1時間前)なんてフィリピンらしくないではないか。日曜日に働くというフィリピン人も初めてだけど。

急いで朝食を済ませ入ってもらうと二人連れ。しかも英語を話す女性がボスのようだ。
「ジェニーの依頼できました」
ジェニーとは大屋さん夫婦の奥さんである。そもそもこのソファのクリーニングは、ソファを替えてほしいとの私の要望から始まった。いま住んでいる家具付きの部屋の家賃は、家具込みの値段設定になっているので家具に不備があればそこは直してもらうことになっている。このソファ、どうも座ると足がかゆくなり、赤い腫れや虫刺されの跡ができる。掃除やみえない害虫駆除などいろいろ試したけれどどれも効果がなかった。アレルギー体質ではないのにこのかゆみ発生が一度や二度ではなかったので、結局ソファを替えてもらうしかないと考えた。ところがその大屋さん、あっさり替えてくれるのかと思ったら難色を示した。そのソファを置く場所が自分の家にはなく母親の家しか思いつかない。ソファを夫の車に積めるかわからないなど、要は替えたくない意向。ちなみに大屋さん、いつも奥さんの意向が強く働いているのは自明。

とりあえず、ソファを徹底的にクリーンにングして布地を張り替えて様子をみることになった。段取りとして、まずソファを掃除して、布を調達し張替にくるという。そこまで手間をかけるよりソファを替える方が簡単な気もするが。まずはそれでやってみることになった。これでアレルギーが収まらなかったら本当に替えてもらいますよ、と釘をさして。

ソファのクリーニングなんて初めてなので、物見遊山で見ていた。
「ソファ1台に3時間かかるので、終了は正午をご予定ください」
予定など、ここでは当てにならないものだが一応教えてくれた。
「ところでこのソファのクリーニングっていくらですか?」
「ソファとマットレス)2台を3000ペソでと提示したのですが、ジェニーに高すぎる、ソファのみを1500ペソでしてほしいと言われました。ジェニーはお得意様なので今回だけということでその額でお引き受けしました。」
フィリピンペソは倍強(2.2倍)で日本円なので、このソファのクリーニングは3000円強ということになる。
フィリピン人は男女を問わずおしゃべりだが、大屋さんの値引き内容まで聞かされてしまうとは。

彼女たちの仕事ぶりを見ていると、確かにプロフェッショナルのクリーニングサービスであることが伺える。マニラは車が多いので一見して空気がよどんでおり埃も多い。大きな家に住んでいると、窓枠の埃など日常的に積もり、何部屋もある家全体の掃除はメイドなしには成り立たないほどらしい。私の場合、アパートの一室だがベッドのマットレスも今回を逃すと次いつ掃除に頼むことになるのか、しかも予約するだけでも骨である。予約をして指定した時間に来てもらうことのいかに難しいことかーこれはまた別の機会に譲ろう。

「ちなみにベッド2台分の掃除を追加でお願いするといくらになるの?」
「1200ペソです。交通費もあるので人ひとりに対して700ペソ払います。今回はすでに我々がここに来ているのでベッド1台で600でいいです」
もうここで頼んで済ませた方が楽だ。

ご丁寧に吸引機で吸った埃までみせてくれる。
IMG_0562_convert_.jpg IMG_0567_convert_.jpg

その計算でいくと2700ペソ(1200+1500=2700)のところを3000ペソと提示した業者が強者なのか、本来1800ペソ(3000-1200)のソファクリーニングを1500に値切ったジェニー大屋がしたたかなのか、まあいい勝負かもしれない。今日この後の予定はあいている、というのでこの際ベッド2台は追加でしてもらうことにした(支払いはこちら)。

「マム、お昼をはさむのでジョリビーに配達してもらってここで食べてもいいですか?」
でた、ジョリビ―!!
ジョリビ―とはなぜかフィリピン人に人気のファーストフード店。海外進出もしているらしいが、海外在住のフィリピン人向けと思われる。なぜかというのは、甘いスパゲティとか不思議な味付けが多く、油も多いので、一度試したらもう十分と思う外国人は多い。私もそのひとりだけど、それでもこれまで5回は食べる羽目になった。

「お宅の電話借りていいですか?」
「この電話は外にはつながらないですよ」
「なら自分の携帯でかけます」
不思議な会話が続く。その後、30分ほどして配達が届く。
「マム、お昼にしましょう」
と言っても私は家にあるものでのありあわせランチ。、
「ところで、ジョリビ―の何が人気なの?」
「それはもう、このチキンですよ」

お昼をしながら、聞いたのは、最初はクリーニング業者ではなく、クリーニングにつかう強力な埃吸引機を販売していた。ところがこの吸引機、値段が160000ペソ(32万円)ということもあり飛ぶように売れる訳ではない。しかし吸引機の性能を示すデモは続けないといけない。となれば、デモだけでなく自分たちで使って商売をしようと思い立って始めたのが、部屋の掃除サービスだった。埃の多いマニラでは確かに屋内の掃除の需要は高い。家は部屋の間取りが大きく部屋数もそれなりにあるので、家に住む人は掃除専用のメイドを雇用しているときく。そこまでは必要ないが定期的に部屋の掃除をしたいという家庭は(概して女性もフルタイムで仕事をしている共働きが多い)こういう業者に頼むらしい。ジェニーはまさにそうだ。毎月、3ヶ月に一回掃除にいく固定クライアントが多いという話からも伺える。そう、フィリピンでは家事の外注(アウトソーシング)が発達している。住居のメインテナンス系サービス(部屋の掃除から今日のような掃除、エアコンの掃除、修理など)のフィリピン人能力は高い。

ホスピタリティーあふれるとよく形容されるフィリピン人だが、裏を返せば営業に余念がない。
「実際、ユニット全体の掃除は、90-100ペソ/㎡ でお受けしています。ソファ、絨毯、ベット、ブラインド、窓、床の掃除をしています。この機械を使ってするためキッチンは対象外になります」
スーパーでも見知らぬ人に、たまたま前にいたというだけで、
「ハーイ、私こういうものです。興味があったら連絡下さいね!」
と、いかにも興味のなさそうな私に話しかけてくる人(しかも若い女性)が何人いたことか。フィールド調査的にはその心理を聞いてみたいものだがやめておく。

家事の一部でも自分で手が回らないのなら、プロに頼んたほうが楽だし出来もはるかにいい。
こうした家事代行のアウトソーシングは日本でもある。普通の家庭でももっと活用されていいーその思いを強くしたのはフィリピンのアウトソーシングぶりを見てからだと思う。

久しぶりにUberに乗る


Uber「相乗り」に乗った。アプリでUber を予約しようとするとUber X とUber pool(相乗り)が出てくる。相乗りサービスはマニラに来
た一年前はなく、昨年11月頃に始まったサービス。相乗りだと支払うお金が一人乗りに対して4割ほど安くなるようだが、実は相乗りは初めてだった。金曜日の夜は渋滞最高潮の時間帯なので、Uberを呼んでも一人乗りUberがなかった。こういう時はno uber is availableとメッセージが表示される。そこで相乗りのリクエストに切り替えるとすぐに一台見つかった。

5分ほどしてUberに乗り込んだ。重い荷物もあったのでやれやれと思っていると、「途中でもう一人乗せます。」と告げられる。
ちなみにこのドライバー、予定の場所で待っていた私を見つけるのに随分かかったのに、同じく見知らぬ次の乗客は走りながら不思議なほどいとも簡単にみつけた。タガログ語で彼とテキストでもしていたらしい。ともあれ、ほどなくして赤いTシャツ姿の青年が乗りこんできた。しかも後部座席の私と荷物を見るとすぐに前のドアを開けて助手席に陣取り、運転手とタガログ語で話し始めた。
「どこに行くの?」
「Makati」
「じゃあpioneerにいく僕が先だね」
と話していた模様。

そこはフィリピン人、英語にすぐにスイッチする。
「Are you Japanese? 」
この手の質問は飽きるほどされてきた。通りすがりのフィリピン人から受ける定番の質問。
「その質問、Urberやスーパーでよく聞かれるのよね。韓国人、中国人、日本人って。もし韓国人だったらどうなワケ?」
こちらとしてはほとんど現地調査のノリ、インタビューに近い。
「僕はCAなので、国籍によって会話の内容、対応の仕方を変えます」
としれっと話す。キャビンアテンダントと言われると、Tシャツの後姿が急にイケメンに見える。が気のせいかも知れない。
「その各国人はフィリピン人からすれば違うの?どう映るの?」
「日本人はdisciplined 、韓国人はalways in rush, 中国人はtalk a lot」
ステレオタイプのようにも思うが興味深い観察だ。

「じゃ僕はここで」
と降りていった。その後、ドライバーが
「お客さん、Uberは初めてですか?」
「Uberは時々使うけれど相乗りは初めて」
「そうだと思いました。私もUber始めて2か月です。だからマニラの地理に詳しくなくて」
こういうドライバーは多い。Uberだけでなくレンタカー会社のドライバーもそうだ。ちなみに、マニラのタクシーは車体が古くドライバーも当たりはずれが多いので、Uberやレンターカー会社(空港や遠距離の配車サービスをする)を私は使うことにしている。

「お客さんを降ろしたらカビテに戻ります。家はカビテなんです。」
カビテはマニラから 50km弱、車で1時間半強である。東京から横浜くらいだろうか。マニラ外のprovinceに住んでおり、Uberの仕事でマニラに来るーこういうドライバーもまた多い。マニラではUber需要が格段に高い(この背景にはBPOもひと役かっている)。Uberドライバーはそれなりのきれいな車であることが条件なので、まず車を購入すると元が取れないと成り立たない。そこでUberのドライバーが増え、マニラ参入のドライバーと車も増える。結果、マニラの渋滞が加速される。

「一晩休んで明日に備えます。明朝7時からまた運転です」
フィリピン人は全体的にゆったりしているけれど、働き者も多い。(ただし段取りや効率はあまり考えない印象だ。)
Uberを通してフィリピンの世相が垣間見えて興味深い。

私の3月11日


日経新聞の連載「私の履歴書」の年頭はカルロス・ゴーン氏。まとめて読み進めていたところ21回目で東日本大震災時についての記載が出てきた。工場を各地に持つメーカーは大打撃を受けたはずだ。どういう対応がなされたのか、想像を超えた困難や苦労があったのではないだろうか。そう思いながら読んでみた。

随所にimmediatelyという表現が出てくる(原語の英語がわかりやすいので、Nikkei Asian review版をオンラインで読んでいる)が、その後には、再建、修復、回復など未来に向けた力強い言葉が続く。日産とルノーのCEOを兼任するようになってからのゴーン氏は月の3分の1は日本、フランス、世界各地を回る仕事、と時間と仕事を3分していた。2011年3月11日はフランスにいた氏は、すぐさま東日本大震災の報を受けた。読みながら以下のくだりに目がくぎつけになった。
- 「どんな状況であれ、全力を挙げて復興へ向けた努力を」と震災直後に指示を出した。
- すぐさま日本へ戻ろうとしたが、日本の空港封鎖とルノーの事情で、ようやく戻れたのは3月21日だった。
- 東北の工場の被害は甚大で、自動車会社の工場はどこもそうだが日産は特に最大の被害を受けていた。福島県いわき工場の関係者は今後を心配していたが、工場再建の意思を一刻も早く伝えたかった。工場閉鎖はみじんも考えていなかった。

真のリーダーとはこういうものなのかと、羨ましさを禁じえなかった。当時、自分の置かれた状況を重ねて思い出したからである。私のいた職場がどうだったか、いまなら冷静に振り返ることができる。記録として書いておきたいと思う。



その職場は外資系の組織で公用語は英語、スタッフも多国籍で日本に住む期間も2週間から20年まで様々だった。しかしあのような地震は日本人であっても「慣れる」ものではない。ただ、その時の状況で冷静に行動、判断できるか、すべきことをいかにするかが問われる。地震が起きてから業務再開まで流れは以下の通り。

3月11日(金) 午後3時前に地震発生。一部停電、電車が止まり職場にとどまる
3月12日(土) 停電は続くが電車が動き始め、お昼過ぎに自宅に戻る
3月18日 地震後、職場に出勤してみるも人影はまばら。大半の職員、特に外国人スタッフの姿は皆無
3月22日 Director の呼びかけで震災後初の部内ミーティングが召集される。Skypeで海外から参加するスタッフも。上長不在のため不安が続く別部署からも参加。いま組織の存在意義は問われている、日本社会は通常に戻りつつあるのに、信ぴょう性のない情報に振り回されて右往左往するこのざまは何だ、とのメッセージ。
3月22日 来週より業務を再開するとのアナウンス
3月29日 職場全体の業務再開

地震翌日の3月12日から外国人、または配偶者が外国人の日本人スタッフが一斉に関西や海外に逃れてスタッフ不在の日がしばらく続いた。被災地ならともかく、首都圏の各地では停電や節電が続きながらも、各地の小中学校ですら翌週半ば(3月16日)には再開していた。おそらく自治体や普通の日本の会社も始まっていたに違いない。一方、世界各地に散らばった我が社の職員は、それなりの不安や家族の問題を抱えていたので、各スタッフが上長にメールを出し東京に戻れない理由を訴えていた。

来日して日の浅いスタッフやインターンなら恐怖のほどもわかる。しかし在東京15年以上になるようなベテランスタッフでさえも、震災当日はこちらが驚くほどパ二クっており、そそくさと関西や中国に逃げていった(ちなみに逃げ足の速さは中国人が目立った)。中には普通に日本語も話し、いかに自分が日本を愛しているかを日頃アピールしているスタッフもいた。震災で首都圏の交通は止まり停電や節では続いたが、徐々に日本社会は機能再開していた。あれだけの大地震と原発の影響を受けながらも「落ち着いた行動をとり、互助精神を発揮する」日本を驚き、報じる海外メディアの報道が続いていた。しかし目の前で、組織や人の動き、機能停止状態を見せられた私は日本社会の動きとの温度差を感じ、「ここは外国同然。日本であって日本でなはい」ことを否応なく実感していた。

一目散に逃げた人々を責めるつもりはない。不安は理解して余りある。都民の私でさえ怖かったのだ。言葉のわからない外国人が恐怖でおののくのは自然な感情の発露だろう。同時に、震災にかこつけて目に余る扇動や無責任な言動、人間的弱さを示す行為がいかに多かったことか。それとともに、ここまで人に助け舟を出すことができるのかと思うような行動も散見された(重い防火扉を抑えて皆を避難させる、電車の運転再開の情報を流す、食料を調達するなど)。これは国籍や日本の滞在歴によるものだろうか、否。非常時には人間性や度胸、肝、落ち着いた精神が自ずと現れる。あの時、都内にあった職場のビルは5階を境に揺れの影響、被害は分かれた。5階以下は揺れもひどくなかったが、我々のいた11階は立っていられないほど大きく揺れ書類キャビネットや本棚がすべて倒れた。本や書類は床一面に散乱し、PCデスクも倒れかけた。情報インフラはというと、当日は集中したのか電話(固定、携帯ともに)は不通になったが、電気とネットはつながっていたので職場で過ごした夜はオンラインで情報を得ていた。NHKのon line ニュース, facebookが主な情報源で twitter もあったと思うかよく覚えていない。ただ、夜遅くになり女性スタッフに簡易ベッドが提供されたのは思いがけなくも有難いお申し出だった。

今でも忘れられない光景がある。震災翌日の12日午前中、ようやく帰宅できるという帰り際、ビルの正面玄関で幹部職員にばったり出会った。照れ隠しなのかどうしようもないかのように浮かべた薄笑いの表情を残しながらそそくさとビルを後にし、その後しばらく(2週間以上)姿を見せず戻ってこなかった。すべてが彼らしいと思った。我こそが組織の顔といった自負をよく顕示していたが、あまり上からも下からもおぼえがよくなかった。もっとひどいのは別の幹部職員である。彼はある部のトップでありながら、恐がる家族と一緒に即国外に逃れ、連絡不通になった。家族を理由に彼自身も3週間近く日本に戻ってこなかった。彼を上長とする50人ほどのスタッフは憤懣やるかたなく、しかし怒りのやり場がなかったのか隣の部(=我々の部)のミーティングに合流して不満をぶちまけていた。ただでさえあまりなかった彼の信頼は一気に失墜した。ようやく全員が持ち場に戻り業務再開となったのが3月29日である。

私自身、その3月末で7年間お世話になった職場を退職することになっていた。そのアナウンスを同僚に正式にするミーティングが3時に予定されていたのだが、その直前に地震が発生してそれどころではなくなった。数日間はスタッフの安否確認などに追われた。昨日まで顔を合わせていたスタッフも散り散りになり、何人かの仲間にはメールで別れを告げることになった。一方で、挨拶のメールを書きながらも込み上げてくるものがあったので、直に皆の顔を見ながら退職の話をするよりはこれでよかったかもしれないと思ったりもした。多国籍なりの労苦もあったが、それなりのダイナミズムも享受できた。何より、新規プロジェクトの開拓や立ち上げの経験、無から有を生み出す喜びは何物にも替え難かった。そうした貴重な思い出がつまっていたチームや自分の所属部での仕事にはハッピーだったので、本来ならば名残惜しい気持ちが続いたはずだ。ところが3月11日を境に状況は一変した。地震後の数週間におきた組織の動きや光景、指示の流れを見て、どこか私の中で完全に吹っ切れた。心の中で組織と決別した。

今でも覚えているもう一つのこと、それは震災の翌朝のコーヒーのおいしかったこと。震災当日の夜は数人が帰れず職場に宿泊した。夕食を買いに行った時に品薄のコンビニで買ったなけなしのクラッカーを出すと、あるスタッフの方が珈琲を入れてくれた。その方は、いつもどこかゆったりとしていて仕事のスピードも推して知るべしだった。でも震災の日の夜と朝は、その彼女の存在と入れてくれたコーヒーの味にどれだけ救われたことか。あれは立派な貢献だったと今でも思う。以来、何人もいた当時のサポートスタッフの中で今でも鮮やかに思い出すのは彼女だ。

いろいろ考えさせられた3月だったが、普通の生活の有難み、家族の大切さ、愛国心、生きる意味をあれほど強く突きつけられた経験はないのではないだろうか。震災後、海外の友人、知人からお見舞いと励ましの言葉をもらった。なかでもあるブルガリア移民は、「大変だろうけれど日本は大丈夫だよ。だって日本人だもの、復興にかける熱意と勤勉さは我々の国は及ばないほどすごい民族だ。必ず、しかも驚くほど早く復興するよ」 社交辞令かもしれない彼の言葉に、「ありがと、そう思う」と涙声で答えていた。その後、2が月半後に私も日本社会に復帰した。震災の復興とともに歩み始める静かな決意を少し秘めながら。そして日本人としての自分を取り戻すことができた。この時期に日本社会の一員として仕事をする経験があって、本当によかったとしみじみ思う。

マニラで初ヨガ

「ヨガのスタジオが最近、開設されたばかりらしいよ」
と友人から聞き、どれどれと訪れてみた。生活も落ち着きそろそろとヨガをと探していたのだが、日本のヨガ教室しか知ず、「マニラのヨガってどんな感じ?」との好奇心もあって体験に参加してみた。

日本のヨガ(いや、ヨガに限らず英会話、料理、ピアノなど)で建物の一部を間借りしている教室では、必ず建物の入り口前にだれにでもわかるように場所の案内がある。「この建物の最上階」「奥のエレベーターで3階で降りて右手に」などのあのサイン屋表示案内である。それが、ここにはもちろんない。Aビルの5階です、くらいのかすかな案内をもとに行ってみる。

Aビルといわれても看板もないので、通り名や住所からすればこの辺りかな?と思いながらビルに入ると、IDを求められる。
「ヨガですね、5階です」と言われてエレベータに乗り5階でおりる。目の前に広い空間が広がるだけで、これまたどこにヨガ教室があるのかわからない。

ヨガはどこかと5階受付で聞くと、前のレッスン中でドアが閉まっている部屋を指し示される。みると5階の空間のごく一部で、ほかの空間はまだテナントが入ってないようだ。

事前に電話してみると
― ヨガマットは用意してあります(持参する必要なし)
― 着替え用スペース、トイレはあります
ということだった。

着替えスぺ―スというが、果たして更衣室みたいな場所はなく、広めのトイレで着替えるということだった。ロッカーもなく、「シャワーはもちろんない。レッスン横の小部屋を指して、「荷物と靴はここに置いて下さい、鍵は閉めますから」とシレッっといわれる。最小限の荷物で貴重品もほとんど持たずに来てよかったことであるよ、と内心ほっとしていると、前のレッスンがおわり友人が出てくる。

「着替え?家からこの格好で来たけど?シャワー?帰って浴びればいいし」
確かに外は暑いので1分も歩くとすぐ汗をかく。軽めの上着をひっかけて颯爽と帰っていく彼女を見て、それでいいのかもしれないと思った。

ヨガ教室に対して、どうも私のイメージは見当はずれだったようだ。確かに自宅から3分ほどのところだから、隣駅まで電車で乗ってヨガに通っていた状況とは訳がちがう。日本では、シャワーの後、ドライアーやらメイクしてヨガ教室を出て、少し街を歩きながら帰るのが常だった。マニラでは、軽くランニングする感覚で家を出てヨガ教室に出向き、そのまま帰る、とうことらしい。

肝心のレッスンそのものはよかった。生徒も4人しかいなく、広々とスペースで1時間強。英語でヨガレッスンを受けるのは初めてで、たまに妙な動きをしているとすぐに直してくれる。全体的に、日本語に比べてインストラクターの話す量が少ないと感じたが、十分でもあった。

体験なのに、レッスン代はしっかり取られたことを付記しておこう。あと数回通ってみようかと思っていたが、近いのとプロモもあったので10回レッスン券を購入してみた。このままの生活では運動不足になるので強制力もあった方がいいかと思った次第である。

日常の英語


マニラは暑い。雨季に入ったマニラ、それでも涼しさとは程遠く街を歩くだけでむっと来る空気、風のない日はさらに暑い。
食料品、特に生野菜や生ものの買いだめなど考えられず仕事帰りの夕方、スーパーに立ち寄る。

日本でいうお惣菜を見ながら、何かのチーズ焼きらしいものが目に入った。しかもSeafood との表示。
魚料理に飢えているわたしとしては思わず
「これ、何ですか?」
「ドリーです」
「ドリーって?」(まさか羊のドリーじゃないでしょうね、と思いつつ)
「・・・シーフードです」

魚の名前もわからないとこういう禅問答に陥る。
白身だからタラかなと思いつつ、魚なら何でもいいかと買ってみる。
(そう、Dory はやはりタラでした)

家探しでも、とにかく用語の英語がすぐに出てこなくて困った。家や魚の名前ならまだいい。病気になって病院にかつぎこまれたらどうするのか、と今から準備をしておきたいと思ってしまった。
プロフィール

Sainah

Author:Sainah
仕事&興味:途上国と開発援助 [セクター] 農業・自然環境・生態系
少数民族、伝統文化、科学・技術、時間管理、組織マネジメント、外国語(☜ 日本語とあわせて日々奮闘中)、海より山、温泉、古いもの好き、ABBA、中島みゆき

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